秋です

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庭に下りてふと見ると、秋です。

北欧からコンニチワ-秋・1
垣根も黄色くなり始め、風の音もカサコソ。

北欧からコンニチワ-秋・2
丘の上のほうに建っている家の蔦。


☆ ☆ ☆

ヘレナ・エークと藤本里子
日本公演
詳細は銀の道のコンサートをどうぞ。
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Sony

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$北欧からコンニチワ-Sony
これ、ソニー・トランジスター・ラジオって言いましたよね。
1966年に私がドイツに来るとき、兄貴が買ってくれました。
なんと43年前ですぞ!

兄貴、多分おごっていいもの買ったんでしょう。
未だにどこも壊れてないし、いい音です。
今、バスルームに置いてあって、スヴェンが毎日聞いてます。

まだまだ使えそうです!
Sonyにトラバしたら、って言おうかしら。

☆ ☆ ☆

ヘレナ・エークと藤本里子
日本公演
詳細は銀の道のコンサートをどうぞ。

☆ ☆ ☆

ヘレナ・エークと藤本里子
日本公演
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ダンスの歴史(2)

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3.資料はどこに?

さて、それでは直接の資料にはどんなものがあるのでしょう。
ここで主だったものを見てみましょう。
東ヨーロッパが開かれたことから、今後どこかの図書館に眠っていた資料が発見される可能性もあると思います。
(ああ、ミシェラがいたら、一緒に東の図書館ジャングルを探検に行けたのに!)

ヨーロッパの図書館というのがまた素晴らしく、基本的にはだれでも古書を閲覧することができます。現に私の友人は大英博物館で、閲覧をしたことがあると言っていました。身分証明等手続きはかなりうるさくて、時間がかかったけれど、「それでは何月何日何時に来てください。」と言われて、出かけて行ったら、机と椅子の置いてある小部屋に案内されて、入ったら机の上に、コピーやファクシミルでさんざん見慣れた1581年出版のイタリアのダンス教則本がポツンと置いてあった。それを見たときは体が震えたと言っていました。(この本は世界中に多分3冊しか残っていないのです。)

a) 中世
上にも述べた様に中世の資料は本当にほとんどありません。ほんの数行の記述以外は、絵画や 今でも南フランスなどで行われているフォークダンスなどを 参照にし、想像するしかないようです。ファランドール(Falandole)と呼ばれる、一列に並んで手をつないで踊るダンスやリング・ダンスなどがその典型です。
北欧からコンニチワ-ダンス1・2
リングダンス
Olaus Magnus, "Historia de Gentibus...", Rom 1555

また、ヨーロッパの中世は文化的にアラビアなどの中近東の影響が強かったことから、ソロまたは男女一組で身をひねって踊ることもあったようです(下の絵参照)。
北欧からコンニチワ-ダンス1・1
東洋的?ダンス
Manesseantologien, Heidelbergs universitetsbibliotek, 14世紀後半

今一般に踊られているエスタンピ(Estampie)というダンスはダンス研究家のパイオニア、メリスン・ウッド(Melusine Wood)という人が言い出したもので、原文に当たってみると真証性がいまひとつ薄いと思われます(と私は思います)。
しかし、このウッドは、古ダンスの世界で非常に大きな仕事をした人で、彼女の後、一種の学派が形成されていて、これに反対するのはなかなか勇気が要ります。

b) ルネッサンス

i. 15世紀、イタリア
第一に挙げられるのは1430年頃からイタリア各地にその名を馳せていた大マスター、ドメニコ・ダ・ピアチェンツァ(Domenico da Piacenza)(又はフェララ)です。あちこちの宮廷に出没し、数多くのダンスを創作しました。
彼の弟子にグリエルモ・エブレオ(Guglielmo Ebreo)やアントニオ・コルナツァーノ(Antonio Cotnazano)等がいます。
この弟子たちが書いた手記によって、私たちは今日、当時のダンスの様子を垣間みることが出来ます。
レオナルド・ダ・ヴィンチの時代です。

$北欧からコンニチワ
15世紀後半、手書きのダンス曲譜、イタリア

15~16世紀にかけては、バス・ダンス(Basse Dance)という床の上をゆっくり舞う踊りが非常に流行っていて、どのマスターもこのダンスについて記述しています。その中にブルグンドのある王女が持っていた手書きのバス・ダンス集の本があります。ブラッセル・マヌスクリプトといって1470年頃作られた黒地の紙に金や銀で書き込んだ非常にゴージャスなものです。出版されたものでないので、後にも先にも、世界中で1冊しか存在しません。

$北欧からコンニチワ-バスダンス・ブラッセル
15世紀後半、ブラッセル・マヌスクリプト
楽譜の下にステップ名がイニシャルで書かれている。

これと同じような内容の本が1480年代にフランスで出版されています。黒と赤の印刷で、これもなかなか美しい物です。
北欧からコンニチワ-バスダンス・トゥルース
パリで出版されたバス・ダンスの本より

ii. 16世紀、フランス
16世紀になるとダンスの形式がぐっと変わります。1589年に南フランスで出版されたトワノー・アルボー(Thoinot Arbeau)のオルケソグラフィー(Orckesographie)に代表されるものです。この本によって私たちはヨーロッパ、ルネッサンスの最も重要な時期に流行していた社交ダンスの大部分をかなり詳細に知ることが出来ます。

$北欧からコンニチワ-アルボー・1
アルボーのオルケソグラフィーより。
ステップの踏み方も絵で表示。
これは「足交差ステップ、右と左」

$北欧からコンニチワ-アルボー・2
こちらは「ブランル・ドゥーブル」の踊り方の説明。
音符一つ一つの横に足の動きを書き込むことによって、かなり正確にステップの踏み方がわかる。

iii. 16~17世紀、イタリア
16~17世紀にかけて、イタリアではいくつかのダンスの本が出版されます。ダンス・マスター、カルーソー(Caroso)とネグリ(Negri)です。これらはアルボーの社交ダンスの本と異なり、宮廷用の優雅な踊りで、総ての曲に振り付けがなされていて、ダンサーはこの振り付けを知らないと、踊れない様になっています。
北欧からコンニチワ-カルーソー・1
カルーソーの Nobilta di Dame(1600年) より
これは Rosa Felice というダンス
ペアがどのような位置で踊り始めるかを示す図

$北欧からコンニチワ-カルーソー・2
同じダンス説明の最後の部分。
ダンスの説明は文章で。
最後にリュート・タブラチュアで曲が紹介されている。

c) バロック
最後にバロック・ダンス。1700年頃からかなり多くの本が書かれています。フランスが文化の中心となり、特にルイ14世の時は、各国に強い影響を与えました。イギリス、ドイツのマスターが書いた物はほとんどフランス本の翻訳のようです。フォイエー(Feuillet=フランス)、ウェーバー、トムリンソン(Weaber, Tomlinson=イギリス)、タウベルト(Taubert=ドイツ)等というダンス・マスターが活躍していました。

$北欧からコンニチワ-タウベルト・1
タウベルトの Rechtschaffener Tantzmeister(1717年)より。
フォイエー・ノーテーションといって、足の踏み方が一種のステノグラフィーのように書かれている。
かの有名なメロディー、Folie d'Espagne 女性ソロ の踊り方、第1ページ目。
始めはやさしいが、だんだん難しくなる。
この時代は、女性より男性のステップのほうが複雑なことが多い。
多分女性の足は見えなかったから?
バレーなど、相当やっていた人でないと、踊れない。


また、バロックになるとルイ14世のダンス・アカデミーなどがプロのダンサーを育てる様になり、宮廷人たちはもっと簡単に踊れるカントリー・ダンス(コントラ・ダンス)に夢中になっていました。プレイフォード(Playford)のカントリーダンス集などは1651年に初版が出て、1728年頃まで18回にわたって最新流行のダンスを集めています。
北欧からコンニチワ-プレイフォード・1
プレイフォードのThe English Dancing Master(1651年)の表紙

北欧からコンニチワ-プレイフォード・2
カントリー・ダンスの踊り方。
Uppon a sommers day というダンス。
始めに曲を示し、その下に踊り方が簡素化して書いてある。

ここに各世紀のダンスと言われているものがあるのでご紹介しましょう。

15世紀 バス・ダンス
16世紀 パバーヌ
17世紀 クラント
18世紀 メヌエット
19世紀 ワルツ

20世紀のダンスは何になるでしょう。これは、後世の人に判断を任せたいと思います。

それでは、次回から、上記の資料を基にして、ダンスの踊り方を歴史的に順を追うのでなく、思いつくままに説明していきたいと思います。

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ヘレナ・エークと藤本里子
日本公演
詳細は銀の道のコンサートをどうぞ。

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ダンスの歴史(1)

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みなさん、ヨーロッパの社交ダンスと聞いて何を思い浮かべますか。

優雅なワルツ、20-30年代のチャールストン、もう少し時代を下ってブギやフォックストロット、戦後のロックンロール、現代のブレークダンス、サルサやヒップポップなどでしょうか。
では、もっと遡ってメヌエットなどはどうやって踊るのでしょう。
又、遥か昔の中世やルネッサンス、バロックの人たちはどんなダンスを踊っていたのでしょうか。
このような昔のヨーロッパのダンスについて 、何回かに分けて経験談などを交えながら、書いてみたいと思います。
テーマ「ダンス」だけで続けて読めば、古舞踏の知識となるようにしますので、文章が長くなるかもしれません。
いらない方は適当に端折ってください。

$北欧からコンニチワ-ダンス1-4
メヌエット(トムリンソン、1735)


1.そもそものはじめ

私がヨーロッパのダンスに興味を持ったのは1976年にオーストリアのブライテンアイヒという小さい村で行われた古楽の講習会に参加してからです。
この村はルネッサンスに建てられたお城を中心に作られていて、そこに至るまでの道の両側には白い壁の低い家が並び、それ以外は見渡す限り畑と野原、遠くに森が見えるという典型的なヨーロッパの田舎の風景の中にあります。
二週間の講習は音楽、楽器造り、ダンスの部門に分かれ、お城に住んで、騎士の広間といわれるホールや、その他の部屋で授業が行われました。
お城には男爵夫人という品のいい白髪の女性が一人で住んでいて、毎年夏になると、講習にお城を貸し出していたのです。古楽について学ぶのにはうってつけの環境で、ヨーロッパ各国ばかりでなくアメリカ、オーストラリア、日本など世界中から同じ趣味で休暇を過ごす人たちが集まっていました。
そこで初めて出会ったヨーロッパの社交ダンスにすっかり魅せられて、その後、暇さえあれば、講習会に参加したり、ダンスに関する本を読んだり、サークルをつくったりし始めました。
よき仲間にも恵まれて、ディスカッションを繰り返したりもしました。
3年後には似たような夏の講習会をスウェーデンで開き、以後1989年まで10年間、毎年、古楽とダンスでやはり世界各国から参加者を集めました。
今では古楽はすっかり定着した言葉ですが、20年前はまだまだ珍しく、まあ一種のクレージーな人間の集まりでした。
特にダンスは研究も始まったばかりで、いつも新しい発見に遭遇できてワクワクする世界でした。

北欧からコンニチワ-ブライテンアイヒ・1
お城の中庭、井戸と男爵夫人

$北欧からコンニチワ-ブライテンアイヒ・2
中庭のバルコニー
夜になると、ロミオとジュリアが・・・

北欧からコンニチワ-ブライテンアイヒ・3
オーストリアのこの地方にはこんな中世のお城が掃いて捨てるほどある。


2.ダンスの研究とは

では、ヒストリカル・ダンスの研究と言うのはどんなことをするのでしょう。まず、一番困難だと思われることは、ダンスは体の動きであり、古い記録が非常に限定されていることです。音楽の場合は、あちこちに残っている楽器を研究することで、具体的に分かることがかなりあります。例えば、それぞれの楽器が発する音や音域、それらを組み合わせて出来る音質や音量などです。その他、残っている音楽理論や楽譜の量もダンスに比べると莫大で、ここからもかなりのことが推量されます。

それに対して、ダンスに直接関係のある資料は少なく、中世のダンスに関してはほとんど残っていません。それ以降もダンスのステップを明確に記述した資料は少なく、研究家たちは当時の絵画や日記、手紙等に書かれた経験談、衣装、靴、習慣、建築その他の間接資料に頼ることになります。ですから体の動きに関する知識を基本とした創造性が問われ、解釈の相違が大きく出て来ることになります。
例えば、日記や手紙に「今日、新しいダンスを見た。パバーヌといって、人々はペアを組み、一列に並んで踊った。それはまるで波が寄せたり、返したりするようだった」などとあれば、他の資料と合わせて、少しは想像がつきます。でも波が「寄せたり返したり」を体の動きにすると、個人差が出てきますよね。
また、衣装の素材や造りを研究することで、腕がどこまで上げられたかとか、靴の構造、建物の床の材料等で、つま先立ちが出来たのかどうか等割り出すことが出来ます。ルネッサンスとバロックのステップの大きな違いの一つは、ルネッサンスの踵の低い、柔らかい靴底と、バロックの男性も含めて高さ6-7センチの踵のある固い靴底に寄ると思います。
実際、バロック時代に初めてプリエ (plié) やエレベ (elevé) など、今のバレエでも使われる語彙が現れ始める理由が分かります(プリエは膝を曲げて、体の高さを低くすること、エレベは膝をのばし、もとに戻ること)。ルネッサンス時代の靴ならつま先立ちできたので、膝を曲げる必要がなかったのです。

北欧からコンニチワ-衣装・115世紀
$北欧からコンニチワ-衣装・516世紀前半、ヘンリー8世時代
北欧からコンニチワ-衣装・216世紀後半、エリザベス1世時代
北欧からコンニチワ-衣装・317世紀、ルイ14世時代
北欧からコンニチワ-衣装・418世紀、ロココ
服装が違えば、体の動きも違ってきます。
時代の流行には大きく分けると、上下に細長くなるのと、横幅が広くなるのがあります。

15世紀までの女性のとんがり帽子。重い材質のスカートは胸の直ぐ下から始まって、女性達はみんな妊娠中みたいなのが最新流行。
ゴチック建築にも似たところが・・・

と思うとヘンリ8世の時代は、被り物もペッタンコ。肩幅がやたらに広くて、立ち方も両足をふんばっています。
靴までがつま先が横に広がってべたっとしてアヒルの足みたい。

それが彼の娘のエリザベス1世の時代になると「スペイン風」といわれるスタイルでスカートが3角形。コルセットで固めた上半身は前身ごろが逆三角形に下方に垂れ下がっています。
後で話しますが、この部分がヴォルタを踊るのに、大切な「部品」です。
彼女も年取ってくると、スカートが腰のところで張り出して、なんかみっともない感じになりますが。

初期バロックのルイ14世の時代になると、流行はまた上下に細長くなります。
そして、ロココ。スカートはまた、ボリュームを増す。

このように様々な服装を着た人が、同じ動きをしたとは思えませんよね。

それでは今日はこの辺で。
次回は資料について。



ヘレナ・エークと藤本里子
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