『ヒトはなぜ笑うのか』のレビュー第二弾です。

(第一弾はコチラ⇒『『ヒトはなぜ笑うのか』 著マシュー・M. ハーレー, レジナルド・B. アダムズ 他 レビュー①』

 

基本的に、こちらのブログは政治系の読者が多いので、書評系の記事よりも政治系の記事の方がアクセスが伸びるのですが、個人的な備忘録(&頭の中の整理)も兼ねてアレコレ読んだ本について感想や解説を書いていっています。政治記事を期待している読者が多いのは理解しているのですが、まあ毎回政治記事ばかり書いているとどのブログもある程度似たり寄ったりの内容になってしまいますし、ある程度ブログの個性を確保するためにも書評記事は良いかなーと個人的には思っています。現実的な問題として私自身が毎日四六時中政治的な問題、社会的な問題について考えているワケでもないですし・・・。

 

というワケで今回は『ヒトはなぜ笑うのか』という本を参考に、ユーモアについて考察したいのですが、先の記事では、ユーモアやおかしみが発生するための条件として、

 

人びとが心の中に抱いている特定の認知的フレームを少しずらしてあげたり、あるいはその認知的フレームを解体して新しい認知的フレームに転換することでおかしみが発生する。

 

と説明しました。この理論は案外面白いユーモアやジョークを分析するより、むしりつまらないジョーク失敗したユーモアを分析するのに役に立つかもしれません。一般に、つまらないギャグを称して「ひねりが無い」と言われるワケですが、おそらくこのひねりというのがつまり認知的フレームのズラしや転換のことなのでしょう。

 

例えば、失敗したユーモアの典型としてはすみとしこの自称風刺画が全く面白くないのは、このひねりとか認知的フレームの転換がないからです。要は馬鹿だから、特定の認知的フレームから、少し視点をズラしたり、別のフレームに転換させることが出来ない。ですので、本人はユーモアのつもりでやっていても単なる差別や誹謗中傷になって、多くの人間にはただただ不愉なだけになります。

 

 

 

↑ほら、認知的な転換が何一つないでしょう?

 

一方で、素朴ですが非常に分かり易いカタチで「予測の誘導⇒認知的転換」という基本を踏まえたギャグを例示すると・・・

 

単発ロロロロマンガ

↑コレなんかは、非常に分かり易いです。二人の格闘家が戦いを行い、一方が指で目を突いてきたことから、読み手は非常に残虐な目潰し攻撃を行ったと予測します・・・しかし、ここで予測をずらして、実は単にコンタクトを抜き取っただけだった、と。非常にシンプルですが、認知的フレームの転換の理論からすると非常に上手く出来たギャグになっています。

 

それから、まあ自画自賛になってしまうのですが、コチラもある種の予測のズラしを行っています。

 

 

やみんてんてーの「不倫した奴は女の子になって、女の子の気持ちを理解すればいい!!」⇒「じゃあ、女の子の気持ちを理解するために一回男に掘られてみよう!!」という話の流れになっていて、いわゆる発想の転換というヤツですが、これも結構ユーモアの基本形の一つと考えてよいでしょう。

 

こう見ていくと、案外ジョークやユーモアというものが結構高度な知的作業であることが理解できます。つまり、基本的なユーモアの形式は一つは、他者の抱いている特定の認知的フレームを認識しそれを少しずらしてあげたり、別の認知的フレームに転換させてあげることであり、さらに高度な形式になると、前振りとして、ジョークの受け手を特定の認知的フレームに誘導し、そこからそのフレームをずらしたり転換してあげたりすることになります。

 

つまり、ユーモアが高度な知的作業であるにも関わらず頭が良くて真面目一辺倒な人物からはあまりユーモアが感じられず、一方でそれほど論理的思考能力が優れていなくても柔軟な発想能力の持ち主が時に非常に高いユーモアのセンスを発揮するのかというと、論理的思考能力とは「1の次は2、2の次は3、3の次は4・・・」とやっていくのに対して、ユーモアで必要なのはいわば「1、2、3、4・・・」と数えていって、4の次にいきなり7や8を出していく必要があるからです(相手の予測を外すために)。

 

で、まあ最後に言いたいのが、こんとりあえずこのようなユーモアの構造が理解されたことの意義は結構大きいと思っていて、その意義の一つはそれまでアート(芸術)だと思っていたユーモアやジョークがとりあえずある程度構造が解明されたことによって、サイエンス(科学)になったことです。

 

もちろん、ユーモアには柔軟な発想力やある程度の経験やセンスが必要になるのは当然なのですが、これまでは仮にユーモアセンスを磨こうと思って、ギャグマンガや落語や漫才などを繰り返し見てみても、面白いネタが何故面白いのか分析出来なかったワケです。ですが、近年の研究により、ユーモアの構造が解明されてきたことによって、面白いネタが「何故面白いのか?」つまらなかったネタが「何故、つまらなかったのか?」が分析可能になりました。まあそれでも尚、ユーモアには話し手の技術や臨機応変な対応能力が必要であることに変わりはないとはいえ、このような構造が解明され、「面白いジョーク」と「つまらないジョーク」が選別できるようになったことで、ユーモアセンスを磨くことは格段にやり易くなったのではないでしょうか。

 

 

↓応援よろしくお願いします(σ≧∀≦)σイェァ・・・・・----☆★



↓Asreadさんに記事を寄稿しました!!
流行語大賞「保育園落ちた日本死ね」トップテン入りから考える大衆社会論