2005年08月06日(土)

独立飛行第二四中隊

テーマ:独立飛行中隊

独立飛行第二四中隊 

 

【中隊長】

菊地幹二  大尉 (陸士52期転科/操縦80期)19年2月~11月19日 マニラ

岩本繁明  大尉 (航士54期)           19年11月~敗戦  

坂本成人  中尉 (航士55期) 中隊長代理   19年12月7日  セブ沖

古賀忠良  中尉 (航士55期)           19年11月14日 マニラ 

広沢恒一  准尉 (下士72期)

佐藤鉄雄  准尉 (下士82期)           19年11月14日 マニラ

折笠光男  軍曹 (少飛8期)            19年11月2日  オルモック湾上空

南 吉郎次 軍曹 (少飛10期)           19年11月8日  比島

渡辺史郎  伍長 (少飛11期)           19年11月12日 「万朶隊」直掩、米艦船に突入 

坂本 功   伍長 (少飛11期)           19年11月20日 レイテ



昭和18年4月30日

飛行第五四戦隊・第一中隊の一式戦闘機「隼」Ⅱ型(筆者注:調査未完、機数不明)が、大阪・大正飛行場より、台湾防空のため台北に分遣された。 

 

昭和18年9月

パレンバン防空のためスマトラ島に前進。


昭和19年2月29日付

飛行第五四戦隊・第一中隊は、独立飛行第二四中隊に改編される。

 

パレンバンを本拠に、ゲルンバン、マナ、パダン、アンダマンを移動しつつ、船団掩護や対潜哨戒を行っていた。


昭和19年10月29日

フィリピン航空戦に参加するため、菊地中隊長以下15機がマナ基地を発進。悪天候をついてパレンバン、クチン経由でルソン島マニラ・ケソン飛行場に進出。


昭和19年10月30日

ネグロス島ファブリカ飛行場に前進。


昭和19年11月1日

「ファブリカ基地被爆」

24FCSの一式戦10機のうち8機が地上で爆破された。

  

昭和19年11月2日

「オルモック湾船団掩護」

一式戦2機が出撃。空戦で2機を撃墜、1機未帰還。

【戦死者】 

折笠光男  軍曹 (少飛8期) レイテ 


同日

夕方 菊地中隊長以下が代機を受領のためマニラに帰還した。

 

昭和19年11月8日

【戦死者】 

南 吉郎次 軍曹 (少飛10期) 比島

 

昭和19年11月10日

「レイテ輸送掩護」


昭和19年11月11日

「レイテ輸送掩護」


昭和19年11月12日

「陸軍特別攻撃隊・万朶隊直掩」

直掩機の渡辺伍長が特攻機とともに突入した。

【戦死者】 

渡辺史郎  伍長 (少飛11期) 「万朶隊」直掩、米艦船に突入 

 

昭和19年11月14日

「マニラ迎撃」 

【戦死者】

古賀忠良  中尉 (航士55期) マニラ 

佐藤鉄雄  准尉 (下士82期) マニラ

 

昭和19年11月19日

「マニラ迎撃」

【戦死者】 

菊地幹二  大尉 (陸士52期転科/操縦80期) マニラ

 

昭和19年11月20日

【戦死者】

坂本 功   伍長 (少飛11期) レイテ

 

昭和19年12月7日 

「ファブリカ迎撃」 

【戦死者】  

坂本成人  中尉 (航士55期) 中隊長代理 セブ沖 

  

24FSCは操縦者が広沢准尉以下3名となる。


昭和19年12月25日

24FSCと33FRに原所属復帰命令が出た。


昭和20年1月初め

スマトラのガラン飛行場に帰還。 

 

新中隊長の岩本繁明大尉以下の補充者が到着、戦力回復に入る。

操縦者の大部は他機種よりの転科者で、中隊は練成に努めた。


四式戦闘機「疾風」に機種改編。


昭和20年7月上旬

台湾・宜蘭飛行場に移動した。


沖縄へ夜間タ弾攻撃を一度実施。


敗戦時の操縦者17名。 

 

 

【参考文献】

テーマ一覧「主要参考文献・資料」を参照下さい。 

 

[筆者注:調査未完につき、今後、大幅に加筆・改訂を予定しております] 

 

初稿  2005-08-06



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