2005年08月03日(水)

陸軍の航空隊について

テーマ:コラム

『陸軍の航空隊について』

 

このブログの読者の方はもうご存知だと思いますが、陸軍の航空兵力の基礎単位は飛行戦隊です。

陸軍の飛行戦隊は基本的に同一機種で編成されましたが、一部には機種混成があり、敗戦まで100個以上の戦隊が編成されました。

 

【戦隊というと海軍の場合は、航空隊の上部組織〈例:第二六航空戦隊等〉に相当しますが、陸軍の飛行戦隊は、海軍の第二〇四海軍航空隊や第七二一海軍航空隊等に相当する単位です。海軍の場合二〇〇番台は戦闘機、七〇〇番台は攻撃機と機種ごとに番号が決められていますが、陸軍の飛行戦隊の場合は、設立された順番ですので、番号だけでは飛行戦隊の装備機種は判りません】 

 

ここでは、筆者自身のお浚いの意味も含め、陸軍の航空隊について記述したいと思います。


 

飛行戦隊【FR】

昭和13年8月、陸軍はそれまでの制度を改正して、従来の飛行連隊や飛行大隊を飛行戦隊と改称した。

特に飛行戦隊の番号が若い部隊は古くからの戦歴を誇っていた。

 

1個飛行戦隊は戦隊本部と3個飛行中隊よりなり、爆撃機の場合1個中隊:9機、9×3=27機、戦闘機なら1個中隊:12機で、12×3=36機、というのが基本定数だった。戦闘機の場合各中隊は、12名前後の操縦者と70名前後の整備員等の地上勤務者で構成されていた。しかし、予備機や欠員等も多く、必ずしも定数通りだった訳ではない。

ちなみに、小隊は偵察・爆撃機は3機で、戦闘機では4機だった。

飛行戦隊の指揮下には、飛行中隊のほかに飛行場大隊があった。

飛行場大隊とは、機体や発動機の整備、修理を行う整備中隊(燃料車や起動車を保有)と警備中隊(飛行場守備や防空を担当、九八式20ミリ高射機関砲等を保有)よりなる。但し、内地部隊の場合は、必ずしも警備中隊は付属しない。

飛行場で使用された車両については、燃料車は「いすゞ」の九四式六輪と四輪トラック(1.5トン/70馬力)、起動車にも「いすゞ」九四式や「トヨタ」の九七式2トントラックが使用された。

また、防空用の九八式20ミリ高射機関砲は6門を単位として105名で1個中隊を構成した。但し、防空隊を飛行場大隊に付属したのは昭和18年以降であった。

 

その他、飛行場には気象観測班や航空情報隊が置かれ、各種情報を提供し戦隊を支援していた。

 

戦闘は中隊単位で行われたが、太平洋戦争の中期以降、戦闘激化により消耗が激しく、保有機数が減ると、中隊ごとでは作戦出来なくなる場合が多くなってきた。

そこで、19年1月頃から、戦闘機戦隊は中隊区分を廃止し、操縦者と装備機を一括して運用する飛行隊編成を導入した。また、1個戦闘機戦隊の装備機の最大定数約40機だったのを定数56機に変更した。

飛行戦隊の飛行隊編成への移行とともに、それまで飛行戦隊に配属されていた飛行場大隊を分離し、同時に飛行場大隊も整備隊を独立させ、その一部を戦隊付整備隊へ移動させた。

これにより、各機に対する個有の整備(機付整備)は戦隊付整備隊が行い、基地整備隊は事故機の処理や燃料補給、飛行場整備を行い、戦隊に協力する形とることとなった。


 

飛行団【FB】と飛行集団【FC】

飛行戦隊(もとの連隊や大隊)を2個以上(独立飛行中隊が所属する場合もある)の兵力にまとめたのが飛行団である。

大佐あるいは少将を指揮官として、敗戦まで30個編成された。

主として作戦や地域ごとに編成され、兵力の組合せも同機種の場合や、混成機種の場合もあり、必ずしも固定的や長期的なものではなかった。

第一七~一九飛行団は、本土防衛用兵力であったが、昭和19年に入り、それぞれ第一〇~一二飛行師団に格上げされた。

大規模な作戦の場合は、戦隊単位ではなく、飛行団単位で兵力を投入する場合が多かった。


飛行集団は飛行師団の前身で、戦闘・爆撃・偵察の各機種を併せ持つ、大集団であった。(海軍の航空戦隊に相当する)

内地の第一飛行集団と満州の第二飛行集団が昭和14年3月に編成され、華北の第三飛行集団は9月に編成された。

作戦上、飛行戦隊が飛行集団間を移動するため、構成内容はその都度変わっていた。

太平洋戦争開戦時は、フィリピン方面の第五飛行集団とマレー・シンガポール方面の第三飛行集団が南方進出航空兵力の主力だった。


 

飛行師団【FD】

飛行師団は飛行集団を戦術的に発展させたものである。

師団長は中将で、形式上、天皇陛下により任命される。(ちなみに開戦時、地上部隊には63個師団があった)

以下に、太平洋戦争中に編成された飛行師団の概略を列挙する。

第一飛行師団【鏑】編成:18年1月~敗戦        作戦地区:北海道・千島

第二飛行師団【鷲】編成:17年4月~20年5月解隊  作戦地区:満州・フィリピン (旧第二飛行集団)

第三飛行師団【隼】編成:17年4月~19年2月解隊  作戦地区:ビルマ・マレー・蘭印 (旧第三飛行集団)

第四飛行師団【翼】編成:17年2月~敗戦        作戦地区:満州・フィリピン

第五飛行師団【高】編成:17年4月~敗戦        作戦地区:ビルマ (旧第五飛行集団)

第六飛行師団【洋】編成:17年11月~19年5月解隊 作戦地区:ラバウル・ニューギニア

第七飛行師団【襲】編成:18年1月~           作戦地区:ニューギニア・豪北

第八飛行師団【誠】編成:19年10月~敗戦       作戦地区:台湾

第九飛行師団【翔】編成:18年12月~敗戦       作戦地区:スマトラ

第一〇飛行師団【天翔】編成:19年3月~敗戦     作戦地区:関東

第一一飛行師団【天鷲】編成:19年7月~敗戦     作戦地区:関西

第一二飛行師団【天風】編成:19年7月~敗戦     作戦地区:北九州

第一三飛行師団【魁】編成:20年3月~敗戦       作戦地区:南中国

教育飛行師団 編成:17年6月~敗戦          作戦地区:内地 

 

これらの飛行師団の他に、昭和19年6月に各種航空実施学校の教官と助教による作戦部隊が編成され、それぞれ教導飛行師団と改称され、7個教導飛行師団(うち1個は整備)が設置された。

明野教導飛行師団(戦闘)

鉾田教導飛行師団(軽爆・襲撃)

常陸教導飛行師団(戦闘)

浜松教導飛行師団(重爆)

下志津教導飛行師団(偵察)

宇都宮教導飛行師団(航法)

(筆者注:調査未完)

  

航空軍【FA】 

飛行師団が編成されると、昭和17年6~7月にかけて、最大の組織である3個航空軍が編成された。

少なくとも1個以上の飛行師団を持ち、その他に野戦航空修理廠や高射砲連隊等を指揮下に入れた。

以下に列挙する。

第一航空軍【燕】編成:17年6月~敗戦       担当地区:内地・統括 (旧航空兵団)

第二航空軍【羽】編成:17年6月~敗戦       担当地区:満州

第三航空軍【司】編成:17年7月~敗戦       担当地区:ビルマ・シンガポール

第四航空軍【真】編成:18年7月~20年2月解隊 担当地区:ニューギニア・フィリピン

第五航空軍【隼】編成:19年2月~敗戦       担当地区:南中国・朝鮮 (旧第五飛行師団)

第六航空軍【靖】編成:19年12月~敗戦      担当地区:九州 (旧教導航空軍) 

 

 

その他  

独立飛行中隊【FCs】

各機種とも8~12機で編成され、地上軍司令官の指揮下で運用された。

独立飛行隊【FMs】

軍直轄部隊として、独立飛行中隊を複数で編成したもの。 


 

以下、続きます。

 

【参考文献】

テーマ一覧「主要参考文献・資料」を参照下さい。

   

[筆者注:調査未完のため、今後大幅に加筆・改訂を予定しております] 

 

初稿  2005-08-03

第2稿 2005-10-22 一部加筆



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2005年05月11日(水)

陸軍第六飛行師団について

テーマ:コラム

陸軍第六飛行師団は、風雲急を告げる南東方面(ソロモン諸島・ニューギニア)の海軍部隊を救援する目的で編成された飛行師団である。

当初はラバウルに派遣されたが、ガダルカナル島失陥後はニューギニアのウエワクに本拠を移し、昭和18年7月に新編された第四航空軍に配属された。その後、ホ-ランディアに後退、昭和19年8月にはニューギニアの山中で壊滅してしまう。

戦闘機のみではなく、この陸軍で一番短命で悲惨な最期を遂げた飛行師団の戦歴と、ニューギニア方面航空戦の実態を追ってみたいと思う。

例によって、遅筆と資料不足にため、アウトライン程度のまとめにしかならないかもしれませんが、お付き合い下さい。

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2005年04月17日(日)

陸軍の戦闘機パイロットについて

テーマ:コラム

陸軍の戦闘機パイロットについて

戦後の日本では、海軍の戦闘機パイロットに比べ、陸軍の戦闘機パイロットは地味な印象があります。

ともに太平洋やアジア全域で戦ったのに、書籍や資料の数では、やはり海軍が主で陸軍が従のような気がします。

特に商業出版の場合に、その印象が強いのは、海軍が全期間をほとんど零戦のみで戦ったのに対し(「紫電」「雷電」「月光」等があったにせよ、主力とは言えないと思います)、陸軍では一式戦、二式単戦、三式戦、四式戦とその主要戦闘機が変遷したため、焦点が分散してしまったためとも考えられます。

興味の対象が分散してしまえば、その印象もまた同様になるのでしょうか。

しかし、勝利を目指し死力を尽くし戦い、刀折れ矢尽きたことは陸海軍ともに同様です。

組織が海軍に劣っていたとも思いません。

編隊空戦を取り入れたのは海軍より早かったですし、主力戦闘機の転換もスムーズに行っています。

そして、何より下士官兵から士官になるのは、海軍より陸軍の方が積極的だったようです。これは、非常に重要なことで、経験を積んだ熟練者が指揮官になる事ができるということです。その点、海軍の場合は保守的で、下士官兵より士官になれても特務士官と呼称され、指揮権は付与されませんでした。

つまり、特務大尉は兵学校や予備学生出身の士官の指揮を受けなければならなかったわけです(たとえ、それが中尉であってもです)。

しかし、戦争が激化して中堅士官が大量に喪失するようになると、空中指揮官の不足が表面化し、後に変わりましたが。

また、海軍では飛行長(少佐)クラスではもう飛ばなくなりますが、陸軍の場合は戦隊長(少佐)飛行団長(中佐)クラスでも積極的に最前線に出て、空中戦を行います。

ある意味で、空中に上がった場合、陸軍の戦隊の方がバランスは揃っていたのではないでしょうか?

まあ、いちがいには言えないですが・・・

坂井三郎中尉や武藤金義少尉のように、大向こうを唸らせる神業のような空中戦を行ったパイロットは陸軍にもいます。

田形竹尾准尉の台湾上空の戦いは、筆者は陸海軍を通じて特筆されるべき空中戦だったと思います。

そして、それが教育飛行隊の教官によってなされたということが、陸軍の操縦者の層の厚さを物語りるのではないでしょうか。

しかし、いずれも一兵卒からのたたき上げのパイロットなのですが、今も昔も、本当の実力というものには、学歴なんかさほど重要では無いって事なのでしょうね。

優秀な人間が、その力を自在に発揮できるような、自由な開かれた組織にならなければいけませんね。

そう考えると、今の日本の状況はまだまだ60年前や、もっとそれ以前とさほど変わっていないのでは、と思います。

この項は続きます。

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