2005年07月31日(日)

陸軍特別攻撃隊「万朶隊」

テーマ:陸軍特別攻撃隊
【この稿はまだ覚書の段階です。これから鋭意調査の上、充実したものに仕上げたいと思っています。
 高木俊朗著「陸軍特別攻撃隊」を読み、何かに突き動かされるような衝動に駆られ追加してしまいました。
 今までは海軍航空隊中心に研究してきましたが、これを機に陸軍航空隊についても書いていくつもりです。遅筆ではありますが、よろしくお願いいたします。】



大本営発表(昭和十九年十一月十三日午後二時)
 一、我が特別攻撃隊万朶隊は、戦闘機隊掩護のもとに、十一月十二日レイテ湾内の敵艦船を攻撃し、必死必殺の体当りをもって、戦艦一隻、輸送船一隻を撃沈せり。本攻撃に参加せる万朶飛行隊員次の如し。
 陸軍曹長 田中 逸夫
 同      生田 留夫
 陸軍軍曹 久保 昌昭
 陸軍伍長 佐々木友次
上(原文は右)攻撃において、掩護戦闘機隊員、陸軍伍長渡辺史郎また艦船に体当りを敢行せり。
 二、万朶飛行隊長陸軍大尉岩本益臣、同隊員陸軍中尉園田芳巳、同安藤浩、同川島孝、同少尉中川勝巳は、攻撃実施数日前、敵機と交戦戦死し、本攻撃に参加する能わず。


 陸軍特別攻撃隊「万朶隊」とは、陸軍で最初に編成された特別攻撃隊である。
 昭和19年10月21日、鉾田教導飛行師団で編成され、九九式双発軽爆撃機二型を装備しフィリピンの第四航空軍に配属された。

指揮官
陸軍大尉 岩本 益臣  操縦(陸士53期/福岡/28歳) 
陸軍中尉 園田 芳巳  操縦(陸士55期/佐賀/23歳) 
陸軍中尉 安藤 浩    操縦(陸士56期/京都/22歳) 
陸軍中尉 川島 孝    操縦(陸士56期/神奈川/22歳) 
陸軍曹長 田中 逸夫  操縦(福岡/26歳)先任下士官
陸軍軍曹 社本 忍    操縦(予備下士/愛知/25歳)
陸軍軍曹 石渡 俊行  操縦(予備下士/千葉/20歳)
陸軍軍曹 鵜沢 邦夫  操縦(予備下士/千葉/21歳)
陸軍軍曹 久保 昌昭  操縦(少飛/大分/20歳)
陸軍伍長 近藤 行雄  操縦(朝鮮/22歳)
陸軍伍長 奥原 英彦  操縦(予備下士/長野/22歳)
陸軍伍長 佐々木友次  操縦(予備下士/北海道/21歳)

通信係
陸軍少尉 中川 勝巳  通信(少侯/和歌山/30歳)
陸軍曹長 浜崎      通信
陸軍曹長 生田 留夫  通信(兵庫/)
陸軍曹長 出川      通信(出撃前に中川少尉と交代)
陸軍伍長 花田      通信

整備班
陸軍少尉 村崎 正則  整備班長(熊本/少侯24期)
陸軍曹長 藤本 春良  整備
陸軍伍長 林        整備
陸軍伍長 樋谷      整備
陸軍伍長 仁平      整備
陸軍伍長 古川      整備
陸軍伍長 川端      整備
軍属   柴田潤一郎   整備
軍属   野村富雄    整備
軍属   上野       整備
軍属   遠藤       整備
 
(以下、続く)
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2005年07月31日(日)

『陸軍特別攻撃隊』について

テーマ:陸軍特別攻撃隊
【特攻隊については毀誉褒貶いろいろありますが、とりあえず以下の文章を読んで下さい】  

 《フィリピンのレイテ湾では、すでに海軍の特攻隊が体当り攻撃を決行して戦果をあげていた。日本の陸海軍は、捷号作戦計画になかできめられていた、航空特攻作戦を開始した。
 だが、陸軍の万朶、富嶽の両特攻隊と海軍の神風特攻隊は、同じ体当り攻撃を目的としていても、その根本に大きな違いがあった。それは片方には、機首に起爆管が突出していたが、片方はそれがないことが、最もよくその違いをあらわしていた。つまり、万朶、富嶽両隊の飛行機は、体当り攻撃のために、とくに準備、改装したものであった。これに対し神風特攻隊は、第一線にある海軍機を、そのまま使った。
 また、使う目的も違っていた。陸軍の特攻機はアメリカ機動部隊を攻撃し、その空母や戦艦を撃沈破しようとした。そこに計算の誤りがあって、結果はそれが不可能であった。これに対し海軍の特攻隊は、アメリカ機動部隊の空母を目標にしたが、その飛行甲板を破壊しようとした。それによって、連合艦隊がレイテ湾に突入すまでの間、アメリカ空母の艦載機の行動を封じようとした。ところが護衛空母の弱い部分に体当りするなどして、撃沈させることができた。
 同じ捷号計画できめられたものの、陸軍の万朶、富嶽は、あらかじめ準備され、機体を改装し、部隊を編成した。海軍の神風特攻隊は、応急の処置であり、即決の出動であった。こうした根本の違いを見ないで、陸海軍の特攻隊を同様に考えるべきでない。
 しかし、海軍でも、特攻専用の特殊機を、この時期に計画、設計していた。その一つは、前にも記した『桜弾』で、大型機の一式陸攻機に、ロケット推進の小型機をつけ、目標上空に運んで切り離す方法であった。ロケット機には爆弾をつみ、操縦者1名が乗って操縦し、目標艦に体当りする。この特攻機は桜花と名付けられ、沖縄作戦に使われた。高度五、六千メートルの空中で母機から切り離され、マッチ箱の大きさに見える敵艦に向って落下していくのは、人間の感覚にたえられないような、いわば恐怖の拷問であった。
 このほか、戦争末期には、陸海軍で特攻専用の特殊機を作ったが、多くは試作に終った。審査部の竹下少佐[筆者注:竹下福寿]が試作特攻機の試験飛行をしていたが、そのなかには、離陸すると、車輪が機体から自動的に離れ落ちるように作ったキ-一一五特攻機があった。これは、一度離陸すれば、帰ってきて着陸することをさせないためであった。これを計画した陸軍航空本部は、そこまでしない限り、操縦者が体当りをしないと考えたのだろうか。これは、是が非でも、ただ操縦者を殺すことしか考えない狂気の計画であった。これほど非人道の兵器はない。
 準備され、改装された体当り機を使うことは、すべて残忍、非情であるといえる。万朶、富嶽の両隊は、実に、その最初のものであった。
 レイテ作戦の当初、性質の違う陸軍と海軍の特攻隊を同一のものとして報道、宣伝した。その後、特攻隊の出撃が多くなるとともに、その報道、宣伝も誇張され、美談化された。軍部にとっては、特攻作戦は苦しまぎれの最後の手段であった。だが、それが救国、必勝の策であると虚偽の宣伝をして、戦争継続に国民をかりたてた。
 その間に、作り上げられた特攻隊という概念が、国民の考えのなかに行わたり、定着した。そして、それが戦後も、そのままつづいていた。》
(「陸軍特別攻撃隊」高木俊朗 著より、一部、原文のまま引用)




隈部正美 少将(陸士30期):元第四航空軍参謀長。8月15日深夜、家族とともに拳銃で自決。

水谷栄三郎大佐(陸士34期):航空技術審査部。万朶隊、富嶽隊その他の体当たり攻撃隊の爆装計画の責任者。大本営の命令で体当たり攻撃機を作ったことに自責して8月15日深夜、拳銃で自決。


[筆者注:上記、個々の機体についての記述は多少の偏見がありますが、このような兵器というものを開発、使用するということがどのような事なのか、これを読んだ皆さん考えていただきたいと思います。そして、それを心に留めながら筆者の掲載する記事を読んで下さい]
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