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2010年08月19日(木)

飛行第五四戦隊/北千島派遣隊(2)

テーマ:陸軍飛行戦隊
昭和19年11月1日
[筆者注:調査未完、詳細不明]
《米陸軍第11航空軍記録》
B-25爆撃機4機は泊岬の製罐場に直撃弾を記録、近くの建物を炎上させた。
対空砲火により被弾したB-25爆撃機2機のうち1機はソ連領に向い不時着した。
《損失》
B-25爆撃機1機(被弾、対空砲火により、ソ連領に不時着)
《損傷》
B-25爆撃機1機(被弾、対空砲火により)


昭和19年11月5日
「迎撃」
[筆者注:調査未完、詳細不明]
《米海軍沿岸航空隊記録》
《判明している喪失機番号》
ロッキード・ベガPV-1「ベンチュラ」双発爆撃機 (#49645) 幌筵島 戦闘機 全員戦死


昭和19年11月6日
[筆者注:調査未完、詳細不明]
《米陸軍第11航空軍記録》
B-25爆撃機4機は、幌筵島擂鉢沖の掃蕩を海岸火災の為に中止。
B-25爆撃機4機は、占守島上空を武装偵察、鳥島の目標を超低空爆撃。迎撃にあたった戦闘機4機のうち1機を撃墜した。
B-24爆撃機4機は音禰古丹島、松輪島を爆撃。
B-24爆撃機3機は占守島片岡海軍基地を爆撃、火災を発生させた。戦闘機7機が迎撃、B-24爆撃機はそのうち1機を撃墜した。
【戦果】
不明
【被害】
不明


昭和19年11月7日
「北千島」
B-25爆撃機と交戦。
[筆者注:調査未完、詳細不明]
《米陸軍第11航空軍記録》
B-25爆撃4機は鳥島を爆撃、大型建物に直撃弾を与え、近くのハシケを沈め、もう1隻の船舶目標に命中を記録した。
約20機の戦闘機が迎撃、B-25爆撃機1機を喪失、B-25爆撃機は戦闘機3機を撃墜。
《喪失》
B-25爆撃機1機(被墜、戦闘機により)
【戦果】
不明
【被害】
不明
【戦死者】
成清 巌  軍曹 (少飛10期) B-25爆撃機に体当り


昭和19年11月16日
[筆者注:調査未完、詳細不明]
《米陸軍第11航空軍記録》
《判明している喪失機番号》
B-25爆撃機 (#43-36153) 幌筵島鞍部崎 対空砲火 全員戦死


昭和19年11月18日
「迎撃」
[筆者注:調査未完、詳細不明]
《米陸軍第11航空軍記録》
B-24爆撃機4機は擂鉢飛行場を爆撃。
戦闘機2機の迎撃を受け、損傷した1機はカムチャッカに不時着。
《喪失》
B-24爆撃機1機(被弾、戦闘機により、ソ連領に不時着)


昭和20年1月24日
「迎撃」
[筆者注:調査未完、詳細不明]
《米陸軍第11航空軍記録》
B-24爆撃機1機は、温禰古丹島~松輪島東岸の偵察飛行。
B-24爆撃機4機は、加熊別の製罐工場、幌筵島の目標を攻撃。
8~10機の戦闘機が迎撃。B-24爆撃機は戦闘機2機を撃墜。
B-24爆撃機1機を喪失。
《喪失》
B-24爆撃機1機(被墜、対空砲火により)
《判明している喪失機番号》
B-24爆撃機 (#42-241152) 占守島 対空砲火 全員戦死
【戦果】
不明
【被害】
不明


昭和20年4月26日
[筆者注:調査未完、詳細不明]
《米陸軍第11航空軍記録》
【判明している喪失機番号】
B-24爆撃機 (#42-152) 北千島


昭和20年5月11日
[筆者注:調査未完、詳細不明]
《米陸軍第11航空軍記録》
航空軍は最大で、最も成功した合同攻撃任務を遂行した。
B-24爆撃機12機は片岡海軍基地の船舶を爆撃。帰途、西幌筵・東幌筵上空で写真偵察飛行。
アッツ島駐屯のB-25爆撃機16機が出撃。うち1機は引き返す。他は柏原~片岡間の船舶を攻撃。
激しい対空砲火と戦闘機による迎撃を受け、B-24爆撃機、B-25爆撃機各1機はソ連領に不時着。
《喪失》
B-24爆撃機1機(被弾、ソ連領不時着)、B-25爆撃機1機(被弾、ソ連領不時着)
《判明している喪失機番号》
B-25爆撃機 (#43-36149) 幌筵島 戦闘機


昭和20年5月20日
[筆者注:調査未完、詳細不明]
《米陸軍第11航空軍記録》
B-25爆撃機8機は南岬レーダー施設、Naka R(筆者注:詳細不明)の製罐工場爆撃を試みた。唯一1機だけが目標を捕捉、銃爆撃した。
強烈な対空砲火と戦闘機に襲われ、B-25爆撃機1機が被撃墜、さらに1機が行方不明となり、もう1機がペトロパブロフスクに不時着陸した。
《喪失》
B-25爆撃機3機(被墜1機、行方不明1機、ソ連領不時着1機)
《判明している喪失機番号》
B-25爆撃機 (#42-35140) 幌筵島 3名捕虜、3名移動中海没
B-25爆撃機 (#43-36152) 占守島
【戦果】
不明
【被害】
不明


昭和20年6月10日
[筆者注:調査未完、詳細不明]
《米陸軍第11航空軍記録》
千島の海軍水上艦艇、航空部隊とが共同し、B-24爆撃機6機とB-25爆撃機8機は気象観測装置を装備して、鞍部崎、大泊岬、Ichinowatashi、朝日川で対船舶掃蕩。
B-24爆撃機は成果無し。半分の機は爆弾を投棄した。B-25爆撃機はその後阿頼度島に陽動爆撃任務で飛行中、戦闘機8機による攻撃を受けた。
回避のため、B-25爆撃機はカムチャッカ半島上空を飛行、ソビエト軍の対空砲火により1機が撃墜され、クルーは死亡した。もう1機の被弾したB-25爆撃機は、ペトロパブロフスクに不時着。これは初めてソビエトの対空射撃に撃たれた米軍機である。
《判明している喪失機番号》
B-25爆撃機 (#44-29148) カムチャッカ


昭和20年6月13日
[筆者注:調査未完、詳細不明]
《米陸軍第11航空軍記録》
B-25爆撃機 4機は幌筵島荒畑崎附近沖の船舶を機銃掃射、輸送船4隻、ハシケ2隻を損傷させた。B-25爆撃機1機は撃墜された。
《喪失》
B-25爆撃機1機(被墜)


昭和20年6月24日
「占守島」
[筆者注:調査未完、詳細不明]
《米陸軍第11航空軍記録》
松輪島~幌筵島間船舶掃蕩のB-24爆撃機2機は輸送船1隻を沈め、2隻を損傷、捕鯨船1隻を攻撃した。戦闘機1機を破壊。さらに6機のB-24は片岡地区を爆撃した。
【戦死者】
福岡国次 軍曹 (少飛13期)


昭和20年7月末
北千島派遣隊は3機(池野准尉指揮)を残留し、主力は札幌に後退し、本隊と合流した。


昭和20年8月18日
ソ連軍が占守島に上陸を開始し、残留した3機は海軍の九七式艦上攻撃機2機と協同し、上陸点や艦船を攻撃。
【戦果】
撃沈:掃海艇T-152号(爆撃により)
撃破:護送艦「キロフ」(機銃掃射により)


昭和20年8月21日
停戦成立前に2機が脱出した。


昭和20年8月22日
「北千島」
[調査未完、詳細不明]
【戦死者】
入江 忍  軍曹 (少飛10期)


昭和19年秋~20年夏の防空戦果は、撃墜破:38機を記録した(吉崎 巌中尉記録)。


占守島の残存員45名は武装解除後にシベリアに抑留された。



*未完稿


【参考文献】

テーマ一覧「主要参考文献・資料」を参照下さい。

U.S. Army Air Forces in World War II
Combat Chronology 1941 – 1945
Library of Congress Catalog Card No. 75-600031



[筆者注:調査未完につき、今後大幅に加筆・改訂を予定しております] 




初稿  2005-11-05
第2稿 2010-08-20 加筆、(1)、(2)に分稿
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2010年08月03日(火)

飛行第五四戦隊/北千島派遣隊(1)

テーマ:陸軍飛行戦隊
加筆中(2010-08-20)


【北千島派遣隊長】
竹田 勇   大尉  (航士52期/転科)    19年7月~19年10月
中島重幸  大尉  (航士54期/転科)    19年10月~20年7月
吉崎 巌   中尉  (陸士56期/操92期)
新屋弘市  少尉  (少候23期/予下士)  18年10月~
碓井健次郎 軍曹  (操87期)
成清 巌   軍曹  (少飛10期)
入江 忍   軍曹  (少飛10期)
福岡国次  軍曹  (少飛13期)



昭和19年8月中旬
北千島派遣隊(一式戦12機、操縦者15名、指揮官:竹田大尉)を北ノ台(幌筵島)残置させた。
主力は丘珠(札幌)に移動。一部は苫小牧に分遣し、室蘭防空に当たる。


昭和19年8月14日
「幌筵島迎撃」
シェムヤ島を発したB-24爆撃機3機(うち1機引き返す)は柏原地区を爆撃。
別にB-25爆撃機6機は、北千島東部の船舶掃蕩。
[筆者注:調査未完、詳細不明/米側判断ではB-25爆撃機が戦闘機と交戦、戦闘機1機を撃墜]


昭和19年8月27日
「迎撃/攻撃(?)」
[筆者注:調査未完、詳細不明]
《米陸軍第11航空軍記録》
B-24爆撃機3機は早朝幌筵島柏原を攻撃、数カ所に火災を生じさせた。
B-25爆撃機6機は北千島東部沿岸を銃爆撃、哨戒艇1隻を撃沈。迎撃してきた戦闘機4機のうち1機にB-24爆撃機1機が撃破された。
B-24爆撃機7機は燃料庫、小船、桟橋、港湾施設を含む大泊岬、柏原の目標を爆撃。
P-38戦闘機6機はアッツ島西の未確認機4機の迎撃を試みたが成功しなかった。
《損傷》
B-24爆撃機1機(被弾、戦闘機により)
【戦果】
不明
【被害】
不明


昭和19年9月4日
「幌筵島迎撃」
米陸軍第11航空軍のB-25爆撃機6機が船舶攻撃のため来襲。
迎撃。
[筆者注:調査未完、詳細不明/米側判断では戦闘機8機と交戦、双方被害無し]


昭和19年9月10日
「迎撃?」
[筆者注:調査未完、詳細不明]
《米陸軍第11航空軍記録》
B-25爆撃機6機は幌筵島沖の船舶攻撃。うち4機は目標を発見できずにアッツ島に帰還。攻撃を行った1機は船のマストにぶつかり、海面に着水。もう1機はペトロパブロフスクに片肺着陸した。
B-24爆撃機3機は11日にかけ攻撃を行う。
作図任務で千島上空を飛行した爆撃機2機と写真撮影機2機は戦闘機に攻撃されたが、被害は受けなかった。
《損失》
B-25爆撃機2機(不時着水1機、ソ連領に不時着1機)
《喪失機》
B-25爆撃機 (# 不明) 6名捕虜
B-25爆撃機 (# 不明) カムチャッカ 不時着陸 6名抑留
【戦果】
不明
【被害】
不明


昭和19年9月25日
「迎撃?」
[筆者注:調査未完、詳細不明]
《米陸軍第11航空軍記録》
幌筵島鞍部崎を爆撃中のB-24爆撃機8機は戦闘機12機に迎撃された。戦闘機により被害を受けた2機の1機はソ連領に不時着した。戦闘機1機を撃墜。
B-25爆撃機4機による船舶掃討は成果なし。
《損失》
B-24爆撃機1機(被弾、戦闘機により、ソ連領に不時着)
《損傷》
B-24爆撃機1機(被弾、戦闘機により)
《判明している喪失機番号》
B-24爆撃機 (#42-40977) カムチャッカ 不時着陸 11名抑留
【戦果】
不明
【被害】
不明


昭和19年10月5日
「迎撃?」
[筆者注:調査未完、詳細不明]
《米陸軍第11航空軍記録》
B-24爆撃機1機は、松輪島沖の写真偵察を天候不良の為に中止。
B-25爆撃機4機は、占守島沖輸送船、ハシケを爆撃。
戦闘機15~17機により迎撃される。戦闘機1機を撃墜。
【戦果】
不明
【被害】
不明


昭和19年10月18日
「迎撃?」
[筆者注:調査未完、詳細不明]
《米陸軍第11航空軍記録》
B-25爆撃機4機は幌筵島擂鉢、鞍部崎の飛行場を爆撃。戦闘機8~12機の迎撃を受け、うち2機を撃墜した。
【戦果】
不明
【被害】
不明



昭和19年10月末

北千島派遣隊は、占守島片岡飛行場に移駐。



*未完稿


【参考文献】

テーマ一覧「主要参考文献・資料」を参照下さい。

[筆者注:調査未完につき、今後大幅に加筆・改訂を予定しております] 

 


初稿   2005-11-05

第2稿  2010-08-20 加筆、(1)と(2)に分稿

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2007年10月10日(水)

飛行第七三戦隊

テーマ:陸軍飛行戦隊

飛行第七三戦隊


【戦隊長】
 三隅 輝男 少佐 (航士51期)

【飛行隊長】
 梶原 広満 大尉 (航士54期)

【整備隊長】
 粟田 治郎 大尉 (54期)

【所属】
第二一飛行団
【飛行団長】
 吉岡 洋   中佐 (操23期・士37期)

 佐々木 光男准尉 (下士72期)
 佐藤 繁   曹長 (下士87期)


昭和19年5月16日付
明野陸軍飛行学校の担任により北伊勢(亀山)分教場で編成に着手。
操縦者は航士56期(のち57期)と特操が主体で、実戦経験者はほとんどいなく、戦力を発揮するまでには、相当の錬成が必要とみられた。
当初は機材が不足し、一式戦数機で訓練を開始した。

 

昭和19年7月頃
四式戦闘機「疾風」が到着しはじめ、操縦者もほぼ充足して七二戦隊とともに、第二一飛行団(長:吉岡 洋中佐)を構成した。

 

昭和19年8月
大正飛行場へ移駐。

 

昭和19年9月17日
編成を完結した時の保有機は、四式戦闘機「疾風」40機。

 

昭和19年10月
第一二飛行団の南方転用のあとを受けて、第二一飛行団が関東地区へ移駐することになったので、戦隊も飛行団司令部とともに所沢に移動、同地区の防空任務についた。

 

昭和19年11月1日
単機で偵察に飛来したF13偵察機(B29爆撃機の偵察機型)を迎撃したが、四式戦の高高度における上昇力が不足し、迎撃は不成功に終わった。

 

昭和19年11月21日付
第二一飛行団のフィリピン進出が発令された。

 

昭和19年11月24日
「関東地区B29爆撃機迎撃戦」
三隅戦隊長以下12機が出動したが戦果は無かった。

 

昭和19年12月4日
戦隊主力(約50機)は、李第1航空軍司令官を迎え、壮行式をあげ、七二戦隊と前後して所沢飛行場を出発したが、前進の途中に故障機が続出して、中隊ごとの区分前進となる。
台湾の台中飛行場で10余日整備と訓練を行う。

 

昭和19年12月16日
ルソン島マバラカット東飛行場に向かったが、2日前の七二戦隊の戦訓で進出途上の空戦に配慮して、搭乗員の荷物は機内に積まず、輸送機で別送することになった。しかし、またも故障機の続発で、到着したのは戦隊長以下9機にすぎず、翌17日、落伍した11機を末友吉高少尉(少候24期)が指揮して追及し、岡田公信中尉(航士56期)らの到着は22日となった。
また、整備隊主力は輸送機で逐次前進し、14日、九七式重爆撃機5機に分乗して台中を出発したが、クラーク着陸寸前に敵戦闘機に攻撃され、3機が墜落、粟田整備隊長以下の幹部を一挙に失った。

 

昭和19年12月17日
「ミンドロ島攻撃」
朝 七三戦隊[四式戦9機]が七二戦隊と合同で、ミンドロ攻撃隊の直掩に出動した会敵せず、帰還したが七三戦隊の篠田悌治軍曹機に搭乗して出撃した吉岡飛行団長は未帰還となった。
【21FB被害】
不明
【戦死者】
21FB 吉岡 洋  中佐  (操23期・士37期) *クラーク
72FR 若狭 繁夫 中尉 (操92期・士56期) *ミンドロ沖
72FR 佐藤 通  少尉  (特操1期)      *ミンドロ沖
72FR 刀根 四郎 伍長 (少飛13期)     *ミンドロ沖
73FR 篠田 悌治 軍曹

 

昭和19年12月18日
第二一飛行団は、四式戦約40機をクラーク基地群のバンバンとマバラカット東飛行場に集中した。

 

同日
「ミンドロ島サンホセ攻撃/特攻直掩」
ロッキードP38「ライトニング」双発戦闘機と交戦。
【73FR被害】
損失:四式戦2機
【戦死者】
73FR 白井 太喜男少尉 (航士57期)     *ミンドロ沖
73FR 太田代 安見軍曹 (少飛13期)     *ミンドロ沖

 

昭和19年12月20日
「ミンドロ島攻撃」
【21FB被害】
不明
【戦死者】
72FR 新谷 肇  少尉  (下士84期)     *ミンドロ沖
72FR 大西 孝  伍長  (少飛12期)     *ミンドロ沖
73FR 中原 春次 軍曹 (少飛10期)     *リパ 着陸事故

 

昭和19年12月22日
「ミンドロ島サンホセ沖艦船攻撃」
四式戦12機でP38/リパブリックP47「サンダーボルト」戦闘機群と交戦。
【73FR戦果】
不明
【個人戦果】
三隅 輝男 少佐(航士51期)     *撃墜・2機
梶原 広満 大尉(航士54期)     *撃墜・2機
【73FR被害】
不明
【戦死者】
73FR 田中 光一 中尉 (航士56期)     *ミンドロ沖
73FR 増住 弘之 少尉 (航士57期)     *ミンドロ沖

 

昭和19年12月24日
「クラーク地区迎撃」
レイテを発進した戦爆連合を迎撃。空戦は圧倒的多数の米側優勢に終わった。
【73FR被害】
不明
【戦死者】
73FR 神吉 吉弘 大尉 (航士55期)     *クラーク
73FR 松本 茂夫 少尉 (特操1期)      *クラーク

 

昭和19年12月25日
「クラーク地区迎撃」
【73FR被害】
不明
【戦死者】
73FR 富岡 喜久雄少尉 (特操1期)      *クラーク
73FR 中島 透  少尉  (特操1期)      *クラーク

 

昭和19年12月28日以降
可動機が少なくなったので、昼間はサンフェルナンド泊地の上空哨戒にあたり、夜間は少数機でサンホセ飛行場のタ弾攻撃を実施した。

 

昭和20年1月5日
第三〇戦闘飛行集団長の命令で、戦闘機隊は全機特攻作戦に移行した。
第一、一一、七一~七三、二〇〇戦隊の四式戦装備隊は混成で「精華隊」を編成し、1月12日まで、リンガエン湾に上陸した船団を目標に、2機ずつの編隊を組み(うち1機は戦果確認機)、250キロ爆弾2個を翼下に装備し出撃した。

 

同日
「ルソン西方海上特攻攻撃/直掩」
三隅戦隊長、梶原飛行隊長ら四式戦4機が出撃。グラマンF6F戦闘機と交戦。
【73FR被害】
損失:四式戦3機
【戦死者】3名
73FR 梶原 広満 大尉 (航士54期)     *ルソン西方
73FR 荒井 幸雄 伍長 (少飛13期)     *ルソン西方
ほか1名

 

昭和20年1月7日
「ルソン西方海上特攻攻撃/直掩」
四式戦2機が出撃。
【73FR被害】
損失・四式戦1機
【戦死者】1名
73FR 川原 安民 少尉 (航士57期)     *ルソン西方

 

昭和20年1月8日
「ルソン西方海上特攻攻撃/直掩」
三隅戦隊長以下四式戦4機が出撃。三隅戦隊長はグラマンF6F戦闘機1機撃墜後、行方不明となり、矢野 寛曹長(下士89期)のみ生還。
【73FR戦果】

【個人戦果】
三隅 輝男 少佐(航士51期)     *撃墜・グラマンF6F戦闘機 1機
【73FR被害】
損失・四式戦3機
【戦死者】3名
73FR 三隅 輝男 少佐 (航士51期)     *ルソン西方
   ほか2名

 

昭和20年1月10日
岡田中尉以下の生存操縦者6名と、2機の可動機はバンバンに移動して。津崎七二戦隊長の指揮下に入った。

 

昭和20年1月11日

 

昭和20年1月15日
【73FR被害】
【戦死者】
73FR 島本 準彦 少尉 (特操1期)      *ルソン島
73FR 五島 司   少尉 (特操1期)      *ルソン島


【フィリピン戦における個人撃墜】[筆者注:調査未完]
三隅 輝男 少佐(航士51期)*撃墜:3機[P38/47:2、F6F:1]
梶原 広満 大尉(航士54期)*撃墜:2機[P38/47]


*未完稿




【参考文献】

テーマ一覧「主要参考文献・資料」を参照下さい。 

 

筆者注:調査未完のため、今後、大幅に加筆・改訂を予定しております。 

 

初稿  2007-10-10


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