2007年06月23日(土)

飛行第一一戦隊 (2)

テーマ:陸軍飛行戦隊

昭和18年4月30日

第六飛行師団は、司令部をラバウルからニューギニア東北岸のウエワクに移動した。







昭和18年8月

ハルビンで戦力回復 

 

昭和18年12月

南昌に展開


「一号作戦」参加


福生(東京)にて、四式戦闘機に機種改変


【戦隊長】代理
四至本広之丞大尉(航士54期)
【第一中隊長】
春日井敏郎 大尉 (航士53期)
【第二中隊長】
井上敬一  中尉 (航士55期) 
【第三中隊長】
利田信造  大尉 (陸士54期/85期)
【整備隊長】


【所属】
第12飛行団 [1/11/22FR]
【飛行団長】
川原八郎  中佐 (陸士34期/28期)


昭和19年5月12日
大陸命で第一二飛行団は在フィリピンの第二飛行師団に編入された。

昭和19年10月22日
第一二飛行団長:川原八郎中佐に率いられ四式戦闘機7機で、ルソン島中部にあるクラーク基地群マルコット基地に進出。 

昭和19年10月23日
第一二飛行団の四式戦:可動25機。[1FR:20/11FR:5]
一一戦隊の可動5機は、一戦隊と合流してマニラより90キロ南方の前進基地リパ飛行場に移動。

昭和19年10月24日
「第1次レイテ航空総攻撃」
第一二飛行団長:川原八郎中佐直率で、一戦隊の四式戦10機は、一一戦隊の四式戦6機とともに、リパ飛行場を発進したが、同行する飛行三戦隊の九九式双発軽爆撃機隊の発進が遅れ、単独進攻した一二飛行団は、オルモック湾上空で空戦の後、ネグロス島マナプラ基地に着陸。

同じく単独進行した軽爆隊は有効な攻撃が出来ないまま、米戦闘機群に捕捉され全滅した。
【12FB被害】
損失:四式戦7機?
【1FR戦死】7名
利田信造  大尉  (陸士54期/85期)第3中隊長
川喜多正夫 准尉  (下士75期)
馬場正一  准尉  (下士79期)
辻中清太郎 准尉  (下士81期)
佐々木光一 曹長  (少飛6期)
岩下愛恒  軍曹  (少飛7期)
小久保留夫 伍長  (少飛11期)

昭和19年10月25日
「レイテ」
【12FB被害】
【1FR戦死】
春日井敏郎 大尉  (航士53期)     第1中隊長
井上敬一  中尉  (航士55期)     第2中隊長
川原欣三  中尉  (航士56期)
福田数之  伍長  (少飛11期)

昭和19年10月26日
「レイテ」
【12FB被害】
【戦死者】
1FR  平野彦晴  准尉 (下士72期)
11FR 南山 守  曹長 (下士87期)

昭和19年10月28日  
【12FB被害】
1FR  松村俊輔 少佐 (陸士46期/52期)戦隊長  *ネグロス島/払暁出撃時の離陸事故
1FR  牧野 実  中尉 (航士55期)
11FR 福島与吉 曹長 (下士89期)           *レイテ

昭和19年11月1日
戦力回復命令を受け、4日に下館に帰還。


*未完稿


【参考文献】

テーマ一覧「主要参考文献・資料」を参照下さい。

[筆者注:調査未完のため、今後、大幅に加筆、改定を予定しています]

初稿  2005-04-13

第2稿 2005-10-22 一部加筆

第3稿 2006-09-17 一部加筆

第4稿 2007-06-23より 大幅改訂


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