松山市はなみずき通り近くの漢方専門薬局・針灸院 春日漢方

体質に合った漢方薬・針灸治療 更年期障害・生理痛・頭痛・めまい・冷え性・のぼせ・不眠症・イライラ・気うつ、肩こり・腰痛・五十肩に穏やかな効き目

春日漢方 薬局・針灸院


松山の南、はなみずき通り近くの

漢方専門薬局・針灸院です。

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漢方専門の薬局・針灸院を開業して、

もう20年になります。その間に積んだ

知識と経験から、東洋医学ならではの

健康情報をおつたえしましょう。


松山市古川北3-13-22  TEL 089-957-0686


   メール takaisyunsuke@yahoo.co.jp



 臨時休診のお知らせ


 6月25(土) 午後12時~4時


 臨時でお休み致します。






 

テーマ:
 外科正宗ー化膿症について


 いま、『外科正宗』という中国の漢方医学書を読んでいて、面白いと思うことがあったので紹介しましょう。




      <外科正宗について>


 まず『外科正宗』は、中国は明代の医師、陳 実功(1555~1636年)によって書かれた、皮膚科の専門書です。
 今日では外科といえば、薬物治療の内科に対して、手術を中心にすえた治療をする医科を指しますが、当時の漢方医学では外科手術はあまり発達せず、漢方薬の治療が主体で、『外科正宗』でいう「外科」は皮膚の病気を指しています。
 ただ、この本の外題には、作者の陳 実功は各種の外科手術法や器具を発明して、鼻たけ(鼻腔のポリープ)の切除、気管の縫合などを行ったとあります。鼻たけの切除は分かりますが、気管の縫合というのはどういうことなのか、私には分かりかねます。

 そもそも『外科正宗』を読んでみようと思ったのは、「消風散」というアトピー性皮膚炎などによく使う処方が出てくることです。他にも役に立ちそうな処方があるかと思ったからでした。 またこの本は、江戸時代の日本でも何度か出版されよく読まれたようです。

 ただ、今回、すこし読み始めて分かったのは、『外科正宗』が主なテーマにした外科=皮膚病は皮膚の化膿症、俗な言い方では「おでき」です。
 今の日本みたいにそこらじゅう清潔になって、抗生物質や消毒法が普及すれば化膿症=「おでき」が問題になるのは、老人病棟くらいです。しかし、昔は「おでき」は生命に関わる病気でした。インターネットで調べて分かったのは、足利尊氏の死因はお尻の化膿症でした。他にも、ある天皇が重い化膿症を患い、灸の治療を望んだところ、ご典医らは、玉体に傷つけるのはいかがなものかなどと言うので、なら退位するということになったとか。栄養状態もよく、清潔に暮らしている将軍、天皇でも化膿症は悪化させると敗血症となって死に至る病気だったのです。

 『外科正宗』の構成でも、全4巻のうち、第1巻が「瘍疽(ようそ)門」、第2巻が「上部疽毒門」、第3巻が「下部瘍毒門」、第4巻が「雑瘡毒門」
 瘍も疽も「おでき」のことですから、1巻から3巻までが化膿症の治療に当てられていて、アトピーみたいな他の皮膚病は4巻だけで済まされています。それだけ、外科といえば化膿症の治療が求められていた時代だったのです。




        <化膿症の治療の特異性>


 第1巻から読みはじめて面白いと思ったことは、化膿症の治療には、他の病気とは一見、逆行しているような戦略が必要なことです。

 ふつうの病気なら、痛みが強くなる、熱が高くなる、患部があるなら、患部が堅く、大きく、高くなる、赤みが増す、膿や排出物は粘く、黄緑色で量が多くなる、患部が崩れる、などは病気が悪化していることを示しています。

 しかし化膿症においては、痛みが強く、熱はより高く、患部は赤みが増して、周囲とはっきり区別できて、固く大きく、高く盛り上がり、大量の粘い黄緑色の膿が溜まって、それが潰れて膿が流れ出ることが、「正常」な経過として大事なことなのです。

 では逆に経過のよくない化膿症は、まず痛みが無い、熱は出ず手足が冷たい、患部は白っぽいか紫色、周囲と区別がはっきりせず、柔らかくて盛り上がらない、膿は薄く透明な水のよう、いつまで経っても潰れない。
 『外科正宗』によれば、このうえに食欲不振、下痢や嘔吐、倦怠感、不眠など全身状態が悪ければ、1か月の生命も危ういとあります。


 化膿症を順調に経過させる要素は何でしょうか? それは人の全身を循環して全身の器官・組織を栄養している「気」と「血」が充実していることです。
 まず気(とくに陽気)が患部に集まってくれば患部は熱をもって痛み出します。また赤くなって盛り上がってきます。そこに血が集まってくれば、血が熱せらて膿になり、熱が多ければ粘って黄緑色になります。さらに熱気が加わるとおできは潰れて膿が流れ出します。
 開いた傷口も気・血が充実していれば新しい皮膚、肌肉を素早く再生して傷を修復します。




 『外科正宗』ではおできに膿が溜まるのを助けるために、「桑木灸法」というのを施します。乾いた桑の木片に火を点けて患部に近づけて患部を温め、陽気を補って化膿を促進させます。

 気・血を充実させるために、漢方薬の治療では、内臓を元気にすることが基本になります。肺は「気」を循環させる働きをします。また肝臓は「血」を集めて循環させる働きをします。腎臓は体液の元をストックして、全身に巡らします。
 しかし『外科正宗』が、とくに重要視しているのが胃腸です。飲食物を消化して、気・血を作りだすのが胃腸の働きだからです。胃腸が弱っては、他の臓器が元気でも気・血は作りだせません。
 この本には、温中湯、建中湯、和中湯など、胃腸を温め元気にさせる処方がいくつも出てきます。この「中」とは身体の中心は胃腸という意味で使われています。

 化膿が進むときに、全身に熱気が強い、あるいは胃腸に熱が強く停滞している場合には、熱を冷ます処方も使いますが、その場合でもかなり慎重に控えめに「寒涼薬」を使います。それよりも冷やして失敗することを強く戒めています。

 結局、『外科正宗』といいながら、内臓の弱り、とくに胃腸を元気にさせることを主眼にしているから、「内科」の診断・治療に精通してないと、外科も治せないんだよ、という主張になっています。



       <ほかの病気では?>


 こうやって内臓、とくに胃腸をしっかりさせて、気・血を充実させることで、病気としては一見、「悪化」させるようなハードルを越えさせて治癒にいたるというのは、他にもそういう病気があるのでしょうか?

 すぐに思いつくのは、麻疹(はしか)や天然痘などです。これらも皮膚の化膿症を伴う病気です。
 天然痘は世にも恐ろしい病気のように思われていますが、江戸時代にはよく流行しました。伝染力も強く難しい病気ではありますが、化膿症として順調に経過させれば、生命に関わることではありません。江戸時代の人はそのことはよく分かっていました。
 問題は皮膚疹として体表に出てこないと、これは瘡毒が内攻するといって、この状態は恐れらていました。
 皮膚の化膿症としてみれば、皮膚疹が悪化して膿が溜まり、それが潰れてという経過をたどるのが、病気としては順調な経過になります。




 このように、一見、悪化したかのような方向に病気が進んでから治るという場合は、例えば風邪の初期に汗をかいて風邪が治るときに、悪寒で苦しんでワナワナ震えることがあります。
 また胸が気持ち悪く苦しんでから、嘔吐してすっきりする場合、胃腸が痛んで苦しんで下痢をして治る場合、腰痛や下腹痛で苦しんで出血して治る場合など、何か排出物を出して好転する場合に、悪化したように見えることがあります。
 これは内部の不要なモノを押し出すために、エネルギー(気・血)を充てんする過程が、症状が悪化したように見えるということだと思います。

 今回は『外科正宗』から、一見、症状を悪化させるような方向を経て、治癒に向かう場合があることを考察してみました。

 『外科正宗』には多くの漢方処方のほかに、化膿症の各段階に応じた軟膏や、メスで切開したり、特殊な練り薬を化膿の進まないおできの周囲に埋め込んだり、外科的な手法もいろいろと出てきます。
 また化膿症の実際の治験例も多く載っています。順調に経過した場合で20日前後かかるのですが、条件が悪くて治りにくい場合は1か月から長いものは4か月にもわたり、毎日、お椀2杯分の膿が出たなどとあります。
 また治療を依頼されたが、診断の結果、治療を断り、別の医者が治療したが、1カ月もしないで亡くなったという例もあります。この時代の皮膚化膿症がどういう病気だったか、よく分かると思います。


  写真は最近、植え替えたサボテン。 
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わたしの熊本(とことん少数派の)


 先月末、28,29日と、福岡の友人と、熊本・福岡に行ってきました。
 夜は博多の飲み屋で、熊本時代の友人、6人と30年ぶりに会ってきました。




「がんばろう」の文字だけを見せて、今回は大変なことじゃったねえ。はい、お土産、と渡しつつ、「うちのほうの今治じゃあ、日本中のタオルを作っとるんよ。ただ、残念なことに、今年の分はまだ出来とらんと。おととしの分でこらえてね。」と。




わたしは40年前に熊本大学薬学部に入って、薬剤師の資格もいただいたんですが、どうも薬学部は居心地が悪くて、そこを尋ねてみようという気は乏しい。それより、「探検部」のほうが今でも懐かしい。
 一緒にいった友人は工学部ですが、彼も同じ気分らしく、熊本大学に行っても、道路を挟んだ向こうの工学地区には行こうとはしません。
 人づての話では、薬学部の建物は使えなくなるような被害はないが、とてつもなく高額な装置類が、おおかたダメになったでしょう。工学部の建物は使えなくなったものが、いくつもあるとか。

 今回、「とことん少数派の熊本」ということを考えました。

 わが熊本大学は、大学生協を学内から追い出す裁判を起こした、全国でも珍しい大学です。1960年代末の学園闘争の残務整理の仕上げに、闘争の火付け役だった熊大生協を潰すべく、施設立ち退き訴訟を起こしました。
 大学=「国」と正面から戦った生協は、大学のあるべき姿を提示して、70年代に潰れていた教養部自治会、文化部会、学園祭を再建して、常に学内に問題を提起して戦うことを止めませんでした。
 大多数の学生は、生協に加入し、生協で毎日メシを食い、教科書や家電製品を買いながらも、学内に常に問題を提起して止まない生協を疎ましく感じていました。
 しかし中に、生協の提起する問題に応えるごく少数の人間が存在しました。博多で飲んだ6人は、多少ともその活動に関わった、そのごく少数派の仲間です。

 生協追い出し裁判については、われらの入学の直前、1976年3月に第1審で、国=大学側敗訴。その後、6月に大学側が控訴。のち高裁で和解となりました。結局、学生・教員の大多数を組合員とし、年商数億円の団体を潰さねばならないほど、不法行為があったわけではない、という結論でしょう。
 



 熊本の「少数派」の歴史を考えるに、大和朝廷に逆らった熊襲の時代はおくとして、150年前の「不平士族の反乱」といわれるものに、熊本では特徴的な2つのグループが存在しました。
 当時、九州の士族層には巨大な反乱の気運不満がうっ積していましたが、特に鹿児島の西郷のグループが、数千人規模の反乱をいまにも起こすだろう、という観測が大きな期待をもって語られていました。
 そういう鹿児島の情勢に対して、熊本の2つのグループは別の反応をしています。

 1つは、「神風連」と呼ばれた集団。いまウィキペディアでみると、「神風連」は批判者からの上げつらいで、自らは「敬神党」といったようです。熊大の黒髪キャンパスのそばに桜山神社というのがあって、そこに「神風連資料館」があります。
 神風連は、鹿児島の西郷が今にも暴発しそうだという情勢を横目に見ながら、他人の反乱に便乗するのは、良くない。これは俺たちの反乱なんだからと、決起のタイミングを、なんと伝統的な占い、うけひ、とか夢占いで決定して、西南戦争の半年前に決起しています。

 明治9年10月、総勢170人で、政府の軍事拠点の熊本城に襲撃をかけたが、洋式の武装した正規軍には敵うべくもなく、7割が戦死または自刃して終わった。ある人に聞いた話で、局地的な戦闘において、兵力の30%が死傷して動けなくなると、その軍隊の戦闘は終了、ということになるそうです。それなら7割まで死ななくっても、という数字です。
 ある老人が火縄銃を持って乱に加わろうとしたところ、洋式の飛び道具はいけないと言われて、あー、とんだ若衆連に加わったものよ、と嘆いたと。また乱のリーダーたる太田黒伴男は、背中に瓦製の大きなご神像を背負っていたので、動きが悪く戦力半減だったとか。




 この反乱は、最初から軍事的な勝利なんか、いっさい念頭になかったことがよくわかります。
 また、こんな話もあります。15,16歳の兄弟が、乱に敗れて家に逃げ帰ると、母親はなんの事情があったのか何も聞かず、すぐに箪笥から白装束を出して、玄関のたたきで揃って切腹させたと。
 関ケ原以降、260年間の太平の世の間にも、武士というその場で命を捨てる集団が、維持されてきたわけですね。

 神風連の乱のテーマは、「花と散る」です。しかし、みんな花と散って、で、その後、どうなる、について未来の展望を感じさせるのが、つぎの「協同隊」です。

 
 明治10年2月、鹿児島の西郷隆盛ら総勢、1万3千人の士族が決起すると、南九州の各地からも、多い時で1万人ほどの参加があった。なかでももっとも多かったのが熊本からで、2300人。軍内では熊本隊と呼ばれたが、そこに参加した者らは、熊本人には「学校党」という集団とされた。
 これは維新後の熊本県政内の派閥の呼び名で、進歩的な「実学党」に対し、旧藩校で儒学教育に因った保守的なグループとして「学校党」といわれた。これが熊本の不平士族の多数派です。

 それに対して、まったく違う考えから西南戦争に加わったグループがあります。それが「協同隊」。旗揚げ時にはわずか40人でしたが、しだいに人数を集めて100人ほどになりました。




 協同隊の指導者は熊本県北部、荒尾生まれの郷士、宮崎八郎。彼は明治初めに上京して、中江兆民に民権論を学ぶ。県北部に植木学校を設立、フランス語を学び、ルソーの『社会契約論』を講読。
 当時、県内では農民一揆も頻発していて、彼らは一揆の指導をしていましたが、税金をまけろ、というのではなくて、「代表なくして課税なし」。村長や町長の公選制を要求していました。
 明治の初年、帝国憲法制定の20年前に、すでに今日的な憲法感覚を持って、農民運動をしていた人々がいたのを、忘れてはいけません。

 彼らは明治維新を、中途半端に終わった「市民革命」と考えていたので、西郷の反乱に際して、「西郷に日本の革命ばやらす。そののち西郷ば革命する。」という戦略を立てて、「ルソーの民約論を読み、泣いて剣を取る、 云々」という漢詩を読んで乱に加わりました。
 しかし、じっさいに乱に加わってみると、薩摩人の他国人に対する軽侮、またこの反乱になんの戦略もないことに落胆しました。それでも、薩摩軍とともに戦い、宮崎八郎は4月に戦死。26歳。
 協同隊は各地を転戦するも、しだいに追い詰められ、敵に周りを囲まれ弾薬、食料も尽きて万事休す。それでは皆で自害するか?という話になったとき、国際法では、白旗を掲げて投降してきたものは、戦時捕虜として生命を保護しないといけないのだ、と主張するものがいて、その主張に従い投降しました。




 市民革命でできた「近代国家」は、市民に兵役の義務があるとします。しかし戦争は勝ったり負けたりするもの。戦に負けて捕虜となっても、その者の生命と名誉は保障されました。互いの捕虜を尊重しあうことが、自分が捕虜になったときの、身の安全の担保になります。
 こういう戦争に対する「市民感覚」を養わないまま、向えたのが50年後の大戦で、弾薬も食料も尽き果てても投降できず、300万の死者を出しました。

 26歳で夭死した八郎の下に数人の弟がいて、それぞれ兄の跡を継いだ社会運動に挺身しました。中で有名なのが、末弟の寅蔵(号 滔天)。
 彼は明治の日本での革命に、当面の展望を見いだせず、東アジアの大国、清国の革命から手がけんと、孫文らの辛亥革命の後方支援に尽力。
 孫文は八方塞がりの中国革命を、身を挺して支援してくれた滔天を、革命の同志として敬愛し、南京の中国近代史博物館の中庭には、孫文と並んで銅像が建っているそうです。
 
  「とことん少数派の熊本」 現在にも続ている水俣病に関しても、多数派の熊大医学部に対して、最期まで患者の立場に立ち続けた、とことん少数派の原田正純先生などを取り上げるつもりでしたが、今日は、近代史の中の熊本までとします。
 
 写真は29日に訪れた大宰府庁跡。商売っ気むんむんの大宰府天満宮に対して、礎石だけを残した庁舎あと。じつにすっきりして気持ちがいいです。
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オーディオルームに管さん現る


 家の1階のリフォーム工事に4月末から取りかかって、途中で大きな梁が白アリに食われているのを発見。鉄骨を発注したりして、10日以上、工期が遅れましたが、先週、取りあえず完成。今日、工事代金を払いました。




 リフォームのプランナーの方が、相当のオーディオマニアなのは、これまでのリフォーム工事で知ってはいました。今回、あまり使ってなかった6畳間を直すにあたって、床・壁・天井にぶ厚い合板を入れて、耐震補強に加えて、音の響きが良くなるように作りました。
 上の写真のような、ガランとした何も置かない部屋にすると、音がすごく反響します。

 今回、家のリフォームを考えたのは、わたくし、明日、5月26日で還暦になりますが、47年前、中学1年からジャズのレコードを買うことから始めて、もっぱら音楽を聞くのを趣味としてきました。
 ところがこの数年、どうももう一つ、面白い音楽に出会わない。驚くような音楽体験がない、という感じ。また年並みに、テレビの音量が、前は目盛り20だったのが、23に上げないといけなくなった。確かに耳も衰えつつある。
 それで、ここはひとつお金を投じて、趣味のオーディオルームを作ってみようかと思った次第です。
 それまでは、ずっとソフト=CDやレコードを買うことだけにお金を投じてきて、オーディオや部屋には最低限のお金しか掛けないできました。しかしそれだけでは、これからの人生、長く音楽を楽しむには、別の方面にも資金を投じる必要がでてきたようです。



 さきのプランナーさんのところにお邪魔して、オーディオ装置のどこにお金を投じたら良いか、などさまざまのアドバイスをもらいましたが、その時に安く譲っていただいたのが、これ。
 
 変な台形の装置ですが、これでCDプレーヤーです。スチューダーというスイスのメーカーのもの。CDプレーヤーの出初めのころに放送局用に作られたので、こういう形をしています。
 定価は90万近くしましたが、今でも根強いファンがいて、中古品なのに35万の値がつきます。その方はもう使ってないので、安く譲っていただきました。
 持って帰って、以前のアンプにつないだところ、バイオリンなら弓が弦をこする音、フルートなら息が歌口で擦れるまで聞こえます。CDにこんな音まで入っていたのかと、その精細さにびっくり。その方は、CDの音に馴染めずに各種プレーヤーを試して、最期にここに行きついた。

 写真を見ると、木の枠に乗ってますね。この桜材の枠を作ったのが、あとで出てくるマルイレコードの管さん、だったのです。
   



 こちらはツルハラアンプ。鶴原さんは、漢方の勉強会の友人で、真空管アンプのキットを買って組み立てるという趣味がおありです。4月初めから昨日まで、お貸しいただいて、聞かせていただきました。
 電源を入れてしばらくは、しょせん素人の自作アンプよな、と思っていましたが、1時間ほどで真空管が温まってくると、じつに素直にスチューダーの音をゆったり、たっぷりと伝えてくれます。
 いろんなCDを次々と聞いてみましたが、意外にパーカッションやギター、ピアノのようなパシパシ鋭い音に秀でています。バイオリンのような引っ張る音にはちと弱い。
 でも、シンプルに昔のやり方で作った装置が、メーカーが手の込んだ作り方をしたものより、いい音がするというのが、オーディオの面白いところです。


   




 上の写真がQUAD(クオード)のパワーアンプ。下がATCというメーカーのプリアンプ。 プランナーさんのアドバイスで、アンプをパワーとプリに分けて、パワーにお金を投じるのが効果的というので、クオードに今回、いちばんお金が入っています。何の意味があるのか、厚いガラスの天板が乗っていて、後ろが映りこんでいます。
 ATCはヤフーオークションで中古を買いました。

 オーディオ装置の機能は「音」にしかないのだから、実際に聞いて買いたいと思って、大阪の電気街のオーディオ屋までいきました。いろいろ悩みましたが、QUADという外国メーカーの品を在庫して、聞ける状態で展示してくれた店に、お金を持っていくべきだろうと、そこで購入しました。

 5月13日に、始めてスチューダー・クオード・ATCという組み合わせで鳴らしてみましたが、これが困ったことに、なんともがっかり。高音にはキンキンと頭に刺す音、低音はよどんでお腹にもたれる音。全体に下手な説明を聞かされているような、つまらない感じ。
 素人の自作アンプのほうが、ずっと素直で気持ちの良い鳴り方、音楽としての豊かさを感じさせます。

 これはいったいどういうことなんだ、何とかならないかと、くだんのプランナーさんに泣きつくと、知り合いのオーディオの専門家、マルイレコードの管さんが来てくれました。

 じつは私らが中学のころ、松山市内のマルイレコードの2階に管さんはおられて、「ジャズのお師匠さん」だったのです。その時にコルトレーンやドルフィ、モンクなど、本物のジャズを聞かせてもらったことが、今でも音楽の嗜好に大きく影響しています。




 写真が横倒しなので見にくいのですが、スピーカー低音を強化するための「穴」(なんというのか?)にハンカチを詰めてあります。
 管さんに低音がドローンとよどんでいると相談したら、こういう小型スピーカーは、低音を響かせるために余計に強調しているからと、「穴」にハンカチを詰めて低音のよどみを消しました。
 他にも、アンプ間、プレーヤとアンプを繋ぐケーブルを、持参のものに換えてくれて、中でもプレーヤーとプリアンプの繋ぎには、自作の銅線剥き出しの特製ケーブルを入れました。 
 スピーカーのスタンドの下に桜材の積み木をいれ、セット全体の配置を見直し、デジタル系とアナログ系の電源の位置を離しました。
 



 上のような配置になって、格段に音が良くなりました。「お師匠さん」の言うには、これでこのスピーカーの半分くらいの力が出せているくらいかな。
 あとはアンプ類をいれているラックがいい加減すぎる。スピーカースタンドを耐震ジェルで引っ付けるのはダメ、ネジで固定すること、などなど。そうやって値の高い装置に買い替えるのではなくて、自分の聞く耳を鍛えて、部屋の音のレベルを上げていくのが、オーディオ趣味の醍醐味、というお教えでした。

 セットの後ろに張ってある変な模様の布は、スピーカーの後ろに回る音を吸収させるためのもの。ヤフオクでインドのテーブルクロス、500円で落札したもの。なんでインド柄なのかは、オーナーの趣味のせいでしょう。
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