kashiwapapaの独り言

「マスターの独り言」を「kashiwapapaの独り言」に変更しました。中身は、変わらず、kashiwapapaの日常生活全般から世界情勢(?)、政治経済・教育問題などなど幅広く取り留めのない独り言です。どうしようもなく”ヒマ”な方お読み下さい。

ついつい、そして、ちょくちょくサボりますが、

ボチボチ書きますので気長によろしく!

それでも懲りずに健康Blog「アッチェ@日光」

書いてます。こちらも宜しく!


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カレンダーも2枚目、2月です。

1月は新年のご挨拶だけで終わってしまいました。

・・・ので、「寒中お見舞い」代わりに、

【心の栄養】になる話しをUpしたいと思います。

「致知」と言う月刊誌に載った話です。




「人生のダブルヘッダー」


    郡司ななえ (鍼灸士)

        『致知』1998年7月号「致知随想」
         ※肩書きは『致知』掲載当時のものです


…………………………………………………………………………………………………

私の目が見えなくなったのは二十七歳のときだった。
激しい痛みをともなって、徐々に視界がぼやけていった。
視力の低下が著しく入院を余儀なくされたときには、
とうとう「べーチェットさん」にかなわなくなったのかと思って、
悔しくて悔しくて仕方がなかった。

厚生省指定の難病の一つであるべーチェット病だと診断されたのは、
高校三年生のときだった。
体育の時間にクラス全員で列を組んで
マラソンをしていたときのことである。

突然、足に劇痛が走った。
こらえきれずに転倒した。

足の腫れがひかずに病院でいろいろな検査を受けていくうちに、
ベーチェット病だと診断された。

病名がわかっても、どんな障害が出てくるかということは、
その時点ではまだわかっていなかった。

体に宿ってしまった病と仲良くしようと、
私は「ベーチェットさん」と名づけて、
なだめすかして十年あまりを平和に過ごしてきた。

新潟から東京に出てきて、建築会社でOLをしていた。
この平凡な生活が、ずっと続くのではないかと思っていた。

いや、そう願い続けることで、病気を克服できると信じていたかった。
ところが、「ベーチェットさん」はそんなに優しくなかった。
目の痛み、全身を襲う倦怠感、増していく内服薬、
注射、度重なる手術……。

難題を押しつけるだけ押しつけておいて、
一向によくなる気配は見えない。
それどころか、ますます窮地に追い詰めていく
あまりの意地の悪さに、ほとほと疲れ果ててしまった。

十か月あまりの入院の末に、退院することになった。
回復したからではない。
濃い乳白色の世界は、もう微動だにしなかった。

心配して、上京してきた母の腕につかまって、
週に一度だけ薬をもらいに病院へ通った。

外界との接触はそれだけだった。
テレビやラジオの音を耳にするのも煩わしくて仕方がなかった。

私にとって見える世界が失われたことは、
世界が失われたことに等しかった。
ただただ、ベッドの上に縮こまって、何も考えたくなかった。

一年六か月の間、私の巣ごもりは続いた。
その間、母が私を守る防波堤になってくれた。
「がんばりなさい」とか「そろそろ再起をはかったら」
などといったことは一言も言わなかった。


「いった豆でない限り、かならず芽が出るときがくるんだから」。


母が繰り返し言ったのはその一言だけだった。

そんな生きているのか、死んでいるのかわからないような
私の魂を呼び戻すきっかけとなったのは、
大宅壮一さんがお書きになった『婦人公論』の一文だった。


「野球の試合にダブルヘッダーがあるように、
 人生にもダブルヘッダーはある。
 最初の試合で負けたからといって、悲観することはない。

 一回戦に素晴らしい試合をすることができたのならば、
 その試合が素晴らしかった分だけ、
 惨敗して悔しい思いをしたならば、
 悔しかった分だけ二回戦にかければいい。

 その二回戦は、それまでにどれだけウォーミングアップを
 してきたかによって勝敗が決まってくる」
 
 
私の二回戦はこれから始まるのだと思った。
一回戦とは違って、目の見えない私で戦わなければいけない。

だが、一年半というもの、二回戦を戦う準備をさせてもらった。
もうウォーミングアップは十分だと思った。
いてもたってもいられない気持ちで
東京都の福祉局に電話をかけ、戸山町にある
心身障害者福祉センターを紹介してもらった。

目が見えなくなって、何から始めたらいいのかわからない
私にとって、まず最初に必要なのは
一人で歩けるようになることと、
点字を読めるようになることだった。

やっと外界と接触する心の準備のできた私を後押しするように、
電話で相談にのってくださった先生がおっしゃった。


「あなたは運のいい人ですね。
 ちょうど視覚障害者向けのカリキュラムにあきが
 出たところなのですよ。
 
 明日いらしてください。
 明日来られなければ、他の人に順番をまわしてしまいますからね」
 

舞い込んできた幸先のよさに喜び勇んで、
新しい人生を出発することになった。

そんな私の二回戦の試合模様が、
先に『ベルナのしっぽ』という一冊の本にまとまった。

結婚して、子供を産み、盲導犬とともに暮らす
奮闘ぶりが描かれている。
大竹しのぶさん主演のドラマとして、
フジテレビでも取り上げていただいた。

こうして、あの空白の一年半から立ち直ってみて思うのは、
生きる勇気を失わない限り、私たちは
たいていの困難を乗り越えていくことができるということである。
不幸のどん底にいるときには、どこまでも奈落の底に
落ちていくのではないかと思えてくる。

だが、それをこらえてじっと痛みを耐えていれば、
かならず明るい光は見えてくる。

その一つひとつの困難を乗り越えていくことが
生きるということなのではないかと思う。

そして、一試合目がうまくいかなくても、
人生にはときに二試合目が巡ってくる。
そのためのウォーミングアップを続けていくことこそが、
次の一歩を踏み出すためにもっとも大切なことなのだと思う。

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新年明けましておめでとうございます。

 健やかな新年をお迎えのことと思います。今年もよろしくお願いします。


大晦日から連続4日間のお休みを頂きました。

珈茶話は今年で30年を迎えますが、お正月の4連続休みは初めてです。

大きな心の変化がそうさせたと言って過言ではありません。


私たちは、昨年、1千年にあるかないかの惨事を被り、折りしも世界的不況の波に飲まれて、

瀕死の状態の日本で生活を続け、先行きの見えない不安の中で新年を迎えたわけです。


TVを見ると、以前と変わらぬような気がしてしまいますが、

お客様の流れを見ていると、

“心”は変化しているように感じた2011年の暮れでした。


残念ながら、私たちが期待して選択した政党も混迷を続け、

うまく国の舵取りができず、ますます日本丸は荒波に飲まれ、

今にも沈没しそうな状態になってしまい、借金は増え、

消費税の引き上げも行われようとしています。



新年にあたり、今年私たちは何をしなければならないのでしょう!?


“国”“政治家”“行政”すべてが当てにならないことが、

東北の惨事でも実証されてしまいました。


どうやらは、一部の人たちは感じ始めているようです。


昨昨年のTwitterに引き続き、昨年初めてFaceBookの世界にも

そんな風が吹き始めているように感じます。


数万人の人との突然の別れが人を変えないわけがないと思います。

たぶん、私たち大人以上に子供たちに影を落としているはずです。



暮れの番組で寂聴さんが

「この世は無常だから今を大切に生きなくちゃいけない!!」と

おっしゃっていました。



独り善がりかもしれませんが、

そんな意味もあり、4日間のお休みを頂きました。


皆様におかれましては、少しでも周りの方の小さな幸せにも心を配り、

毎日の生活を大切に過ごされることを望みます。

この一年、健やかにお過ごしください。



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今年も、残りわずかになってしまいましたが、

皆さんお元気ですか!?


さてさて、珈茶話Liveは今年一年間、

「Live15周年」を記念し、

“県内のアーチスト”にこだわり企画して来ました。


1月の【石井真由美】さんを皮切りに、

15グループ、50人ほどのアーチストに出演を頂き、

500人ほどのお客様にご来場頂きました。

ありがとうございました。


今年のトリは、いつもの【岡田嘉満】と思っていたところへ、

以前から出演依頼をしていた【DWニコルズ】 から、

「12月17日に出演OK!」の連絡が入り、

無事、17日の夜、満員御礼で〆ることができました。



kashiwapapaの独り言

本来、DWニコルズは4人ですが、この夜は、


『DWニコルズ~男2人で日光へ行こう!鈴木健太凱旋Live』

と、名をうっての企画でした。


実は、鈴木健太は、私の姉の次男で、いわゆる“甥”に当たります。


鹿沼高校、宇大とバンド活動を続け、

卒業後プロを目指し上京、縁あって、DWニコルズの1員となりました。


めちゃくちゃギター好きです。

また、オリジナル盤のレコードの収集もやっていて、


kashiwapapaの独り言-a  書いてます。

17日の夜は、親類総出で応援に駆けつけてくれました。

お陰さまで男二人が楽しんでくれたのはもちろん、

ご来場の皆さんにもたっぷり楽しんで頂けました。

年明けには、ニューアルバムの録音が始まると聞いてます。

これからもDWニコルズの応援宜しくお願いいたします。

追伸:Liveというほど大げさではありませんが、
25日のX’masには美人ヴォーカルの歌をプレゼントいたします。

お楽しみ下さい。(もちろん無料です・・・)



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「FaceBook」は映画にもなり、今更説明するほどでもないでしょう。


私も昨年の「Twitter」に続き、FBをはじめ、早くも半年が過ぎました。


まだ使っていない方から、「使うと何がいいの?」的な質問をされますが、

SNSは総じて皆、同じです。WEBでのコミュニケーションです。


FaceBookは一応「実名、顔写真等」が公開が“原則”なところです。

(当然例外はあります)


実名等がイヤでTwitterはやっても、FaceBookはやらないと言う方もいます。


確かに見ず知らずの人にプロフィールを明かすのには私も抵抗を感じました。

でも己から明かすのが“信頼関係の基本”だと思うので私は公開しています。


文明が作ってきたもの全て、「良い所とと悪い所」が隣り合わせです。

自動車の原子力も同じように・・・・


FBも例外ではありません。

結構、成りすましでFBをやっている方もいます。

虎視眈々とカモを狙っているかも・・・?


でも今、事故を起すからと言って、車を使わないひといないでしょう!


私は最近、“朝のFB世界”が好きです。


色々な人が素敵な花の写真や空の写真等を掲載し、

気持ちのよい挨拶や励ましの言葉を贈ってくれます。



例えば


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そして、会った事もない方の一日の健康や安全を心配し、

温かい言葉をかけてくれます。


これって凄いことではないでしょうか!?


会った事もない人からして頂くと嬉しいことを、会った事もない人にしてあげる!


≪幸せの連鎖≫ではないでしょうか!?


WEBの世界は「バーチャル」の世界で、現実世界と異なる!と言う人がいますが、

否定はしませんが、私は「リンク」していると思います。


私のFB世界で知る多くの人は現実世界でも、

他の人に親切で、他の人の幸せを願っている人だと確信しています。


強いて言えば、FBの世界から「幸福の連鎖」を現実の世界に波及さようと思います。


勇気を出して、貴方も素敵はFaceBook]の世界に来て見ませんか!?


追伸:FaceBookをやってみたい方、手ほどきいたします。

   もちろん無料で・・・(私のできる範囲でしか教えられませんが・・・)

  kashiwag@sunfield.ne.jp にメール下さい。


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今日は「憂国忌」 だったことを下野新聞の雷鳴抄で気が付きました。



kashiwapapaの独り言

41年前です。

当時、私は高校1年生。

名前は知っていましたが、著書は読んでいませんでした。

何の授業だったか覚えていませんが、授業中でした。


「三島が自決した!」と、

授業をしていた先生じゃない先生が教室に飛び込んで来たのを覚えています。

今、こんな先生はいないでしょうね!


当時は、大学では学園紛争がまだ盛んでした。

我々は受験戦争の真っ只中でした。


今振り返ると色々なことのあった70年代の1ページです。

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