「あんた、毎日ボーっとしていると、しゃ直にボケるよ。ボケるって娑婆とサヨナラする準備ながよ。何か考えごとをしたら好いがよ。家の亭主なんか、朝から新聞を広げて、相撲の取り組みをチェックして、勝敗を予想しておる。あんたも頭を使わんと腐ってしまうわ」


可笑しなことをいうのは、いつもの近所の女友だちのE子。そんな相撲の勝敗を予測することで、ボケることを忘れて充実した日々を送られるのなら、誰も苦労などしない。ただ、あたら人生をのんべんだらりと生きるというのはいかがなものか。さりとて、自己実現などと大げさに叫ぶのもつまらない。自然体で生きたいものである。

 

 

今日は昨日の延長で、同じことの繰り返しでは生活に張り合いがない。サラリーマンを辞めて、ふるさとに移り住んで、まる6年になる。何にも、まして良いのは、束縛するものがない。そのせいで、ストレスを知らない。おかげで高血圧症とおさらばができた。いくらか緊張がなさ過ぎて、これでいいのかと心配にすらしている。


この寒いのに、先ほどからツレが外に出てやってくれと言う、
「部屋にいて、テレビを観ていても、ブログのネタなんか思い浮かばないわよ、畑に米ぬかを撒いてよ。そうすれば、きっとアイデアが生まれるわよ!」と。

ツレに言われて、雪の晴れ間を縫って、雪の上に米ぬかを撒いた。コイン精米所で棄てられ、誰も見向きもしないのを、ツレがかき集めてきた。これを撒くと、お腹を空かした寒スズメが集まってきて、面白いように啄ばむ。毬つき、かくれんぼ、子どもと遊ぶ素朴な良寛和尚の心境である。


この米ぬかは、肥料としてはスグレモノなるも、時期を間違えると、虫の温床となり、うじなどが湧く。腐葉土などと混ぜて、発酵させて用いればベストなるも、ボクは雪の上からやっているさすれば、雪の下の土の中の微生物のエサにもなる。春先には、ミミズが闊歩しているから、きっと土壌の団粒化が進むのであろう。
 

 

何が大切と言って、命あっての物種。健康である、決してE子が言うようにゼニなんかではない。健康な身体を維持するには、食事と運動である。精神も大事だろうが、昔から言うではないか、<健全なる肉体にこそ、健全なる精神が宿る>と。てなわけで、週2回ジムに通って、筋トレをやっている。

「毎日でなく、週にたった2回か?」というムキもあろう。晴耕雨読をで、質素を旨として物欲を捨て、天の恵みで糊口をしのいでいる。そのためには、天気の好い日は、野良に出て額に汗して鍬をにぎっている。野菜は自慢ではないが、50種類ほど無農薬で育てている。
 

 

テレビで宣伝している栄養剤や青汁などの厄介にならずとも、オーガニックな野菜がある。新鮮ジュースやスムージーなんて洒落たものも簡単である。
ところで、live from hand to mouth というのがある。手にした物(収入)を直ぐに口(食物)に届けるという意味である。手で稼いだゼニで、そのまま食べ物にして、口に入れること。まあ、その日暮らしというてんで、今のボクの生活と共通している。