秋も深まって、夜遅くまでダイニングで焼酎のお湯割りを片手にテレビを観るのが、このごろの楽しみである。ニュースを除けばCMを飛ばして、録画して楽しんでいる。ボクのお好みは、もっぱら時代劇チャンネルの作品である。とりわけ藤沢周平や池波正太郎の作品が好きである。NHKでやっていた『三屋清左衛門残日録』も、このチャンネルで楽しんだ。主演は仲代達也だと思っていたが、この間のBSでは北大路欣也だった。先代藩主に仕えた用人が、国元で隠遁生活に入る。妻女に死に別れ、息子夫婦と住んでいるが、隠居ながらいろいろな事件に関わってゆく。隠居と言っても50代の半ば、今の時代に照らせば70代の前半だろう、ボクも主人公の心境になってドラマの世界に入り込むことができる。
 

 

こうしたドラマは、時間も1時間半ほどの時間枠で楽しむのが好い。画面も大型でなければと、去年無理をして50インチにした。すると、ツレもいうのである、
「あなただけ大型テレビというのは間尺に合わないわ。私だって欲しいわよ。高品質のテレビにするわ」
そう言って、ツレはなけなしの財布をはたいて、4Kテレビを買ったまではいいが、実用放送の開始は平成30年で、別途オプションも必要だという。慌てる乞食はもらいが少ないとはこのこと。敵はどうせ、煎餅を口にほおばりながら、好きな洋画を大型画面で観ようという寸法に違いない。

 

 

話を時代劇に戻すと、池波正太郎の『剣客商売』や『藤枝梅安』が面白い。なんたって、勧善懲悪のストリーで安心して観ることができる。新しい時代劇をみるにつけ、このごろは馴染みの俳優が少なくなった。自分の老いを感じるのは、例えば、主演の藤田まことや小林桂樹がすでに鬼籍の人だからである。


ガキのころと言えば、昭和20年代の後半で娯楽がなかった。何よりの楽しみは、集落にひとつあった保育所の板張りの広間に、家から座布団を持参で観たものである。村役場が3か月に一度ほど2本の映画をもって、各集落を巡回した。集落の老いも若きも夕食を早めに済ませて、こぞって出かけた。保育所の床が抜けるのではと心配だった。そのときの映画は、どれもフイルムが擦り切れていて雨が降っていた。寛壽郎の『鞍馬天狗』、市川右太衛門の『旗本退屈男』や『忠臣蔵』だった。
 

 

秋の夜長を楽しむには、せめてパソコンとつないでYouTubeの動画や囲碁ゲームを楽しみたいもの。そんなとき、近所のE子がやってきていうのである、
「あんた知っておる?東京の孫たちとテレビ電話したがや。エラい娑婆になったちゃね~。奥さんとこも、東京や横浜の孫とも話ができるのを知っておる~?」
ボクだってそれくらいは知っていると言おうとしたが、せっかくのあいつの発見である。感心して驚いて見せた。
秋の夜長を読書もいいが、大型テレビで時代劇を観て楽しむのも、また楽しみである。