「奥さんに感謝せにゃならんよ。あんたみたいな、鈍臭い田舎っぺと一緒になろうという人がおったんや。どうやって騙くらかして、ヨメさんにしたがぁ?どうせウソ八百並べて、贅沢させてやるとでも言うたんや、そうやっちゃ!本人は、キムタクのつもりでも、まあいいところ、マツコ・デラックスやっちゃねぇ。ところで、テレビで言うておったわ、二人は、同級生やったんやってよ。」


キムタクとマツコデラックス


近所のE子が興味をもってボクに問いかけたことがある。そんなこと、どうでもいいことである。ただ、言うに事欠いて、口先三寸で、ツレを口車に乗せて結婚したと言われては、黙っておられない。いや、今でこそ、富山の片田舎でくすぶっているが、これでも学校を出て就職したとき、見合い話を持ってきてくれた人がいた。友人の母君だった。調子こいて豪華ホテルに出かけて会ったが、その日のうちにに断りがきた。

よくぞ出かけたものと、45年も経って思い出しても、冷や汗が出てくる。恥の上塗りになるが、その時の様子を書いてみよう。


まあ、言ってみれば、有閑マダムで知られた友人のご母堂のヒマつぶしだった。両方を体よく、とりなしてまとめるという表現に仲人口というのがある。当日、引き合わされたのは、ホテルといっても、ロビーに設えられた喫茶コーナーだった。
「こちら、樫さんと仰って、文学がお好きなんざんすの。今は大企業研究所にお勤めで、難しい研究をなすっていらっしゃるのよ。・・・お嬢様は、女子大で文学が専攻ですって、きっとお話が合うわよ。・・・お二人で散歩でもしていらっしゃいよ。おほほ・・・」

お見合い写真


大企業の研究所に籍を置いていたことは確かだが、なんのことはないコンピュータのプログラマーだった。当時のコンピュータは、和ダンスを10連ほど並べて動く巨大な箱である。インプットと言ったって、パンチカードを並べ替えて、捌いて読ますのだ。米国製のマシーンは、四則演算する統計処理に向いていた、まさにジャンボ算盤だった。世の中ばえらく進歩したものである。あの能力は、今のパソコンの10分の1もない。


伝え聞くところによると、相手のお嬢さんは、高貴な出自だそうで、聖X女子大卒で、ピアノもお琴も相当の腕とか言っていた。それを聞いただけで、下僕か草履もちのような気分になった。しっかりしなくちゃならないと自らに言い聞かせて、緊張した面持ちで、たしか日比谷公園を散歩した、
「樫さまは、研究所にお勤めですから、きっと学術派ですわね。L.モンゴメリーやM.ミッチェルなんか読んでいる私のこと、お笑いになるわよね。・・」


プライドと偏見


「はあ?」
「私って、J.オースティンやブロンテ姉妹ばかり、読んでいますの」
当時、ボクが好んで読んでいたのは、尾崎士郎の『人生劇場』、宇野千代の『おはん』だった。モンゴメリーもミッチェルも、名前すら知らなかった。話がまったく噛み合わなかった。


その日のうちに、先様から断りがあったのは当然である。
「愉快で面白そうな方ですわ。とっても、宅の娘にはもったいない話ですけど、今回は、ご縁がなかったということで、よしなに・・・ごめんあそばせ!」と。

そういっちゃなんだが、嫁に迎えるとしたら、E子のほうが似合っていたに違いない。

コメント(4)