加瀬コムバナー 熱中時間バナー
1 | 2 | 3 | 4 | 5 |最初 次ページ >>
2010-02-10 12:05:51

岸辺

テーマ:桃園川
no river, no life Blog-100207


「さて、この2本の道の違いは何でしょう?」
「こっちは道だキュー!」
「こっちは川だキュキュー!!」
「正解!!!」

杉並区高円寺付近の桃園川流域は本来"桃の園"。それが明治中期の地図ではあたり一面水田マークだらけ。それが1947年(昭和22年)の航空写真ではここの左岸側には今ある道路と同じ分だけスペースがあり、周囲に家が建ち始めている。つまり、関東大震災や戦争を経て、幕末から長閑な田園地帯だったこのあたりが一気に宅地化して行った、ということなんだろう。
それにしても、終戦直後の時点でここにこれだけ幅の広い道があったのは何故なんだろう。ここをもうちょっと下れば環七、でも環七は1964年(昭和39年)開通なのでちと早い。地主さんの捉え方?.....にしてはやけに中途半端な長さ/幅。でも、結果的に高南通りと環七を結ぶ、この間に車を停める人達にとってだけは便利な道になってる。
.....で、昭和初期くらいまでは、きっとここは小さな桃園川を眺めるには絶好の岸辺だった筈.....あ、それかも知んない!。

no river, no life Blog-100208




同じテーマの最新記事
2010-02-09 12:03:20

リアルタイム・エゴイズム7

テーマ:宇田川
no river, no life Blog-100205


「楽しいキュー!」
「キュッキュー!!」
「.....だろ!?」

宇田川遊歩道。オレの生まれてから8歳までの"ホーム"で、代々木に引越してからも友達は皆こっちの方だったので相変わらずホームで、高校生の頃はこのへんに住んでた元同級生とバンドやったりもしてたので、本当にホーム。
1964年(昭和39年)10月の東京オリンピック開催をターゲットに暗渠化された宇田川。あれから45年、もちろん相変わらず暗渠遊歩道。ただ、その景観は変わった。最初は砂利や砂で舗装ナシ、その後舗装してカマボコ型となり、車止め(元・橋)同士の間に様々な遊具が配置された。オレん家の真ん前は砂場とすべり台、元・立石橋(五石橋)を挟んで下流側はジャングル・ジムとブランコ、とかね。幸い元・立石橋(五石橋)を横切る道はNHK側が行き止まりなので車は殆ど入って来ず、この4つの遊具は完全に掌握。そりゃあもう自由自在ですよ。
で、近年の少子化と老朽化による危険性、更にバリア・フリー化などを理由に、2005年(平成17年)に宇田川遊歩道の遊具は全面的に撤去、遊歩道区間である代々木八幡商店街(元・八千代橋)からNHK放送センターの南端(元・深町橋)までが新しく"川の流れを模した"遊歩道へと生まれ変わった。で、その遊歩道区間最下流に、唯一新たに作られた遊具がある。とは言っても、オレの現役時代(笑)のように道のド真ん中にあるんじゃなく、端っこ(元・左岸)にちょこっとあるだけ。まあ早いハナシが21世紀に遊歩道遊具は必要ない、ってことなんだろう。
もうひとつ大きな理由。それは、暗渠化当時の目的が"隠すこと"で、今は"解って貰う"こと.....ま、おかげで解ったけどさ。あったものがなくなってると、いつまでもな~んかシックリ来ないんだ.....。

no river, no life Blog-100206




2010-02-07 12:06:11

島状緑地

テーマ:河骨川
no river, no life Blog-100203


「何してるキュー?」
「.....。」
「ここがどうかしたキュキューか?」
「.....。」

白根記念渋谷区郷土博物館・文学館の"川博士"こと学芸員のT原氏との"濃密な雑談"(笑)によって、代々木山谷からの流れ/春の小川はきっと昔は何本もあったのだろう、という研究を始めたのが1年ちょっと前。都会育ちの哀れなオリンピック・ベイビーは、灌漑用水に利用した以上、水路が1本だけのワケがない、という非常にアタリマエのことを考えもせず、きっと小学校でも習ってるであろうこの常識をようやく理解、慌てて探し始めた。とは言え渋谷はしつこく言ってる通り、1964年(昭和39年)10月のオレの誕生の瞬間.....いや東京オリンピック開催を機に今の姿が完成したと言える街なワケで、オレが生まれた頃からあるものはきっと昔からあるもの、と言う考え方だった。この不可思議な島状緑地なんかまさにそう。
それが、東京オリンピックの際に出来た"オリンピック外周道路"によって取り残された旧道との境目の跡、つまりオレと同い歳だと知ったのもついこないだなワケ。で、ようやくなんで旧道はこんな形でクネクネしてたんだ?と疑問に思い、あらためて地形や過去の地図などを参考に、そしてT原氏編集の"春の小川が流れた街・渋谷"という本を見て辿り着いたのが河骨川"復流路"という概念。もちろん当時それぞれ1本ずつに名前なんかなかっただろうけど、今思えばそれは春の小川そのものであり、オリンピック開催直前に最後に暗渠化された1本だけがホンモノ、という考え方が間違ってることに気付いた。
.....だって、98年前の景色を歌った"春の小川"に、外周道路も小田急線もないもんな.....。

no river, no life Blog-100204




2010-02-04 11:50:27

土の土手(笑)

テーマ:玉川上水
no river, no life Blog-100201


「.....いやあ、コレだよコレ.....。」
「.....寒くないキューか?」
「やせ我慢だキュキュー.....。」

オレの日常の行動範囲内で"土の土手"(なんか書いててヘンだな/笑)と水の流れが見られる唯一の場所が玉川上水旧水路・代田橋~笹塚付近。
非常に穿った見方/価値観なのはおおいに認めた上で、コレぞ"川"。実際には人口の上水路であるにも関わらず、都市河川では3面コンクリート護岸が常識、流路も激しくコントロールされ、しかも洪水被害などに備えてあらゆる設備が付いてる。で、それは逆に現代の都市部を流れる"川"の証し。水が流れて来るからこそ、住宅街に被害が及ばないように工夫する必要がある。では何故ここは"土の土手"などという危険な造りのままなのか.....の答はカンタン、既に役目を終え、川としての機能を果たしていないから。もっと単純に言えばこの部分の水路には既に"上流"が存在しない。なので多摩川が大雨で増水して羽村から新宿まで大量の水が流れ込んで来るかと言えばそんなことはなく、普段は雨水+高度処理水で水路環境のみを保ち、都市部への大雨のようないざと言う際には逃げ道となってくれる。なので、こうして水がチョロチョロと流れていても、所詮は"水路跡"であることは否めない。
.....でもね。ココにいるとイイ眺めなんだ!。

no river, no life Blog-100202




2010-02-03 12:07:26

池尻

テーマ:水の旅
no river, no life Blog-100134


「川だキュー!」
「キュキュー」
「.....と言ってるオレ達は今、池の真ん中におりマス.....。」

世田谷区池尻の目黒川緑道暗渠上。
三宿で烏山川と北沢川を併せた目黒川は、御覧のようにクネクネしながら国道246号線を渡り、開渠となって地上に顔を出す。丁度そのあたりが"池尻"。池尻って地名の由来は読んだまんま"池の尻"で、お隣目黒区には"池の上"って所がある。んじゃ相当大きな池があるんだろうと思うとそうじゃなくて、烏山川と北沢川が合流するあたりが「まるで池」と言っても良いくらいの湿地帯/沼地。ちょっと増水するといくつかの川がまとまってひとつの流れになっちゃうくらいで、龍池とか蛇池とか呼んだそう。昨年の"君の名は"シリーズでも紹介した通り、そんなタイヘンな地形をここに暮らす人々が一生懸命コントロールして共存を目指したが、結局昭和の高度経済成長で汚されて暗渠化。池尻、つまりその湿地帯の尻にあたる場所からは暗渠化を免れ、目黒川として流れているということ。
今この付近を歩いても、確かに窪んだ地形ではあるものの、そんなに水害が多かったとはとても思えない。それだけ完全な宅地化/都市化が成し遂げられたってことは、その地に龍だの蛇だのって池や沼があった、という事実を完全に伝説にしてしまうだけの力を持っている。
少なくとも、今眼の前にあるこのせせらぎ復活水路を見て、池は想像出来ない.....。

no river, no life Blog-100135


1 | 2 | 3 | 4 | 5 |最初 次ページ >>
powered by Ameba (アメーバ)|ブログを中心とした登録無料サイト