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2009-11-21 11:49:04

君の名は#57:ゆずり橋

テーマ:玉川上水
no river, no life Blog-091129


「お先にどーぞ!」
「.....な、なんだキュー?」
「気前が良くて気味が悪いキュキュ~.....」

シリーズでお送りしている"君の名は"、ここでは様々な橋の名前の由来をキューちゃん達と探って行きます。7つ目のカテゴリーは"ワケあり編"。その名に伝説や特殊な由来を持つ橋達を紹介して行きます。

今回は"ゆずり橋"

世田谷区大原2丁目/京王線代田橋駅脇、玉川上水が瞬間的に開渠区間となるポイントに架けられた唯一の橋が"ゆずり橋"。実はこの橋、正式名称は玉川上水1号橋と言い、付近の代田児童館の協力で子供達から橋のデザインを募り、1991年(平成3年)に架けられたもの。それ以前の橋の幅が狭くて皆ゆずり合って渡っていたため、大人から子供へ「ゆずる」という意味合いで付けられた名称。平仮名の橋名は珍しいけど、子供達へ、という理由で納得。不思議なもので、確かに"譲橋"と"ゆずり橋"じゃエライ違いだ。

今は景観のために処理水を流すだけの"役目を終えた"玉川上水と、橋の袂で和田掘浄水場の水を流すために渡る"現役の"水道管が交差。これも役目を譲った.....じゃない、ゆずった結果。
ゆずり橋の下では、今日も子供達の歓声があがってるよ!。

no river, no life Blog-091130




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2009-11-20 12:04:31

君の名は#56:新古川橋

テーマ:渋谷川
no river, no life Blog-091127


「.....どっちだキュー?」
「.....。」
「新しいのか古いのか、どっちなんだキュキュー??」
「.....(汗)。」

シリーズでお送りしている"君の名は"、ここでは様々な橋の名前の由来をキューちゃん達と探って行きます。7つ目のカテゴリーは"ワケあり編"。その名に伝説や特殊な由来を持つ橋達を紹介して行きます。

続いて"新古川橋"

渋谷川下流、港区の古川沿いの街には古川に架かる橋の名がつく所が多い。一之橋から五之橋を初め、天現寺橋、赤羽橋、金杉橋、浜崎橋、そして古川橋。これは川沿いに町が発展して来たことの何よりの証し。
さて、大きな目黒通りを渡る古川橋の、ひとつ上流に架かるこの新古川橋。だいたい、古川そのものが元は渋谷川で、江戸時代に流路変更されて新堀川というお約束のネーミングをされた川が出来て、元々の流路は入間(いりあい)川というらしいが、1927年(昭和2年)までに全て埋め立てられ、現在その痕跡は全くない。で、そっちの使わなくなった方を古い川/古川と呼んだ。当時は一之橋から赤羽橋が古川、その下流は新堀川。それが今度は新堀川が上流部に拡張されて天現寺橋まで来たので、以降天現寺橋から下流をまとめて古川、としたそう。う~ん、結局新しく作ったのに古川って付けられちゃったんだな。ちなみに"麻布十番"という地名は新堀川を造る際に使用された工区の番号で、全部で10個。最後の十番目の「十番地区」が「十番」になって麻布十番だそうな。
で、この新古川橋を通る道はかつて高輪から麻布を抜け、東海道へ繋がるそれなりに重要な道筋。しかし何故か橋がなく、往来の人々はひとつ下流の古川橋へ迂回しなければならなかった。それがようやく道筋に橋が架けられたのが1935年(昭和10年)、既に徒歩で東海道へ、って時代でもなく、新しく橋まで作った意味は若干薄い。
.....そういうワケで新しいのに古川で、新し過ぎて微妙なのが新古川橋。ま、新古混ざって、というところですか。おあとがヨロシイようで.....。

no river, no life Blog-091128


「い、いざ、東海道~!」
「.....電車で行けばいいキュー」
「ひとりで行けキュキュー.....」

2009-11-19 11:46:19

君の名は#55:大向橋

テーマ:宇田川
no river, no life Blog-091125


「いつも賑やなところだキュー!」
「丁度ここから渋谷駅に向って、たくさんの人達が行き交う所なんだ」
「小さい頃はこの辺に住んでいたキュキューよね??」
「そう。小学校がすぐそこだよ!」

シリーズでお送りしている"君の名は"、ここでは様々な橋の名前の由来をキューちゃん達と探って行きます。7つ目のカテゴリーは"ワケあり編"。その名に伝説や特殊な由来を持つ橋達を紹介して行きます。

続いて"大向橋"

渋谷区宇田川町5-1、渋谷区立大向小学校。コレ、オレの母校です。場所は公園通りを登ってC.C.Lemonホール/渋谷区役所の隣、東急ハンズの上。.....ま、何度となく「あんなトコに学校あんの?」と言われ、信じて貰えなかったことの方が多い。ちゃんとありますよ!。現在は1997年(平成9年)の学校統廃合で渋谷小学校(児童会館裏)/大和田小学校(セルリアンタワー裏)と合併し、神南小学校と改名。ちなみに統合前の渋谷小学校は元々現在の東急文化会館跡地(つまり渋谷駅東口前)/宮益橋の渋谷川沿いにあり、我が大向小学校は現在の東急本店/文化村の位置(宇田川松濤支流沿い)にあった。が、東急に土地を売却して今の場所に移ったのはオレが生まれた1964年(昭和39年)、直前までワシントンハイツだった所で、終戦までは陸軍刑務所。学校のすぐ脇に国木田独歩、竹久夢二の住居跡がある。"大向"は地域名で、そういうワケだからオレが通った現在の位置は大向ではなく、元々あった東急本店のあたりが大向。ちなみに文化村のあたりは東京帝国大学(現在の東京大学)教授・上野英三郎先生の御宅があった所.....早い話が、忠犬ハチ公のおウチ。ここから渋谷駅まで上野教授を迎えに行ってたんだな。

さて、"大向"。

-江戸時代から明治にかけて、道玄坂の冨士講・吉田家に不幸があると、江戸中から講中が道玄坂下に集まって野辺送りをした。近くの墓地に埋葬が終わると、施餓鬼供養に使った蓮台で新たに橋を架け替えていた。あたり一帯は深町田園/宇田川田園、そこで一体を"お迎え田んぼ"と呼び、橋を"お迎え橋"と呼ぶようになった-

.....ナルホド、"お迎え"が"大向"になったワケだ。現在"神山ストリート"とか呼ばれてる道はオレの記憶でギリギリ"大向通り"。考えてみれば、ハチ公だって"お迎え犬"。でも現在は宇田川暗渠沿いに大向保育園と区民会館/敬老館が残るのみ。引越した小学校も名前変わっちゃったし、既にこのあたりが大向地区であるという認識はないに等しい。ま、オレとオレの母校の卒業生達にとっては全ての出発点みたいな場所。

no river, no life Blog-091126




2009-11-17 11:35:46

君の名は#54:長者第一號橋

テーマ:神田川
no river, no life Blog-091123


「.....また長者さんだキュー」
「キュキュー.....」
「.....。」

シリーズでお送りしている"君の名は"、ここでは様々な橋の名前の由来をキューちゃん達と探って行きます。7つ目のカテゴリーは"ワケあり編"。その名に伝説や特殊な由来を持つ橋達を紹介して行きます。

続いては"長者第一號橋"

神田川笹塚支流。杉並の和泉に始まり、渋谷区笹塚~幡ヶ谷~西新宿と流れて来て、最後は神田川本流へと合流。そのポイントの上流には長者橋、下流には淀橋。つまり、このあたり一帯は前回前々回の主人公・鈴木九郎さんが開拓した所。こんな小さな支流にも、その影響はしっかり残っている。ちなみに合流直前/最下流の橋は長者第二號橋、この長者第一號橋はそのひとつ前の橋。現存の橋の完成は1938年(昭和13年)。付近には今でも"淀橋町会"の文字が残り、暗渠遊歩道そのものも1964年(昭和39年)当時のまま。進む開発を前に、風前の灯火となった昭和の風景が広がる。
まあね、今出来ることっつったら、殺された下僕達の成仏と、九郎さんと小笹ちゃん親子が一緒にこの地を見守ってくれてるとイイなあ、ってとこだね.....。

no river, no life Blog-091124

2009-11-16 11:28:49

君の名は#53:淀橋

テーマ:神田川
no river, no life Blog-091119


「♪まーるい緑の山手線~真ん中通るは中央線~新宿西口駅の前~カメラはヨッドバシカッメッラ!」
「聴いたことある歌だキュー!」
「電気屋さんの歌だキュキュー!!」

シリーズでお送りしている"君の名は"、ここでは様々な橋の名前の由来をキューちゃん達と探って行きます。7つ目のカテゴリーは"ワケあり編"。その名に伝説や特殊な由来を持つ橋達を紹介して行きます。

今回は"淀橋"

ま、かのヨドバシカメラが新宿区淀橋の発祥なのでその名がついた、ってのはさすがに皆さん既にご存知かも知れない。現在の西新宿は1970年(昭和45年)までは新宿区淀橋だったところ。淀橋浄水場も同様、青梅街道を渡る神田川の橋名が町名の由来。
で、この淀橋は元々は別の名前だった。その名は"姿見ずの橋"、またの名を"面影橋".....ん?、何処かで聞いたハナシだな?。ああ、"君の名は#18・面影橋"@神田川だ。確か歌人・在原業平が水面に姿を映したとか、於戸姫が自分が美し過ぎて罪だから入水したとか.....でもアレって早稲田じゃなかったっけ??。
.....実は、前回の中野長者橋登場の鈴木九郎。彼の悪業のひとつがこの橋の名に隠されている。

-中野長者として大富豪となった九郎は自らの財産を隠すため、下僕を使って夜な夜な財宝を人気の少ない武蔵野の原野へと運んだ。その帰り道、秘密漏洩を恐れた九郎は橋の上で下僕の気を逸らし、隙をついて刀で斬り殺し、眼下の川へ流した。この行為は10回にも及ぶとされる。これにより、行きはふたり/帰りはひとりしか渡って来ないこの橋を人々は姿見ずの橋/面影橋と呼んだ-

no river, no life Blog-091120


.....あ~あ、なんてことを。そりゃ愛娘も蛇になっちゃうよ.....。で、こんな名前じゃあまりにも縁起が悪い。花嫁行列はこの橋を避けて通るし、渡ったら帰って来れないとかいう変な伝説出来ちゃうし。こりゃ改名しなきゃイカン。で、

・その話を聞いた三代将軍・家光が「不吉じゃ!」と名称変更を提案、京都・城山の淀川に似ていたから淀橋
・そんな話は知らない家光がなんとなく水が淀んでいたのでノリで淀橋
・豊島郡と多摩郡の余戸が暮らすところだったので余戸橋→淀橋
・中野/柏木/本郷/角筈の四戸で四戸橋→淀橋


.....う~ん、もうどれでもイイや(爆)。だいたい、元はと言えば金に目が眩んだ九郎さんが取り返しのつかないことをして、その代償はあまりにも高く、愛娘を失うほど。結果改心し、その後の人生は地元の人々のために尽くしたっていう.....なんだか本末転倒な由来。しかし、金持ちになんかなるモンじゃネエな.....いや、なったらなったでいいケドさ(爆)。

no river, no life Blog-091121


「さ、次の橋に行こうか!」

no river, no life Blog-091122


「.....消えたキュー」
「やっぱり姿見ずの橋だキュキュー.....」



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