2009-05-02 06:43:46
「こころの科学」の対人援助職のメンタルヘルス特集より(1) 松木先生のエッセイについてetc.
テーマ:ブックレビュー
やっと、この雑誌、
の特集記事、「対人援助職のこころの健康」の部分についての具体的な感想を書いてみようかと思う。
(実はGWに入るまで、ほとんど斜め読みすらできないままでいたのだ
)
この特集には、心を病んだ対人援助職の人は治療に専念すべきだとか、辞めるべきだとか、ましてや、そうした経歴がある人が対人援助職につくのは望ましくないとか、そんな類のつまらないことは、ほとんどどこにも書いてない。
極めつけは、次の、松木邦裕先生の言葉かな。
「それにしてもなぜ、このような精神分析的行為を私たちがおこなおうとするのか、おこないつづけるのか。それは治療者になっていることそのものが、逆転移からの行動化であるからなのである」
(「思わしくない仕事でのこころの健康」 p.588)
・・・・・ここで、松木先生はただ開きなおってているのではなくて
臨床家を志したすべての者の中にある、苦しげな、引き受けざるを得ない、業(ごう)というか、宿命として、身をよじりながら語っておられるという気がする。
この業(ごう)から自由な、そんな仙人みたいな療法家なんていないでしょ? 自分の目のうつぱりを取らないうちに、他のカウンセラーの目のゴミを取ろうとしないことね、みたいな。
師匠は、
「この松木先生の文章、短さの割には、ビオンとウィニコットを背景にもつ松木先生らしさが、ここまでストレートでコンパクトに書かれているものは珍しいかも」
って、いたく感心していた。
・・・・この本のエッセンスが、わずが6ページに圧縮されていて、この本で読むよりよりわかりやすいとまで言ってた( ̄□ ̄;)
例えば、師匠は次のように解説してくれるわけだ:
「治療者はクライエントのこころに憎しみや傷つきを見出し、その実は内的に堅く引きこもり、情緒的なかかわりを抑止する。一方表面的には、クライエントの抱く憎しみや悲しみに善良な好意を能動的に表現する。(p.585)」
師匠:↑これ、クライエントさんの発言に動揺して、すでに自己一致できなくなって、偽の受容・偽りの共感的応答をしてしまってる状態。
「クライエントは、クライエントが予想した反応を表さないことに著しく動揺する」
師匠:↑クライエントさんは、治療者が当惑したり心配したり怒り出すことを予想していたからね。
「治療者の平穏さの裏に、何か重要な真実が巧みに隠されていると思う。何かが偽られていると感じる。
この何かとは、クライエントが無意識的に言い抱いている転移性の人物像がその内に含んでいるものである。
彼/彼女はそれを治療者の中に見出そうと躍起になる」
師匠:↑こうして、治療者は、クライエントさんから、いよいろ思いもよらない人物像だとか、人間観や見解の持ち主として突如決め付けられてしまうという災難に耐えるしかなくなる。
もっともそれは、治療者側が偽の共感と受容の中で自ら蒔(ま)いた火種あってのこと。 ただし。これこそが転移空間の中での治療者=クライエント体験。
治療者は、これに傷つき、耐えて、冷静さを維持しつつも解釈を返さねばならないことになる。
・・・・・・だってさ
*****
ただ、みちる的に、この雑誌特集全体で物足りないところを言えば、カウンセラーや臨床心理士が、自ら薬物療法を受容していくってことに関する、はっきりとした言及がほとんどないことかな
このことって、実は、positiveにもnegativeにも、すごい経験で、心理療法家としての姿勢にものすごく影響する(影を落とす)はずと思うから。
私の知る範囲でもそう。
これをきっかけに、カウンセラーとしてのカウンセリングのスタンスに力みが消えて、やっといいあんばいでクライエントさんとなつがることができはじめるぐらいな人もいる。それまでの余計なプライドの空回りみたいなのもなくなって、等身大、自然体になる。でも、それまで学んできたことが、頭でっかちではない経験値として生きはじめる人たちっていうのかな。
その一方には、それまでの、心理療法への熱い思いが一気に醒めてしまうカウンセラーもいる。薬が役に立っても、副作用で苦しんでも、どちらの場合にもね。
みちるも、心理療法も薬物療法の関係を、まるで映画音楽にオケもシンセもなんでもありで使われるのと同じくらいのことだと思い始めた。使えるものは使う。でも、使い手(お医者さんやカウンセラー、そしてクライエントさん自身
)の意識次第でこのコラボは活きもするし、効果を打ち消しあう場合もあるってこと。
*****
次回は、この特集の中の、北山修先生の、「夕鶴」問題についてのエッセイ(「はかない」についてのもの) と、乾吉祐先生(この先生を迎えた事例検討会って、必ずハイ・クオリティになるの。常々尊敬いたしておりマス)のエッセイについて触れたいなと思ってます。
- 臨床心理学 (第6巻第5号)対人援助職のこころの健康
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の特集記事、「対人援助職のこころの健康」の部分についての具体的な感想を書いてみようかと思う。
(実はGWに入るまで、ほとんど斜め読みすらできないままでいたのだ
)この特集には、心を病んだ対人援助職の人は治療に専念すべきだとか、辞めるべきだとか、ましてや、そうした経歴がある人が対人援助職につくのは望ましくないとか、そんな類のつまらないことは、ほとんどどこにも書いてない。
極めつけは、次の、松木邦裕先生の言葉かな。
「それにしてもなぜ、このような精神分析的行為を私たちがおこなおうとするのか、おこないつづけるのか。それは治療者になっていることそのものが、逆転移からの行動化であるからなのである」
(「思わしくない仕事でのこころの健康」 p.588)
・・・・・ここで、松木先生はただ開きなおってているのではなくて

臨床家を志したすべての者の中にある、苦しげな、引き受けざるを得ない、業(ごう)というか、宿命として、身をよじりながら語っておられるという気がする。
この業(ごう)から自由な、そんな仙人みたいな療法家なんていないでしょ? 自分の目のうつぱりを取らないうちに、他のカウンセラーの目のゴミを取ろうとしないことね、みたいな。
師匠は、
「この松木先生の文章、短さの割には、ビオンとウィニコットを背景にもつ松木先生らしさが、ここまでストレートでコンパクトに書かれているものは珍しいかも」
って、いたく感心していた。
- 分析空間での出会い―逆転移から転移へ/松木 邦裕
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- Amazon.co.jp
・・・・この本のエッセンスが、わずが6ページに圧縮されていて、この本で読むよりよりわかりやすいとまで言ってた( ̄□ ̄;)
例えば、師匠は次のように解説してくれるわけだ:
「治療者はクライエントのこころに憎しみや傷つきを見出し、その実は内的に堅く引きこもり、情緒的なかかわりを抑止する。一方表面的には、クライエントの抱く憎しみや悲しみに善良な好意を能動的に表現する。(p.585)」
師匠:↑これ、クライエントさんの発言に動揺して、すでに自己一致できなくなって、偽の受容・偽りの共感的応答をしてしまってる状態。
「クライエントは、クライエントが予想した反応を表さないことに著しく動揺する」
師匠:↑クライエントさんは、治療者が当惑したり心配したり怒り出すことを予想していたからね。
「治療者の平穏さの裏に、何か重要な真実が巧みに隠されていると思う。何かが偽られていると感じる。
この何かとは、クライエントが無意識的に言い抱いている転移性の人物像がその内に含んでいるものである。
彼/彼女はそれを治療者の中に見出そうと躍起になる」
師匠:↑こうして、治療者は、クライエントさんから、いよいろ思いもよらない人物像だとか、人間観や見解の持ち主として突如決め付けられてしまうという災難に耐えるしかなくなる。
もっともそれは、治療者側が偽の共感と受容の中で自ら蒔(ま)いた火種あってのこと。 ただし。これこそが転移空間の中での治療者=クライエント体験。
治療者は、これに傷つき、耐えて、冷静さを維持しつつも解釈を返さねばならないことになる。
・・・・・・だってさ

*****
ただ、みちる的に、この雑誌特集全体で物足りないところを言えば、カウンセラーや臨床心理士が、自ら薬物療法を受容していくってことに関する、はっきりとした言及がほとんどないことかな

このことって、実は、positiveにもnegativeにも、すごい経験で、心理療法家としての姿勢にものすごく影響する(影を落とす)はずと思うから。
私の知る範囲でもそう。
これをきっかけに、カウンセラーとしてのカウンセリングのスタンスに力みが消えて、やっといいあんばいでクライエントさんとなつがることができはじめるぐらいな人もいる。それまでの余計なプライドの空回りみたいなのもなくなって、等身大、自然体になる。でも、それまで学んできたことが、頭でっかちではない経験値として生きはじめる人たちっていうのかな。
その一方には、それまでの、心理療法への熱い思いが一気に醒めてしまうカウンセラーもいる。薬が役に立っても、副作用で苦しんでも、どちらの場合にもね。
みちるも、心理療法も薬物療法の関係を、まるで映画音楽にオケもシンセもなんでもありで使われるのと同じくらいのことだと思い始めた。使えるものは使う。でも、使い手(お医者さんやカウンセラー、そしてクライエントさん自身
)の意識次第でこのコラボは活きもするし、効果を打ち消しあう場合もあるってこと。*****
次回は、この特集の中の、北山修先生の、「夕鶴」問題についてのエッセイ(「はかない」についてのもの) と、乾吉祐先生(この先生を迎えた事例検討会って、必ずハイ・クオリティになるの。常々尊敬いたしておりマス)のエッセイについて触れたいなと思ってます。






1 ■乾吉祐先生
乾先生のメルアドを探してて辿り着きました。
もう25年以上も前になると思いますが、川崎の武田病院というボロ病院(でも患者はハイソが多かった)で乾先生から分析を受けていました。
最初はいきなり慶応へ小此木先生を名指しで分析を受けに入ったのですが、半年待ちだと言われ、仕方なく乾先生の分析を受け始めました。
そう言えばジーンズ姿の北山修先生も外来を受け持ってましたね。
当時の乾先生の分析は、切れ味が鋭くズタズタにされましたね。
後にも先にも彼以上に知的なカウンセラーに出会ったことがありません(当然?)
それ以来、彼が私の中のカウンセラーの基準となってしまい、その後に出会ったカウンセラーが悉く屁みたい(失礼!)だったのは仕方がなかったんですね。