アレルギー?
最近、やたら目だの顔だの鼻だのが痒くって。
いつも瞼がはれぼったい。
どよーんとしちゃって、こりゃーなんかのアレルギーに違いねぇと思って職場で、「私、もしかして猫アレルギーかも?」って言ったら普通に失笑されました。
そして母にはハウスダストだろといわれました。
……やはりそうか。
もう少し真面目に掃除せねば。
ストレスが溜まると何かしら無性にお買い物したくなる困った病の持ち主なので。最近どーーーーーっもお買い物したくてたまらん。って言うか何やかんやで懐の寂しいときにかぎって好みのものを発見してしまうのも困った病の一つかしらっ。
探しているときにはなくて、懐の苦しいときにばかり探し物が見つかる。
探すのをやめたとき見つかることもよくある話でって歌詞の通り過ぎて悲しい。
しかし仕事は毎日楽しいし(体力的にはかなりキテるけど)、遣り甲斐もあっていやー、安易にやめちゃわなくて良かった良かったと改めて実感してるのに(なんか軽く前部署に舞い戻る気配だけど。今度はヘルプで)、何でストレスなんかたまっちゃうんだろう?
……原因は仕事じゃないんだなぁ。うん。きっとそうだ。
どうしたもんだ。
今日は仕事帰りに昨日抜歯した傷跡の消毒に行き、その後で、大叔母に頼まれていた犬の薬をもらいに行く。
薬の出来るのを待ちつつ、里親募集だの尋ね犬だのの張り紙を読んでいたら、なんとCT設備が整ったぞ!との張り紙発見。去年の4月らしい。
もしも、もしも里宮が生きていた頃に、この病院にCTがあったら……。
と、思わず考えてしまった。
全身麻酔のリスクを犯してでもCTを撮っただろうか?
もしも、こんな身近にあったら。
診断は間違いなかっただろうし、結果は同じだっただろうけれど。
里宮が死んでもう3年も過ぎている。
里宮がいた頃から、猫の数は倍になったし、里宮が一緒に過ごした子はもう叶愛しかいない。
10匹の猫に囲まれた生活は楽しいし、とても幸せだけど。
里宮にあげた心の半分は、まだ戻っていないし。
里宮が空けて行った心の風穴は、まだ塞がっていない。
今でも毎日、里宮を恋しいと思うんだけど。
それが更に強まった今日、出会った本。
「ペットたちは死後も生きている」(ハロルド・シャープ/日本教分社)
亡くなった子たちを懐かしく思い出し、愛しく思うとき、その言葉や思いが天国のあの子たちの体や喉をなでる手になっているんだと何時も思う。その通りのことが書いてあった。
里宮が生きていた頃、私は毎日、里宮にべたべた触っていたし、四六時中抱いていた。
だから私が毎日里宮を思い出して、優しい言葉をかけるのも、当然のこと。
きっと里宮にとっても、そうしてもらうことが当たり前で、里宮が欲しているからこそ私は里宮を今も愛しく思うんだ。
いつか私が84歳くらいになってあの世に行ったとき、26匹……もしかしたらそれ以上の愛した猫たちに囲まれて過ごすことが出来たら、それはとても幸せなこと。
「虹の橋
」はきっとある。