ここでいうまともな生き方とは、仕事と育児、それに付随する社会活動でまずエネルギーの大半を消費するという、ど真ん中の生き方だ。そして仕事は、まっとうであり、それをすることが社会に寄与するもの前提で話を進める。数ある例外は例外としておく。一般論ではなく、自分の話だからだ。



 聖書の思想は相対的に尊重されるべきものだ。歴史の重みは正しく受け止めるべきだ。私は意志を持って生きるために組織を出た。能力の限界まで使ってみたかった。しかし生き方がまず分からず、心底嫌な事を経験してからようやく、どういう毎日を過ごしたいか、どういう方向性の生き方をしたいのかはっきりとした。景山民夫がどこかの本で『青春はしたいことよりもしたくないことを見つける経験で、その方が成長に寄与する』というようなことを書いていたが、読んだ中学生か高校生の頃は、そういうものかー? としか思わなかった。20年経った今はそれが正しかったと分かる。そして同時に、もっと早くそういう体験をすべきだったと思う。



 兄、姉は初めからエホバの証人にならなかった。年の離れた私だけ、母は体内にいる時から、エホバの証人にすると無茶苦茶に固い意志を持って決めていた。(公平を期すためにあらかじめ最初に書いておかねばならないが、母が浸礼を受けていなければ、おろされていた確率がある。そして私は、それを小さい頃から聞かされていた)
 

 母には幼少期から軽い障害があった。母はそれが癒される世界を心待ちにしていた。私は子どもの頃から、母の助けになるために(神の期待を持って)産まれて来た、と周囲中から言われて育って来た。父も、母も、会衆中のすべての人も。自分のために生きなさい、という人にはあった事が無かった。(あったかもしれないが、聞こえなかった。兄も姉も失敗だと母から聞かされていた)
 13歳でバプテスマを受けて以来、中高では年に6回60時間の補助開拓をし、卒業したら開拓者のコースが当然と思い込んでいた。
 高校3年の夏休みに、偶然日本支部委員の息子たちに学歴があるのを知り、固く押さえつけていた大学受験の願いが爆発した。その後補助開拓を休み、未信者の父に頼み込み、ひとつ地元の国立を受験した。合格したはいいものの、また補助開拓を再開し、思想のギャップに苦しみ、結局無駄に過ごして、家庭の経済状況が悪くなったのを機に中退してしまった。祖母を介護し、両親を助け、老いていく会衆を助け、経済的にはとても本物の自立を望めない人生を送らなければならないが、それを全くしたくない事に気がついてしまい、しかもそれを認められなかった。せっかく大学という環境にいられたのに、政治経済から世界史や生物まで、正しい知識、教養を得てしまう事自体を、身体の奥が拒否していた。すべてはもうじき終わる、と産まれた時から教育されていた。大学の同期はサークルに恋愛に勉強にバイトに若い時間を存分に使っていて、その努力がその後の人生につながる思っていたし、無意識のうちに平均寿命を生きると思っていた。私にとっては、開拓者という現実の前の、夢のモラトリアム期間だった。世界が違いすぎた。みな、自分のために生きていた。そこから自分の人生に責任を持ち、派生して周囲の益になる事をしていた。そして私は、自分のために生きていないがために、むしろ何もなせなかった。私は小説ばかり読んで逃避した。今から思うと、大学入学の時点から、しょうもない負け癖がついた。



 以下に、心底自分が嫌になった経験を二つあげる。



 今から、10年前の事だ。2004年。世の中は今からでは考えられないような不況だった。
 そのとき26歳だった。
 その頃、よく布団の上で布団をかけないまま、天井を見上げて、声を殺して泣いていた。辛すぎてあまり覚えていたくないが、忘れきる事も難しい。

 24歳の頃から集会に行くのを辞めていた。中退後就職したが、その後ブランクがあり難易度の高い資格もなかったので、正社員の面接は次々落ち、バイトで糊口を凌いでいた。それもあまり意味を見いだせず、次々続く失敗に、しだいに身体もあまり動かず、あまりちゃんと働けなくなっていった。聖書と組織の思想を否定できず、立ち向かえず、失踪同然に部屋を引き払って住所を変えていた。非常に落ち込んでいた。医者にも相談したが、病気でなく単に難しい問題に苦しんでいるだけなので、苦しさはどうにもならないと言われた。(眠れないとか意欲がわかないとか頭が子どもの頃に比べて全く働かないとか摂食障害だとか人ごみで過呼吸を起こすとか相談すべきだったが、結果的に薬に頼らずに、環境を変えていくという根本治療が出来たのは幸いだった)
 その日、とくに金が無かった。日曜日の試食販売のバイトの帰り道、週払いの給料を火曜日にもらいにいく交通費を差し引くと、途中から子ども料金しか払えなかった。その数日前、数千円を過食でじつにしょうもなく消費していた(当然吐いた)。今夜と明日は水を飲んで寝て過ごそうと思った。キセル乗車は犯罪である。びくびくしていた。だが、新宿駅の乗り換えのさい、乗り換えの出口に慣れておらず、ぼうっとした頭で、私は当の子ども料金の切符を窓口に出して『乗り換えはどこの改札ですか』と尋ねてしまった。まだ10代とおぼしき駅員は、切符を一瞥し、血相を変えた。
 駅員室の奥に通された。落ちるとこまで落ちた、と私は思った。その若者が、私を汚いものを見る目で見て、本気で怒って罵った。こいつらのせいで家族のいる××さんがリストラされたんだ、こういうやつらのせいで採算が取れないんだ。そんなことを言われた。不況下の理不尽の原因を、確かに私は担ってしまっていた。罵られて当然だったし、むしろ警察に突き出してほしかった。社会の寛容をこのような形で試した事が本当に申し訳なくて、まともに人の顔を見れなかった。熟年の駅員は若者をまあまあとなだめた。
『あなたもそろそろ母親になる年齢でしょうし、子どもに正しい教育をしなくちゃいけないでしょう。こんな事をやっていて、ちゃんとしたお母さんになれますか』
 肺腑に突き刺さってこたえた。結婚の予定など無かったし、ままごとのような手しか握った事の無い付き合い以外、異性とつきあったことなどなかった。10代の駅員はこんなことをする女が母親とか勘弁してください本気で叫んだ。泣いたらいけない、こんな状況で泣いたらまるで社会の底辺層によくいる面の皮の厚いやつの芝居じゃないか、そう思ったが、泣けて来た。年若い人にどうしようもないものを見せて本当に情けなかった。念書を書いて解放された後、帰宅後、布団の上で、惨めで泣いた。積み重なる税金の督促状。つまらない生活費のための借金。もう若くない。摂食障害。何も出来ないで何も手にしないで死ぬんだと思った。子どもの頃、25歳は、きっとすごく大人ですごくちゃんとした生活をしていて、周りに与える生活をしているんだと思っていた。どうして人生がこうなったのか分からなかった。
 まだ大学生だった頃、会衆の70近いある独身の姉妹の話を良く聞いた。姉妹は孤独で、私は時々その孤独に邪魔して、何時間も話を聞いた。あるべき理想を姉妹は語り、しかし老後の不安も多く口にした。小さい頃から、いろいろな老人達や障害を持つ会衆や巡回区、地域区の人の話を聞いた。彼らの理想。痛切な重すぎる問題。家族から社会までの問題。世紀末の頃、神を待つにじれて、私は、その70歳近い姉妹に、姉妹も住めるような老人施設を作りますから、きっと作りますから、と言った。姉妹は、死ぬ前に迎えに来てね、安心だわ、と言った。
 それから5年。

 犯罪者になるのは簡単なことらしかった。たった200円もない額でなれるのだ。

 なんというままならない現実。

 こんな自分は嫌だ。こんな環境は嫌だ。本当に汚らわしかった。
 この日がどん底だ。そう決めた。


 今から振り返って思う。
 恥ずかしいやつだ。生きてるだけで社会のお荷物、生きてるだけで社会の負債。全部甘えで、どうすれば人間としてお互い……社会対自分……気持ちよく生きられるかまるで分かっていなかった。(おそらく10歳から15歳で始まる青春期に、まずは徹底して自分のために生きないと、自分を確立できないのだ。そして、確立した自分を持って、社会との折り合いを、普通は20歳までか25歳までにつけていくことを)


 遅きに失したが、多少やる気を取り戻し、26歳から4年かけて喘ぎながら借金を返し金を貯め、30歳で結婚と同時に医療系の専門学校へ通い始めた。3年通ってとった資格は柔道整復師。開業すれば、食いっぱぐれないだろうと思ったからだ。(18の自分は、いざ受かった国立大など心底無価値と思っていたが、33でずいぶん苦労して自力で後生大事にとったのは、そこから比べるとたいした事のない資格であった。)




 二回目に心底嫌になった経験は5年前のことだ。専門学校在籍中の経験である。学校ではない。JWではない。JWは、現在に至るまで、もし訪問があれば、家に入れ茶を出し、JW的な世間話をし、事情を誠実に話して15分ほど休んでいただいてお帰りいただいている。明確なJWには、少なくともルールが通用する。ルールがある上での、人間的に尊敬していても交流できない、という状況はまだしも分かりやすく、それは悲しみを伴うかもしれないが、少なくとも無茶苦茶ではない。


 詳細は全てブログに残っているので割愛するが、JWRTKなるものを企画しその途中で元JWとの間にトラブルがあった。記事は炎上した。コメント欄はだいたい決まった数人のIPアドレスによって代わる代わる荒らされた。この世の、とくに人間同士の事象に人間以外の入り込む余地など無いのだと、怖いのは人間の悪意なのだと、そして骨の髄にしみこんでいた、自分を含めとくに兄弟姉妹と一度でも名のついたものはイエスの足跡に倣ったいい人間である、というふわっとしたお花畑思想が、骨の髄ごと破壊された経験だった。
(エホバの証人だった頃は、そんなに嫌な思いをした事は無かった。自分がいろいろ足りなくて申し訳ないとはよく思ったが)


 今振り返ると、たしかにあの頃の自分は唾棄すべきだ。誤解などされて当然、痛い目に合うのも当然、それで済んだ事が幸いであった。STAP細胞のファーストオーサーように、あまりにも何も分かっていなかった。(小保方さんを見て、JW……とは言わないがカルト的な、科学者であるにもかかわらず先に絶対的に信じた構造と、学部修士博士と経験すべきときに経験しないで年齢を重ねる事の悪影響思ったひとは、案外多いのではないか。悪意なき未熟、ずさん……あまりに気の毒なことだった、日本にとっても、本人にとっても)
  

 しかし、まさか、元JW、が。
 
 直接的な原因は単純明快、JWを脱出後、地位を高く築いた人間と接触し『謝らされた』という怨嗟である。直接その対象に向かえなかった感情、それが、<JW内では>絶対的に下であった女性、私に向かって、潰そうと火を噴いた。冗談みたいなことだが、それが実際に、様々な欲望、様々な感情の噴出とともにはっきり出ただけである。はっきり言えば、彼らは、そしてそのシステムに適応した女性自身も、女性を男性と同じ人間と見ていない。無意識的に深く曇らされた目によって、性か母としてからしか<女>を見れないのである。


 この平成も四半世紀経った世に、100年遅れた世界観である。ただし私は、あの件によって、まいけるさんの仰った『そんな本当に嫌な目に遭わされたならばする反応』によって、それを許さない。怒りはない。ただ、結果的に片棒を担いだ自分ごと許してはならないし、忘れない。二度と会いたくはないし、そういうのをJWの組織で育ったためだとは、二度と言及しない。被害をいいわけに使うと恐ろしいほどろくでもない事が分かったからだ。組織を出る。痛みがある。当然である。どこの難民も、どこの戦争被害者も、どこの機能不全家族で育ったものも、痛みがあるのだ。生き直せるならばマシである。JWで育った事は、変わった異邦での育ちであるだけであり、特別な事など何もない。脱出先が現代日本であるだけマシである。個人の資質と、時間の使い方にスタンスをとる。


 ほとんど残っていない、当時盛んだった彼らのブログ。人生はリセットできるほど、そんなに簡単なのだろうか。彼らが語っていた夢、学歴、起業、資格取得、彼らは叶えているのだろうか。(関心はない)


 あれから5年、良識ある日本人、責任ある中産階級、教養ある社会の一員とはなにか、それになりたいと思って生きて来た。私は人間である。善悪入り交じった人間である。だからこそ、真っ当でありたい。ひかりの差すところで気持ちよく生きたい。組織を出たのは究極的に言えば人生においていい仕事をするためであって、それが出来る環境になったのだから恨みも何も無いのである。家族と仕事。そこにエネルギーをつぎ込めればいい。ただのDNAのせいにすぎないのかもしれない。両親の系譜が単に真っ当な生き方をしたからにすぎないのかもしれない。信用を第一にしろ、いい仕事をしろ、何か出来るようになったなら明日もっといい仕事をしろ、そうスイッチの入ったDNAがせきたてる。家事、育児、もてなし、職業、ライフワーク、趣味、すべてにおいて。(自分以外の他者が見るもの、それは私にとってはすべて<仕事>である)私の意思が今日の私を作り、今日の行動が明日の自分への道を作る。何年も立てば、振り返れば道があるんだろう。そんな分かりきった事を、経験しないと分からないのだから、なんとも賢い方ではなかった。



 子どもが産まれてから、ようやく人類史と社会に肌身を持って参加した実感を得た。また、社会の優しさをさらに感じた。私は結婚を諦めていた。進学も就職もせず、自己実現も何もできず、両親をみとって35歳くらいには死んでいるだろうと16歳の頃本当に信じ込んでいた。楽園は来るのはいいが、社会に自分より良い人間がたくさんいるのだから、エホバの証人でないというだけの理由でその人たちが死ぬならば自分が生きられるとは全く思えなかったし、むしろ楽園が来る暁には死ななければ申し訳ないと思っていた。



 36歳になった。自分が思っていた寿命を越えた。家族がいる。僥倖である。私にとっては、もう人生は十分に手に入れた。だから、もう社会のお荷物だった人生前半の負債を、全て返していきたいのだ。社会の歯車になるのであれば、時代にあってしかも長続きする、人に必要とされる幸福な歯車を作りたい。



 あの姉妹は、まだあの会衆におられるだろうか。




 それが私の原動力だし、今後の動機である。勝手である。とくに理解は求めない。




 2004年から10年。10年という時間。




 私は能力は、ほしい程には無い。けっして、学部東大に入る能力は無く、自分一人ですべて自分の問題を解決できる能力など全くない。若さも無く、体力も無い。間違いはたくさんする。友人を失った事も何度もある。その統治したいと思って出来なかった約束の数々。結果的な不誠実。私は機転が利く方ではなく、不器用だ。鈍臭い。だが、次は成し遂げる。


どこにでもいる人間が残りの人生、まっとうな仕事をしたいと望む。どこまで出来るか楽しみだ。
AD