カラカンのブログ

カラカンのうんちです。
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一昨年から昨年にかけて、ラジオやブログを通して大喜利についての話をぽつぽつとしていた。基本的な思いとしては、大喜利について話すということを開放的にしたい、というものであったが、結局それは失敗してしまった。その理由は端的に僕の力の無さだが、当時考えていたことを書きながら、今この記事で何をしようとしているのか、もしよければ理解していただきたい。自分で振り返った自分のことであるがゆえ、言い訳や自己正当化も入り込みうるが、極力僕にできる限りの誠実さで書いていきたい。

 

まず上にあげた「大喜利について話すということを開放的にしたい」というところで、意図していたことは、なるべく多様な大喜利についての語りを肯定したいというものであった。肯定といってもそれは、内容の肯定ではなく、語るという行為そのものの肯定である。例えば大喜利の強い人しか語ることが許されない、もしくは理論武装しないと語ってはいけない、というような考えに対して反対したかったのである。そのため、それほど大喜利に熱中していない、かつ、強くもない僕が話すということが一つの誘い水になるかもしれない、と考えたのだった。放送中にも意図的に、そうした大喜利に対する愛着の無さを強調するということが度々あった。だからといって数字的にみても大喜利を頻繁に行っていたわけでは当然なく、ここで大喜利愛の証明をしたいわけではない。むしろ、そうした愛や熱中度に相関して大喜利を語るという行為が許されるのであれば、先にあげた理想と反してしまう。そうした意味でも、反大喜利でも大喜利を語りうる、という極端な場の設定をしたのであった。

 

けれど現実問題として大喜利についての話をソフト面とハード面にわけるのであれば、ハード面については、そこで話題となっている問題を並行的なほかの事象を思い浮かべることで対処できるのに対し、ソフト面の問題は、端的にそれまでの見聞きした量がものいう世界であり、僕のような立場の人間ではできない、という難点があった。何の前提もなくソフト/ハードという言葉を用いてしまったが、ソフト面とは大喜利の内容についての議論、たとえば「票をいかに取れるか」や「こうしたお題にはこうして答えろ」といったものであり、ハード面とは「各サイトごとの特色」(※実際はこのときも投稿されたボケやお題の確認は必要だが、基本は投稿時間や投票方法などサイトの構造に関わる問題として理解してほしい)や「コミュニティ論」などである。また、ボケAが面白い理由をお題や文面といった内的な関係ではなく、面白さという本質がある(本質主義者)、もしくは共同体によって面白さは変化する(共同体主義者)といった一段メタな議論となると、ハード面となる。そうしたソフト/ハードの区分をしたうえで、僕にはできないソフト面の話ではなくハード面での話をこれからしていきたい。

 

ここからが、この記事自体の目的である。

まず、この記事では、三つ巴さんの大喜利についての話題を僕が僕なりに再編集する。いわば骨格といいうるものだけを体形化する。実はブログの記事は各論であるため、各論同士のつながりが見えにくい。それを体系化することで、各論のつながり、もしくはそこで述べられていたことの真の意味が浮かび上がってくることだろうと思う。実際、今回この記事を書くために三つ巴さんの大喜利についての話題を時系列に辿って読んでみると、僕自身は新たな発見があり、見通しがよくなった。最後に、なぜそれを第三者が行うのか、という疑問もあるかと思うが、それは入門書や概説書の類だと考えてほしい。一応末尾に参照とした記事のリンクは張るため、もしよければ実際に自分でも読み、考えていただけると嬉しい。

 

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それでは、本題に移る。

まず、三つ巴さんの大喜利観を端的に現わしている記事はなにか。それは2012年に書かれた「ツボ拡散論」である。手短にまとめると、ここでの議論は人の笑いのツボが変化していくということを前提した上で、その結果生じる新規参加者と既存の参加者との笑いのギャップが生じることを帰結し、さらにそれこそが新規参加者の流入を拒み、衰退していく。したがって解決策をとらねばならない、というものである。じつは、この解決策として持ち出されるのが内輪・共同体である。そこで三つ巴さんの念頭に置かれているのは、共同体の教育・啓蒙装置としての役割である。したがって、そうした教育的観点から「書き方のズレとPHPのこれから」や「言うべき説」といった記事が書かれるのである。

 

三つ巴さんにとって「内輪」という語が教育を意味するということは、重要である。というのも、一般的な笑いの文脈で語られる「内輪ウケ」「内輪笑い」とはその内実が異なっているからである。例えば僕が、ある特定のファンにしかわからないボケを言い、そのことに笑う集団があったとする。これは、集団と僕との間に共通の知識・コードがあり、そのことを踏まえないと理解できないがゆえに起こることである。いわば排他的な状態である。対して、三つ巴さんのいう内輪とはそうした知識やコードが言語化され再生産される場である。おそらくイメージに近いのは攻略wikiなどであろう。一般に内輪は好まれない。というのもそれらは排他的で不健全だからである。けれど、それは一次的な内輪だといえよう。そして三つ巴さんが肯定するのは、二次的な再生産された内輪(=教育)なのである。

 

またそうした教育的内輪を三つ巴さんが重視するのは、彼が共同体主義だからでもある。これは上でハード面の一例として挙げた笑いの本質に関しての話題である。この考えは、以前僕自身も応答した「大喜利暦5周年記念論文(中)」にみられる。このとき僕は、単純に正義論の文脈として捉えそのような視点で応答したが、いま読み返すと決してそれだけではない問題も含まれている。これがその一つである。笑いに本質はなく共同体に依存する、という共同体主義であるがために、教育的内輪はなおのこと必要となるのである。

 

ここで一度まとめよう。

三つ巴さんの立論の階層は、笑いは共同体に依存する→ツボ拡散→新規参加者と既存の参加者との間にギャップ→問題解決のために教育的内輪を利用という順である。ここでは左にあるものを最も基礎的なものとして考え、置いた。まずここからいくつかの争点が生じる。

1.笑いは本質的か否か

2.笑いのツボは先鋭化していくのか、またするとしたらそれはどの程度か

3.共同体主義的な教育的内輪と個人主義的なツボ拡散論とは矛盾しているのではないのか

ぱっと僕が思いついたのは上の通りである。

ぜひ、みなさんにも活用してもらったらいくつかの疑問が生じることと思う。

 

もう十分長いので、ついでに3についても述べてみることとする。

3の問題は、ツボ拡散論(個人の笑いのツボはより先鋭化していく)と教育的内輪の機能(集団的なギャップを解消する)は矛盾するのではないか、という問題である。ツボ拡散論を強くとれば、それは始めた時期の格差だけではなく同時期に始めたもの同士の間にもギャップが生じ、そもそも内輪の形成が不可能となる。それぞれがバラバラとなるからである。しかし、現実の国家や社会は作られる。それはなぜかというと、そもそもが集団が先にあるからである。上にあげた三つ巴さんの階層の順番は、発想の順番であり、現実に起こるのは、ある大喜利以外の共同体の笑いに属していたものが、大喜利の共同体に所属し直す事態であり、ツボ拡散論で問題としているのはこの共同体間のギャップである。そして、ここで教育的内輪が用いられる、というわけである。

つまり、新規参加者と既存の参加者とのギャップはツボが拡散するという問題ではなく、共同体主義的な笑いの文脈が異なる、という点に由来するのである。そのようにとれば、のちに続く教育の重視なども含めて、三つ巴さんが共同体を重視するという見通しのよい体系が見えてくるであろう。

 

おそらく読んでくれている人のなかには、各論での賛否がそれぞれにあると思う。であるならばそれが、どのレベルから発生しているのか。単にそこで問題となっている事柄だけではなく、そもそもそれが問題となる前提のレベルでの相違はないか確認してみてほしい。そうすればまた新たな、大喜利についての語りが生まれることだろうと思う。

 

本当に長々ありがとうございました。

 

おわり。

 

追記(2017/05/07)

三つ巴さんが、僕の記事に対する反応をブログに書いてくださりました。

ありがとうございます。

共同体主義

http://mitsudomoe3.blog.fc2.com/

 

 

参考

ツボ拡散論

http://mitsudomoe3.blog.fc2.com/blog-entry-59.html

書き方のズレとPHPのこれから

http://mitsudomoe3.blog.fc2.com/blog-entry-184.html

言うべき説

http://mitsudomoe3.blog.fc2.com/blog-entry-220.html

朝までへぱテレビ2の感想②

http://mitsudomoe3.blog.fc2.com/blog-entry-226.html

大喜利歴記念論文(中)

http://mitsudomoe3.blog.fc2.com/blog-entry-199.html

 

 

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