常陸国ふしぎ探検隊-それは天津甕星から始まった

「まつろわぬ」というキーワードから常陸国の歴史を見つめなおします。常陸国は東海道の東のはずれ、鹿児島から始まる中央構造線の終点です。


テーマ:

人間より猪の方が多いかもしれない奥茨城村に住むわたしは、営業の仕事で毎日のように町場へ出か


けます。そのため一日4時間ほど車に乗っていますが、運転中はとっても眠くなり、左脳の働きが抑圧さ


れ思考回路が右脳中心に移り、半覚醒状態になるためか、思わぬ発想を得ることがままあります。(笑)


茨城県北東部の海岸部から北西部の探検隊本部に戻る途中の峠の下り坂でした。突然トンビが目の前


に現れ、道路に落ちていた動物の死骸を持ち去ったのです。


トンビは目の前で見るととても大きいものです。両翼1メートルはあるでしょうか。


その時です。


比多珂は日鷲だ!と閃いたのです。(笑)


「鷲」をWikiより引用。


(わし)とは、タカ目タカ科に属する鳥のうち、オオワシ、オジロワシ、イヌワシ、ハクトウワシなど、比

的大き目のものを指す通称である。タカ科にて、比較的大きいものをワシ、小さめのものをタカ(鷹)

ぶが、明確な区別はなく、慣習に従って呼び分けているに過ぎない。

鷲の尾羽は矢羽根として最高のものとされる。陸奥国の名産として朝廷や伊勢神宮の遷宮の折などに

鷲の尾羽を献上したという記録が残っている。


鷲は大きい鷹だったのです。つまりヒ・タカとヒ・ワシは同義であることが判ります。


日多珂とは新解釈系図で彦太忍信=彦坐王を指します。あるいはその后である鴨玉依姫を指すかも


しれません。いずれにしても、この系図どおりであれば、地名としては、多賀、日高、などはあるものの常


陸国近郊で神社で祭られている裏づけが取れていない一人でした。父親である武甕槌=海幸彦=天児


屋根は常陸一の宮、鹿島市の鹿島神宮、母親である木花開耶姫=子安神=三夜様は那珂市(旧瓜連


町)の常陸二ノ宮静神社、子である安曇磯良(ヤマトタケルA)を祀る神社は水戸市の常陸三宮吉田神


社、そしてそれらを勧請した神社は常陸国内で数多く確認が取れいたにもかかわらずです。






しかし、日多珂が日鷲だということになれば、天日鷲を祭神とする神社が重要な痕跡となります。


常陸国で天日鷲を祀る神社は、なんと地元中の地元、常陸大宮市(旧那珂郡美和村、旧々嶐郷”りゅう


ごう”村鷲子)の鷲子山上(とりのこさんしょう)神社です。トウダイモトクラシとはこのことで


す。


それに当ブログ最初の神社探検記が鷲子山上神社で、その後も三本ほどの記事をアップしています。


2.鷲子山上神社探検記1

3.鷲子山上神社探検記2

8.鷲子山上神社の不思議な石碑

22.鷲子山上神社に残る九州王朝の残影


ブログ開設当初の記事であり百嶋資料の上っ面をなめていただけのころのものですから、2年たった今


の理解度とは比較しようもありませんが、とりあえず参考まで。


鷲子山上神社には本宮と本殿があります。本宮の千木は男千木、本殿の千木は女千木です。


このことは、夫婦である彦太忍信と鴨玉依姫が祀られているからかもしれません。


鴨玉依姫の鴨は母親であるオキツヨソタラシヒメがイカスリ劉一族の山幸彦に略奪されて、津の渡し(ア


ヒル:)になってしまった事を反映しているからではないかと考えています。


番外21.大山祇系統は高木系(分家)に下剋上されたのか?  参照)


鷲子山上神社はもともと鳥子と書きました。光圀(水戸黄門)が鳥から鷲に変えさせたと言われています。


西隣町は栃木県那須烏山市(旧那須郡烏山町)と那須那珂川町(平成の大合併により小川町と馬頭


町が合併して誕生)です。


百嶋系図では、武甕槌、コノハナサクヤヒメ(前玉姫)、天日鷲を下図のように記しています。





天日鷲は天太玉(豊玉彦)と天比理乃咩の子で、天太玉(豊玉彦)がヤタガラスなのでその子である天


日鷲をトリノコとしています。光圀が鷲子に変更させた鳥子です。


豊玉彦は、大幡主とイザナミとの子ですから、スサノヲとは異父兄弟ということになっています。母が同じ


ということは一緒に生活していたと考えられます。初めはそう考えていましたが、豊玉彦の実態はまった


くもって不明なのです。資料の中には、後漢から中将の位をもらったとか、蟻通神社のことで多少の言


及はありますが、われわれは中将を軍の階級の大将、中将、少将ではなく、「字統」の中の文字から、中


軍の将たる元帥、つまり最も位の高い人であることに気付いたり、蟻通神社は紀貫之の和歌「雨雲の立


重なれる夜半なれば、ありとほしとも思うべきかは」から、星が有る、つまり星宮神社であることに気付き、


じつは豊玉彦が星神だったことを突き止めています。(詳細は別稿で)


つまりこの場合の豊玉彦は長髄彦、さらに深く考察すれば後漢12代皇帝孝霊帝(在位期間168年~


189年)に相当することが推測できるのです。


那珂は中に通じ、那須はネヒコに通じます。常陸国北部から下野国北部に重要性を感じないわけ


にはいきません。この重要性が阿弖流為や奥州藤原氏、源平の出現につながってきそうです。



 白川静著 字統 P614より抜粋





 百嶋系図 豊玉彦と6人の妻

もっとも疑問視されるのは、豊の文字を使っていることでした。嬴豊に代表されるように豊は女性特有の


漢字なのです。漢字のもつ本来の意味をよく考えなければなりません。その前提として、「記紀」を創作し


た勢力と、真実を残そうとした勢力の「かけひき」に思いを致すことが必要です。われわれはそれを、不


比等と人麻呂の「ペン」の闘いと推察しています。このころはまだイカスリ武士軍団の出現前ですから、イ


カスリ劉一族と言えども、無闇に「バラバラにして殺す」ことは、はばかれたのでしょう。


われわれは一貫して人麻呂を英雄視しています。しすぎているかもしれません。(笑)


さて、新解釈系図では、ウガヤフキアエズ、アジスキタカヒコネ、天稚彦、天日鷲、大矢口、天香語山を


同神としていましたがその中の、アジスキタカヒコネと天日鷲を彦太忍信・彦坐王・日多珂のほうへ修正


します。


アジスキタカヒコネも鷹彦根とも転換できますから鷲彦根、つまり天日鷲となりえるのです。


ただし完全に移行するのではなく、以前のままに解釈しなければならない場合があります。これはタノカ


ンサー(大幡主と大山祇)やニギハヤヒA,B(海幸と山幸)と同様な解釈をしなければ、神話との整合性


が採れないことがあるためです。百嶋先生の言う「記紀」に負けないくらいの「ずるさ」ポイントになります。


記紀創作者が恣意的に混同していることがその原因だと分析しています。


一つの「神」に御神徳によって複数の名をつけるのなら、実態は異なるが御神徳が同じなら同名になって


もおかしくはないでしょう。


さらにアジは漢字では味と記し、ウマシの系統を継いでいることに注目しなければなりません。

 

これは百嶋先生が系図で示せなかったことの一つです。しかし音声ではしっかりとアジはウマシであると

 

述べておられます。


百嶋系図では、アジスキタカヒコネをウガヤフキアエズと同神とし、彦火火出見(山幸彦)と豊玉彦の子


になっています。しかしこの系統ではウマシアシカビヒコチ(=金越智)と天御中主(白山姫)にはたどり


着かないのです。


何故百嶋系図がアジスキタカヒコネとウガヤフキアエズを同神としたのか?この辺の理由を考えなけれ


ば百嶋系図の意味が判ろうはずはありません。たった一枚の系図に込められた百嶋先生の思慮の深さ


には、ただただ驚嘆するばかりです。


われわれの説は、通説派からしたらトンデモ説なのは当然のことながら、百嶋資料を研究している方々


にとっても理解しがたい内容だと思います。しかしながら、われわれの説すべて百嶋資料を元


に導き出されていることをご理解ください。


さぁて次は吉備ツ彦と吉備武彦の痕跡を東国で見つけなければなりません。


2017.0618追記

ツイッター「白川静」より

「高」おそらく神を迎えて祀るところで、のち祖霊の最も貴いものを「高」とよんだ。わが国でも「たか」は神

聖のものを呼ぶ時の美称に用い、必ずしも高低の意味のみではない。古くは対義語を持たない絶対的

なものが「高」であった。



百嶋由一郎先生の演会CD、資料、神代系図を入用の方は、常陸国ふしぎ探検隊河野まで。

メール k_kplanning @yahoo.co.jp


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