30代バンド。

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世間一般に、バンドは若い人が憧れや夢を持ち青春を駆け抜けるものだという認識がまだ全然あると思われる。社会と隔離された世界というか。正しくは日本社会と断絶させられているような。いわゆる"アウトロー"という偏見を持たれがち。
 
「大学を卒業し就職する」という昭和のスタンダードからズレればアウトローなのでしょう。それでも現代のバンドの在り方は多種多様になっている。
 
事実10年前の「我先に!」と誰が音楽で名を上げれるかというかの渦中を経て、2017年現在バンドで生活している人、音楽関係の仕事をしながらバンドもやる人、異業種で働きながらバンドをしている人、バンドを辞めた人と分かれた。
 
それが実録!30代・バンドシーンなのである。ライブハウスも働きながらバンドをやる人にとって寛容になったと感じる。特に出演時間の融通(仕事が終わってからでも出演できるように)。実際そういうバンドが多いからという声も聞く。
 
かと言って20代でバイトをしながらバンドに夢と希望を乗せ頑張るバンドが減ったという話ではない。働きながらでもバンドをするという選択肢に対し、非常に環境が良くなっているという事。
 
ナードマグネットが典型であると言える。会社員をしながらバンドをやっているというのを公言していて、それがストーリーとしてリスナー達にも影響を与えているように思える。一部のエッセンスとして。もちろん音楽的に素晴らしいのが前提として。
 
隠れ会社員バンドは意外と多い。メジャーデビューしても会社員を続けている人もいる。メジャーデビューさえすれば音楽で飯を食えるというものと妄信できた時代はとっくに終わっている。お勤めしながらバンドをしている連中と飲むと公言するかしないか論に発展する事もある。
 
自分が20代の頃、30代のバンドを見てどう思っていたかに思いを馳せる。度々ふと思い出す記憶の話。
 
扇町para-diceがまだdiceの頃だったと思う。当時はCUSTOM NOISEが立ち上げた「loop」という音源付きフリーペーパーに載っていたバンド達が関西インディーの主軸になっていた頃。
 
その日はフリーペーパー「loop」に載っていた某バンドと対バンであり非常に楽しみにしていた。CUSTOM NOISEの首謀者、安齋さんもその日いてたか、あとから話したか、30代のバンドという認識があった。
 
気難しそうな面持ちの3人組で曲は雰囲気もあり、ポストロック調の当時一番盛り上がっていたシーンの音楽性で興味深かった。しかし、MCが始まるとメンバー間や客席の身内とただのおしゃべりを始め、そこで興ざめした。
 
年取るとカッコつけようという気がないのか?この人達はどうしたいのか?有名になりたくないのか?何の為にライブをしているのか?
 
一気に「クソダサい」と一蹴した。音楽すら耳に入って来ない。こんな半端な連中の音楽なんて聞きたくもない。
 
安齋さんにこの話をしたら「この人達も色々20代の時大人達に揉まれて苦労してきてこの道を選んだんだよ」と諭された。
 
当時の俺には頭では理解できても、まったく納得はできなかった。
 
オジさん達がふざけ合っているところを誰が見たいのか。娯楽でステージ立っているんだったら辞めちまえと。
 
今でもそれは反面教師になっている。でも実際気持ちもわかるようになった。
 
彼らは本当に音楽を楽しんでいたのだと思う。若い頃にレーベルからCDデビューやメジャーや関わって、色んな景色を見て来て、うまく行かなくなったようで。勢いや王道の夢のようなものがなくなっても尚なぜ音楽をするのかを経たであろうその日のライブ。それが安齋さんの言う「彼らの選んだ道」なのだと思う。
 
30代は常になぜバンドを続けるのか。それが常に付きまとう。今自分がやっている事が将来の自分像に繋がるというのが嗅覚でわかるのであろう。
 
やるべき事、やりたい事、自分が選択した事の責任感、自問自答、すべてを淘汰し、これからの道を選ぶ上での悩みなのでしょう。希望と不安は背中合わせではあるが、これが自分だと決定付けられる世代にあるのではないかと思う。
 
頭でっかちな事ばかりではない。
 
プレイアビリティは向上している。俺も指だけでギターを弾くようになってもまだ日に日にギターが巧くなっている。
 
身体は全然動くし、頭も少しは柔らかくなった。なんでも許せるわけでもないが、ある程度の無礼や怒りにも寛容になった。その瞬発力と深みのバランスがアーティストとして凄く良い年頃なのだろうと思う。
 
20代はその時代の華々しいメジャーデビューを目指して夢見ていたし、バンドで忙しくなりたいと本気で思っていたし、そうでない状況の自分が恥ずかしくて悔しくて、それがずっと心に中にあった。そのプライドがバンドの原動力でしかなかった。
 
バンドは考える間もなく忙しくなるのが一番幸せなのだろうと思う。だが、考えられる時間があり、考えられる機会がある状況も大切だと今は思える。
 
果たして今、かつて某バンドに対して思っていたことを年齢の若いバンドに持たれていないだろうか?とたまによぎる事がある。この事を思い出す度に身が引き締まる思いになる。ちゃんとしようと。
 
上記した事を反復するが、これが自分だ、何が正しいかとわかればそれ以外は「なんでもない」と知り、自分の思う正しい事だけへの労力を費やすことを厭わず、なんでもないことに対して無頓着でも問題ないんだと気付く。そして生き易くなっていくし生き易い方向を自ずと選んで行くことによってその反面、感受性は鈍くなっていく。それが「人としての老化」なのだろう。通りでオジさんオバさんはたくましいはずだ。
 
創作、無からの発想を掌る"右脳のアンチエイジング"、これがアーティストとして生き続ける絶対条件じゃないでしょうか。
 

 
 
えー。
 
ということで、MISOJI CALLING 2017まだ呼ばれてません。関係者の皆様、宜しくお願いします。
 
別所英和
 
 
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