関東土木保安協会です。
今回はこちらの写真の鉄塔です。
沖縄県の観光スポットである、美ら海水族館。
その水族館が、以前沖縄国際海洋博覧会の会場の跡地であることは、当時を知らない者にとっては全く想像できないでしょう。
沖縄国際海洋博覧会は1975年に開催されました。
1970年の大阪万博と1985年の筑波万博との狭間であるため、どうも多くの人々に強い印象として残っていないのが現状かと思います。
晩年は一部雑誌で廃墟となった姿が注目された、洋上都市のモデル「アクアポリス」なども設置されており、その点は注目だったかと思います。
当時日本に戻ってきたばかりの沖縄ですが、約半年の会期のために、本島のインフラ網は充実され、会場周辺も整備されました。
現在の美ら海水族館の目の前の県道114号線も海洋博に合わせて綺麗に造りかえられました。
そんな中、114号線のすぐ隣にある丘に素敵な鉄塔群と共に設置されている変電所があります。
沖縄電力海洋博変電所です。
▲海洋博変電所の看板
私も来るまで知らずノーマークだったのですが、海洋博当時からあるであろう鉄塔群の美しさと歴史の生き証人の空気に感動し、急きょ立ち寄ったのです。
(後ほど調べると、確かに海洋博当時からの電力設備達でした)
▲最終鉄塔の1つ前、90度の角度鉄塔である
沖縄電力は白が好きなようですね。
自然との調和を考えるのであれば、私などは茶色い鉄塔を見慣れているせいか茶色や黒の鉄塔を浮かべてしまいますが、ここは美しい青い海の広がるところ、沖縄。そんな重々しい色合いなど捨て去って、無骨さを無にする薄いトーンで存在を示せばいいだけの話です。
▲地表の緑と、空の青と、見事な調和で魅せる海洋博線
当時の資料が、終了後の論文で残っていたので見てみましょう。
海洋博の会場は2年の工期と700億円の予算をかけ造られたようです。
当時の会場の所要電力は28,400kW必要とされ、66kVの本部幹線という送電線を、本線予備線方式2回線で引き込みました。
現在は海洋博線、海洋博本部線となっており、線路名が異なります。
▲海洋博変電所。最終鉄塔は三角鉄塔だ
変電所では15,000kVAのトランスを4基設置し、6.6kVに降圧の上で26回線を敷地内へ引き出した上で、同じく本線予備線方式で60箇所の高圧受電設備へ送電していたようです。
▲当時の「本部幹線」、現「海洋博線」と「海洋博本部線」
変電所は県道114号線のすぐ隣の小高い丘にあり、引き込みの鉄構以外は当時から屋内型の設備だったようです。
塩害の防止の観点もありますが、視覚的なイメージを大切にしたのでしょう。
▲国土地理院の1977年の航空写真より。赤線部が変電所だ
この当時より、海洋博変電所寄りの3基が、周辺の環境に配慮し鋼管の鉄塔で竣工したようです。
最終鉄塔は三本の鋼管で構成された三角鉄塔であり、その隣も90度の角度鉄塔となり、なかなか面白いです。
▲海洋博の会場近傍にちょうどいい、スマートな形状である
鉄塔らはラーメン構造なので、斜材がなくすっきりとしたデザインです。
当時、環境調和型鉄塔はそれほど多くなく寧ろ黎明期だったかと思いますが、これなら当時の公衆も近未来的な土木施設だと思ったことでしょう(思うかな。。。)。
▲草の上から、結界をパチリと。実に無駄がない四角鉄塔だ
毎度言っていますが、土木施設は設置条件的に法規制や当時の社会背景の影響を多分に受けるため、設置されている場所や構造に多くの「理由」という史実を残します。
ここが、単なる美ら海水族館だけであったのなら、いまこのような鉄塔群は無かったでしょう。
日本返還後の沖縄における発展の起爆剤の一つとなった、海洋博。
大人気の美ら海水族館が元々何の水族館でどうしてここにあるのか。
彼ら鉄塔達は全て知っています。
今日も、大多数の振り向かない人々を迎える中、時折気にする者にだけには無言で語りかけてくることでしょう。
<参考>
・テレビジョン/テレビジョン学会発行 : 海洋博を終って(PDF)