そのままのきみでいい
なにも変える必要はない
 
これは息子へのメッセージ
 
 
 
今更いい親になったり出来る分けないし
そのままで
今はね
あたらずさわらずがいいってことだよね

 

これは私へのメッセージ

 

 

 

 

自分の中の人に訊いていみた

というか

指が動くままにして

キーボード叩いてみたら

こんな感じだった

 

 

 

思い込みや勘違いを手放して

自由に歩み始めた頃には

 

まだその性質は

目覚めていなかったのかもしれない

 

 

 

 

 

最近

長男の言動に

家族がみんな

ちょっとずつ

やられてるww

 

 

 

 

 

 

こうやって文字にしてみると

それは大したことじゃないのかも?

って思えるから不思議

 

 

 

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蠍座

そもそも毒を持っている

いい人になろうなんて思わずに

辛辣なこと言って

鋭く突っ込みながらも

「それこそが、その人らしい」

というポジションを築けばいい

 

どんな場所でも

誰に対しても

それをやっていくうちに

本来の自分が観えてくるはず

 

なにごとも深く

一体となって味わうことで

その経験が

血となり肉となる

 

 

 

 

 

 

 

 

学んでいる

 

真剣に

今を生きようとしているからこそ

 

ぶつかる時もあれば

反発し合う時もある

 

 

 

 

それが未知乗り

毎日が新しい自分の未知なんだ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

また氣づかせてもらえた

 

 

 

ありがとうございます✨

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娘としての私 その2

テーマ:
こんにちは♪

あなたの身体が喜ぶ♡深い呼吸から
あなたらしい自然な声を導き出す、
声セラピー♪の歌音です。




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【前回の続き】
→「娘としての私その1」

母が
なぜ父に対して
そんなにものすごい嫌悪感を持っているのか?

今、始まったことではないことは
よくわかっているのです。

小さい頃から
よくけんかをする夫婦でした。
私たち姉弟からすると、
それは嫌なことでしたが
ある意味「他人事」でした。

けんかしたからって
ご飯が出てこなくなることはないし
どちらかが出て行ってしまうこともない。

日常の営みは淡々と進むのです。

でも。

それが最も辛い部分だったのかもしれない、と
今の私なら思うのです。




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「◯◯さん家の奥さん」
「◯◯ちゃんのお母さん」
「◯◯家のお嫁さん」
などなど

母が演じていたキャラクターは
他にもたくさんあったと思います。

それを使い分けていたというよりは
「その役をやり切らなくちゃ」
「完璧にこなしてこそ意味がある」
という見えない鎖で自分をぐるぐる巻きにしていたのかもしれません。

だから
私たち姉弟に対しても
とても厳しい母親でした。
「子供をきちんと育てなくては」と
必死だったのだろうと思います。



今、もし目の前に昔の母がいたら、
「大丈夫だよ」と言ってあげたいけれど。

今から40年ぐらい前の世の中は
今よりもずっと規律的で「こういうもんだ」という常識が
母の個人的な価値観に影響を与えていたかもしれません。




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私が子供の頃の母は
学生の頃から続けていた合唱を止めずに続けたり(今も続いています

習い事をいろいろとやってそこで自分の存在を確認しているかのようでした。


私たちが中高生になると
働き始めました。

毎日忙しそうに
好きなことをして
とても充実していたと思います。




でも
私から見たの印象は
「苦しそう」でした。





苦しそうに見えてしまったのはなぜなのか?














そこが父との関係に繋がっていたのだと

ちょっとずつわかってきました。





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娘としての私 その1

テーマ:
こんにちは。

心地よい自然な呼吸で気持ちのいい自然な発声をめざす♫
声セラピーの歌音です。


今年は
いろんなことが
めまぐるしく移り変わっていく夏。

私も
家族も
どんどん成長しているのです♪

私の母は、今年で74歳になりました。
世の中では、まだまだ自分のこともしっかりできる年でしょうか。

でも

母の物忘れが
ちょっとひどくなってきたのは
昨年の春。
私が20年の教師の現場を離れ
子どもたちと自分が本当にやりたいことを始めた矢先。

正直「待ってたの?」というタイミングでした。

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今年になって
3月初旬に軽い心臓発作を起こして入院。

その時の検査で
「隠れ脳梗塞」が見つかり
物忘れの原因もそこにあるのかもしれない

そんな診断でした。



2週間の入院中に
ベッドサイドから送られてくるメールは
私を何ともやるせない気持ちにさせました。


「私はどこが悪くてこんなところに入れられているの?
早く帰りたいから迎えにきてください。」

「お父さんが若い女の人と一緒にどこかに行ってしまった」

「さっき先生が来て、明日には退院できるそうです。
迎えにきてください。」

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母の母
私の祖母も
無くなる2年ぐらい前に
認知症になって
最後は施設で亡くなったのですが
誰が誰なのかは
あまりよくわからなくなっていきました。


家のことを夫に頼み
私は毎日
病院に通って
話しをしました。

子どもたちも春休みで融通が利いたのは
ラッキーだったし
それもわかっていたのかもしれないと思ってしまいます。


手を取り
マッサージをしたり
爪を磨いてネイルをしてあげたり。

今まで学んだ親子のことや神さまのことなど
私が持っている
今出来ることを惜しみなく全部
手渡していきました。


「あなたとこんな話しが出来るなんてうれしい」

まともな時(不安が薄れている時だと思います)は
こんなことを言ってくれたりして。


検査の結果は
心臓には異常は見られないこと(不整脈や心房微細動の原因が分からない)
脳梗塞の後遺症はあるものの日常生活には影響無し
今後も観察を続けていくこと
というものでした。


人の身体が
長年のストレスや本人の思い込みなどによって
症状を作り出すことがあるのかもしれない。

私はその時
父と母の関係のことを考えていました。


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