2010-07-12 13:06:04

吉田松陰(12) -九州遊学(2)-

テーマ:歴史
$Issay's Essay-吉田松陰⑫―九州遊学(2)-

 江向に泊った翌日の、9月14日『3里歩いてから船行き1里、平戸城下に入る』このときの観察に『瀬戸の水勢、赤間関より甚だし』と記しているのには興味深いものを感じます。
 平戸に上陸して旅館を求めて歩くのですが、皆、断わられるのです。日も傾き困り果て途方にくれた松陰は、旅姿のまま失礼とは思いながらも、平戸藩元家老・葉山佐内先生宅を訪問しました。
 以前から、手紙を出していたせいもあって、家老まで勤めた学者先生は穏やかに松陰を迎えられたようです。
 さっそく使いを走らせ了承を取り付け、その使いに案内させて、松陰は、このときすでに佐内先生から託った『伝習録』と先生の著『辺備摘案』を携えて、「紙屋」という宿に落ち着きました。
 夜、その本を読み要所は抜書きして、翌日午後、改めて佐内先生に面談。
 一方の、山鹿萬介先生は、病に臥されていて面談は3日後となります。それも『家老列にして厳重、紋付を宿に借り、裃を葉山に借りて至る』と記しているほど、宗家には緊張した様子が伺えます。その後も山鹿邸をしばしば訪れていて『萬介先生は、壱縁迄送り之あり・・平戸の風とみえて・・平戸の士風頗る嘉すべし』などと礼節についての表現を書きあらわしています。
 こうした日々を平戸に送りながら、葉山佐内を軸として多くの人に出会い、時には釣漁に付き合い、読書は『聖武記』『阿芙蓉彙聞』『近時海国必読書』『西洋砲術書』『新論』『貞観政要』など、平戸滞在の11月5日まで50日ばかりの間に80冊を読み、必要なところは抄録しているのです。
 現在、山鹿家跡は県の指定文化財になっています。松陰が滞在した「紙屋」の所には「松陰宿泊跡の碑」が建っています。ところが葉山邸跡の場所は、パンフレットにも載っていませんし、先日は、平戸城に居られた学芸員の方に場所を尋ねて教えられ訪ねてみると、藪の中という有様でした。学芸員の方は「道路から屋根しか見えませんがね」と言っておられたが、まさに廃墟という状況で、一寸哀れ、酷い、無関心すぎると感じました。
 吉田松陰が、藩外遊学の最初に師事した松浦藩家老・葉山佐内邸なのですから、何とか良い形でこの場所が保存されることを願うばかりです。
 写真は吉田松陰宿泊紙屋跡と葉山佐内邸跡
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