今、読んでいる本。 | 自分に還る。

自分に還る。

読んだ本の感想など。

先日、ひょんなことからジェフリー・S・アイリッシュさんについて教えて頂き、著書を読んでいます。



ここのおじさんやおばさんたちは自然のリズムを感じて、そのサイクルの中に生きている。お日さまが沈むと布団に入り、お日さまが昇る前から起きて、動き回っている。ここにはいつもその日その日の明かり、温度、湿度に合わせての人間本来の生活がある。――「幸せに暮らす集落」より

人のお世話になって、人のおかげで生きているんだなって、つくづく感じます。おばあちゃんたちが、「奥さん、人よかれば我よかで」って教えてくれて。「人によくしとれば、自分にいいんだよ」ってことよね。おばあちゃんたちはいろんなことを教えてくれる。――「ライフ・トーク」より

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この『ライフ・トーク』のあとがきから、日本を代表する民俗学者だという宮本常一をはじめて知りました。日本中をくまなく歩き回り、人々の語りに耳を傾け続けた、限りなく目線の低い学者だった。というので俄然、興味をおぼえ、図書館で関連する本を何冊か借り、並行して読んでいます。




この人たちの生活に秩序を与えているものは、村の中の、また家の中の人と人との結びつきを大切にすることであり、目に見えぬ神を裏切らないことであった。――「忘れられた日本人」より

とくに最晩年の宮本さんの発言は非常に印象的です。進歩とは何なのだろうか、これまで自分は発展と言ってきたけれども、発展とは何なのであろうか、進歩という名のもとに、われわれは実にたくさんのものを切り捨ててきたのではないか、ということをはっきり言われるようになります。――「宮本常一『忘れられた日本人』を読む」より

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調べたいことがあり、ずっと、どんな本を読んだらいいだろうかと考えていました。
我が家の本棚をながめ、これだけの本があるのだから何かヒントになりそうなものがあっても良いのに、と。そしていちばん核心に迫れそうなのが、ペトログラフ(太古、人類が後世に伝えたいさまざまな意匠や文字を岩石に刻んだもの)学の世界的泰斗だという吉田信啓氏の本ではないだろうか、たしか昔買ったはいいが読まずじまいで、どこかにあるはずと探しました。でも読みたい時に限ってみつからないのですあせる

ジェフリーさんの著書を読んで宮本常一さんを知り、民俗学に興味をもって、本を何冊か借りて読み始めたとき、ようやく探していた本を発見しました。カバーがかかっていた為、みつけられなかったのです。読み始めて驚いたことには、吉田信啓さんの本の冒頭に、「民俗学」に関する記述があったのです。




日本の民俗学は、他にない特異性をもっている。・・・日本では民間伝承そのものを、古代からの生活や意識の残留とみなす態度をとる。・・・いいかえれば日本の民俗学は“生きている”ものなのだ。それはたとえばヨーロッパでは一千年以上のキリスト教文明と民族移動、さらに近代以降の産業革命の進展のためフォークロア(民間伝承、民俗資料)の多くが消滅ないし散逸してしまっているのに対し、日本ではそのようなことがなく現実のいたるところに往古の痕跡が残っているというわけである。――「超古代、最古、最高、最尖端文明は縄文日本だった!」より

なんと、ペトログラフと民俗学には密接なつながりがあるというのです。
同書で著者はこうも述べています。

それぞれの神話は、それぞれ国のあり方、将来の展開、国民の尊厳に深い影響を与えるものとなる。・・・・残念ながら戦後の日本は、この認識を失いつつある。今日の教育において神話が取り上げられることもない。・・・神話に代表される民族のアイデンティティを喪失した中での歴史教育もありえない。その教育を受けない世代が多数を占めていったとき、当然ながら国民としての誇りも尊厳もなくしてしまい、流れ藻のように時流の表面を漂う根無し草の観を呈して、海外に伍せない茫然自失の情けない民族になってしまう。

私が国際ペトログラフ学を記し、古代・超古代のワン・ワールドを述べるのは、いたずらにグローバル化を言うものではない。根底にしっかりとした“個”があってこそのものである。いいかえれば、求められるのは日本人としての誇りと、自覚を持つ国際人だ。そうした国際人を涵養(かんよう)するためにも昨今の風潮をまともな方向に修正し、日本に伝わる固有の伝承の数々に深い関心を抱き、それらを次の世代に受け渡すことのできる国民を一人でも多く創出していかねばならないだろう。


――とあり、それにはまったく同感なのであります。