自分に還る。

誰もがもっている魂の光、その輝きを引き出すお手伝いをさせていただきたいと思っています。









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レイラインハンター ~日本の地霊を探訪する~ / 内田 一成



あとがきより

本当に“レイライン”なるものがこの世に存在するのだろうか・・・半信半疑で始めた聖地を巡る旅も、気が付けば15年余りも続いていました。

いわゆるスピリチュアル系の世界で語られていたレイラインは、球面である地球を平面の地図に写す際の基本的な約束事や磁北極と北極点の違い(磁気偏角)といった地図読みの基本中の基本を知らずに、ただ無闇に聖地を結んで同一線上に位置していると断定するもので、様々なアウトドアアクティビティに長年親しんできた者としては、あまり興味を引くものではありませんでした。

ところが、地球との対話とも呼べそうな、フィールドでの不思議な体験を重ねるうちに、地球には鍼灸でいうツボや経絡のようなものがあるのではないかという思いが強くなっていきました。地球は生き物であり、ぼくたち人間もその地球の生命を形作るひとつの細胞ではないか・・・。それを客観的に検証せずにはいられなくなりました。そこから、土地が持つ性格を修行に利用している修験道の研究に進み、さらにデジタルマップとGPSを使って、地球のツボである聖地とそれを結ぶ経絡ともいえるレイラインを辿るという方法論に行き着きました。

レイライン探索の旅を始めたばかりの頃は、聖地が直線で結ばれたり、聖地のネットワークが大地に五芒星や北斗七星を描き出すといった事例は、ごく希なものだろうと推測していました。
ところが全国にレイラインを求めて旅をするうちに、これは決して希なことではなく、むしろ聖地はほかの聖地と有機的に結び付けられていることが当たり前であることに気づかされました。

神社は、通常は南を向いているものですが、ときどきそれ以外の方向を向く神社に出くわします。GPSでその方位を確認してみると、ほぼ100%、別な聖地を正確に指し示しています。

・・・・・・・・・・・

レイラインは、中国における景観地政学ともいえる風水、ネイティブアメリカンに伝わる“ビジョンクエスト”のような土地にまつわるイニシエーション、アボリジニに伝わるオーストラリアの大地を網の目のように走る“ソングライン”、ナスカの地上絵、そしてエジプトやインカのピラミッドに秘められた方位の謎といったものも、すべて地球上に、目に見えないネットワークがあり、古代の人たちはそれを感じ取る術を知っていると同時に、それを利用していたであろうことを示している、と私は考えます。

古代人たちが地球を覆う目に見えないネットワークをどのように感じとり、そして何のために、どのように活用していたのか・・・・それは、まだ明確にはわかりません。

しかし聖地をめぐり、そこに仕掛けられたメカニズムを検証し、さらにその奥に隠された思想を類推していくと、今、盛んに言われる“地球との共生”“自然との共生”を古代の人たちは、じつに巧みに実践していたことがわかります。

今の人類がもっとも必要としていること・・・地球環境を回復し、自然と共生しているという強い実感をもち、精神的に満たされて生きていくこと。そのためのヒントが、レイラインには隠されているような気がします。

・・・・・・・

著者HP→レイラインプロジェクト




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「ご老人は謎だらけ 老年行動学が解き明かす」



母が二人とも要介護認定を頂くことになった私にとって、希望となる本でした。

特に冒頭の、お年寄りは自分に都合のいいことしか覚えていないというところ。
たしかに同居の87歳の姑は、年々身体は衰えていくのですが、そのお顔は年々柔和になっていって、いつも笑顔。愚痴をこぼすよりも「有り難い」と言うことの方が多くなりました。これは自然な変化なのですね。認知症となった実の母も、本人はけっこう幸せそうです。母なりのルールを理解できれば、お互いにうまくやっていくことは、それほど難しくはなさそうです。

もともと人は自分にとって都合の良い情報を、無意識のうちに拾い集め、記憶し、脳の中に蓄積していくのだそうです。いつか必ず死ぬとわかっていながら生き続けるためには、「自分には生きている意味がある」という自己肯定感や、「自分は生きている価値のある存在だ」という自尊感情が必要で、それがないと生きていけないのだそうです。

なので人は、どちらかというと真ん中よりもポジティブ寄りの気分を保っているそうなのですが、特にお年寄りはポジティブなことの方に目が向きやすく、若者はネガティブなことに目が向きやすいというのです。その理由の一つとして、生きていくうえでの学習機能として、若いうちはネガティブなことに目が向くと考えられているとのこと。人生の端緒を開いたばかりの若者にとって、これから長い時間を生き抜くために、自分はどのような状況で傷つき、どのように苦しむかを学習し、それに対応できるようになる必要があるからということです。

それに対しお年寄りは、さんざんネガティブなことを経験しているので、もうそのようなことを学習する必要はありません。注意力や記憶力という“限られた資源”をポジティブなことに当て、残された時間を有効に生きるようになるのだそうです。

私も若い頃は、今思えばほんの小さな出来事にもショックを受け、悲観したり、絶望したりしていました。でも中高年となった現在、なんであの頃は、つまらないことであんなに悩んでいたのだろうと思います。自意識が過剰で、敏感すぎました。今では、人は、他人のことはそれほど注目しちゃあいないし、憶えてもいられないということがわかります。

ラストツルハシの先週は、若い人のご相談を受ける機会が多かったのですが、漠然と将来が不安というお悩みをよく聞きました。もしも思い通りにならなかったら、繊細な私の心は受けとめきれるかしら?壊れてしまわないかしら?ということだと思います。

結論からいえば、「乗り越えられない試練は来ない」から大丈夫ですニコニコ
それは私の経験からぜったいの自信があります。事前に予想した衝撃より、はるかに強い打撃を、時に人生は与えてくれるものですが、そのただ中では意外と「大変だ~あせる」なんて感じることはありませんでした。必死で一日一日をやり過ごし、気がついたら乗り越えていたことが多かったです。
でも、むやみと恨みつらみのエレメンタルを放出してしまったなぁ。という反省があるので、もう少し柔軟な心を育てておけばよかったと思います。自分はどの程度まで心の苦痛に耐えられるのか、もっとも有効な息抜きの方法は何か、など自分を良く知ることはとても大切です。

若い人たちには、(学習機能を高めるために)ネガティブなことに目が向きやすい時期であるという認識をもち、年を重ねることで解決する問題がたくさんあるということを知って、“今”をできるだけ楽に生きて頂きたいと思います。

***********

【内容紹介】
わけがわからないご老人の行動には、理由がある
あなたはご老人を見たときに「なぜ、あんなことをするのかな?」と、思うことがありませんか?
たとえば、もう先が長くないのに、そんなことは気にもかけず、毎日楽しく暮らしている人。誰が見ても反射神経や判断力が低下しているのに、頑なに車の運転をやめない人。些細なことでキレ、頭から湯気を出して怒っている人......。ご老人たちの行動は、謎だらけです。
しかし、彼らのこのような行動には、実はそれなりの理由があります。その理由を探り、高齢者の行動と心の謎を、老年行動学によって解き明かしたのが本書です。

【目次】
第1章 なぜ、老い先短いことを気に病まずに暮らせるのか?
1.なぜ、都合のよいことしか覚えていないのか?
2.なぜ、年寄りの冷や水をするのか?
3.なぜ、シルバービジネスはうまくいかないのか?
4.なぜ、若き日のことを懐かしむのか?

第2章 なぜ、能力が衰えても自信があるのか?
1.なぜ、いつまでも運転をやめようとしないのか?
2.なぜ、記憶力が悪いのに約束を忘れないのか?
3.なぜ、わがままな人は長寿なのか?
4.なぜ、脳卒中からすんなり回復できる人がいるのか?
5.なぜ、耳が遠くても悪口は聞こえるのか?
6.なぜ、長生きする人は肉が好きなのか?

第3章 なぜ、ガクンと急に弱るのか?
1.なぜ、妻を亡くすと後を追うように亡くなるのか?
2.なぜ、急激に老け込むのか?
3.なぜ、人は老化するのか?
4.なぜ、孤独な人は認知症になりやすいのか?

第4章 なぜ、老いてなおナマグサイのか?
1.なぜ、ゴミ屋敷はエスカレートするのか?
2.なぜ、キレやすいのか?
3.なぜ、いつまでも昔の肩書きにこだわるのか?
4.なぜ、他人の世話を焼くのか?
5.なぜ、自治会長になりたがるのか?

第5章 なぜ、人の世話になりたくないのか?
1.なぜ、ピンピンコロリ願望はうさん臭いのか?
2.なぜ、子ども夫婦との同居はうまくいかないのか?
3.なぜ、病気自慢をするのか?
4.なぜ、人類にだけ老年期があるのか?




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先日、ひょんなことからジェフリー・S・アイリッシュさんについて教えて頂き、著書を読んでいます。



ここのおじさんやおばさんたちは自然のリズムを感じて、そのサイクルの中に生きている。お日さまが沈むと布団に入り、お日さまが昇る前から起きて、動き回っている。ここにはいつもその日その日の明かり、温度、湿度に合わせての人間本来の生活がある。――「幸せに暮らす集落」より

人のお世話になって、人のおかげで生きているんだなって、つくづく感じます。おばあちゃんたちが、「奥さん、人よかれば我よかで」って教えてくれて。「人によくしとれば、自分にいいんだよ」ってことよね。おばあちゃんたちはいろんなことを教えてくれる。――「ライフ・トーク」より

*******

この『ライフ・トーク』のあとがきから、日本を代表する民俗学者だという宮本常一をはじめて知りました。日本中をくまなく歩き回り、人々の語りに耳を傾け続けた、限りなく目線の低い学者だった。というので俄然、興味をおぼえ、図書館で関連する本を何冊か借り、並行して読んでいます。




この人たちの生活に秩序を与えているものは、村の中の、また家の中の人と人との結びつきを大切にすることであり、目に見えぬ神を裏切らないことであった。――「忘れられた日本人」より

とくに最晩年の宮本さんの発言は非常に印象的です。進歩とは何なのだろうか、これまで自分は発展と言ってきたけれども、発展とは何なのであろうか、進歩という名のもとに、われわれは実にたくさんのものを切り捨ててきたのではないか、ということをはっきり言われるようになります。――「宮本常一『忘れられた日本人』を読む」より

*********

調べたいことがあり、ずっと、どんな本を読んだらいいだろうかと考えていました。
我が家の本棚をながめ、これだけの本があるのだから何かヒントになりそうなものがあっても良いのに、と。そしていちばん核心に迫れそうなのが、ペトログラフ(太古、人類が後世に伝えたいさまざまな意匠や文字を岩石に刻んだもの)学の世界的泰斗だという吉田信啓氏の本ではないだろうか、たしか昔買ったはいいが読まずじまいで、どこかにあるはずと探しました。でも読みたい時に限ってみつからないのですあせる

ジェフリーさんの著書を読んで宮本常一さんを知り、民俗学に興味をもって、本を何冊か借りて読み始めたとき、ようやく探していた本を発見しました。カバーがかかっていた為、みつけられなかったのです。読み始めて驚いたことには、吉田信啓さんの本の冒頭に、「民俗学」に関する記述があったのです。




日本の民俗学は、他にない特異性をもっている。・・・日本では民間伝承そのものを、古代からの生活や意識の残留とみなす態度をとる。・・・いいかえれば日本の民俗学は“生きている”ものなのだ。それはたとえばヨーロッパでは一千年以上のキリスト教文明と民族移動、さらに近代以降の産業革命の進展のためフォークロア(民間伝承、民俗資料)の多くが消滅ないし散逸してしまっているのに対し、日本ではそのようなことがなく現実のいたるところに往古の痕跡が残っているというわけである。――「超古代、最古、最高、最尖端文明は縄文日本だった!」より

なんと、ペトログラフと民俗学には密接なつながりがあるというのです。
同書で著者はこうも述べています。

それぞれの神話は、それぞれ国のあり方、将来の展開、国民の尊厳に深い影響を与えるものとなる。・・・・残念ながら戦後の日本は、この認識を失いつつある。今日の教育において神話が取り上げられることもない。・・・神話に代表される民族のアイデンティティを喪失した中での歴史教育もありえない。その教育を受けない世代が多数を占めていったとき、当然ながら国民としての誇りも尊厳もなくしてしまい、流れ藻のように時流の表面を漂う根無し草の観を呈して、海外に伍せない茫然自失の情けない民族になってしまう。

私が国際ペトログラフ学を記し、古代・超古代のワン・ワールドを述べるのは、いたずらにグローバル化を言うものではない。根底にしっかりとした“個”があってこそのものである。いいかえれば、求められるのは日本人としての誇りと、自覚を持つ国際人だ。そうした国際人を涵養(かんよう)するためにも昨今の風潮をまともな方向に修正し、日本に伝わる固有の伝承の数々に深い関心を抱き、それらを次の世代に受け渡すことのできる国民を一人でも多く創出していかねばならないだろう。


――とあり、それにはまったく同感なのであります。


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「逆説の日本史22~明治維新編 西南戦争と大久保暗殺の謎」




起筆から25年が経ち、「あの件についてはもっと言及しておくべきだった」とか、「この件についてはこういう視点の方が真実に近いかも」という反省から追加されたという補遺編が秀逸です。以下に目次を紹介します。

第六章/補遺編
銅鐸はなぜ「舌」を抜かれたのか?――古代最大の謎を推理する
銅鐸に鋳込まれた「絵」は古代日本に固有文字があった証拠!?
「ケガレ」を水に流して生まれた「神道文明」の最高神・天照大神
日本民族が抱く「平和憲法が日本の平和を守った」という迷信
「死穢」という宗教タブーを「仏教」の導入で解決した日本人
「護憲派」による自衛隊員差別は『古事記』以来の悪しき態度
「憲法九条を守れ」と主張することは重大な人権侵害である
日本史を動かす大きな思想「言霊」が引き起こす深刻な事態
日本を戦争に引きずり込んだ「戦犯」朝日新聞はなぜつぶれないのか
日本の歴史は「ケガレ忌避」「言霊」「怨霊鎮魂」抜きに考えられない
歴史教科書の「憲法十七条」の記述に見られる歴史教育の欠陥
法的・倫理的規範を超える「話し合い絶対主義」は日本独自の「宗教」
「勝ち組」が「負け組」に名誉を譲る国の「和」と「怨霊鎮魂」
「卑弥呼の時代の邪馬台国は宇佐」という主張を撤回する理由
「神風は日本軍の勝利にほとんど貢献していない」という新結論
元寇の「神風」は勝因を「神の霊験」にせんがためのでっちあげ
史料分析の第一人者ですら判断を誤る「日本歴史学界の欠陥」
もう一度言おう――「自ら神となった」織田信長は天才である、と
なぜ徳川家康だけが「自ら宣言して神になる」ことに成功したのか?
「真田日本一の兵」との賛辞は討死した幸村への「はなむけ」なのか

*********

日本の歴史は「ケガレ忌避」「言霊」「怨霊鎮魂」抜きに考えられない。
言霊信仰の日本人は、起こってほしくないことを明確に言葉にすることを嫌う。
この世の災厄の原因たる「ケガレ」は、ミソギによって除去されなければならない。これが日本人の根本信仰である。等々、膝を打ちたくなるような明快な理論が展開されています。


著者が高橋克彦氏と対談した『見た!世紀末』(1992年刊行)でも、同じようなことを語っておられました。



井沢 日本人って言葉で誤魔化すところがあるんですよね。

高橋 問題が曖昧になっていくわけですね。

・・・・・

高橋 なんか言霊ってマイナスイメージが大きいなぁ。言霊をプラスに使って、世紀末を乗り切るなんてできない?

井沢 うん、一種麻薬みたいな作用はある。つまり現実が見えなくなるというね。
だから、言霊の世界に没頭しちゃうと、すごく幸せになれるんじゃないかという気がしますね。主観的には――

・・・・・・

司会 井沢さんにうかがいたいんですが、日本はコトダマイスト(貴族社会的)が創る時代と、リアリスト(武士社会的)が造る時代が交互にやってきたと著書の中で言われていますね。そして今はコトダマイストの時代であると。ということは、リアリストが活躍する時代が次に来るということでしょうか?

井沢 どうでしょうかねぇ。ただ日本人がリアリストだったというのは、戦国時代や鎌倉時代もそうなんだけど、戦乱か混乱の時代なんですね。

戦いは、リアリストじゃなければ勝てませんからね。それが経済戦争であってもね。そういう意味でいうと、戦乱状態が、本来コトダマイストの民族をリアリストに戻すという作用があるわけ。ところが平安な時代が来ますと本質のコトダマイストにまた戻っちゃうという。

・・・・・・

井沢 日本の罪って汚れなんですよ。それは一度ついちゃうととれないんです。罪をなすりつけるというでしょう。罪は汚れだからなすりつけられるわけで、それが一度ついちゃうとなかなかとれない。

日本人の衛生感覚って、これは神道の影響だと思うんだけど、外国人とは違うんですよね。たとえば食事をするとき、塗り箸を洗ったのが食堂で出てくると嫌な感じがするじゃないですか。割り箸の方がいい感じがするでしょう。
ナイフやフォークなら平気でしょう。
あれだって人の使ったのを洗って出しているんだけど。

たとえば、高橋さんの家に招かれてね、「これはいつも克彦が使っている箸です。どうぞお使いください」って言われたら嫌ですよね。

高橋 アッハッハハハ!(大受け、笑いがとまらない)

井沢 それって、消毒っていうこととまったく関係ないでしょう。
   完全に煮沸殺菌しても嫌でしょう。これって科学的なこととまったく関係ない。

高橋 なるほどねぇ。

井沢 それって細菌、雑菌の問題じゃなくて、高橋克彦的汚れがついているような気がする(会場、大爆笑)。
   
********

おもしろくて、わかりやすいニコニコ
こういう比喩をもちいて解説をしてもられたら、どんどん引き込まれて歴史の勉強が大好きになりそうですね。



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エドガー・ケイシーのリーディングによれば、土星は変化の始まりを司ります。魂がこの惑星に引き寄せられるのは、霊的成長に不足が見出されるためです。ここに追放された魂は他の惑星を通れるような方向に鍛え直されるといいます。
・・・・・・・
地球において、魂が憎しみにとらわれていたり、不自然な欲望から、肉の法則を満たすことにとらわれていたりすれば、土星での矯正と鍛え直し、はじめからのやり直しを余儀なくされるのである。こうして、再び魂はそれらの惑星を通過し、そこで得た進歩を地球を通して表さなければならなくなる。というのも、魂は肉の中に表され、自分の意志を宇宙の創造力、神と合一させなければならないからである。そしてこのような進歩がわれわれの太陽系さえ一片にすぎない、宇宙の他の星系に移っていくほどの段階に至れば、物質界でいう「霊的世界」の住人となれる段階に至るまで、その星系で成長を遂げていかなければならない。(900-25)

土星について見ると、くじかれやすく、悲嘆にくれやすい傾向がみられる。だが、キリストは泣く者と共に泣き、喜ぶ者と共に喜ぶという方法で、自分を表現されたことを覚えよ。失望と落胆を呼ぶ力を、減らし、遠い彼方に追いやる力の栄光を増すようにせよ。(2571-1)
エドガー・ケイシー文庫「宇宙と人間」より

********

「土星占星術講座」では、土星を、タロットカードの「塔」に例えています。雷が、塔を打ち壊す光景が描かれている「塔」ですが、この固い石で作られた建物が土星を象徴しているそうです。壊れるまで塔は、雨風を防ぎ、安全な場所を確保しています。しかし耐用年数が過ぎた時には、それを取り壊す必要があります。それでもなお使っていると、自然界の力によって、それは打ち壊されてしまいます。土星が悪く言われるのは、その耐用年数がすぎ柔軟性を失ってもなお、保護してくれる硬い殻に執着した場合に、急にその形を壊すような作用がやってくるから。「土星の殻の作用は定期的に脱皮しなくてはならない」というルールがあるのだそうです。



土星の公転周期は29年、社会の中での働き、役割、立場などの始まりから終わりまでに対応するといいます。土星の寿命は、その人の社会的な経歴、大人としての経歴などと同一の寿命だということです。

私は1984年に結婚したので、29年後というと2013年。そういえばこの年は、何かと変わり目の年でした。土星によって、脱皮と再構築を迫られていたんですね。
長男の嫁として、痛い目に遭いながら築いてきた「こうでなければならない」というスタイル。その耐用年数は29年。そこで一周廻ってスタート地点に戻り、刷新されなければならなかった。でもそれに固執していたので、うまくいかないし、何より苦しい。今までできていたことが、自分の内面が苦痛で出来なくなってしまったのです。
その翌年、2014年の春に「天心楽」が始まったのは意味深いことだと思います。

*******

私は太陽星座も、土星も、ともに山羊座です。

この本によれば、「太陽・山羊座/土星・山羊座」の人は・・・

幼いころから将来の道が決まっていて、その道を脇目も振らず進んでいく人です。
晩年になってもその道から外れることはありません。

山羊座は縦構造であり、自分の置かれた場所にまっすぐ立つということも意味していて、よそに憧れたりしません。そのため、太陽と土星がともに山羊座にあると、自分に与えられた役割というものを忠実に果たすようになってきます。義務にも忠実で、そこから逃げ出す人はほとんどいません。それが山羊座の信頼性なのです。とりわけローカルな場所では、その場所を活性化させることに強い能力を発揮します。脇目を振らないというのが良い面でしょうか。


だそうですあせる
そういえば私は小さい頃から、将来の夢は「お嫁さん」
♪幼い日から憧れた、その名かわいいお嫁さん~ ♪あなたが好きだからお嫁に来たのよ~♪
と、ドラマのテーマ曲を口ずさみ、振り袖姿のお嫁さんの絵ばかり描いていました。
就職して独り暮らしをはじめても、なぜか独身生活を謳歌する気分になれず、今の生活は仮のもの。結婚して家庭をもたないと、私の本当の人生は始まらないという気がしていました。

******

●山羊座の土星

山羊座、あるいは土星は均衡感覚というものを意味しています。空間の支配者として自分の立ち位置がはっきりしており、まっすぐ立っています。狭い範囲での活動でも、そこには普遍性があるので、ほかの多くの人も理解できます。

エドガー・ケイシーは土星を「忍耐」と表現しましたが、たくさんの惑星を全部まとめて外から締める役割なので、一つの惑星の働きが過剰にならないようにどれもほどほどに制御するのです。言い換えれば、人ひとりの範囲の中で、全部の惑星を生かすために、個々の惑星の役割が過剰にならないようにするのです。

*******

松村潔氏の↓興味深いです。
エドガー・ケイシーの占星術論を読み直す Kindle版






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エドガー・ケイシー文庫「宇宙と人間」~ジュリエット・ブルック・バラード著

第3章 太陽に秘められた力

●太陽の見えざる作用

人間の運命の中で使われる最強の力はまずもって太陽である。次に地球により接近してくる諸惑星群、つまり個人の出生時に天頂に昇ってくる惑星群である。

・・・・このように占星術的には、地球を一部とする太陽系において、太陽は脳髄、月は性など、他の環境は人体の諸中枢を管制する力の現れである。諸中枢を通してその活動が身体の五感に表現されるのだ。

太陽光線はたっぷり浴びてよい。太陽と月は感情を司っている

●人類の想念が太陽の活動を乱す

“日と月と星々もまた創造された”と聖書にある。天体に影響を及ぼす力があることを読む人にわからされるために書かれた言葉である。太陽も月も諸惑星も神から発動命令を受け、同じものの中を運行していることを覚えよ。人間のみが自由意思という特権を与えられている。人間のみが神を否み得る。

地上で繰り広げられる人間の不実が、日月星辰にも波紋を投げかけ、神の定めたその活動に影響していることを、胸の奥底で問い、答を得た者が何人いるだろうか。魂であり、神の息子たち、娘たちであるあなた方が、生ける神を拒んでいるのである。

・・・・・

不愉快な言葉があなたにどんな影響を与えるだろうか。怒り、嫉妬、憎しみ、悪意といったものが、神の子としてのあなた方にどんな影響を与えるであろうか。あなた自身が生みの親なら、育てているのもあなた方である。他の人々からそれを受ければ、あなた方にどんな影響がくるかを考えてみよ。それが太陽黒点として目に映じるものが地上界に起こす混乱そのものである。人のつながりがすべて断たれるとはどんなものか考えよ。バベルの塔の物語を思い起こせ。

・・・・・

自分が宇宙とそれを司るさまざまな影響力にどんな関係を結んでいるかに、気づけば気づくほど、人を助け、内在する神力に依頼する力は大きくなる。しかし、隣人への責任も増してくることを覚えよ。あなた方が最も小さき者たちに行っていることは、地震、戦争、憎み合いなど、あなた方と共に起こる戦争を映し出す、太陽に対してさえ行っているのである。

では太陽黒点とは何か。それは地上の神の子らが地上で映し出す紛争の、自然な成り行きである。それで、黒点に気づく人々の間に不安と混乱が起きてくるのだ。

・・・・・・

心は建設者であることを知れ。あなた方の魂はどのように表されているだろうか。あなた方は隣人たちとの付き合いの中で希望をつくり出してきただろうか。

太陽黒点によって混乱が起きてくると、あなた方は恐れを懐き、立ちすくむ。だが、あなた方が日ごと、神を否み、隣人を虫けら同然に扱っている時に、あなた方の救い主がどんな思いを懐かれ、どんな顔をしなければならないかを、よく考えよ。(5757-1)


エドガー・ケイシー文庫009 宇宙と人間/ジュリエット・ブルック バラード

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怒りのコントロールができないよ~ガーン と、頭をかかえながら開いたページがこれだったひらめき電球



怒っても自分を制御できる人間は、人生最初のレッスン、あるいは法則を学び始めているのである。人の言ったことに憤りながらも、自分を制御できる人は、その気持ちにさせた言葉を嫌悪しながらも、相手の魂を愛することができる。これは忍耐であり、愛であり、希望であり、柔和であり、心の清さを表わす。心の柔和なる者は地を嗣(つ)がん、心の清き者は神を見る、と主は言われてはいないか。これは常に変わらぬ聖約である。あなたが神を信じるならば、“怒って罪を犯さず”とは、あなた自身に対する約束事であると知れ。――ケイシーリーディング(262‐25)1932,7/24

*********

これは第2章「星々に秘められた法則」の火星についての記述です。他にも火星について、

火星からは怒りを発しやすくなる傾向がみられる。だが怒りは制御すれば、正しい感情である。怒りの中には力さえある。怒っても罪を犯さぬ者は自分を制御できている人間である。怒って自分をつまらぬ者にし、どんな面でも自己満足に陥る人間は、怒りそのものの力を帯びた人生を引き寄せる。(361‐4)

火星からは有益な力も来ている。このため口論し合い、争い合い、怒り合っている人たちに、この人自身の培っている精神的態度から有益な影響を与えられるときがしばしばある。(1037-1)

火星について見ると、その人の生活の中に、怒りや敵意、貪欲などの破壊的活動に向かう力が生じている。だが、事前にそのことに気づき、今まで述べてきたことを生活に活かせば、人々に対する考え方や行動を、この物質界で目的と理想に向かって進歩発展していく際の障害物ではなく、踏み台に変えられる。(1797-1)

火星は人を憎む力も愛する力も表示している。(2902-1)

などの興味深いリーディングが紹介されています。

********

次にパラパラとめくって目にとまったのが「木星」について。

木星の中にわれわれは普遍意識と真面目さをみる。くそ真面目と言われるかもしれないが、その人は真の真面目さからしか生まれない、理解と平和を手にできる。
だがこのようなあなたの得るかもしれない真理は、人生の愉快な面を表現することを通して、開発していかなけらばならない。その人は愉快なこと、愉快な人にほとんど注意を払わない傾向がある。人生の暗い面ではなく、真理を見つめるようにせよ。イエス・キリストでさえ、最後を迎える時に、自分の苦しみを明るくとらえ、今の人々に深い感動を呼ぶものを表現された。(2571-1)

*********

イエス・キリストについて。

被造物の中においては、あらゆる力が互いに相関関係にある。そして、地球の場合、それは肉なのである。幾百とも知れぬ時の流れの中で、世界から世界へと連綿と続く発達を通じて、魂は己自身を探し続け、己の存在を勝ち取っていく。われわれはイエスとその昔呼ばれた魂にその実例を見る。
地球世界に初めてたどり着いた時に、その魂は肉におけるひな型となった。地球で知られているところの天体、あるいは惑星群における発達を通して“合一”を獲得し、ここまでに至ったのである。

・・・・・・

イエスと呼ばれたこの魂は、さまざまな発達の段階のすべてを通過して、創造主なる父と合一したのである。知性においても、激怒においても、肉においても、愛においても、死においても、霊力においても、秘力においても、意識において完成され、より大いなる支配力において完成された。
そのようにして、人類にとってモデルとなり、こうした法則への従属を通して完成された。運命も天命も、先見力も意志力も、完全なものとなり、完全無欠の状態を実現した。彼は人にとって、人としてのひな型である。人として生き、人として死んだ。(900-10)

・・・・・・・

利己心でもなく、憎しみでもなく、怒りでもなく、創造力、神から引き離すどんなものによってでもない、簡素さと優しさ、謙(へりくだ)りと信仰、絶えざる辛抱と忍耐こそが、人の中で活動する魂の固有の性質である。それは人に見られるためのものではない。父が御子を通して表され、毎日地上に表されている愛を、あなた方が身に表すためのものである。(518-2)




※日本エドガー・ケイシーセンターhttp://www.eccj.ne.jp/  


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「私たちはどこから来て、どこへ行くのか」森 達也・著 より

第8章 私とは誰なのか――藤井直敬(脳科学者)に訊く

認知はいかに主観的で、感覚はいかに曖昧か
オウムや連合赤軍が普通の人であるわけ
「人という生き物を変えたい」と思っている
僕の見ている紫は、あなたの見ている茶色かもしれない
いかに多次元の世界をありのままに理解するか
「人を拡張したい」というモティベーションの由来
私は境界のない「世界の一部」である
技術は進歩した。でもアトムは生まれない

*********

認知はいかに主観的で、感覚はいかに曖昧か

藤井が所属する理化学研究所脳科学総合研究センター適応知性研究チームのウェブサイトでは、この日に僕が体験したこの装置について、以下のように説明している。

私たちの脳は、目の前に広がる“現実”は確かなものであると強く信じています。つじつまの合わないことが起きると、「気のせい」や「思い違いのせい」にして、つじつまが合うように強引に解釈します。夢の中では、まったくつじつまが合っていないことでも、現実だと思い続けます。こうした自分の体験を「実際に起きていること」と信じる仕組みや、それに疑いを持つ時に生じる、メタ認知※と呼ばれるヒトの高次認知機能はさまざまな技術的限界のため、その詳細を理解することが困難でした。

研究チームは、被験者に気づかれずに、予め用意した過去の映像を “現実”に差し替える「代替現実(Substitutional Reality; SR)システム」を開発しました。SRシステムでは、被験者はヘッドマウントディスプレー(HMD)とヘッドフォンを装着し、2種類のシーンを体験します。1つは、HMD上に取り付けられたカメラからリアルタイムで送られたライブ映像、もう1つは被験者がいる場所で予め撮影され、編集された過去映像です。これらの映像の切り替えに工夫を凝らすことで、被験者に、過去映像を、まるで目の前で起きている“現実”だと体験させることに成功しました。

SRシステムは、予め記録し編集しておいた過去の出来事を、今まさに目の前で起きている現実であると被験者に信じさせることも、それに疑いをもたせることも可能にします。本装置を用いることにより、これまで困難だったメタ認知に関わるさまざまな認知・心理実験が可能になります。また、新しいアプローチの心理療法としての応用や、VRや拡張現実(AR)※などとは異なる体験を提供するヒューマンインターフェースとしての展開も期待できます。

※メタ認知
認知を認知するという、認知に関する上位概念。人間が自分自身の認知プロセスを認識する場合において、自分の思考や行動そのものを客観的な観察対象として把握し認識すること。

※拡張現実(AR)
現実の環境を、コンピューターを用い情報をリアルタイムに付加・強調などして体験させる技術の総称。例えば、カメラ付きスマートフォンを持って撮影しながら町を歩くと、モニター上に店舗情報が重ね合わせて表示される技術などがある。


*********

「僕の見ている紫は、あなたの見ている茶色かもしれない」という疑問は、私も抱いています。私が「赤」だと認識しているものを、脳の中身を取り出して見せることはできないからです。それなのに、なぜ皆この色を「赤」だと思って安心していられるんだろう・・・。

また、複数の人が同じ出来事を体験しても、その心象風景はさまざまです。個人の性質や特性によって、同じ体験がトラウマとなる人、そうでない人がいるといいます。

ならばこのSRシステムによって、その人の現実認識を別なもの(本人にとってより幸福だと感じられるような)と差し替えることができれば、一部の人にとっては福音となるかもしれません。

しかし現実を人為的に変える装置ができるなんて、すごいね~あせる




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「視点をずらす思考術 / 森 達也」より

人は天敵を探す

禁忌とは共同体における内在的な危険を意味する。だから共同体の構成員に対しては、禁忌の範囲や領域を読む力が要求される。なぜならたった一人の軽率な判断や見落としが、共同体の構成員全員の危機へと波及する可能性があるからだ。ところが僕はその領域を読む力が決定的に弱い。

良いことではもちろんない。でも多少のメリットもある。周囲が走っているからという理由で走ることがあまりない。止まっているからという理由で止まることもあまりない。要するに周囲の多くと違う動きをしてしまう。もちろん抵抗や反骨ではない。気づかないからだ。はっと顔をあげたときには、いつも一人だけ取り残されている。あるいは一人だけ先を歩いている。
・・・・・・・
(人間に)天敵はもういない。でも不安や恐怖の遺伝子は鋳型の形となって継承されている。その空洞に何かを埋めたくなる。

こうして人は新たな天敵を探す。皮肉なものだ。天敵が存在しないことが逆に不安になるのだ。だから必死に探す。いなければつくり出す。仮想の大義を。そして見つけた。最も強くて危険な生きものを。

違う共同体に帰属する同族だ。

メディアの功罪――世界はあなたが思うよりも多面的だ

だから天然のKYである僕は思う。時代状況を考えれば、もう少しKYが増えた方がよい。全部とは言わない。全部がKYになってしまったら、その瞬間に多分社会は崩壊する。空気は重要だ。場を読む力も必要だ。

でも特に今の日本社会についていえば、KYがもう少し増えた方がいい。あまりに息苦しい。あまりに均質性を要求されすぎる。

だからあなたにも考えてほしい。空気を読むことと空気に従うことは、必ずしもイコールではないはずだ。

                      「乙嫁語り」のかっこいいヤギとおばあさん

モンゴルの遊牧民は、数百匹の羊の群れの中に必ず数匹のヤギを放つ。周囲の動きに従う傾向が強すぎる羊は、変化に対応できないからだ。足元の草を食べ尽くしたら、その場で立ちつくす。寒い時にも動かなくなる。ところがヤギは同調圧力に従わない。草がなくなれば、さっさと他の場所に移動する。寒ければ風を防ぐ場所を探す。ぞろぞろとその後に続く羊たちは、結果として餓えや寒さから身を守ることができる。

日本人は羊度が高い。それは認めよう。だからヤギは必要だ。でも突出したヤギは時として独裁者になる。頼もしいリーダーの指示通りに動いていたら、気が付くと断崖絶壁にいたということになりかねない。

もうひとつの危険性は、カリスマへの過剰な忖度(そんたく)。きっとヤギはこう考えているに違いないと、羊たちが過剰に思いはばかった結果、誰も望んでいないのに破滅への道をひた走っていたということにもなりかねない。この国の近代史を、羊とヤギのメタファーの観点から眺めれば、とても適合することにきっとあなたも驚くはずだ。

全員がヤギにはなれない。ヤギばかりの社会は崩壊する。羊のままでよい。でも羊は羊でも、もう少し懐疑や、ためらいや逡巡を持つ羊になるべきだ。いってみればヤギの要素を少しは持つ羊。ハイブリッドだ。
・・・・・・・・・
ハイブリッドは可能だ。だからこそ、懐疑や、ためらいや逡巡の能力を少しだけ多く持つ羊になるために、僕はあなたに提案したい。

視点をずらそう。

この世界は無限に多次元的なのだ。事件や物事や現象は、決して単面ではない。多層的で多面的だ。視点をずらしさえすれば、まるで鉱物の結晶のように、新しい明度や色彩があなたの前に現れる。

これらの多面な要素のうち、マスメディアは最も刺激的でわかりやすい局面を呈示する。仕方がないけれど、でもこれを額面通り受け取るだけでは、この世界は矮小化されるばかりだ。善悪や貧富や正誤などの二項対立に覆われるばかりだ。

だからずらす。あなた自身が主体となって。扁平で横並びのマスメディアの情報だって、これに接するあなたがほんの少しずれるだけで、多層で多面的な要素が現れる。二項対立の狭間が見えてくる。

**************

「不寛容社会」に出演した森達也さんの発言に興味をもち、著書を何冊か読んでみました。

森達也さんといえば、かつて超能力少年と騒がれた清田氏について書かれた「スプーン」や「オカルト」などを読んだことがありましたが、一般には受け入れられない異質な人たちを、淡々と取材する態度に好感が持てました。

ご自身がKYを自認されているんですね。なるほど「不寛容社会」でも、ただ一人スタンスが違っているように、私には感じられました。

視点をずらす思考術 (講談社現代新書)/講談社

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職業欄はエスパー (角川文庫)/角川書店

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「自分の無知を知っている」

ソクラテスの生涯(前470~前399)
ソクラテスは自然探求が中心の哲学を、人間の探求に方向転換させた偉大な哲学者である。
父は彫刻師、母は助産婦だった。妻の名はクサンチペ、子どもは三人いた。
彼には一冊の著書もないが、弟子のプラトンらの作品によって、古代ギリシア第一の哲学者ソクラテスの生涯の姿はかなり正確に再現できる。

若い頃、彼は自然研究に熱中したが、後半生では、人間の行為・道徳などもっぱら人間の問題に関心を集中させ、街頭や体育場などで出会う誰彼となく問答をかわして日を過ごした。

ソクラテスはスパルタとのペロポネソス戦争(前431~前404)の時、①37歳、②45歳、③47歳と三度従軍し、その都度勇敢な戦士として名をはせていた。また65歳のとき、国民議会の一員となっており、アテネの有名人であった。

「ソクラテス以上に賢い人はいない」というアポロン神殿の神託を受けて以後、ソクラテスはアテネの町で人々と問答を始めた。この問答を、ソクラテスは「母の産婆術と同じだ」と言っていた。周囲に若者たちが興味津々集まってきた。ソクラテスの存在はアテネの支配者にとって不気味なものとなった。

ソクラテスは告訴され、500人の陪審員による裁判が始まり、死刑の判決を受けた。
友人、弟子たちは国外逃亡をすすめたが、ソクラテスは「悪法も法なり」と言って毒杯を仰ぎ、死についた。

この世で一番賢い人物
ソクラテスの友人の一人・カレイポンは、気の良い男だったがいささか早とちりするくせがあった。
カレイポンはソクラテスと何度も話したことがある。ソクラテスはいつも「私は何も知らない」と言っていた。実際にそう思っているようだが、カレイポンにはそうは思えなかった。
「これまで自分がつきあった者の中なかで、ソクラテスが一番賢いと思うが、本当にそうだろうか。これはアポロン神殿に行ってお伺いするしかない」
巫女の口から告げられた信託は「ソクラテスが最も賢い」だった。

「汝自信を知れ」
アポロン神殿は、アテネの西北100キロのパルナッソス山麓デルフォイにあり、ギリシア人が最も崇拝するアポロンの神を祀ったこの神殿の正面には「汝自身を知れ」という額が掲げていた。この格言は一般には「身の程を知れ。節約せよ。行動を慎め」と解釈されていた。いわば処世訓である。

しかし、ソクラテスの解釈は違っていた。
ソクラテスは自分自身のこともわからないと思っていた。この世の中のこと、自分は何者かということも、すべてを疑っていた。自分自身は、何もわかっていない人間なのだと思い込んでいた。

ソクラテスは何事についても心から納得しないと気がすまない。表面だけではわかったとは思わない。何度も「それは何故か?」を繰り返す人だった。一つの答えにたどりついても、さらに「本当にそうなのか?」と考えることを5回も繰り返す人だった。

汝自身を知れ――ソクラテスは、この格言をもって自らの哲学活動の礎としたのである。

「私は馬の尻にとまった虻」
ソクラテスは本気になって悩んだ。
「私は決して賢くない。それなのに、神は何故、私を賢いと言われたのか?神は嘘を言われるはずはない。何故なのか?」

ソクラテスは自分が疑問に思っていることを、政治家・藝術家・職人・学者たち一人ひとりをつかまえ、尋ね始めた。答えに窮し腹をたて、ソクラテスに暴力をふるう者もいた。ソクラテスは殴られ、髪を掴まれ蹴飛ばされることもあった。ソクラテスはいくらなぐられてもじっと我慢し、
「私はアテネという大きな馬の尻にとまった虻である」と平然としていた。

日ごろ偉そうにしている男たちなのに、誰も納得のいく答えを出す者はいなかった。
「世間の人々は自分の無知に気づいていない。知らないことでも知っていると思っている。
問い詰められると、ようやく“知らなかった”と白状する。私は初めから自分の無知を知っている。だから、神は私を賢いと言われたのだ」
ようやく、ソクラテスは神託の意味が理解できた。

「私の議論は母の産婆術と同じだ」
紀元前五世紀、アテネは人口50万の大都市となった。各地から、商人・芸術家・ソフィスト(はじめは「賢い人」の意味だったが、紀元前五世紀後半、町から町へと巡回しながら人々に知識を授けて謝礼金を取る一群の人をさすようになった)たちがどっと押しかけてきた。

アテネの多くの若者は政治家を目指し、ソフィストたちに弁論術を学んでいた。こうした時、アテネの街角、市場、若者の集まる体育館など、いたる所でソクラテスとソフィストたちとの議論がはじまった。

初めは日常のありふれた事から問答を開始した。
ソクラテスが質問する。
「君がいちばん大切だと思うものは、何か?」
「それは、地位や名誉や財産だ」
「地位や名誉や財産は、それは一時的なものにすぎないのではないか?」
「うーん。それは、そうだが」
「人間の心の奥底にある、霊魂の方が大切ではないのか?」
ソクラテスの質問は鋭かった。
相手が答えに窮すると、若者たちは拍手喝采した。

ソクラテスは、独特のスタイルの対話法で人々に自らの無知を自覚させつつ、真の知識に共同で到達するように努めた。問題にぶちあたった時、その答えを人から教えてもらうのではなく、自分で発見することが大切だと考えていた。

「私の母は助産婦だ。母に習って、私は人の精神のお産を手助けしているのだ」
「産婆術」と言われるソクラテスの議論は、相手の心の中にある能力を“取り上げる”仕事だった。

なぜ死刑になったのか?
紀元前399年、70歳のソクラテスが、不敬虔の罪で告訴された。
罪状は、①アテネの神を敬わない、②青年たちを惑わす、の2点だった。
第一回の採決は、280対220でソクラテスは「有罪」とされ、罰金刑を言い渡された。

納得できないソクラテスは断固として主張した。「私はアテネの神を敬っている。さらにデーモンの神も信じている。それがなぜ悪いのだ。この場に出廷することも、デーモンの神は反対していない。それをなぜ、神を敬っていないというのか」

ソクラテスには、何か事を為そうとしたとき、よくこの〈デーモンの神〉の声が聞こえてくる。「なんとなく胸騒ぎがする。ある予感が働く」と言っていた。誰の声でもない。ソクラテスだけに聞こえてくる神の声だったのである。

「青年たちを惑わしたと言うが、私は人間には地位や名誉、財産よりもっと大切なものがある。それは心、魂ではないかと言っただけだ。金銭をいくら積んでも、そこから優れた精神が生まれることはない。私はそう言っただけだ。それがなぜ、罪になるのか!」
ソクラテスのこうした発言は、陪審員に挑発的と受け取られた。第二回の採決では、360対140で「ソクラテスは死刑」という、さらに厳しい判決となった。

「悪法もまた法なり」
ソクラテスの友人たちは役人を買収し、牢獄のソクラテスに国外逃亡をすすめた。
「悪法には従うことはないと思いますが」友人クリトンの言葉に、ソクラテスは、
「悪法も法である。私は法には従う。不正に対して不正で対抗し、逃亡という不正な手段をとると、これまでの自分の生き方を否定することになる」

面会に来た妻のクサンチペが「あなたは、不正に殺されるのだ」と言ったところ、ソクラテスは直ちに「それならお前は、私が正当に殺されるのを願うのか?」と言ったそうだ。

毒杯を運ぶ獄吏の手は震えていた。
「ほかの人はみな暴れまわったり、罵ったりしますが、あなたは気品高く、温和で、堂々としておられます。これは私の役目ですからお許しください」
獄吏はこう言って、わっと泣き出し、部屋から走り去った。

かくて紀元前399年、ソクラテスは毒杯を仰いで静かに死の床に横たわった。70歳だった。





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