2009-02-24 00:03:57

日本文学は二番目に老舗だとさ #*$

テーマ:学問未満

 以前、「日本 」(学生社)という本がありました。新日鉄が編集した本で、日本のことを日英対訳で説明している本です。

 いつものように記憶が大雑把ですが、その中に、「日本の文学」について、「日本文学は中国文学に次いで、世界で二番目に古い文学」と書いてあったように思います。

 面白いでしょ。


 言われてみると、確かに「万葉集」って8世紀にはできている。「ベオウルフ」よりは前に文字に定着しているのでしょう。

 フランス語も10世紀とかそれぐらいに形成されてきたとすると、ヨーロッパ諸国と比べて、「日本文学」は古くから形が見えてきたといえそうです。

 

 でも、こういう話を聞くと、誇らしいというより「何か変?」って感じがしますよね。お国自慢が国粋的だからだめとかいうのではなくて、「何々文学」というときに、現存の国民国家をもとに、その「一国文学」の古さを比べているのがへんてこりんな感じ。

 ラテン語で書かれた作品も、ギリシャ悲劇も、インドの古代叙事詩も、アラビア語の詩歌も、現代のある国の国民文学の淵源として、連続的かつ一意に対応しているのでなければ、「国民文学」の伝統とは考えないみたい。ギリシャ文学は、現代のギリシャ文学と言語的にかけ離れているから、その一体性がないという判断なのかな。

 ペルシャ語などもそうなのかしら。


一国文学という考え方を全て無効だとは言わないけど、近代国民国家に一個一個対応させてそれぞれの国民文学を考えるものなのか。本屋の都合で「北欧文学」とか「東欧文学」なんてまとめ方もするのか。あんまり精密な概念規定とは思えません。

 スペイン語文学とスペイン文学は違うでしょう。イギリス文学とアメリカ文学は別に考えたほうがいいと思うけど、イギリス植民地の作家はどこに分類するのか。

 スイス文学ってあるのかな。スイス国籍の作家の文学ということでしょうか。

 でも、そうすると、これから日本国籍を持たない日本語使用者も増えるだろうから、日本語文学と日本文学が分裂すると期待してよいものやら。


 と、とりとめのないことを書き付けて、ここで議論になったことの続き。

 http://ameblo.jp/kandanoumare/entry-10211057232.html#c10285162599


 もともとは、このエントリーの話。

 http://blogblues.exblog.jp/7870713/

 言語の話になったけど、ここでは「国民文学」なんてものの実体ってあるのかなあ、というそこはかとない疑問から、ぼんやり考えています。


 「日本近代文学」って確かにある。それが世界史の中で重要だと、わたしも思うのだけど、それは「英語」が世界を席巻するのに抗するって話なのかなあ。

 「近代的自我」って、ヨーロッパには普通にあって、日本では知識人が苦闘の末たどり着いたなんて思われているけど、実は「日本近代文学」の発明品で、ヨーロッパにはそんなものなかったぜ、なんてことはないかなあ。


 最初に「日本人論」スタンスがあって、それからものを考えているとかさ。

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コメント

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33 ■クリティカル

ごん さま

 「党派的」とか言わずに「メロドラマ的」ということろがごんさんのクリティシズムですね。

 なかなか示唆的な引用ですね。
 
 「群れる」というのを考察したらどうなるかなあ。、もっとも論壇にも文壇にも疎いけど。

32 ■書き言葉

harutoさま

 いらっしゃい。
 蓮實先生、雑誌だから軽めの評論を心がけたのかな。
 まあ、」「英語」をそのものにそって(より微細に分析的に検討するのは大きな問題かもしれません。
 「英語が世界を席巻し」という丸め方自体が、バイアスの塊かも。

 「書き言葉」の問題は難しいですね。言語は話し言葉から切り離せないけど、文明的事象となれば、「話し言葉」の範囲にはとどまれない。

31 ■ひとりコメントスクラム(笑)

引用ばっかで迷惑だったら消しちゃってね。

>kuroneko教授

harutoさん、お久しぶり

うれしくってたくさんコメントしちゃった。

30 ■新しい日本語について

新しい時代に向けた言葉を生み出すことは、戦後思想が「民主」や「愛国」といった「ナショナリズム」の言葉で表現しようと試みてきた「名前のないもの」を、言葉の表面的な相違をかきわけて受けとめ、それに現代にふさわしいかたちを与える読みかえを行ってゆくことにほかならない。それが達成されたとき、「戦後」の拘束を真に乗りこえることが可能になる。そして本書を通読した読者にとって、そのための準備作業は、すでに終わっているはずである。

~~~~ 『民主と愛国』小熊英二

新しい「戦後」の拘束を乗りこえるための「名前のないもの」読みかえ。あたしが推すのは最後の一文。

「本書を通読した読者にとって、そのための準備作業は、すでに終わっているはずである」

格好いいよね。

29 ■現今の思想について

以上からうかがえるのは、丸山眞男、吉本隆明、江藤淳、竹内好、鶴見俊輔などが創った戦後思想の論調が、混濁したかたちで合成され、佐伯や加藤の言葉を形成していることである。そうでありながら、彼らは丸山や竹内を批判し、自分以外は「全部すべからく戦後的なものに取り込まれてしまっている」と主張したり、自分の主張が「戦後」においてまったく新しい思想だと唱えていたりするのである。

~~~~ 『民主と愛国』小熊英二

今の日本てのは、なんだか思想までメロドラマ的、だね。水村美苗の「批評」だけでなく(笑)

28 ■文壇について

自然派の作物は狭い文壇の中にさへ通用すれば差支ないと云ふ自殺的態度を取らぬ限りは、彼等と雖亦自然派のみに専領されてゐない広い世界を知らなければならない。

~~~~ 『文学とヒロイツク』夏目漱石

27 ■洋書について

芸術も学問も、パアシイ族の因襲の目からは、危険に見えるはずである。なぜというに、どこの国、いつの世でも、新しい道を歩いて行く人の背後には、必ず反動者の群がいて隙を窺っている。そしてある機会に起って迫害を加える。ただ口実だけが国により時代によって変る。危険なる洋書もその口実に過ぎないのであった。

~~~~ 森鴎外『沈黙の塔』より

26 ■蓮實氏の見解

お久しぶりです。

先月の中央公論で水村さんの本の特集があり、そこでかつて『反-日本語論』を書いた蓮實重彦が原稿を依頼され、水村さんの本についての共感と疑問点を述べています。一部は先立って出された雑誌ユリイカでの蓮實さんの文章とも重なる内容でした。簡潔に内容を表わすと、

1.「普遍語」としての英語も「書き言葉」としては亡びつつあるという問題がありはしまいか。

2.英語と日本語とのバイリンガルであることが必要なのは、軍人と政治家である。

3.「あたしよりも頭の悪い人間が小説を書いている」(水村さんの本の第1章参照)というのは今に始まったことではなく、近代においてはものを書く場合にふまえておくべき歴史的条件にすぎない。

といったところでしょうか。

あとユリイカの特集では、水村さんご本人が著書で問題にしているのは、「話し言葉」ではなく「書き言葉」であることをインタビューで明言しておられました。

25 ■新エントリーの構想

ごん さま

 サヨクと右翼に関するエントリーもそのうち書きます。
 「わたしってサヨの悪口、やらせりゃうまいのよ」とかなんとかのタイトルで。

24 ■疑っちゃってごめんね

あたしは、張良さんが、親子のありように対してお優しい眼差し(出自に関わりなく、まずは愛情を前提にという)を向けてらっしゃることが素直に嬉しいよ。もう少し懐疑的に見てるんだと思ってた。

ごめんね&ありがとう。

あと、左翼だとか、右派とかも疑ってみた方がいいよ。たとえば「威信軍vs親日プロ庶民」みたいに言い換えてみるの。けっこう楽しめる。

kuroneko教授、

著作権というより、玄奘三蔵がブルマだからねえ(笑)

けっこう懐が深いな>仏教徒、と思うわけです。

23 ■国民懐疑派

ごんさま

龍玉(ドラゴンボール)って「西遊記」の著作権侵害なの?

張良さま

 「すべては考えうる」といった(らしい)マルクスは、「全ては疑いうる」ともいうだろうから、左翼というのは、もともとは世の常識を疑うものですよ。
 現実には、体制派業界、サヨク業界の仕切りの中で、どっちもマンネリ化しちゃったけどね。

22 ■どんな人か・・

ごんさんへの紹介も兼ねて・・・
自分の中で、常にありたいとか理想と思っているのは他人の為に自己犠牲が出来る人です。
基になっているのは、学生の頃読みに読みまくった古代中国の歴史書物の影響だったりします。
今ではオー・ヘンリーの賢者の贈り物のような人生がいいなぁと・・
私はロマンチストですよ。そのくせ疑り深いのが災いし、左翼から右派寄りになっているのが現在です。
そもそもの転身に到ったきっかけは「疑う」という行為に対しての考え方ですねぇ。
相手に深い興味を持つと「疑う」ものだと思うのですよ、「疑わない」事は色んな関係ごとから逃げる簡単な方法なんじゃないか?と思う所だったりします。

21 ■あたしは

孫悟空を思いついた人やそれを紙に書き写した人がミッキーマウスの創造主みたいにがめつい奴だったらドラゴンボールのような胸ドキドキの夢がどっさりの世界を席巻する日本アニメもこの世には存在しなかっただろうな、と句点ひとつで論述してみたいねと思っただけです。

(でも、ひとつ「だけだけど」、読点をはずせなかったから、この試みは失敗なのだ。まだまだなので修行するのだ)

20 ■日本礼賛

ごん さま

 ある地方に都会から移住者が増えて、「ここは子育てにも最適な環境」という声が多かったら、その地方は、「ほー」と感心されると思うんですね。
 日本で外国籍市民が子どもを作って子育てしたら、物価は高いかもしれないけど、安全だし社会保障もあるし、人種差別はないし、と世界から「ほー」と一目置かれる。
 あたしなら、そうやって日本を自慢しちゃうんですけどね。

 最近は産経新聞読者あたりに、日本のことを悪く考える人が増えたような。

19 ■意外

ここで張良さまが「愛の結晶」などと宣わくとは存外だったな。

将来のことに無自覚な「愛し合い」が悲惨な結果を招くことがあることを諭すような方だと思っていたよ。

案外ロマンチストだったんだね。

18 ■やっぱり・・

うみゅ。

張良さまにおかれましては、「ちゃんと滞在資格を持っている外国人」の親たちも、日本で子どもを産むと滞在目的で子どもを作った思われる(そういうふうに思うへんな日本人が多い)から、「悲惨」だと言うわけですな。

別にそう思われてもいいじゃん。あたし、子ども持ってるけどよその人に「あんた、年金のために子ども作ったんだろ」なんて言われても別に痛くもかゆくもないよ。「うふふ」ってふくんじゃうだけ(笑)

やっぱり、何が悲惨なのかわからない。

<張飛では変換できるけど張良はできない。ためしに韓信と入力してみたら出てきた。ついでに林沖とか宋江入れてみるけど全然ダメ。どんな基準なんだろ。日本では『水滸伝』の方が『史記』より読まれてたこと(時代)もあったと思うんだけど。孫悟空や三蔵法師のお話しみたいに>

17 ■できちゃった・・・

張良さま

 なるほど。地方の自治体で、子どもを産んだ夫婦には給付金を出すことで子どもが増えたら、愛の結晶ではなく給付金目当てに子どもを作る。そういう流れができたら悲惨だろうと仮定して心配なさるわけですね。
まあ、しかし、子どもって、愛の結晶たらなんたらいうより、できちゃった、てもんでしょ。それでもなんでも可愛いと思うのが人情だと思いますよ。

16 ■あらら・・

悲惨と言ったのは産まれて来るのが愛の結晶の結果ではなく、滞在許可を取るために子供をつくる。こういう流れが出来た場合は悲惨ではないか?という仮定の意味の話でした。

15 ■朝鮮民族は偉い

fabriceさま

 中国国内に、少数民族としての朝鮮族がいるんでしたよね。
 どちらにしても、偉いなあ。まあ、赤ちゃん、子どもはかわいいってのもあるだろうし。

14 ■誰にとっての悲惨

ごん さま

 滞在目的で子どもを産むとですね。日本の人口は増えて少子化対策になるんです。出生地主義なら日本国籍になりますから。(そうじゃなくても子どもはやがて成人して、日本の生産力人口年齢に達し、働き手になる)
 日本国家にとっては悲惨じゃなくて慶賀すべきことなのですが、張良さんは日本が少子化するのは全くOKと思っているようだから、ここでいう「悲惨」というのはですね。つまり、ニューカマーの外国籍市民一家が、日本で子どもを産んでも、子育ての困難は解決されないから、滞在目的で子どもを産んで貧乏人の子沢山になる。日本の少子化解消には幾分なりとも貢献できるけど、その一家にとっては、子育てが大変でなかなか「悲惨」だということでなはいかと。
 

13 ■人の和

あたしが考える悲惨、というのは、

みんなで一緒に生きていきましょう、

ということで出来上がったはずのカンパニイが、

カンタンに、しかも大量に、同胞のクビを切るようになったことだよね

12 ■悲惨な、という文脈がわからん・・

>滞在を認めてしまった場合は「滞在目的で子供を」というような悲惨な流れ

まあ、日本人ならそういうことを考える向きも多いでしょうな。

実際、この世に滞在する拠り所としての「家」を守るために子を生むというのが、当たり前だと考えているふしのあるお方もいらっしゃるでしょうし。
少子化対策というのは、最終的には国際社会に居場所を確保するためにやってるんではないのかな。

だから、こんな日本に我が子と一緒に生きていきたいとお考えになる御仁がおられるのは、取り立てて問題はないわけで。

で、なにが、悲惨なの?

11 ■不法滞在

張良さま 

 いらっしゃい。
 環境基準を緩和して公害企業をお目こぼしするのがありえるなら、出入国管理の基準を変えて、不法を減らすってだめかしら。
 犯罪者は別の方法で無いと止められないだろうし。

10 ■おひさしぶりです

いやいや・・・不況の影響が全然違う部分で出てしまい、ニュース系にまったく手が付けられない状態でした。
業務凍結や縮小に伴い、余った時間が出ると有能な人材は巣立ってしまい、そうでもない場合は単純にやる気を無くしたり等と・・・。
まま、愚痴はこのへんにして私も少し言いたいところがコメントにあったので便乗してみます。

カルデロンさん一家の件ですが
一番影響を受けているだろうと感じるのは
ちゃんと滞在資格を持っている外国人の子供達への目だろうなぁと思います。
個人的にもこういったことは悲しいと思うので、不法滞在者を無くす努力へ向かうべきと思います。
今回、仮に滞在を認めてしまった場合は「滞在目的で子供を」というような悲惨な流れに向かっていったかもしれないなぁと感じました。

9 ■ちょっと失礼

BLOG BLUESさんの中国残留孤児の部分なんすけど僕が学生時代にバイトしてたところで残留孤児の娘がと一緒に働いてましたが、彼ら残留孤児を育てたのは基本的に朝鮮族の人たちだそうです。中国人にはさすがにあずけられなかったみたいですね。

8 ■空自慢

こういう議論を積み重ねると、日本語が素晴らしいから日本は世界に冠たる国とか、日本人は頭がいい、とかあらぬうわごとを口走らないですみますね。

アメリカ支配というより「英語支配」という現実はあって、ただしそれは米英両国がアドバンテージを持っているというより、世界中が英語を武器にしているわけでもあって、その「普遍」というのはあるでしょう。
それが世界の可能性、多様性の礎石の一つかなあとは思うけどね。

もっとも、わたしは、品下れる人間だから、西欧人に対して、「皆さん、ラテン語の詩なんて読めないでしょ。あたし杜甫と同じ詩を読めちゃうんだよ。唐代の中国語ではないんだけど」と威張りたい欲望を密かに持ってしまいます。
まあ、だからなんなのよ、なんだけど。

7 ■やめられないとまらない

カッパえびせん状態です。またまたあ、偶然にしては出来過ぎている。本書は、明治の文豪の作品と共に、在日韓国人の少女が綴った日記「にあんちゃん」を魂を打つ日本語作品として絶賛してるのですね。著者は、インターナショナルな人間で、だからこそ、自身のマザータングである日本語にそれこそ母をたずねて三千里みたいな健気さを示す。そして、植民地支配によって言語を奪われた人々に深い同情を示すし、そうした国々が非運な歴史を逆手に取って、英語の世紀のアドバンテージにするのもいい、すべては国民の意思次第だと慮る。で、日本語は先達の大奮戦によって護られた、それは世界史上の奇跡、僥倖なのだからなぜ大切にしないのかと。それこそ声涙下る調子。

中国残留孤児で、僕がいつも念うのは、中国の懐の深さですね。侵略民族の子を養育するなんて、日本はできるかよって。日本政府は、これまで育ててくれてありがとうって、ちゃんと言ってるのかな。本人が嫌だと言えば、もちろん別ですが、『日本で生まれて日本文化で育てば日本人』ですよ。ミッキー・カーチスも快楽亭ブラックも、もうモノホンの日本人。

6 ■出生地・言語主義

BLOG BLUES さま
 日本近代文学が、なんというか、日本語とも闘ったし、近代とも闘って、ちょっと壮絶なものだとは思うんですけどね。(正岡子規の改革だって、世界史に例をみない)
 まあ、しかし、国語こそ核というのは、国語国粋イデオロギーだからダメというのではなくて、かなり覚悟がいるんです。

 「日本人を日本人たらしめているのは、日の丸でも民族の血でもない、日本語だ。」

 そうなんだけどねえ。中国残留日本人孤児というのが、日本に引き揚げてきたのをみて、わたし、なんでこの人たちを日本人孤児というのだろう。中国で生まれて日本語が話せなくて、中国語(満州のほうの中国語)を話すのなら、中国人でいいんじゃないの、と素直に思うんですが、こういうと、非人情の極みとして白眼視されそうに思いました。
 逆に、カルデロンさん一家は、家族で国籍が違って、女の子が日本で生まれて日本語しか話せないなら、どうみても日本人でしょ。と思う。

 日本人たらしめるのが日本語だ、というのは、そういうことじゃないのかなあ。
 わたしは国籍法の血統主義はやめちゃえばー?という意見だから、日本語をマザータングにしている子どもは親が何国人でも、日本で生まれて日本文化で育てば日本人と決めようと思うんですが、多くの人は賛成しなさそうに思うんですよ。

5 ■長っ尻でどうも

長居します。いやー、偶然にしては出来過ぎ、本当は読んでるんでしょって冗談ですが。著者は漱石と並べて、内村鑑三、福沢諭吉を引いています。文学の学問としての領域は、哲学、美学、宗教学をまたぐものでしょう。で、論考を論述ではなく、物語で紡いでいく。図書館で借りて読んで今手元になく、うろ覚えなのですが、小説は世界と向き合うものだとかいう著者のテーゼが示されてたと思います。読み物娯楽レベルのものじゃないんですね、著者にとっては。漱石が弟子の鈴木三重吉に与えた言に「生死を賭する覚悟で文学に取り組め」ってゆうのがあるんですが、そうゆうレベル。国際的ってゆう意味のクロネコ旦那の『世界に通用なんぞしなくたって痛くもかゆくも無い』ここは、著者と大いに違うとこです。日本近代文学は、学問たり得る文学として世界に通用し、世界中の「叡智を求める人」に読まれ研究対象とされている普遍なもの。著者は、それが誇りなわけです。それほどの日本近代文学及びその成立の礎となった日本語が、当の日本に於いてまったく蔑ろにされている。事実、文芸ブログを自称する僕でさえ、もうそれらを原文で読めなくなっている。なんとMOTTAINAI!と悲憤慷慨するわけです。で、日本語を護れ、そのために、日本近代文学を読め、学校教育に於いて読ませろ、国語の授業時間を増やせと提言してるのです。それが世界と向き合う人間をつくると。英語教育なんぞ技術教育なのだから、エリート選抜で構わない。それより日本語だ。日本人を日本人たらしめているのは、日の丸でも民族の血でもない、日本語だ。国語こそ能う限り能力格差をなくせと。誠に尤も。

4 ■翻訳語の詮索

「学問」という言葉は、漢籍にあるかなあ。あったとしても近代日本語とは意味が違うでしょう。

「Art」を技芸とか学問とか訳し分けた明治の翻訳を問題にすべきなのかもしれないけど、「翻訳語成立事情」の出た頃にいくつか読んだっきりだなあ。

近代日本で、「文学者」っていうのは、知識人の中でもメジャーグループででかい顔をしている反面、道楽商売の偏頗な人が多いという蔑視もあったりしますよね。
どうも近代日本の「文学」というのは、社会の中のポジションが、他の国とは違うのではないか。
違ったって一向に構わないし、だいたい世界に通用なんぞしなくたって痛くもかゆくも無いわけです。
でもみんな好きだよね。村上春樹が何ヶ国語に訳されているたらどうたらって話。ウォークマンやゲームソフトと同じなのかな。

3 ■そう言われれば・・・

うろ覚えの続き。

BLOG BLUESさま

誰かが、「ヨーロッパの文学史って思想書も入るんだよね」とどこかで書いていたような・・・。
加藤周一さんかなあ。加藤さんぽい着眼ではあるけど。
実際、岩波文庫別冊格の「ドイツ文学案内」とか「フランス文学案内」というような本がありまして、パスカルとか、有名なカトリックの説教家の誰とかが載っていたと思う。
日本でいうと詩歌、小説、戯曲は文学だけど、西田幾多郎や内村鑑三を近代文学史に入れるとは思えない。というわけで、学問(思想書)は文学ともいえる。
文学を学問としてとらえないというより、思想書と文学書を別の書棚に分ける精神が、日本近代固有なのじゃないかしら。

2 ■つづき

本書の中で、僕が一番印象に残ったのは、頻繁に繰り返される「叡智を求める人」ってゆう言葉です。「叡智を求める人」への限りない憧憬を抱く著者もまた「叡智を求める人」なんですね。キーワードは「学問」だろうと思います。文学を学問として捉えてないってゆうか、学問に値する文学がない今の日本に、著者は漱石の精神的な弟子として満腔の怒りを本書でぶつけているわけです。いやー、その至誠熱血に、僕は感動した。明治の書生みたいだ。って実物は知りませんが。一本気で実に気持ちいいですよ。おすすめ。

1 ■文学は学問

こんにちは。では、河岸を変えて、つづきをば。クロネコ神田の旦那の疑問は、本書「日本語が亡びるとき~英語の世紀の中で」をあたれば、ほぼ氷解すると思いますが。ま、ブログ談議ということで。素人解説および雑感をば。著者は「現地語」「国語」「普遍語」と、言語を3つの発達段階に分けています。「普遍語」には2つの意味ってゆうかその成立条件を与えていて、ひとつは辞書的な意味の時間空間を乗り越え広く流通して、いまひとつは、それゆえに学問の言語になっていることです。言うまでもありませんが、文学も学問。ラテン語がずっとその座にあったのが、その後、英語・仏語・独語の鼎立時代があって、英語一極時代になったという見取りです。で、この中にどう日本語が食い込んで来るのか、ベースとなった漢語はとか、とにかく論考が、手に汗握る面白さ、知的興奮を誘う事必定ですので、ぜひ本書を。『最初に「日本人論」スタンスがあって、それらのものを考えている』てな俗流なものでは決してないのです。文学者による学術的なものであり、それが小説家の筆でしたためられている。一読して打たれるのは、著者の日本語への敬愛の深さと、とてつもない勉強量です。これに圧倒されてしまう。因みに著者の最愛の文学者小説家は夏目漱石であり、何と!漱石の絶筆「明暗」の続編を漱石に成り代わって書き上げた、それが、日本文壇へのデビュー。その文学者小説家としての実力の凄さは、プロの作家、編集者なら平伏する他ないものなのでしょう。だから、友人の放言として紹介されていますが「私より頭の悪い人が書いたものなど読む気がしない」と凄まじい啖呵を切っても、誰も「このアマ、言いたい放題ぬかしやがって」と喧嘩を買う者などいない。著者は自分のような小娘など一ひねりにしてくれるグレートな日本人文学者小説家を渇望してるんですけどね。文学者と呼び得る小説家など現代日本には見当たりませんよ。

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