2009-02-20 09:18:55

ふーむ。よそ様のコメント欄

テーマ:拝見 よそ様のブログ

 のぞきにいくブログで、エントリーだけでなくコメント欄にも目を通すものもあります。


 やきとりさんのところの「ベロンベロン」

  http://ch10670.kitaguni.tv/e846197.html#comments


 中川元財務相の父親、中川一郎氏 の自殺に触れたコメント。

 ずいぶん前のこと。ひところ「新雑誌X]という雑誌が出て、長くは続かなかったのですが、そこに中川一郎謀殺説が載っていました。

 ウィキペディアの中川一郎の項目へリンクを貼っているのですが、そこにものっています。石原慎太郎氏がアメリカ国防情報局の謀殺説を言ったこともあるとか。

 ともかく生い立ちはただの二世議員より複雑だから、アルコールにアディクトするのも故ないことではないかも。


 ドクタンの「今どきの卑怯者」

 http://dr-stonefly.at.webry.info/200902/article_2.html#comment


 BLOG BLUESの兄貴がやってきて、最悪は安倍だ、いや小泉だ、って品定め(?)が始まるかなと思ったけど、後が続かない。わたしも、誰が最低か、って難しいな、と考え込んだ。小渕内閣以来の歴代の、ワースト比べ、ってエントリーでも考えようかな。


 そのBLOG BLUESさんのエントリーでは「日本語が亡びるとき」をめぐっての議論。

 http://blogblues.exblog.jp/7870713/

 

 「普遍」て言葉がキーワードになって議論が展開しているんだけど、意味がよくわからない。うちなぐちは普遍じゃなくて、日本の「共通語」とされる言葉が普遍ってことかなあ?なんか変な話だなあ。

 

 タカマサさんの「漢字能力検定協会」についてのエントリー。

 http://harana.blog21.fc2.com/blog-entry-647.html#comment1607


 コメント欄で、「短歌・俳句だけでなく、日本語漢字は、超マイナー文明です。」と啖呵をきっているのが面白い。

 わたしは漢詩作者だし、和漢の境をとりまきらわした(by 村田珠光 全然、文脈違うけど)のが日本語の良さだと思うので漢字大好きなんですが、一方で、ニューカマーがたやすく学べる日本語のユニバーサルデザインにも魅力と興味を感じる。

 まあ、「超マイナー文明」というなら、チベット語やバスク語も滅びて周辺に同化しても、しゃーないかなあ。

 是非、善悪の問題じゃないけど。


村野瀬玲奈さんのところは、エントリーに延々コメントがついている表示がないけど、エントリーで、コメントをあつめたものがありますね。


「強い権力」は「弱い個人」を守るのか。

http://muranoserena.blog91.fc2.com/blog-entry-1115.html


 アカデミズムなら、「権力論」を細かく考えていくところかな。無政府主義じゃないから、全て民主主義国家は「権力」をもって運営されますが、そこまで一般論ではなくて、新自由主義が「経済」の風貌を装って中立に思わせるけど、きわめて「政治」なのだ、ということを考える、というだけでも意義はあるね。


 というわけで、ネタに詰まったらまたときどきやろうと思う安直エントリーでした。


 でも、ここにあげたブログで出てきた問題は、どれもかなり基本的な大問題だね。

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28 ■通時的比較

とみんぐ さま

 自同律は必ずしも自明ではなくて、日本語というのは、平安時代のものであれば、近代文明は担えないのですよ。でも変化してきた「日本語」は、近代国家に必要な概念を表現しえて、本家の中国に逆輸出した。

 江戸時代のアイヌ語は、「過去のもの」ではなかったと思いますが、では、近世のマニファクチャーなどを担えたのかなあ、と思う。
 でも、文字さえあれば、外来語を取り入れて結構できちゃったりして・・・。
 アイヌ語を知らないから何ともいえない。

 わたしは、「アイヌ語より日本語が偉い。むふん」といっているのではなく、紫式部の日本語で年越し派遣村のルポは書けないだろうなあ、と思っているのです。

 そう考えることは、「日本語」を固定化して他の言語に優越すると考えることを相対化できるでもあるのじゃないかな。

27 ■カタロニア語

ごん さま

 「普遍語」という優越した言葉があって、それに比べて、いろいろな「現地語」が劣っているって話なのかどうなのか。なんだかよくわからないのですよ。
 どういうのを現地語というのか。バスク語はスペイン語とは違う現地語かもしれないけど、カタロニア地方の言葉は方言であってもスペイン語のうちで「普遍語」クラブなの?それとも「現地語」なの?とか。

26 ■「国民文学」なんて恐くない

いずれ整理しますが、BLOG BLUESさんのもとのエントリー趣意ものみこめているか分からない(水村さんの本も読んでないし)ところへ持ってきて、コメント欄の「普遍」って言葉がわからないぞー、と言っているので、問題設定がやたら自分本位。
それでも一般的に語り合えるように話をもっていっていればいいけど、なんかごちゃごちゃしてきたね。

どうも文化相対主義に関わった話になっていそうで、別にエントリーをたてます。

サンゴ礁を埋めるのに通じるとかポルポトを思わせるとか、自他の言説に所感を抱いているより、「言語にとって普遍とは何か」と、くっきり問題設定してあれこれ考えるほうがいいかも。

BLOB BLUES さま

 日本語が近代社会を作るうえで預かって力があったとは思うのですが、「普遍語」って観念は何がなんだかよくわかりません。
 「英語」って別に普遍語じゃないよね。世の中に広まっているっていうのを「普遍」って言うかなあ。
 「国民文学」というのも、日本には妥当するかもしれないけど、南米文学などではスペイン語で多くに国に読まれている作家を、「ペルー文学」とか「ボリビア文学」とかいわないんじゃないかなあ。

25 ■どうなんでしょうか

割り込み失礼します。
「無題」というコメントに、kuronekoさんらしからぬ思いを感じました。
現代における言語の表現力と、過去における言語のそれを同列上に比較するのはいかがなものか、と思うのですが?

言葉と文化を切り離すことは容易ではないと思います。
歴史の流れの中で言葉自体も変化してきた、その変化の原因はやはり「必要」ということではないでしょうか?
すなわち、ある状態を言葉で定義しなければならない状況が、言語を変化させてきたとも言いうるのではないか?逆説的には、そのような状況が生まれなければ、新しい言葉の生成も必要ではないわけです。
そうやって、言葉は変化してきたわけで…かつ、その変化は必ずしも内発的なものではないわけです。
kuronekoさんが例示された「アイヌ語」=アイヌ文化は、現代の時点では(そうなった原因は何であるにせよ)「過去のもの」となっているわけです。

過去のものをひっぱり出してきて、現在の類似したものと直接に比較し、優劣をつけることは困難ではないかと考えます。

本稿の論点からは逸脱しますが、現在生き残っている言語が何故に生き残ってきたのか、それは言語体系のみに依拠しているのかという点にも留意が払われるべきではないかな…とも思えるのです。

kuronekoさんの本意ではないかもしれませんが、コメント欄の流れを読んでの感想です。

24 ■追記

それともうひとつ

日本の文学者なら、

>この先、日本が、二十世紀においてもったほどの世界的な意味をもつことは、良きにせよ悪しきにせよ、もう二度とありえないであろう。

なんておセンチなこと言ってないで「コイズミカイカク」を吹き飛ばすくらいの標語を思いつけっての。「九条を世界のモードに」とかさ。

23 ■承りました

>知識人を虐殺したポルポトとかに通じるものがあるんじゃないだろうか。

あたしに言ってるとしたら、あたしの修行不足ですね。出直します。でも、あの文脈でアイヌを出すべきではない、出すべきではなかった。と、あたしは思う、よ。(たとえそれまでの流れで標語に上がっていたとしても)

あたしが言いたかったのはその程度のことです。

22 ■おまけ&よいしょ

おまけです。クロネコ神田の旦那の所感は、すべて著者が論述しています。本書を未読、ですよね、なのに勘所を押さえているんで、あらためて感服。「人生アウト」氏が言及した「翻訳」も本書の重要な論考です。旦那のコメント欄は、実にハイブロウだ。と、よいしょもおまけ。

21 ■はじめはみんな特殊

す、すんまへん。ちょっと横レスしちゃいました。『言語に「普遍」のものと「特赦」なものとあるわけでなく、どの言語も「特殊」なんでしょ』そうだと思います。言語に限らず人為のものはすべて、生まれた当初は時間や空間を限定されている「特殊」なものだろう。当初から「普遍」なものって、ないんじゃないかしらん。考えたけど何一つ思い当たらなかった。で、そうした「特殊」のものの中から、自らの力に由ってか運命の力に由ってか、多分その複合に由ってだと思いますが、時間や空間を乗り越える力を持った「特殊」なものが顕われる。それが「普遍」なものでしょう。これを称揚することが、なぜ「特殊」を貶めることになるのか、まったく合点がいかない。マイノリティの尊重とは、全然別の話だ。そうゆう思考ってゆうか感情に、僕は、不気味なものを感じてしまう。知識人を虐殺したポルポトとかに通じるものがあるんじゃないだろうか。

20 ■人類の叡智

こにゃにゃちは。事実を事実として認識する。事実の選り好みはしない。それは、考え言葉にする、叡智を求める際の原理原則だろうと思います。「ごん」さんが称揚して止まない「民主」なんて概念も「人類の叡智」だ。最初はギリシャ語で広まって、ラテン語でさらに広まって、英語でさらにさらに広まったのかな。門外漢なので知りませんが。で、明治の日本人は、それを日本語化し得た。だから、日本国中の人々が「民主」という概念を持った。日本語化できなければ、持ち得なかった。日本近代文学の成立然り。西洋近代の諸概念「自由」「民権」等、すべて日本語化し、それを小説という形式で以て流通させた。僕は、偉業だと思うし、その成果を享受している。叡智なぞ必要ないというのなら、それは、それで一つの生き方。原始共産制か、それ以前の弱肉強食社会に戻る他ない。

19 ■それから

出かけるからコメントはおそくなります。

18 ■そもそも

無題じゃなくて「文化相対論」

最初は、BLOG BLUESさんのエントリーの「普遍論争」を、文化相対主義と普遍的価値との矛盾、のようなエントリーにしようと思っていたのです。

アフリカの習俗を、西欧的価値観で劣っていると決めていいのか。とはいいながら、女子割礼などを、それぞれの民族文化だから、外の文化が裁いてはいけない、というのがいいのかどうか。
こうしたことと並べて考えようと思っていたの。


17 ■無題

ここで挑発すれば、ごんさんだて、アイヌ語より英語や日本語のほうが「高度」だと思っているはずです。

六法全書をアイヌ語に薬草なんて思わないと思う。法律を書けるのが「高度」なのか、というのは、最初からわたしが問題設定していることで、ある言語が「より高度」って、名の尺度できめるのかな、と疑問。ある文法体系や音韻体系が、すぐれているとかどうとかって、あんまり言語学の範囲じゃないみたいだし。
でも社会の複雑さを反映して、語彙が豊富で抽象的なことを表現できる言語と、もっとプリミティブな言語と、現実にあると思える。

ただ、ここからが古典愛好癖のあたしの発送なんだけど、平安時代のほうが助動詞なんて発達して、だんだん退歩しているようにもみえるんですよね。というと、高度に発達しているって、」なんじゃい? って話になる。

この一連のやり取りは、文化相対主義の話でもあるんだけど、どんな言葉もそれぞれの価値があって優劣はつけられません、とすましているような簡単なことじゃないとおもうよ。

16 ■高度はどうきめるか

日本に反・文明の独裁者がでて、漢字は日本古来の精神を汚すから、放逐すべきだ。プリミティブな言語が一番いいのだと、東南アジアの少数民族の言葉のような素朴な言語が理想だといいだしたら、わたしは反対するな。
せっかく「発達」したのに、もとに戻すことはないと思う。

バハマ諸島の先住民の言葉と、英語とが接触して、混成語が生まれる。
わたしは、現地語と英語に、高度とか普遍とかで序列をつけるのがけしからんとか差別だとか、西欧中心思考だとか、論じることはあまり興味が無い。
現地の言葉と英語を比較して、「高度」と判断されるのはどういうことか、とその実質は何か、と思うんですよ。言語としてね。語彙なのか。統辞法なのか。音韻体系なのか。

15 ■りょーかい

人生アウトさん

なんか仕切がめんどいんだよ、ここ
それでいろいろ喋らされる
もうやめるよ

喚ばれてるかなと思って出てきても、言いたいこと言おうと思ったら、そうじゃないでしょ、って言われる

何かタワラソーイチローにあしらわれる共産党議員みたい(タックルのタジマヨウコさんとか)
いろいろとありがと

これは、現代日本を代表する「汚染された日本語」の遣い手であるところの「幼稚化した日本文学」の体現者、村上春樹の(逆輸入された)言葉です。

~~~~~~~~~~~~~~~~

でも慎重に考えて、とうとう来る事にしました。あまりにも多くの人々から行かないようアドバイスされたのが理由のひとつです。たぶん他の小説家多数と同じように、私は言われたのときっちり反対の事をやる癖があります。「そこに行くな」「それをするな」などと誰かに言われたら、ましてや警告されたなら、「そこに行って」「それをする」のが私の癖です。そういうのが小説家としての根っこにあるのかもしれません。小説家は特殊な種族です。その目で見てない物、その手で触れていない物を純粋に信じる事ができないのです。


14 ■言語を変えさせられる

無理やりに言語を変えさせられた、って、「ほら、お客様にはきちんとご挨拶しなさい」って言いなおさせられた、って話じゃないよね。

枠組みによって、「わたし」とか「当方」とか「弊社」とか言い換える人もいるけど。

ところで、日本語、って気安く言うけど、東北弁は日本語のうちだよね。琉球語って言い方はあるけど、どうなんだろう。
アイヌ語はたしかにありますね。

アメリカ先住民の、ナバホ語より英語のほうが、「高度」な言語というのは、語彙が多くて、いろんなものを表現できるという点では順序だてできるんやないかな。でも、アメリカ先住民の言語のほうが、文法のある部分は発達というか、言い分けが他の言語より細かくできるとか、なんとか読んだような気がするけど、例によってうろ覚え。
アイヌ語やナバホ語で、「国富論」はかけないし、「資本論」をそれに翻訳することはできないと思います。
まあ、それでもいいともいえるけど。ただ、文明の発達を全否定するのもどうなのか。疫病が流行っても、まあいいじゃないの、それも自然淘汰だからって達観するのもねえ。

13 ■ごんさんごんさん

別ブログ間の議論は、そこここに拡散させるんじゃなくて、それぞれの場所で完結させたほうがいいと思うよー。


>kuronekoさん
>翻訳問題まで

「自分よりも年下の詩人を読めなくなるのは、我々の病だ」とか言った作家がいたのですが、
私達は皆、自分の言語に対して保守的になるのですよね。
私は、自分より日本語に不自由な人の文書を読みたくないと思ってしまう。二十年後の私は、もっと偏屈でしょう。
同時に私より年長の人も、「俺より下の奴が書いた日本語なんて」と思っている。当然、私ごときは無視される。
文化どころか、世代間で断絶が起きるのが言語(に限らず、ファッションとか音楽とかも)なのだと思います。

そうした保守性を突き詰めていくと、私達はサンスクリットとラテンで読み書きする以外の一切を捨ててしまうことになる(笑)。
しかし翻訳者という人は、コーランや仏典を一人で楽しむに留めず、現代日本人にも読めるよう供してくれた。古典と現代の橋渡しをしてくれた。
そうした、自分の持っている文化を人に翻訳できるような立ち位置を、さまざまな生活の場面で目指したいと感じています。

12 ■件の「憂国」の徒のコメント欄より

Commented by blog-blues at 2009-02-06 16:46

僕の文章のほうがいいと思ってくれる奇篤な方もおられるかも知れない。そういう方には、チューしちゃいたいくらいですが。ま、普遍的な文学的価値、学問的価値は、横綱とわんぱく相撲でしょう。普遍性を有すものは有さないものより高度と表現しても妥当なはずです。日本語は普遍性を獲得したが、アイヌ語は獲得し得なかった。

11 ■警護の存在

じゃなくて、敬語の、ぞんざい

日本人なら聞いたことあるでしょう。

あいつは口の利き方も知らん、

という口の利き方、

あたしは「自らの言語を無理矢理に変えさせられた」のが琉球だアイヌだ台湾だと言っているわけではない。

忘れっぽい日本の知識人に、あなたはどうだったのですか、お尋ねしているのです。

たとえば、母親の呼び名が、変わる瞬間とか
枠組みに応じて自身の人称を使い分けたり
もしくは何かのシステムによって
生まれ持った「性」をかえないといけなくなったとか

そういう経験に(たとえ実地にしたことがないとしても)理解が及びませんか?

と、お尋ねしているので御座いますよ。

10 ■ところで

ごんさま

具体例が思い浮かびません。

普遍性を持った言語がそうでないものより高度だなんて乱暴な言い方

って誰がしているの?

9 ■くだらない問いかけ

>無理矢理に言語を変えさせられた歴史を持つ人々がどう思うか

黙殺かい?

8 ■わからないことだらけ

人生アウトさま

「普遍クラブ」に入る言語と、そうでない言語ってあるのかないのか、なんだか分けがわからなくなっているところへ、翻訳問題まで持ち込まないでくださいよー。
あー、あたまごちゃごちゃ。

ごん さま

 「高度」って話はどう出てきているのかよくわからないけど、「普遍」って言葉が、なんで水村美苗氏の本の話で出てこなければならあいのか、まったく分からないんです。

7 ■文学的想像力

普遍性を持った言語がそうでないものより高度だなんて乱暴な言い方をしたら、無理矢理に言語を変えさせられた歴史を持つ人々がどう思うか。何で文人がそこに思いいたらないかなあ。

実はこういうふうにあからさまに言うのは好きでないんだけど、思いを伝えたいところのお相手があまりにも無垢だと畢竟こんなことになる。

「まあ、よく、あとで考えてごらん。市蔵なんてそんなにわるい名じゃないよ。」 by 宮沢賢治

文学の普遍的な課題ってのは、山火事のあと、地面に激突して嘴を折った鳥のなきがら(きっとどこにも火傷はない)を見て、どれだけの世界を構築することができるか。そして、それが混沌の闇に輝く北極星のように、人々の心に凛と燃え続けている。そんな、特殊な永続性かな。

6 ■死体

たとえば、私達が人の親になたっ時。
私達は、自分が知るもっともすぐれたものを子に残そうとするはずです。
私ならば、J.S.ミルの父親のようなことをやるはずです。
少なくとも、自分よりも知的に劣ることは決して許さない。

さてこうした場合、間違いなく私の息子は日本語嫌いになります(笑)。
そうした時になお、父親である私は、「十五にもなって漢字の書けない息子」が表現する諸々を許せるか。愛せるか。
自分よりも劣った者が存在することを、許せなければ、私は「もっとも劣った者」として墓場に行かなければならなくなる。

5 ■翻訳文学

そういえば、日本語については井筒俊彦や中村元から学ぶこと大だったなあ。
もともと古典読みだったから、思考や文章はかなりクラシカルなお子さんだったのだけど、そのぶん会話が国語や社会の教師相手にしか成立しなくなったんですよね。ミもフタもなく言うと、自分よりも読書量の少ない大人と会話が成り立たなかった。

あまりに成り立たなかった。成り立つ相手が少なすぎた。
ソクラテス以上の知者とでなければ、話して楽しくなかった。

でも、人は言葉のみにて生きるにあらず。パンにて生きる者なり。
純然たる思索・抽象・美意識の世界に遊びすぎるのは、即神仏やジャンヌダルクにでもなりたいのなら構わないけど、理由なき反抗とクラブスポーツとガールフレンドを抹殺してまでやるには早すぎた。
若者の煩悩と老境の達観は等価であり、両方を同時に所有することが望ましいと思われた。

ふたつの異文化を橋渡しする者、それが翻訳。井筒俊彦のイスラム-日本訳と、中村元の仏教-日本訳。ふたつの異なるものが同時に成り立つような言語形態。
「私」と「あなた」が同時に成り立つような言語形態。
松尾芭蕉とケータイ小説が同時に成り立つような言語形態。
2008年と2058年が同時に成り立つような言語形態。

私が「私」について語る時、「私と父親」「現在と未来」「男と女」が同時に成り立つような、<間柄>としての表現を志したいものです。
単体として固有の<私>、孔子やホメロス以下の人間はこの世に要らないと考えるがごとき「私」ならば、亡くしておきたいものです。

4 ■クレオール権

世界中で、少数言語がだんだん絶えそうになっているのは、なんとか考えたほうがいい事態だけど、世界中がコミュニケートする手段として、広く使われる言語、たとえば英語を持つというのも、少数者の権利でもあると思う。

いろいろな民族の人が英語を訛って使っているわけですね。それで、いろいろなピジン英語が生まれる。世界中の人は、英語を訛って使う権利を持っていると考えると、〉単に「普遍」は抑圧の隠れ蓑とはいえないんじゃないかと思ったりするのですよ・・・。ってこのへん、BLOG BLUES さんがうらいしか聞いてない?

3 ■少数言語

BLOG BLUEさんのところでは、「普遍」志向がネガティブに言われているんだけど、少数言語の保存は大事だとしても、現実の言語の役割では広く広まったというか、「発達」した言語を志向することも大事だと思う。
 インドに何千もある言語が保存され継承されるのは、文化財保護のように大事だなあ、と思う。文化遺跡などが〉壊されるのは、「わー、もったいない」と思うから、アメリカ先住民の言語が継承されていると、人類の知識に新たな発見があるんじゃないかと大切にしたいと思う。
 でも、東南アジアのモン族の言葉で原子物理学を記述することはできない。スワヒリ語ぐらいメジャーな言葉だと、それで高等教育ができるかもしれないけど、経済にしても科学技術にしても、東アフリカでは英語の比重が高いんのじゃないかな。それを否定して、現地の言葉の特殊を大事にする、って、なんかラッダイド運動みたいにも思う。

2 ■普遍ろんそう

BLOG BLUES さま

 言語に「普遍」のものと「特殊」なものとあるわけでなく、どの言語も「特殊」なんでしょ? 日本語という特殊な言語といっても、フランス語は特殊じゃないって理屈が分からない。そりゃ、旧植民地では話していますけどね。昔は外交用語はフランス語だったけどね。うーん。するてーと、スペイン語は国境を越えて話されているから普遍、フランス語、英語も同様。ドイツ語はオーストリアとドイツだけだから特殊、とか分けるんでしょうか。
 国民国家と言語の関係、「一国文学」(ドイツ文学、ノルウェー文学、ロシア文学など)は有効な概念装置なのか、といろいろ考えどころがあります。
 そういうのを、普遍とか個別とかいうものかなあ。
 英語は特殊な言語じゃないのかなあ。少なくともシェークスピア時代の英語はそんなに話す人も多くないし、特殊だったと思いますよ。
 でも、シェークスピアの普遍はそれとは別の話ですよねえ。うーむ。

1 ■ミソとクソは分別しよう

こにゃにゃちは。ご紹介、どうもです。普遍というのは、特殊と対語です。時間、空間を乗り越える力は、特殊より普遍のほうがあるってゆうか、そうゆう力を持つのが普遍。で、日本文学は、日本語という特殊な言語で書かれながら、普遍であるという世界の文学史に於ける奇跡を達成した。僕なんか素直に大したもんだと思っちゃうのだが。どうゆうわけだか、普遍を称揚するイコール特殊を貶めると受け取る人がいる。どう考えてもそれは短絡なのだが。このメンタリティは、黒猫の旦那、お気づきでしょ。いわゆる戦後左翼の病弊、愛国イコール軍国とか、神道イコール靖国とかに通じる。で、そうしたミソとクソをちゃんと分別するっていう作業を怠ると、愛国に名を借りた軍国、神道に名を借りた靖国の反動を許すことになる。戦後民主主義が風前の灯なのも、そうした戦後左翼の短絡が原因のひとつ。何なんでしょうか、このメンタリティは。85070

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