謙譲語として「させていただく」はよく使われるが、この謙譲の仕方に疑問を持つ人の発言が話題だ。..........≪続きを読む≫
言葉は変化しますから昔のことを言うのもどうかなと思うのですが、昭和30年代には、「させていただく」という言い方は、よっぽど特殊なシチュエーション以外に発話されなかったと思います。
初めて、この言い方を聞いたのは、直接に相手から言われたのではありません。昭和40年代の半ばぐらいかな。祖母から間接的に聞いたのです。
祖母が少しは運動のため歩こうと思って、近所から足を伸ばして知らない街のほうへ行ったら、道がわからなくなったのですね。そのころうちは旧市内から私鉄沿線に越していたもので、浅草生まれの祖母にはなじみが無い。目印になるような建物もなく、住宅地がずっと続いている街です。そうしたら、若い女の人が声をかけてくれて、うちの最寄り駅から3つか4つ離れた沿線の駅までおくってくれたと言います。
その時に、その女性が、「ばあちゃん、送ってやっから」とは言わずに「駅までご一緒させていただけますか」と言ったというのです。
恩着せモードにならないようにへりくだった言い方、ということなんでしょう。新鮮に聞こえたので今でも覚えています。祖母も感心したのか「ちゃんとしたうちの子らしいよ」ということで例に挙げたものと思えます。
その後、昭和50年代ぐらいになると、女優さんが出演映画の話などで、「こんどさせていただいたお仕事で・・・」などと使うのが増えてきた気がします。男性は言っていたかなあ。わたしの印象ではそうやってテレビなどで広がったように思う。
少々大げさな謙譲と思えますが、勤め人と違う自由業はオファーがこないと仕事が無いわけで、「させていただく」というのも、プロデュースする立場の人への感謝もはいった実感がこめられていたのかもしれません。
会社員敬語、一般的な営業用語になる前に、そういう前史があると思います。
この「させていただく」という言葉がよく使われるようになったのは、敬意を持って話さなければならない相手との会話で、自分が主体となって行う行為を表現する時に、そのまま言うと敬語がつけられないのでぶしつけにならないか、と感じるからでしょう。相手の行為には敬語を使えばいいのだけど、自分の行為も謙譲表現にしないといけないのかな、という心理を持つ。
「一両日中に、社内で調整して、お返事いたしますので」 といっても別にぞんざいに扱われたと思う人、いないと思うよ。でも、目いっぱい敬語モードになっていると、受話器を持って頭を下げて、「社内で調整させていただいて」と言いたくなるのでしょう。
ジョブの途中だけど、結婚して新婚旅行で休暇を取るよ、と取引先にいう時に、「わたくし、このたび結婚させていただいて」といったら、さすがに「なあに?」と訝しがられるかな。「結婚するのでお休みをいただいて」というなら、相手との関係性の中で休むことをへりくだって伝えていることになるでしょうが。
前から、もし、泥棒が「侵入させていただいて」と供述したらどう報じるのかな、と心配でした。「年金記録が不明のまま放置させていただいて」なんぞといったら、火に油をそそいで怒られるな。
わたしは「させていただく」という言い方はつかいません。女優さんが仕事をもらったときぐらい、感謝しているというのなら使わないでもないですが、乱発すると最初にこの言葉を聞いた時の新鮮さが薄れる気がします。