笑傲丙米隊のdox同志が粘着されて奮闘しているのに、応援エントリーをあげないわけにはいかない。
ヘイトコメントを哂え の応援をしようと思っている kuroneko です
が、キイキイコンセンプトのブログなんですから。 ムキー、エセ愛国者め。
ほんでもマクドゥーガル報告とか本格の話は有能なかたに任せて、こちらは専らウンコネタについての考察。
マクドゥーガル報告
http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/4773625031.html
日本人はウンコネタ好き(絵呂具)
http://ameblo.jp/dox/entry-10027193185.html
もとはといえばここ のコメント。
dox氏墓穴掘ってるぞ!
日本人は、まずウンコネタをほとんど口にしない。
そして、下品な罵倒はしない。
なによりも、押しつけのものでなく自然と湧き出る愛国心をもっています。
貴方には、どれにもあてはまりそうもありません。
非常に残念です。
いい忘れたけど1965年の時には朝鮮への賠償はすべて終了しているんですよ。
従軍慰安婦を支援してせいぜいアカだけに赤っ恥かいてくださいな(笑
(2007-03-04 23:04:20)
もともとgegenga師匠がウンコに喩えたのにdoxさんが受けただけで、ウンコ云々なんて枝葉末節なところなんですが、そこを言い出すのが最初の滑稽。
自分から散々、「慰安婦は嘘つき」というのを罵る調子で書いていて「下品な罵倒はしない」というのが第二の滑稽。
自然の愛国心とか補償が済んだとか、脈絡なく続くのは、かつて読んだ「正論」系文化人の所説を思い出して並べたように推察されて、そこもほほえましいというか馬鹿らしいけど、当人は無自覚でしょう。幼稚だよねえ。
ところで、日本人は、まずウンコネタをほとんど口にしない、というのはどこから来たのか。
これも右派文化人の受け売りなのではないかと、わたしは推察します。
右派言説というのではないけど、西欧の昔の民衆喜劇が卑猥なものが多いのに比べ、日本の狂言には下ネタは少ない、という趣意の比較論をみた覚えがあります。わたしは狂言を見たことはそんなに多くない。岩波文庫の「能狂言」三冊(大蔵本)は読みました。たしかに艶笑系の話は少ないと思う。わずかに女房が夫に間男して「鼻の頭に汗をかくかと指摘され、キレルものしか思い出せないな。
それにひきかえ民衆演劇はともかく、「デカメロン」でも「カンタベリー物語」でも、H系の話はつきものでしょ? 日本古典文学で性愛を扱うものは、西鶴以前にあったのかなあ。
ヨーロッパの猥雑な文学に比べ、日本文学は貴族的で上品だという右派言説があって、かの御仁はそれの影響を受けたのではというのがわたしの推測。
スカトロジーに詳しくないので、ヨーロッパの文学伝統がどれだけウンコネタを愛好していたか知りませんが、艶笑系の話の類推で言えば、ルネサンス以降、人間性の回復に関わって糞尿譚にせよ性愛描写にしろ、ヨーロッパに優越して日本では少ないということはありそう。「御伽草子」には「屁こき爺」の話があるから、室町期に糞尿や性愛など貴族社会の美意識から排除されるもの、猥雑なものが創作、伝承されてわたしが知らないだけかもしれないけど、多くはないだろうなあ。
でも、それって日本にはチョーサーもラブレーもボッカッチョも生まれなかった。寂しいね、ってことで、別に自慢する話ではないような気がするぞ。
日常会話で、ウンコネタを日本人はしないという言明もなんか変。取り澄ました社交の席ではどんな国だってウンコネタはしないんじゃないかな。なんでこんなところにことさらに「日本人は」なんていわなきゃならないのかよくわからない。
ヨーロッパでも子どもでもなければ普通はトイレ系の話はしないけど、J・B・ショーなど権威を笑うのが好きな人はあえて話を落とすだろうね、きっと。
どんな文化も、性や排泄を禁忌とする観念はあると思う。それに対して反俗とか反権威、また人間性の重視などでエロネタ、ウンコネタを持ち出すモメントも一方ではあるよ、ってぐらいのとこでやんしょう。「日本では」とか「日本人は」って言い張る問題かよ、おい。てーとアメリカ人は下品とか、ドイツ人は好き者とか、そんな結論も恣意的に気やすく量産してもいいのかな。