題をつけると云ふこと | みんななかよく

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文章に題をつけるやうになつたのは何時の時代なのか余において詳らかでない。散文は暫く置く。中国古典詩で詩経の時代から六朝までは、作品冒頭の一節を後世が仮に詩題としたものばかりではなからうか。

後代が作品の特定のために名付けるのではなく、作者が意図して文章、詩歌に題名を付ける事は、人類精神史上の画期ではないかと余には感じらるる。


劫説、筆者が自らの文章に題を付けるとは、自己の文章を対象化、客体化して眺むる事でもあらう。本文を記し其れに相応の題名を付くるも、先ず題を置き然る後に文章を綴るも、題は筆者の思想を端的に反映するとともに、その文章中で詳述される事柄を要約し、又は連想され得る何物かを提出して読者の理解に資し、感興を添へる事となる。題を定める事により自己の文章への姿勢も自ずから正されるであらう。



そんなわけだからさ。ここのコメント欄ではタイトルをつけてもらいたいわけよ。赤木さんとのやり取りのときに設定したルールではあるんだけど、別に赤木さんのためにルールとしてブログの横っちょに書いておいたわけじゃないんだよ。

いちおう「ヘイトコメントを哂え」のサポートブログだからさ。変な粘着コメントが押し寄せたらどうかな、って思うわけですよ。そのときに反射で題も考えずにギャーギャー言ってくるコメントをけん制する意味合いがあるんだ。コメントを考えれば、一瞬は冷静になるじゃない。それでも悪口タイトルをつけてくるなら、それもしょうがないけど、反射的なやり取りで口げんかみたいなコメントが並ぶのは面白くないと思うんだ。


赤木さんも意のあるところを汲んでくれたのか、タイトルをつけるようにしてくれたけど、タイトルの工夫でそれぞれの才気を発揮したり遊んだりして欲しいの。


別に何でも仲良しクラブである必要はないから、きつい物言いや悪口や罵詈雑言でもそれはそれで表現のうちだとは思う。それならば、その表現欲求をもっと追及してタイトルをつけるということもやってほしいんだよね。