かんちくログ

1発屋どころか、まだ1発も打ち上がってませんが。勝負は、これから。


テーマ:
公演中の写真や、見てくれた人の感想を聞きながら、いったいこの二日間で何が生まれたのだろうと考えている。言葉でまだまとめられないけれども。何か、大きな、地中深くに眠っていた生物を起こしたような気持ち。

ゴジラかよ。

うん。そんな感じ。

初めての演技だった。でも初めてのような気はしなかった。かず子じゃないけど、なんだか落ち着いて気分がいいですわっという感じだった。

演出家さんに教えてもらったことは、ただ一点。状況を信じること。ただそれだけを手を替え品を替え、いつのまにか染み込ませてもらったように思う。あとは、ビデオ見てかず子に見えない姿勢や外見を直して、かず子らしい声が安定して出るように練習しただけ。

状況を信じるのは、本番中は、稽古の時よりずっとずっと容易だった。テーブルやソファだけのシンプルなセットでもあるとないとで大違いで、さらに照明のおかげでぐっと集中できて、稽古場や家でやるよりずっと信じられた。なにより、ほかの役者さんが、確かに斜陽の人物として目の前に立っていてくれた。あとは物語に巻き込まれていくだけだった。

言葉が、今まで以上に届いた手応えがある。
運命に翻弄され自分の道を切り開くかず子が「自分の思い」としてしゃべったセリフは、ただ背景もなくその文章を読んだだけよりも違う響き方をする。ほかの人物も同じ。

これが演劇のひとつの効能だと思う。言葉は人の思いから切り離せない。架空の人物を生み出してしゃべらせること。それを生身の人間が演じること。

ああ、ここに何かある。何か埋まってる。大きな輝かしい原始的な生きるために大切な何かが。まだ姿は見えないけれど予感がする。

このブログでつむぐ言葉もきっと、わたしがしゃべるからこそ届くものがあるのだと思う。

からだがないとことばは魂をもたない。
太宰の物語は当時どんな思いで読まれただろう。センセーショナルなお騒がせ作家。まるで太宰の化身のような上原さんと、彼の本当の魂の象徴のような直治。そして実際の愛人がモデルのかず子。

太宰のからだはなくなった。それでもずっと読み継がれているけれど、時代は変わった。古典になった。そんなこの物語のことばたちに、もう一度、からだを与えることができてよかった。

物語は原作と違うけれど、ことばとたましいはちゃんと斜陽だったと思っている。

原作では訳のわからない女、かず子を、こんなやついそうだなあと信じてもらえたら、わたしは役者冥利。

まだ、ゼロから自分でオリジナルの脚本を書きたいという気持ちはないなあ。たぶんゼロからつくるなら、小説にしたいんだと思う。やっぱり小説家なのです、わたしは。自分の小説を脚本化ということはあるかもしれないけど。

脚本にすることも、演じることも、わたしにとっては、小説を読むことのひとつの手段なのかもしれない。深く深く読めるから。
だから、また役者やりたいでしょ?と言われたら、うーん、わからないと言うしかなくて、でもまた文学作品を脚本化して、自分も登場人物のひとりとして、言葉をしゃべりたいという思いはある。朗読劇なのか演劇なのか、はたまた違う手段なのかは分からないけれど。

ひとり語りのシーン。
照明さんが二階の作業室?から取ってくれた。

{01FF2E84-51A3-46C5-8FEF-A6008BB32279}

まだまだ続々写真が出てくるので、また語るかも。

{6693FAE7-3C39-4077-9A8C-126B3F2F12B1}

演者六人。舞台監督さん、照明さん、制作さん。小さなチーム。

AD
いいね!した人  |  コメント(1)  |  リブログ(1)

小説家・かんちくいずみさんの読者になろう

ブログの更新情報が受け取れて、アクセスが簡単になります

AD

ブログをはじめる

たくさんの芸能人・有名人が
書いているAmebaブログを
無料で簡単にはじめることができます。

公式トップブロガーへ応募

多くの方にご紹介したいブログを
執筆する方を「公式トップブロガー」
として認定しております。

芸能人・有名人ブログを開設

Amebaブログでは、芸能人・有名人ブログを
ご希望される著名人の方/事務所様を
随時募集しております。