ブータン国王が来日した時に記事にするつもりでいたのだが、タイミングを失ってしまいすっかり遅くなってしまった。
美形で話題のブータン国王を見て、誰かに似ていると思った人は少なくない筈。そう、あの若かりし頃のアントニオ猪木に似ているのである。ブータン国王の顎がもう少し長ければ瓜二つだと苦笑してしまった。
まあ、そんな事はユーモアと理解して頂いて、国王の来日により『国民総幸福量』なる言葉が注目され始めている。
国民の97%が幸福だと感じているブータンと他国を比較するのは余りにも強引過ぎるし、幸福の尺度もその国々によって異なって来る。
ブータンが提唱している幸福とは、経済的・物質的豊かさを目指すものではなく、精神的な豊かさを指し示すものである。
ブータンに於ける宗教観、気質、慣習、文化などは、隣人との関係を重んじる深い信頼関係を築くといった人間関係重視が背景にあるように思える。
さて、気になる日本の幸福度であるが、既に皆さんもご存じかと思うが65%だそうである。最も幸福度の高かった都道府県は福井県の70%らしい。因みに最も低かったのは大阪だったと記憶しているが、橋下さんが頑張ってくれればそこから脱出する事も可能であるだろう。
但し、この幸福の尺度を日本全体に反映してみると、年間自殺者3万人という自殺大国日本がとても幸福だとは到底思えないのである。
生活保護費は3兆円を超え、失業者は増大の一途を辿るばかりであり、大学生の就職内定率は依然として低い水準のままである。
更に追い打ちを掛けているのが弱者を無視した年金問題であり、公務員の特権『職域加算』を残したままの制度では国民の理解を得られる訳がない。
政府の一方的な原発事故の収束宣言は、苦悩する福島住民を置き去りにするものであり、甚だ遺憾の極みである。
幸福論を云々言う前にこれら数多くの問題解決や、自殺者を一人でも多く減らす眼に見える努力をして頂きたいものである。
寒風吹き荒ぶ高層ビル群の合間を縫って、リクルートスーツに身を包む大学生の後ろ姿に悲哀を感じる今日この頃であった。