悲しみを乗り越える浅田真央。 | プールサイドの人魚姫

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うつ病回復のきっかけとなった詩集出版、うつ病、不登校、いじめ、引きこもり、虐待などを経験した著者が
迷える人達に心のメッセージを贈る、言葉のかけらを拾い集めてください。


プールサイドの人魚姫-浅田真央

 女子フィギュアスケート界のプリンセス浅田真央。その彼女がいま悲しみの淵に佇んでいる。彼女の母である匡子(きょうこ)さんが『肝硬変』の為、9日早朝に亡くなったからである。

 浅田真央選手については、これまで何度か記事として取り上げて来たが、彼女の家族については一切触れる事がなかった。

 それは興味の本質が浅田真央自身に注がれていたからであるが、彼女のスケートの原点に眼を向けて見れば、そこには必然的に家族の姿が垣間見えて来るのである。

 『舞』、『真央』という東洋的美人姉妹スケーターを育て上げたのは、『リンクママ』として表に顔を出す事なく、黒子に徹した母親『匡子さん』の存在を今更ながらに思い知らされるのである。

 匡子さんがいつ頃から『肝硬変』を患っていたかは知らないが、スケートにかける娘たちに余分な心配を掛けまいと、病に対する弱みを一切断ち切って『舞』『真央』の滑りを影ながら力強く見守っていた。そしてまたその熱い母の視線を彼女たちは感じ取っていた筈である。

 世界の頂点に近づく真央選手もまた、自分自身と母の為、そして多くのファンの為にこれまで幾度となく華麗な滑りで自分を表現して来た。

 母やファンの期待に応える為と言うよりも、おそらく真央自身の心の中には、『自分のスケートが母の病を治す』という気持ちがあったのかも知れない。

 わたしの父も42歳の時に『肝硬変』が原因で亡くなったが、父の場合は酒が要因であったから自業自得の死であった。

 匡子さんが患っていた『肝硬変』がどのような過程を辿ったのか定かではないが、助かる術がなかった末の死だったのか…。

 母と二人三脚で歩んで来たフィギュアスケート、そして二人の目標である『五輪金メダル』、匡子さの夢は潰えてしまったが、フィギュアスケートで培った精神力で真央選手自身も必ずや復活するものと思うし、そしてまた心の奥深くにその目標は熱く刻み込まれた事と思う。

 今年は大震災で多くの魂が失われて行った。親を亡くした子、子を亡くした親、家族全てを失った身内や友人・知人などなど…。

 あらゆる『死』を眼の前にして、わたしたちの心は粉々に打ちひしがれてしまったが、遺された者はその痛いほどの悲しみを乗り越え、全ての人の思いが報われる事を願って、これからも生きて行かなくてはならないと思う。