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彼方です。

 

聖域都市。

なんか古代のロマンとか、フィクションの世界を思い起こさせる言葉ですが、

 

「米国の不法移民を強制送還させようとする入国管理当局に協力しない都市」

 

のことを「聖域都市(Sanctuary cities)」というらしいです。

 

 

なぜ、聖域なのか、誰にとっての聖域なのか。

 

不法移民にとっては政府当局に少しでも抵抗するのに最適な都市。

 

政策担当者や政治家、特に不法移民対策を公約に選ばれた人にとっては、正義の味方には敵が必要なように、聖域都市は必要な都市なのかもしれません。なぜなら、散り散りに分散した移民への対策を考えるより、都市に集まっていれば都市としての状態や周辺への影響という単位で評価できる面もあるからです。また議論の的にもしやすい。

「不法移民が多い都市とその周辺は~」

「聖域都市では・・・、また周辺都市では・・・」

こんなテロップがメディアから流れてくるのが目に見えるようではないでしょうか。

 

日本ではそういった都市はあるでしょうか。

そもそも移民受け入れに慎重な日本では、不法移民がメディアに流れることはほぼありません。島国であるため、不法に入国するのはとても難しい。

 

では、日本においてはせいぜい外国人の多い地域はどこだ、といった平和な疑問くらいでしょうか。

こちら政府の統計によれば

http://www.e-stat.go.jp/SG1/estat/List.do?lid=000001177523

東京、大阪、愛知、兵庫、神奈川、埼玉、千葉などがやはり多いですね。

京都は意外に住んでいる外国人は多くないようですね。県単位だと人口の多いところがやはり外国人も多くなっているようです。これを市町村単位で、しかも割合で見たら、興味深い結果が出てくるでしょうね。

 

でも日本ではきっと「聖域」なんて表現は使わないでしょうね。

「聖域」という言葉はそれ以外の地域を相対的に低く見る印象を与えてしまうからです。日本では表だってそういった不平等を声高に叫ぶ人は少ないのではないでしょうか。学歴社会や村八分、終身雇用文化に由来する学校の部活のような上下関係など、表ではなく、裏ではそういったものも見られますが、しかしそれもだいぶ変わってきているように思います。

 

これは私見ですが、やはり宗教観が原因として大きいのではないでしょうか。強力な一神教の文化を持ってこなかった日本では、絶対的に上位の存在というものを仮定しない。例えば天皇制度という文化はあるが、天皇様が何かをしてくれるから大丈夫だ、というよりも、敬う対象としての天皇様、という文化ではないでしょうか。

 

だから日本では何か非人間的、超常的な「聖なるもの」は意味が伝わりにくい、のだと思います。裏返せば、相対的により「人間的」に物事を考えるから、その文化と法治国家との相性も良い。

 

が、現在はグローバル社会。

強烈な一神教の文化が根付いている国と、交流を図る際、または交渉する際、どう振る舞えばよいのでしょうね。

「そういう考え方もあるよね、そうなんだ」

で、すませられない、相手に自分たちの大切な物事をどうしても共有してもらいたい人たちを目の前にしたとき、我々はどう振る舞えばよいのでしょうね。

 

いろいろな国の人としゃべって、交流して、メディアでもいろいろ見て、本も読んで、

でも、わからない。せいぜい言えることは、

「ごめん、それについて自分はそういうふうには考えられないよ」って。

 

あれ、案外これしかないんじゃね?(笑)

 



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