決心 | たたかう!ポヨヨン薬剤師

決心

ってほどのことではないですが、
大塚のダンスレッスンを諦めます。
過敏症になって、たくさんのことを諦めてきました。
踊ることだけは、どうしてもあきらめられなくて、
それが無くては生きられなくて、
踊ることで悪化して、どうしようもなくなったら死ねばいいと思っていた。
今日踊れない、ということが耐えられなかった。
2年以上、レッスンがんばって、やっと最近中級モダンを許された。
フロアーをスーッと突っ切っていく中級ワルツやフォックストロット。
憧れていた。

朝目覚めて、今日も目覚めてしまったと思う。
レッスンの日は、今日はレッスンだ♪、って思う。
踊っている間は何もかも忘れて熱中して、楽しい、幸せ。
だから、寝ている時間と、レッスンの時間が私の救いだった。

大塚スタジオは、山手線で渋谷から大塚まで乗る。混雑する。
特に冬はムシューダ汚染された混んだ電車にのることはいけないと、
昨年の経験からわかっていた。
スタジオも空調の関係でタバコの煙が入るし、掃除をした後はひどい空気で、
1時間で倒れそうになり帰ったこともあった。
今年も悪化。昨年は香水、揚げ物、グリル、ホットプレートがダメになった。
ことしは、油無しでもフライパンがダメで、ガスストーブがダメで、
他人の洗濯洗剤にも反応し、飴・ガムの臭いからも逃げるようになった。
夫はガスストーブを我慢して、炬燵にしてくれている。
本当は、この4か月くらいは大塚レッスンを我慢して、
おとなしくしていれば、今回の悪化は無かったかもしれない。
でも、考えられなかった。
今日踊れないということが、耐えられなかった。

悪化してやっと、焼きそばを作ろうと、油も使わずに野菜を炒めるだけで、
目が痛く、苦しく、呼吸ができない。
そうなって初めて、大塚は諦めようと思った。

なぜ、もっと早く悪化するということを教えてくれなかったのか?
という言葉を聴きます。
2年前、mixiで、これから色々なもの反応するようになるかもしれません。
というコメントに対して、反発しか感じなかった。
過敏症発症にすぐに対応できたし、休職後半年はよくなるばかりで、
私は大丈夫、他の人とは違う、そう思わなければ生きていけないでしょう。
信じられない悪夢のような生活を送っている人の話を知っていたから。

色々な出会い、めぐりあわせで、切り変えなきゃいけないんだな、
って思うようになり、昨日の被ばくで、確定かな、と。
夫に、「月曜レッスン諦めます。今までありがとう」と言ったら、
「がんばったね」って言ってくれました。
私は幸せな人間です。
今は誰もが仕事だけで大変なはず。

朝の主婦向けのレッスンで、中級を作ると先生もおっしゃっていたので、
それを励みに、とりあえず、4月のデモ向けてがんばります。
まだ踊れる。
もしも、踊れなくなっても、時間をかけて回復して、
また踊れるかもしれない。
過敏症の人に踊る喜びを伝えることができるかもしれない。
私は恵まれている。
きっとわたしがすべき役割があるはず。

私が反タバコ活動をして、過敏症の人と会っていたとき、
アレルギーのとてつもなくひどいやつ、くらいの感覚しか持てなかった。
実際なってみて、筋ジストロフィーの方が精神的に近いと思った。
そして、筋ジストロフィーで、過敏症で電磁波過敏の人から、
明るく症状の話を聞いて、きれいなハープを聞かせてもらって、
・・ショックだった。
病気に甘えていては、そのうち優しい人にも見放されるよねって。
受け入れるって大変だけれど、でも、そうしていくしかないし、
日本で100万人の人がそうやって苦しんでいるんだし。

しばらく来なかった人が来やすいのもJSDCの魅力ですね。
とりあえず、そんな感じです。

原因は父のタバコです!!!!!!!!