トラウマから自由にするRCメソッド (株)RCM社長 高橋万紀子のブログ

心の整理と心の外科手術専門のカウンセラー
養成もしています。

NEW !
テーマ:
昨日、
という過去記事に
コメントをいただきました。

自慰行為は是か非か。

性欲を自慰で発散させるのは
罪ではないのか。

自慰に罪悪感や嫌悪感を持つ人は
とても多いですよね。
と同時に広く行われているのも
自慰ですよね。

カトリックでは
自慰行為にオナニーという名をつけ
それを罪と定めました。
しかしその語源となった
オナンという人が何をしたかというと
膣外射精です。
オナンのお兄さんが亡くなったので
弟は兄嫁と性行為をして兄の子として
子どもを残さなければならない
という決まりがありました。
生き残り最優先の決まりですね。
しかし兄嫁が妊娠しても
自分の子どもにならないことに
不満を持ったオナンが
子どもができないように
射精の際「地に流した」
と聖書に書いてあるのです。

全っっっ然、自慰じゃないよね?
しっかりやってるよね?
どうしたカトリック。

この箇所から
子どもを設ける以外の性行為も
罪だと言う人もいますけど
それは間違い。

聖書には
「あなたの妻と喜び楽しめ」
と書いてあるのですから。

オナンが悪かったのはその動機です。
兄に子どもなんか持たせるか
という否定と妨げが罪とされました。

じゃあ、自慰は?

自慰に関しての記述は
聖書にありません。
だから、基本自慰は罪ではありません。

では、聖書から離れましょうか。

私は自慰は肯定派。
自分の性器は
どんな風に触られたら喜ぶのか
自分で知っておいた方が良いから。

ただし
性器同士で刺激し合うより
強い刺激を与えると
本番が楽しくなくなってしまいます。

あと、雑な自慰は
早漏のリスクが高くなります。
ちゃんと理由があるのですが
長くなりすぎるからこれで。
(ちょ!ここでやめるの?
と声が聞こえそう)

ちょっと書いてて
アメブロに消されないか心配に
なってきましたよ。
まあいいや。

つまり、自慰自体は悪いものでない。
でもやり方を間違うと
性行為のステキさを味わえない
身体になってしまうということです。

これは
食欲、睡眠欲にも同じことが言えます。
本来何ら悪いものではないけれど
扱いを間違うと
本人を不幸にしてしまいます。

食べることは楽しくて幸せ。
でも
寂しさやストレスから
身体が必要とする以上に食べると
過食嘔吐になったり
病気を呼び込んでしまったりします。
食欲は
身体が必要とする分を食べるため。
食欲が本来の役割を果たしているなら
とても役に立ちます。

性欲も自慰に関しても同じです。

自慰という言葉より
自分の身体との対話と言う方が
正しいと思います。

女性も、自分の身体を知った方が良い。
なぜなら
「快感は男性が教えてくれるもの」
という呪縛から自由になるためには
自分が自分のことをよくわかって
伝えられる必要があるからです。

女性の快感なんか
童貞に分かるわけありませんよ。
もっと言えば
だいたい共通の快感ポイントは
あるでしょうけど
ひとりひとり細かには違います。
例えば私の夫は、
私の快感ポイントは知っていますが
他の女性となら一から探り合いです。
突っ込めば気持ちイイんだろ
と思ってるとしたら
それは大間違いですからね。

快感は男性が女性に教えるもの
という呪縛があるから
童貞をバカにする人がいるわけで。

お互いにお互いを開拓するもので
そのためにはある程度
自分のことは伝えられる状態が必要。
この価値観でいれば
誰もバカにすることもされることもありません。

自慰をしないでそれは無理。
もちろん自慰より
パートナーとの方が深い快感を
得られますし
知らなかった快感にも出会います。
扉の先には一緒に。
でも扉の場所くらいは
自分で見つけておこうよ
というのが自慰の役割。

性も自慰も良いもの。
ただし
自分をよく支配し管理できる
必要があるということです。

性に関するお悩みも承っておりますよ。




テーマ:
自己肯定できている人は
他人の優れた部分を見て
素直に感動し、尊敬できます。

こういう記事を書けるH様は
かなり自己肯定できていますよね。

初回のカウンセリングを思い出して
しみじみ嬉しくなりますねぇ。

反対に自己肯定できていないと
人の優れた部分を見たときに
焦ったり
劣等感を感じたり
自分の方が優れている部分を探したり
とにかく揺さぶられてしまいます。

活躍している人
うまくいっている人を見たときに
つい粗探しをしたくなったり
妬みを感じたりするのは
自己肯定できていない証拠ですよ。

ああ、良かったね。
もっとその能力が喜ばれるといいね。

そう思える状態が
本来あるべき姿です。

苦しんで押さえつけるより
カウンセリングを受けてほしいな。




テーマ:
概念はそれが正しく概念であるなら
常に真理である。
ただし、真理は常に
概念という形を取るわけではない。

{8F2F536A-DC51-4C45-B4C1-CCEDD411F96C}

クロネコヤマトのキャラクターみたい
だけど赤い点が概念である。
円周までの距離が
どこへ向かっても同じ。

しかし
色々なメソッドや考え方を見ると
点がずれていることが多い。

{AD29C710-B9F7-44E6-AAC1-64F0D0BBB1C9}

あることによく当てはまるようでいて
同じものが通用しない事象も多い。
これは概念でなく
真理からもずれる。

世の中に溢れているメソッドは
概念から見ると判断しやすい。
概念が正しく概念を成していないものは
効果を期待できるメソッドでない。

概念=真理として
適用する事象を増やすほどに
概念の精度は増して
汎用性が高くなる。

汎用性の高い概念をつかむほど
あるメソッドの考え方や言いたいこと
というものをつかみやすくなり
お金を払って勉強しなくても
どういうものかつかむことができる。
と同時に
真偽の判断もしやすく
容易く騙されない。

メソッドを生み出すなら
概念の精度を上げることに
エネルギーを傾けるべきである。

今日はひとりごと。
読者に合わせようとしない私。



テーマ:
男性からすると
女性というのは
女性であるというだけで
価値があります。

女性は自分より弱いので
優位に立ちたい
支配したいという欲を
手っ取り早く実現しやすい存在です。

また、ハンター気質を満足させるにも
もってこいな存在です。
何人の女性を「その気」にさせたか
自分の魅力やテクニックの証明にも
利用価値があります。

性欲を満たすのにも重要です。

反対に「優しいオレ」であるために
情けをかけて面倒を見るにも良い。

「私はブスだから…」
なんていうことは
「女」を「消費」する際
どうでもよいのですよ。

ブスにはブスなりの
美人には美人なりの
利用価値があるのです。

女として価値が高いかどうかという
土俵から降りる必要があります。

女性である前にひとりの人間です。

人間として
自分を肯定できていないと
女性性で価値を測ろうとしてしまいがち。
手っ取り早く安易で
そして傷を増やしていきます。

同じように女性に利用されて
傷ついている男性もいます。

異性というのは
手っ取り早く安易に
自分に価値があるように錯覚できる
良いツールです。

そこには人格を見る視点がありません。

すごく残酷ですが
こういう異性関係が
当たり前、普通になっています。
欲しいのはこれじゃないはずなのに
いつも間違った扉を
ノックしてしまうのですね。

このループから抜けるには
存在の自己肯定が欠かせません。

あと
異性と適度に距離を取るのも大事。
自意識過剰なんて思わずに
利用されない距離を取りましょう。
それに文句を言う人は
あなたを利用しようとしている
ということを自白しています。

異性との距離感には
心の傷がダイレクトに出ます。
自分でコントロールできなかったら
カウンセリングをご利用ください。




テーマ:
を学んだY様が
感想を送ってくださいました。

トイレに友だちと行かない自分が
仲が良い友だちがいないように
感じてしまっていたことも
そうじゃないって気づけて
本当に良かったですよね!

自分の個性や人間の多様性を
理解していないと
ついつい自分に無理を強いたり
他人を裁いたりしがちです。
でも
得意と不得意をきちんと理解することで
長所を伸ばし
短所を助けてもらうことが
よりしやすくなりますね。

許可をいただいて紹介します。

ーーーーーーーーーーーーーーーー

万紀子さんへ

こんばんは。
先月までの心の構造ベーシックセミナーでは
本当に役立つ学びをありがとうございました。

感想を書いて送ろうと思いつつ、まとまらなくて、今に至ります・
でも確実にいえるのは、今や日常生活に「潜在意識」と「境界線」の観念が染み込んでて、
日常生活のあらゆる「困った」に対して、問題の根っこにアタリをつけて、そこにアプローチすることを日々学んでいる、ということです!!

人生初めての一人暮らしや、知り合いのいない教会で奉仕することなど、
慣れない・わからないこと尽くしの毎日です。
楽しいですが、きっと無意識のうちに緊張しているんだと思います
「なーんか、よくわからないけど、変な感じ・・」と違和感を自分に感じることもあり・・。
でも、ベーシックセミナーで教えられたことが知識として頭に入っているので、
「自分はいま潜在意識でもしかしてこう感じてるからこうしたのかな」とか、
そういう視点で自分を探りつつ、あるべき方向をもう一度確認して、修正をかけていくことが
自分でもできつつあるのかな、と思います。

「個性の肯定」も、かなり大きな気づきでした。
自分はわりと自由に生きてきたほうだと思っていましたが、意外とそうでもなかったこと。
自由でいられる分野と、自由になれない分野があったこと。
それが潜在意識で邪魔しているゆえのもの、もともと好みでないもの、好みでないけれど「こうしなければ」という思いが強かったもの、
一体どれなのかまだ探り中なもの・・自分の中にはそういうものが絡み合っていたことがわかりました。

その一例として、私には「親友と呼べるようなすごく仲のいい友達がいない」というコンプレックスが幼い頃からあったことに気づきました。
小学生のときに、トイレに一緒にいったりして、「私たち親友だよねー♪」っていうような(笑)。
なんでトイレに友達を連れて行くんだろう・・一人で行けばいいのに・・・。
その理由を見いだせなくて、なんとなく「ぴったりした女子同士の人間関係」に冷めた目をもっていたのかもしれません。
でも、その一方で、「親友と呼べる人がいない自分」は人間として何かまずいのではないか、と思っていたのだと気づきました。

また一方で、人に否定されるのがこわくて、自分の好きなものを堂々と好きと言えなかったこともありました。
「人と同じじゃいやだ。人と違うものがいい」と思う一方で、「まわりの人と違っている自分は何かがおかしいのでは?」と、
矛盾した意識がずっと共存していたように思います。

今回、私は自己重要性が高いこと、おそらく「注目を集める人」であることがわかりました。
その上で、ほかの人が私のことをどう思うのも自由であること、境界線を侵害しなければOKなのだということがわかり、
なんだか、自分というものの可能性がさらにぱーっと広がった感じがします。
「親友」ということばを使わなくても、なにげなく連絡をとりあったり関係をもちたいと思える人を大切にしよう。
自分の趣味はたしかに少しマニアックだけれど、一緒の趣味で楽しめる人がいたら感謝と思おう。
そんなふうに意識が変えられました。

これらのことは、自分にとって本当に苦しいことがあったから、気づけたことでした。
苦しみにあったことは私にとって幸いでした、って、真実だなあと改めて思いました。
神様を知って、本来のよいものからずれている自分を知って。
万紀子さんのカウンセリングやベーシックセミナーでは、「物事をみる目とその術」の初めの一歩を具体的に教えていただけたと感じています。
神様がつくられた本来の自分に戻されて、回復されて、与えられた使命(この「使命」もまたさらに明確化したいところです・・)を喜んで歩んでいきたいな、と思います。

ーーーーーーーーーーーーーーーーー

Y様ありがとうございます。

新しい生活が
実り多きものになりますよう
応援しております!



Ameba人気のブログ

Amebaトピックス

    ブログをはじめる

    たくさんの芸能人・有名人が
    書いているAmebaブログを
    無料で簡単にはじめることができます。

    公式トップブロガーへ応募

    多くの方にご紹介したいブログを
    執筆する方を「公式トップブロガー」
    として認定しております。

    芸能人・有名人ブログを開設

    Amebaブログでは、芸能人・有名人ブログを
    ご希望される著名人の方/事務所様を
    随時募集しております。