キニナル日記
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Paul Smithに遭遇

表参道の裏道をブラブラと歩いていたらPaul Smithのショップでもない建物が・・・正面には黒のワゴン車が止めてあり、やはりショップじゃないなと思い通り過ぎた。

ところが一緒に歩いていたT君が「ご本人がいますよ!!」、「えっ!うそ~」会話にならない会話となり数歩戻り、建物の方を見てみると確かに本人らしき人物の後ろ姿が。
マルチプルストライプのブラインドがポール・スミス関連の建物とわかる。

後で知ったのだが、ここはポール・スミスのショールームとのこと。彼のロンドンのオフィスと同じような造りらしい。

外にいたスタッフの方に聞いてみると、ショーの打ち合わせのため来日されているとのこと。

ポール・スミスがデザインした自転車を買いそびれて(僕が好きな時代の自転車スタイルで、部品のチョイスも素晴らしかった・・・)、今も後悔している身上としてはアタックしかない。
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了解も得ないまま、足は勝手に敷地内へ、丁度打ち合わせ(立ち話)を終えた本人が振り返ったところで写真撮影をお願いすると快く承諾してくれた。

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挨拶をして、握手・・・ここまでで精一杯(涙

一緒にいたT君は学生時代にポール・スミスの授業を受けたことがあると話したら、「寝ていたんだろう。」と返されていた。とても気さくな人柄を感じた。

3.11の震災後に多くのファッションショーや展示会が中止になる中、彼はスタッフの来日は取りやめたが、単身で来日してショーを敢行した。
またその際には、日本国内で働いているポールスミス関連の社員1,000名の一人一人に手がきの激励メッセージハンカチを渡したとか。

そう英国では、彼を呼ぶにはSir Paul Smith(ポール・スミス卿)でなくてはならない。

ベトナム ダナン/ホイアン 3

ホイアンのリゾートホテルが並ぶクアダイ(Cua Dai)ビーチがあるエリアから、世界遺産に指定された旧市街までは車で15分程。タクシーでも良いが、ホテルもシャトルバスを運行していてこれを利用しない手はない。
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世界遺産だという予備知識がなければ、中華様式のくすんだ街だなというのが正直なところ。しかしヨーロッパからの観光客の目には新鮮に写っているようだ。
ここの街並や建物保存に昭和女子大学が学術的な協力をしている。

街の入り口に架かっている横断幕、共産主義バリバリのデザイン。他にもスローガンを書いたプロパガンダ(共産党政府の宣伝)ポスターや大型看板もあり、ここは社会主義国家なんだと実感。
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数百年を経たいにしえの街並は良しとしても、そこで商売に励んでいるのはやっぱり土産物屋、日本でも門前町には似た光景があるのと同じだ。
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15~19世紀にかけて、中国とアラブ、ヨーロッパを結ぶ交易の中継点として栄えた。16世紀ころには大勢の日本人達も暮らしていた。

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この橋は「日本橋または来遠橋」と呼ばれ、当時の日本人達が拠出して架けた屋根付きの橋。橋の中央部には小さなお寺も設けられている。地震や洪水に見舞われないよう鎮魂を込めて建造したらしい。

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この街では靴や洋服を販売してる店が多く、カスタムメイドで注文してもサンダルやコートだったら翌日には仕上げてくれる。真夏のベトナムでダッフルコートを作ってしまった自分は同行者にただあきれられるだけだった。
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毎月旧暦の満月の日には、家々の軒先にある提灯に灯がともされて幻想的な雰囲気が広がる。この街は夕刻からのほうがさらに情緒があるかもしれない。
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ベトナム ダナン/ホイアン 2

東南アジアの海辺のリゾートというとタイやインドネシア、マレーシアの島々などが挙げられるだろうが、ここベトナムにも負けない(勝ち負けじゃないが・・・)ホテルが続々と建てられている。

今回行ったホイアンの海岸には数多くのホテルがすでに営業しているが、いくつもの欧米メガホテルチェーン系列のホテルが開業を間近に控えていた。

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南シナ海に面したホイアンのビーチ、ここはホテルのプライベートビーチになっており、漂流物もなく(早朝ホテルスタッフがきれいに掃除しているから)ビックリするくらいきれいな砂浜。

空港があるダナン近くのビーチはフランシス・フォード・コッポラ監督の映画「地獄の黙示録」で米兵達がサーフィンをしていた海岸でもある。実際の映画撮影は別の国で行われたが。

朝日が昇り始めるとこんな表情に・・・この海の沖合では南沙諸島(スプラトリー諸島)の所有権をめぐり中国、ベトナム、フィリピン、インドネシアが熱いせめぎ合いをしている。この島々は南シナ海の「尖閣諸島」でもある。
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この海は日がな一日眺めていても飽きない。
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宿泊したのはVictoria Hoi An Beach Resort & Spa ベトナム、カンボジアで6カ所のリゾートホテルを展開するホテルチェーン。

話しが長くなったので、世界遺産に指定されたホイアン旧市街は次回に。

ベトナム ダナン/ホイアン

ダナン(Da Nang)は首都ハノイやホーチミンを始め5市ある中央直轄都市のひとつ。ベトナム中部にある港湾都市である。仏領インドシナ時代にはトゥーラン(Tourane)と呼ばれたいた。

ベトナム戦争が本格化する前にアメリカ海兵隊がここに上陸し大規模な軍事基地を設営した都市でもある。
南部の商都ホーチミンや北部の首都ハノイから約1時間の位置にある。

ダナン国際空港、と言ってものどかなローカル空港の風景。2階建ての現ターミナルの横では近代的なターミナル建設も進んでいる。
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ホーチミンからはLCC(格安航空会社)の雄ジェットスターを利用してみようと予約を入れていたが、出発の数時間前にメールが届き「本日利用機遅れのため、出発時間5時間遅れ・・・」

急遽ベトナム航空を予約(ビジネスクラスしか空きがなし)し、ホーチミン・タンソンニャット空港へ。
ジェッスターは格安航空会社ゆえ、変更・払い戻しがきかない条件になっていたが、ダメもとでカウンターへ行ったらあっさりと払い戻し手続きをしてくれた。

ビジネスラウンジでは親切なラウンジのおばさんが、あれを食べろこれを食べろといつの間にかテーブルにはビールやベトナム料理が山のように。

国内線で1時間のフライトなのに出発前から大旅行の予感、機内では赤のアオザイを着たキャビンアテンダントが国際線かと見間違う機内食を運んでくる。

CAの制服はこんな感じ・・・正面から撮るのは遠慮し、後ろ姿をパチり。
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ちなみに帰りの便のジェットスターは子供の頃に乗った機種のような気がしたが・・・何年いや何社の飛行機として働いてきたのだろうか?あまり深く考えると精神衛生上よくないので追求しないことに。

操縦席もオープン!!もちろん離陸前には閉めていましたが、バスの感覚かな。

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ダナン国際空港からホイアンまでは30km弱、空港でタクシーをつかまえ(ベトナム三大タクシー会社のひとつマイリンタクシーを指名、いわゆる白タクもあり料金支払いでいやな思いしないためにも大手タクシー会社を使う)て一路ホイアンへ。

料金は45万ドン(約1,700円)、ベトナムドンの桁の多さはいつまでたっても慣れない。日本円に換算するととても安く感じるが、ベトナムの人々の所得からすると月給の一割近い金額なのでタクシーは観光客しか乗れないだろう。

東南アジアを旅する日本人が円換算して安い安いを口にするが(かくいう自分もその一人だが)、そういう見方は失礼だと感じる。旅行とはいえ、現地の価格感覚を意識しないと「日本人は言い値で、何でも買う」という風潮が広がり、結果的に日本人自身が嫌な思いをする。

ホイアンの旧市街から少し離れた海岸エリアはリゾートホテルが今も建設が進められている。
各ホテルにはプライベートビーチがあり、ゴミがひとつも落ちていないきれいな海岸線が続く。

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ホイアン続きは次回へ。

三ヶ月ぶりの再開

7月9日のブログを最後に3ヶ月休止していたが、数少ない読者(?)からなぜ書かないのとの要請を受けて再開することに・・・

休止していた理由、3.11以降ツィッターで原発事故の情報収集したり、アカウント開設したままフェイスブックが1年以上の時を経て稼働したおかげでWebに疲れてしまい休止したのが実情でした。

おまけにアメブロをフェイスブックにリンクさせてしまったおかげで、フェイスブックの画面に合わない長文が載りめんどくさくなったのももうひとつの理由。*現在リンクは解除

震災以降、深刻な話題が続いていたこともあり気分的に参っていたのかもしれない。

再開にあたり、ノー天気な話題でスタート。

先月9月の連休を利用して二度目のベトナム訪問。最初の宿泊地はベトナム最大の商都ホーチミンシティ、ベトナム戦争をリアルタイムで見聞きしている方には旧市名サイゴンと呼んだ方が通りが良いかもしれない。
地元の人々は現在もサイゴンの呼び名に愛着を持っているようだ。

写真は泊まったホテルの屋上から見た雄大なサイゴン川の早朝風景。
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下記写真のホテルはフランス領インドシナ時代から続くホテルマジェスティック。
このようなフレンチコロニアル様式と呼ばれる往時の建物がいまもホテルや公共建築として活用されている。
$キニナル日記-ホテル マジェスティック

ベトナム戦争当時はこのホテルに世界中から集まったジャーナリスト達が定宿としていた。
若かりし開高健も朝日新聞から派遣された記者として、このホテルを根城にしながら従軍記者として弾丸が飛び交うなか命がけの取材を行っていた。

のちに開高健は、この時代を描いた「輝ける闇」などのベトナム三部作をしたためることになる。


現在のサイゴンは相も変わらずバイクの洪水であふれている。往時の風景と違うのはピカピカのメルセデス、レクサス、BMW、ベントレーなどの高級車が道ばたに止められていたり、カフェで休む人々がiPhoneを操っている光景なのかもしれない。

この後、サイゴンを離れてベトナム中部、国内第3の都市ダナンへと向かった。ここは米軍が戦争当時に最初に米軍基地を設けた都市でもある。
ダナンを経由して古都ホイアンに入るが続きは改めて。


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