January 07, 2012
ソロのための覚書 B
テーマ:ブログ
こんな時世にわざわざダンスを観に行くというのは、どういうことなのだろうかと思う。ダンスを観客として見ているとき、人は何をしようとしているのだろう。
ものを見ることと、ダンスを見ることの違いについて考える。例えば、玉ねぎを描こうとして玉ねぎを見ているとき、見ることの中には触る感覚が含まれている。表皮の光り具合を描くために、目はその部分を”触りに”いっている。視線の中の触手で、その柔らかさやカーブの具合を確かめる。
それに対して、ダンスを見ることは、ダンスに触られることに近い。
見る者の視線は、ダンスから伸びてくる触手を通すための通路のようなものだ。
踊り手の動きが、目の奥や喉の奥の細かい凹凸に触れていくのを、観客は感じる。
それは、見ることを解除されながら見るような経験だ。
ダンスに触られるためにダンスを見る、それが何になるのだろう。それは何を生むだろう。
ものを見ることと、ダンスを見ることの違いについて考える。例えば、玉ねぎを描こうとして玉ねぎを見ているとき、見ることの中には触る感覚が含まれている。表皮の光り具合を描くために、目はその部分を”触りに”いっている。視線の中の触手で、その柔らかさやカーブの具合を確かめる。
それに対して、ダンスを見ることは、ダンスに触られることに近い。
見る者の視線は、ダンスから伸びてくる触手を通すための通路のようなものだ。
踊り手の動きが、目の奥や喉の奥の細かい凹凸に触れていくのを、観客は感じる。
それは、見ることを解除されながら見るような経験だ。
ダンスに触られるためにダンスを見る、それが何になるのだろう。それは何を生むだろう。






