17★「かめおかゆみこ」ができるまで | かめおかゆみこの≪表現するからだとことば≫塾

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あなたが輝く≪表現≫をサポートします!・心身の解放(ゆるめること)・感情の解放
と切り換え・表情トレーニング・身体表現・声の表現・話しかた・聴きかた等々、28年
にわたるワークショップ体験をもとに、あなたオリジナルのセッションを提供します!

かめおかゆみこ です。

 

 2003年11月1日に創刊した、日刊メルマガ「今日のフォーカス

チェンジ」が、きたる7月10日に、5000号を達成します。ウインク

 

その記念に、自分の人生ドラマをまとめています。


題して、「『かめおかゆみこ』ができるまで
01★黒曜石が採れた村      02★「いのちの場」で     

03★自然と絵本と空想と     04★「トリップ」する子ども

05★「世界」の終わり        06★2つの交通事故

07★頭のよくなる薬        08★居場所を見つけた!

09★演劇部設立!         10★バトルな季節

11★もっと学びたい…       12★あこがれの存在

13★授業さぼって事件       14★悲喜こもごもの地区大会

15★はじめてのひとり旅      16★輝く日々

 

 

17★Sさんのこと

 

高校1年の文化祭が終わったあとだと思います。

「かめおかさん、誰か呼んでるよ」と呼ばれて行くと、教室の入り
口に、知らない上級生が立っていました。それほどおおきな学校
ではありませんから、見かけたことはあったかもしれませんが。

名前は、Sさん。ほっそりと、少しさみしげな表情のひとでした。
彼女は、「文化祭の劇、とてもすてきでした。よかったら友だちに
なってほしいと思って」と言いました。

といっても、学年もちがうし、部活もちがうので、結局、私たちは、
学内で「文通」をすることになったのでした。

 


私は、文章は読むのも書くのも好き。書きわすれていましたが、
中学生のときには、なんと、15人のひとと文通していました!

しかも、相手の性格・個性にあわせて、同じことを書くのでも、少
しずつ表現を変えたりしていました。びっくり

話がつながるように、きちんと相手別に、図書室のインデックス
のように、手紙を分類していました。私は片づけは大の苦手です
が、天秤座でA型のせいか、変なところで、几帳面なようです。爆  笑


話をもどします。そんなわけで、学内で手紙の交換をし、そのと
きに少しだけ会話をする、という関係がつづきました。

内容は、他愛ないことばかりです。私たちにはあまり共通の趣味
はありませんでした。本が好きだったことくらいでしょうか。だから、
好きな本の話などが多かったかもしれません。

一度だけ、リヒテンシュタイン城の写真の載った切り抜きを見せて
くれ、「いつかここに行きたいなあ」と言ったことをおぼえています。

線の細さはあったけれども、ひどく暗かったわけではありません。
彼女は、ごくごく普通の高校生だったと思います。

そして私は、相変わらず演劇に熱中し、彼女のこころのなかに何
があったのか、想いをやることはできませんでした。

私が高校2年、彼女が3年の、3月だったと思います。私は、体育
館のステージで、3月公演の稽古をしていました。部員の誰かが、
彼女がきて、私を呼んでいると教えてくれました。

行くと、彼女は、ちいさな袋を、私にわたしてくれました。見ると、
私が貸していた本でした。「ありがとう」何気なく受け取って、私は
すぐに稽古にもどりました。

その日は、雪が降っていました。夜になってさらに大雪になりまし
た。彼女は、その雪に埋もれているところを、帰りが遅いと心配
した家族と、捜索のひとたちによって、発見されました。

北海道の冬は、雪のなかで動けなくなってしまうと、亡くなることさ
えあるのです。だから、当たり前に、捜索願いが出されたのです。

 


余談になりますが、私が高校3年の卒業式のあと、ひとりで住む

友人の家に、お祝いのお寿司をおすそわけに行くと約束していた

のですが、午後から大吹雪になってしまいました。雪の結晶台風雪の結晶

当時、友人の家に電話がなく、連絡のつけようがありません。

しかたなく、吹雪のなか、雪をこいで、行くことにしました。

出掛けに、母に言われました。「わたしたらすぐにもどっておいで。

1時間経ってもどってこなかったら、警察に連絡するから」

いつもなら15分で行ける友人の家に、25分くらいかかってたどり

着き、「あがっていきなよ」と言われるのを、「いや、帰らないと捜索

願いが…」と、雪まみれのまま、帰った記憶があります。滝汗

 


再び話をもどします。雪のなかで発見されたSさんが、その後、ど

うなったのか、私には知るすべがありませんでした。

あの、体育館で最後に会ったときのことが、何度も思い出されまし
た。あのとき、なぜ何も言ってくれなかったんだろう。なぜ、私は何
も気づかなかったんだろう…。そんな想いがぐるぐるうずまきました。

 

家に遊びにいったこともなく、どう連絡していいかわからないまま、
いたずらに時間だけが経ち、1年後、私も卒業し、町を離れました。

それからさらに1年後です。私は、大学受験に失敗し、1年間の札

幌での予備校生活を経て、ふたたび失敗して、失意のなかで、い

ったん進学をあきらめて、はたらくことにしていました。

(ちなみに、親との相談で、私が選択したのは、国立大学1本。つ
まり、全7教科の受験です。致命的な算数オンチの私は、どれだ
け国語や社会ができても、合格はかないませんでした)えーん

ある日、大家さんから、「かめおかさん、電話です」と呼ばれて出
ると、なんと、Sさんでした。たぶん、私の実家にかけて、こちらの
電話番号を知ったのでしょう。

「久しぶり…」「元気だった?」。うれしいというより、おどろきのほう
が大きく、何を話していいかわかりませんでした。そして、そんな
に長くは話さず、「電話ありがとう」と言って、受話器を置きました。


それからさらに、2年後。私は、ふたたび進学を希望し、当時、北

海道岩見沢市にあった、駒澤短期大学で、教職課程をとっていま

した。そして、教育実習のために、佐呂間にもどってきていました。

が、実家はすでに引っ越したあとだったので、くだんの、お寿司を
届けた友人の一軒家に、居候させてもらうことにしました。

高校時代の話をあれこれしていたときのことです。ふっと、Sさんの
ことを思い出し、友人に訊きました。「どうしてるか、知ってる?

死んだよ」…そっけない返事がかえってきました。衝撃でした。

そして、その時期は、あの、アパートに突然電話をかけてきた、2

週間後くらいではないかと思われるのです。

私もよく知っている、何度も近くを通ったことのある、湖に身を投げ
たそうです。胸の底が冷たくなるのを感じました。私は2度も、彼女
が発していたかもしれないサインに、気づきそこねたのです。

それは、長いこと、私のこころのなかに、罪悪感として残りました。

いまはそうした気持ちはありませんが、あの線の細い横顔と、うれ
しそうに見せてくれたリヒテンシュタイン城の写真のことは、いまで

も時折、思い出すのです。

 

 

 

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