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2012-01-24 00:12:30

エーデルワイスとこんな私

テーマ:日常

meet me at かめやん’s place


近頃よくリピートしているコーヒー豆に、エーデルワイスというのがある。


行きつけのコーヒー豆屋のおじさんから、
深く焙煎した豆のコーヒーが好みなら、このエーデルワイスなんかとても美味しいよ、
とすすめられて試してみたら、たしかに実に素敵な味わいだったので、
以来2種類の豆を購入する際は、その一方をエーデルワイスにすることがほとんどになっている。
そんなに口に合うのなら、購入する豆を2種類にせずにエーデルワイスだけにすればいい、
と思われる向きもあるかもしれないが、
同じ味ばかりを続けていると、それに慣れてしまって美味しさへのありがたみが薄れてくるので、
エーデルワイスをずっと飲んで、それが尽きたらほかを飲んで、
またほかが尽きたらエーデルワイスを飲んで、それが尽きたらほかを飲んで、
を繰り返しているのだった。
ちなみに「ほか」は、インドアラビカだったりマンデリントバコだったりすることが多い。
で、調べみたらこのエーデルワイス、
よく名の知れたコーヒー豆であるキリマンジャロと同じ産地だが、
限られた農園で収穫されるものをエーデルワイスとしているらしく、
つまりはキリマンジャロの中でも少しばかり高級なタイプということのようだけれど、
私が利用するお店では200グラムが税抜きの800円なので、そう高額なものではない。


と、気が付いたら、今年もすでに1ヶ月弱が過ぎてしまった。


しかしながら正直に書いてしまうと、
私にとってこうした1ヶ月弱が過ぎてしまったうんちゃらというのは、ものすごくどうでもいい。
これが1週間であろうが、3ヶ月であろうが、111日であろうが、123日であろうが、
なんだかすごくどうでもよくって、
そういえば私は、記念日とかもどうでもよくって、
誕生日なども自分のですら忘れるほどにどうでもよくって、
そりゃおかしい、社会人として何かが欠けている、病院にかかったほうがよいのでは、
とおっしゃられても、へらへらしているよりほかなく、
けれども、こんな私をそんな人だと差別せずに扱ってくれる女房と所帯を持てて本当によかった。


ま、こんな私ではありますが、遅ればせながら今年もどうぞよろしくお願いします、
って、今年だか去年だか来年だか、ああ、どうでもいい。

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2011-12-28 17:05:30

続・編み物をする私

テーマ:日常

ということ で、

2種類の糸を使って帽子を編んでいる私なのだった。


では皆さま、どうぞよい年をお迎えくださいませ。


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2011-12-14 21:03:08

編み物をする私

テーマ:日常

どんな魂胆かは知らないが、
女房が私に編み物を教えると言い出し、
私としても、それができて損はないので、
教わることにした。


最初に編むべきはアクリルたわしだと言う。
くさり編みというので、目を10編んで、それを土台にして、こま編みで面にしていく、
と書いたところで、これは女房の説明を文章にしただけで、
この世に生を受け48年、
ただの一度も編み物をしたことのない私は、
彼女の指示に従って編み針を動かしてあれこれするのだが、
手元にできるのは、正体不明のごちゃごちゃした毛糸の絡まりである。


理屈をまるで理解していないので、私にはそうしか見えなくて、
その上、ここに針を通すと聞かされても、ここがどこだかわからないし、
それ以前にわからないことだらけだし、
何がわからないのかがわからないのだし、
左手はつってくるし、右手は編み針のあたる部分が痛くなってくるし、
それはおかしな具合に力が入りすぎているからだろうと推測されるが、
たしかに我に返ると、馬鹿みたいに背中がだるい。


だが、不思議なもので、1時間ほど作業を進めると、
おぼろげながら自分が何をしているのか、わかった気分になってくる。
気分、としたのは、わかったのは何がわかったのかと問われても、
おそらく答えられないからなのだけれど、
わかった気分になって、さらに進めると、
ゴールの近づいていることが、やはりわかった気分になってきて、
もう少しがんばって編み物の面積を増やし、
そうしてとりあえず仕上げたのが、写真のアクリルたわしである。


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10あった目が途中で9になったりしていて、編み目もあっているのかどうだかだが、
第1作にしてはまずまずらしい。


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第3作・・いや、ほどいてしまったのを含めれば、第6作か7作ぐらいだが、
ようやく編み目が整ってきた。

2011-12-03 23:05:52

リヴィング・イン・ザ・マテリアル・ワールド

テーマ:音楽
友人であるリカーマン1号さんに見に行くことを誘われて、その存在を知ったのか、
それともその存在を知った頃に、リカーマン1号さんから誘いがあったのか、
今となってはすっかり忘れてしまったけれど
(どうもここ最近は、この手のそう遠くない過去の出来事がなかなか思い出せない)、
ともかく、故ジョージ・ハリスンの伝記映画を、ふたりして見てきた。


事前にあれこれ調べてみたら、
私たちの住む地方では名古屋市内のとあるシネマコンプレックス、
そのひとところでしかやっていないので、そこへ足を運ぶのは仕方ないとして、
さらに調べると料金が2500円になっている。
映画の料金は1800円が相場なので、妙な気がした。

私がビートルズやそのメンバーたちのレコードを買いはじめた1970年代後半、
彼らのLPは1枚ものなら2500円、2枚組なら4600円で売られていた。


見開きジャケットにブックレットが2冊付いていた、
ポール・マッカートニー&ウイングスの「レッド・ローズ・スピードウェイ」なら、
音楽的な内容もあいまってしっかり2500円分の満足感を得られたが、
AB面合わせても30分に満たないビートルズ初期のアメリカ編集盤も同じ2500円だし、
4面すべてカセットに録音して60分テープ1本に収まるか収まらないかの、
一般に〝赤盤〟と呼ばれたベストアルバムも、
当時2枚組で販売されていたLPの中ではおそらく最高値であろう4600円だった。


私はまだ子どもに分類されるような年齢だったが、
そうしたビートルズブランドの強気な商売には、
不満と憧れの入り混じった複雑な気分になったものだ。

ジョージ・ハリスンの映画の料金である2500円に、
そんなかつてあったビートルズならではの割高感をつい重ねたりもしたけれど、
この映画、紹介しているサイトには、上映時間がなんと3時間30分とある。


3時間30分!

よくある映画のほぼ倍ではないか。
だから料金が普通以上なのだ。
すなわち、700円余計に払えば映画が2倍楽しめる計算で、
だったら得かもしれない、と思ったりしたが、
先のレコードの話にしろ、この映画の話にしろ、
収録時間や上映時間で損得を考える自らの価値観が、本当に情けない限りだ。

おっと、映画の感想を書かなくてはいけない。

全編を見終えたあと、映画館を出たリカーマン1号さんは、こう漏らした。
「あー、しんどかった。
NHK教育で放送されるBBC製作のドキュメンタリーを、7本か8本立て続けに見た感じがする」
まったくもって同感だった。


2011-11-28 16:31:03

歯医者さんの話

テーマ:日常

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写真は、かめやんの近影だが、以下の文章とは無関係である。


私が3ヶ月ごとに歯医者さんへ通っているというのは、ここに書いたことがあると思う。
歯周病持ちなので、検診とクリーニングのためにそうしているわけだが、
7月にあったその予定が、四つ前の記事 で紹介したあれこれでキャンセルしたままになっていた。


はじめは、四つ前の記事で紹介したあれこれが、
生活にどの程度に影響するのか見えていなかったので、
まずキャンセルしたい旨を歯医者さんに電話で伝え、とりあえず1週間延ばすことにした。
けれども、1週間あとになったその予定も、結局キャンセルしなければいけなくなって、
私はすごく申し訳なかった。


仕事の予定が続けてキャンセルされたら自分はひどくがっかりするだろう、
と想像してしまったからだが、
歯医者さんからしたら、大勢いる患者のうちのひとりがきたりこなかったりするだけのことなので、
さほど気に病む必要はないのかもしれない。
しかしながら、私のための時間がそこに用意されていたのは間違いないし、
今や歯医者はコンビニエンスストアよりもたくさんあって経営もひと苦労、
なんて情報も脳裏をかすめたりして、
私の気持ちは、なかなか専門家の手にかかれない歯同様にすっきりしなかった。


と、気がついたら、すでに11月も後半である。
もっと気がついたら、四つ前の記事で紹介したあれこれも、それなりの状態で落ち着いているので、
先日歯医者さんに、あのう・・7月にキャンセルしたかめともですが、と恐縮しつつ電話をしたら、
受話器の向こうの馴染みの歯科衛生士さんは、
あらまあ、かめともさん、と声を聞いたなり、こちらが誰だかを理解し、
昨日会った友人のようにおしゃべりし、さっさと次の日に予約を入れてくれた。


そして24時間後、その馴染みの歯科衛生士さんの手によって、
私の歯はきわめてさっぱりのつるつるになった。
さらに彼女は、おみやげにシュミテクトの試供品も持たせてくれた。
素直にありがたく、この歯医者さんがかかりつけでよかったとしみじみ感じた。

2011-11-23 15:40:28

柿の話

テーマ:飲むこと・食べること

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我が家のキングオブフルーツ、
あ、わざわざ横文字にすることもないか、
果物の王様といえば、柿である。


もともとは女房が大好物で、私は、小さい頃にはそれなりに食べたものの、
大事なところに毛が生えるぐらいになってからは、そう喜んで口にすることはなかった。
女房と暮らしはじめたら、彼女があまりに、かきかき、と言うものだから、
つられて食べるうちに、おう、やっぱりこれは相当に美味いな、となった。


しかしながら、柿という果物は、そんなに人気がないらしい。
先日も女房の友人が、大玉の柿を1ダースばかり、わざわざ持ってきてくれたけれど、
彼女がそうした大盤ぶるまいをしてくれるのは、
彼女の実家でたくさんとれる柿に3人いる子どもたちは見向きもしない、
それだったら好きな人に食べてもらったほうが無駄にならずにすむ、
という理由もあるみたいで、私の心情はなかなかに複雑だ。


今日び、柿が好まれないのは、
いちいち皮をむくのが面倒だから、というのも聞いたことがある。
その程度の手間を惜しむなんて、
本当に美味しい柿を食べたことがないからではないのか、なんて思ったりもするけれども、
誰かの価値観にいちゃもんをつけるようなそんな考えは、心の中にしまっておくべきで、
こういうところに書いてはいけない。


ところで柿は、果肉の歯ごたえにおいても好みの分かれる果物だが、
私はかたい柿のほうが圧倒的に好きである。


柿を食べずに数日ほっといたら、
かたかったのがぽよぽよにやわらかくなってしまって泣けてきた、といった不幸な人が、
毎年秋になると数万人は出現するそうだが、
あれはへたの部分から水分が抜けてぽよぽよになるので、
少し湿らせたティッシュペーパーを折りたたんでへたに貼り付けておくと、
かたい状態で長持ちさせることができる。
我が家では柿を入手すると、まずそのすべてのへたにティッシュのふたをして、
台所の棚にへたを下にした状態で並べておく。
『ためしてガッテン』で得た知識から、そんなふうにしている。

2011-11-14 16:04:12

鼻血と新しいパソコンと

テーマ:日常

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ここしばらくの更新、
といっても、ひと月にせいぜい1回更新するかどうかだが、
いずれにせよ、このブログにおける半年ほどをふり返ると、
内容がどよんとしていてよろしくない。


別に誰かを重い気分にさせようとか、そんなつもりは一切なく、
書いた事柄はすべて本当で、
ただ私は、そのときどきにあったあれこれ、
それらに対する自分の正直な気持ちを、残したく感じた場合のみ、
文章にしてはこのブログにアップしてきた。


すなわち、内容の明るくなさや更新の頻度が落ちているというのは、
現在の私をそのまま表しているに違いないのだ。


だからこそ、こう無理にでも気分を変え、軽く楽しい記事を書かなくては、なんて、
私に限って思うはずもなく、
私は私の勝手に生きたくて、これまでいろいろとやってきたはずなので、
こうしたブログの傾向も、それはそれとして、認めなくてはならない。



ところで、パソコンを買い換えた。


先月の半ばのある夜、
風呂上がりの女房が、右の鼻の穴に丸めたティッシュを詰めているので、
どうした、と聞いたら、鼻血が出たの、と答えたけれども、
その鼻血はすぐに止まり、特にそれ以上は、私も女房も気にしなかった。
そして次の日の朝、というか、その6時間後ぐらいのまだ外が暗い時分に、
女房が、うわあ、と声を出して、私は目覚め、見てみると、
再び彼女の右の鼻の穴から血が出ている。
血は、鮮やかな色をしたさらさらとした血で、
ティッシュを詰めても、すぐにそれがピンクに染まってしまう状態だった。


鼻血の際は後頭部を手刀でとんとんするとおさまる、が、古いデマというのは、
さすがに知っていたので、私はただ、仰向けになって安静に、と指示し、
パソコンのある隣室に向かった。


実は1年以上前から、パソコンの電源が入りにくい、
入ってもすんなり立ち上がらない、という現象が起きていて、
でも最終的には立ち上がるので、修理にも出さず、様子を見てきたが、
8月のおしまいあたりから、立ち上げるのにかなりの手間を要するようになったので、
就寝前にパソコンを終わらせるときは、もっぱらスタンバイにしていた。
ちなみにいろいろと調べては試し、ソフト上のトラブルでないのはわかっていた。


ともかく私は、パソコンをスタンバイから復帰させ、鼻血の止め方を検索した。
すると、ほとんどのサイトにあったのは、
顔は下向きにして指で小鼻を圧迫する、という方法だった。
仰向けになるのは、血が口の中に流れやすいのでよくなかったのだ。



と、こんな調子で続けたら、ろくでもなく長くなりそうなのではしょると、
以降女房の鼻血は、出たり止まったりを繰り返し、
ついには大学病院の、救急外来のお世話になる事態に至ってしまった。
それがさらに翌日の未明である。


血液検査にはある程度の時間がかかるので、
ベッドに寝かされ、生理食塩水だかその手のものを点滴されている女房、および私は、
やけに広い診察室で、ぼんやりと過ごすよりほかなかった。


医師や看護師はどこかへ消え、私たちふたりきりだった。
私はとにかく退屈で、診察室の中をうろうろし、さまざまな設備をしげしげ眺めた。
3台ほどあるパソコンにはすべて電源が入っていて、スクリーンセーバーが作動していた。
みな同じパソコンでlenovoとある。
レノボと読むのかな、知らないメーカーだなあ、と思っていた。


その後、とりあえずの処置をしてもらった女房は、同じ日に血管をレーザーで焼いてもらって、
どうにか鼻血を落ち着かせることができた。
落ち着かせる、と表現をしたのは、それでも少量の出血が続いたりしたからだが、
4、5日してようやく丸めたティッシュからも開放された。


それから2週間しての朝、
とうとう我が家のパソコンの電源が一切入らなくなった。


前述の通り、スタンバイにしてあったのだが、
電源ボタンを押しても復帰するどころか、ぷっつりと反応しなくなってしまう。
この状況ははじめてではなく、プラグをコンセントから抜いて数分放置し、
気合を入れてさし直すと、ぶほーっとエンジンがかかったりするので、
それもやってみたけれど、何度もやってみたけれど、
どうしたってパソコンに電源の入ることはなかった。


その日の夕方、早めに仕事を切り上げた私は、
かねてより目をつけていたパソコン修理専門店へ車を走らせた。
あらかじめ電話で問い合わせたら、
デスクトップ本体だけを持参してください、とのことだったので、そうした。
店に着いたら、店主が、夜の繁華街の顔役みたいなルックスだったので少し驚かされたが、
彼は器用に私のパソコンを丸裸にすると、さっさと作業に取りかかった。


がらくたのような装置を取り出して、つなげてはいろいろやっている。
私は、展示してある中古パソコンを物色するふりをして、診断を待った。
やがて店主が、はずしたカバーを元に戻しはじめたので、カウンターに近寄ると、
彼は私に非情な宣告をした。


電源周りよりも中心的な基盤がだめになっている、
年式が古いのでメーカーに部品は残されていないし、
もし中古で同じ基盤があっても修理代を含めたコストなどを総合すると諦めたほうが、
といった意味の店主の言葉を耳にしていくうち、私の心はどんどん冷たくなっていった。


大きな大きな喪失感だった。
その電源の入らなくなってしまったデスクトップは、新品で入手したものではなかったけれど、
友人が親切心からいろいろ改良を加えて私に譲ってくれた、
とても使い勝手のいいパソコンだったので、
私は永遠に光の当たらない月の裏側に押しやられたぐらいに落ち込んだ。



と、やはりいい加減長いので、またもやはしょると、
そうこうあって現在、私の目の前に置かれているのは新しいパソコンで、
レノボのC205なる製品である。
OSはWindows7で、デスクトップでもないノートでもない一体型、
アマゾンで発見して購入したが、
パソコン修理専門店で売られていた中古のノートパソコンとあまり変わらない値段だった。



鼻血流れっぱなしの女房と一緒にいた大学病院の診察室で、
夜なのだか朝なのだか判然としないあのときに目にした、
知らなかったメーカーのパソコンが今ここにあるとは、
世の中はつくづく予想も予感もへったくれもないと、身に染みた次第でありました。
おしまい。

2011-10-08 07:50:48

9月から10月にかけての私たち

テーマ:日常
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写真は、いつぞやの夕食であるところの女房作、
バジルソースで和えたじゃがいもとベーコンのパスタだが、
なかなか微妙な見てくれといった感も否めない。

さて。


特別にご報告することは何もないのだが、
こんなブログでも定期的に覗いてくださる方が多少いらっしゃるようなので、
せっかくなのでお知らせしておきますと、
私も女房も、そしてかめやんも、皆元気で過ごしております。

前回の更新は、女房の新しい病気について説明したけれど、
その女房も先日は、市内で行なわれた祭りの中の、
フリーマーケット的な催しに手芸関連の店を出したりし、
そんなことができるぐらいにまで回復したということで、
ふり返るとこの現実が、不思議にすら思えたりもするのだった。


はなはだ簡単ではございますが、こんなところで。
また思いついたら、ぼつりぼつりと何か書くかもしれません。
2011-08-13 17:03:49

7月から8月にかけての私、および女房

テーマ:日常

写真は、いただきものの中身が黄色いスイカ。
暑さしのぎの特効薬です。


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実はひと月ほど前、女房がパニック障害と病院で診断され、
以来かなりバタバタした日々を送っておりました。
そのさらにひと月ほど前、身内の入院や手術があって、
それなりにバタバタした日々を送っていたのですが、
そこに重ねてのこれですから、
それなりのバタバタが、かなりのバタバタになってしまったのでした。


ここ数ヵ月、女房の心が弱ってきているのには、気付いていました。
女房が、四捨五入すれば20年来の持病を抱えているのは、
このブログでも触れたことがあると思いますが、
いつ終わるともわからないその治療の先にあるものを想像しては、

めそめそ泣いたりして、次第にそれが習慣化していきました。
ひとりきりのときにめそめそ泣いていたのが、だんだんと抑えきれなくなり、
私や主治医と話していても、ついついめそめそモードに入ってしまったりするのでした。


ただ、女房は40代半ば過ぎで、
女性にとってホルモンバランスの崩れやすいそうした年齢であるから、
一時的に心が弱っているのだと、私だけでなく女房自身も捉えているところがありました。
いずれは、めそめそすることも少なくなってくるだろうと、
私も女房も冷静さを持ち、事態を客観的に見ている部分があったのです。
しかし、でした。


発作としか表現のしようがない状況に女房が陥ったのは、ある夜の風呂上がりでした。
翌朝の女房は、いつもと大きくは変わらなく見えたので、私はほっとして仕事に出かけましたが、
同じ日の昼過ぎ、仕事から自宅へ戻っていた私に、
病院に連れていってほしい、と彼女は伝えてきました。


とにかく身の置き場がなくて苦しくて仕方ない、
今までに味わったことのない苦しさで、あまりに苦しくて体が動かない、
苦しすぎてもう叫ぶことも泣くこともできない、と訴えますので、
私は迎えるべき場面をとうとう迎えてしまったような、そんな気がしまして、
歩くのもままならない女房をなんとか車に乗せ、大学病院へと走らせました。


病院では、持病の具合の調べるための検査をして、

それから精神科の先生に診てもらいました。
先生は長い時間をかけて話を聞いてくださり、パニック障害でしょうね、とおっしゃいました。
パキシルという薬とコンスタンという薬を出してくれました。
前者はずっと飲み続ける薬で、しかしながら、すぐには効果が出ない薬なので、
発作のための頓服として後者を出してもらったのでした。
でも、ここからがまた大変でした。


コンスタンが、女房には効きません。
発作が起きそうなって飲んでみたのですが、心の中の不安は増すばかりで、
パキシルもすぐには体が慣れず、それによる不快感も加わって、
女房はひたすら絶望的な気分を味わうほかありませんでした。


病院に電話をして、もっと先だった次回の診察を早めてもらい、
先生に事情を説明したら、
今度はメイラックスという薬とドグマチールという薬を出してくれました。
これらはどうやら女房に合っていたようで、服用を始めてから女房は落ち着いていきました。
メイラックスもドグマチールも、処方されたのはわずかな量でしたが、
きちんと効いてくれてありがたかったです。
そして現在、女房は8割方、かつてのような生活を送れています。


今回の件では、ツイッターで幾人かの方たちが、
大切なアドバイスをくださったり、お見舞いの言葉をかけてくださったりしました。
その節は本当にありがとうございました。


パニック障害は、100人のうちに数人がなったりする、ごくありふれた病気なのだそうです。
薬もたくさんの種類がありますし、適切に治療すれば、ちゃんと克服できる病気なのだそうです。
そうした情報は、女房や私をとても勇気付けてくれました。
けれども、私は同時に、こんなことも考えています。
それは、世間一般にはありふれた病気であっても、その病気になった本人にしてみれば、
その苦しさは、彼もしくは彼女の人生において決してありふれたものではない、ということです。
皆がそういうふうなのだから辛抱しなさい、皆が我慢しているから我慢しなさい、
といった意味合いのアドバイスが、必ずしも有効とは限りません。
病気の名前や薬の名前で、この文章に辿りついた方がもしいらっしゃいましたら、
そのあたりもしっかり覚えておいてほしいと感じています。

2011-06-17 19:51:32

6月の私

テーマ:日常

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写真は、本日の夕飯だったビビンバ風どんぶりであるけれど、
記事の内容とは関係ない。

 
私はどうにか生きている。
相変わらず、生活している。
が、不安は、それは漠然とした不安だったり、具体的な不安だったり、
毎日毎日めまぐるしく変化するが、
いずれにしたって不安なるものは、
いつだって私のそばにいて、なかなか離れようとしない。


あの震災があったからというわけでなく、
しかし、あの震災の影響がひとつもないかというと、それは嘘で、
かといって、あの震災がなくてもきりのない不安、
たとえば、いつ交通事故にあわないとも限らない不安、
いつ余命宣告されないとも限らない不安、
いつ何らかの原因で無一文にならないとも限らない不安、
いつ飛行機の部品や隕石が落ちてきて自分を直撃しないとも限らない不安、
そうしたきりのない不安は、どこまでいっても私につきまとうのである。


生きることこそが苦しみというのは、
おしゃかさまの時代からあった概念で、
それは本当に、だれにとってもどうしようもないことだから、
おしゃかさまをはじめとするいろいろな人が、
ああだこうだと苦しみから逃れる方法を模索したわけで、
けれども彼らが、絶対的な方法を発見できたのかというと、
だれにとっても絶対的な方法が発見できたのかは、
だれにとっても、という部分であやふやなので、
とにかく私は、気の持ちようをどうにかして、
日々暮らすほかはないのだなあ、とそんな気分です。


ツイッターのほうにも少し書いたのだが

(ツイッターのアカウントは kametomo7 で検索してみてください)
今朝いきなり思ったのは、おじや、は実にすぐれた言葉ではないか、ということだ。
おやじ、ではなく、おじや、だ。


ラーメンの残り汁にご飯を投入して食べる食べ方なんて、
かつてはマナー的によろしくないイメージが強かった気がするのに、
今では、とりわけネット上において、
おしまいはおじやで、という表現で、さほど問題なくなってしまっている。
そして、はじめは相当に抵抗のあったこの私も、
おしまいはおじやで、と心に言い聞かせると、
そうした食べ方もありになってしまって、たまに実際やってしまったりする。


すなわち、おじや、と敢えて呼び習わす行為によって、
残飯と見なされかねないラーメン鉢の中身が、立派な料理に生まれ変わるのであった。
いかしすぎだぜっ、言葉としてのおじや!(『鈴木先生 』風)。
私個人の好みとしては、
一般にとんこつしょう油とされたりするタイプのスープがおじや向きなのだが、
などと、そんな建設的なことを考えながら、
むくむく涌きあがる不安を抑えつけたりしているのである。



ちなみにかめやんも元気だぜっ!


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