花という名前がキライだ。安易だし、意味が薄いし、何より私は花みたいにキレイじゃない。お前はなんの花かと問われれば、ラフレシアとでも答えるしかない。

 小さな頃は友達から「花ちゃん」と呼ばれることに違和感はなかった。それが一変したのは中学の入学式の時。

「はなたれ!」

 風邪をひいていて、入学式が始まる前にと思って鼻をかんだのだ。その時、隣の席の男子が私の名札を見て叫んだのだ。
 私は何を言われたか分からずぽかんと口を開けた。

「お前、加藤はなたれ。だな」

 まわりの席の子がみんな私の名札を読んでクスクスと笑った。
 それ以来、その男子、川口晃は私を『はなたれ』と呼び続けている。

 入学式は名前の五十音順に座っていたわけて、加藤と川口は隣だった。運の悪いことにクラスの席も、最初は名前順だった。私の席のまわりの子は入学式のことを知ってる。授業中、クスクス笑いと「はなたれ」と小さくささやく声が、しょっちゅう聞こえた。私は唇を噛んで俯くことしかできなかった。

「花ちゃん」

 中学で最初にそう呼んでくれたのは千秋ちゃんだった。
 お弁当を持って誰もいない場所を探していると、突然、頭上から声が降ってきた。

「花ちゃーん!」

 驚いて見上げると、私のクラスの隣のベランダから一人の男子が手を振っていた。

「花ちゃーん! 一緒にお弁当食べましょうよー!」

 おねえ言葉のその男子の顔が見えなくなったと思ったら、すごい勢いで階段を駆け下り、走り寄ってきた。

「ね! 行きましょ」

 私の腕をとり有無を言わさず階段を上らせた。それが私と千秋ちゃんの出会い。

 千秋ちゃんは隣のクラスのアイドルで、私のことを「はなたれ」と呼ぶ子がいたら、「千秋、泣いちゃう」と泣き真似をして黙らせてくれた。私は隣のクラスに入りびたり、いつも千秋ちゃんの後について歩いた。千秋ちゃんといつも一緒にいたかった。

「ねえ、なんで私を仲間に入れてくれたの?」

 ある日、ふと思いついて聞いてみた。千秋ちゃんはなんとも言えない妙な顔をして目をそらした。

「ごめん」

 千秋ちゃんに謝られて、私は首をかしげた。

「なんで謝るの?」

「嫉妬してたの。花ちゃんと川口くんを引き離したかったの」

「え?」

「わたしね、川口くんが好きなの」

 あまりに驚いて何も言えなかった。
 みんなの千秋ちゃんが、私に嫉妬するなんて。目が真ん丸になっていたはずだ。
 しかも、まさかあのニキビ面の川口を? 人をはなたれ呼ばわりする川口を?

「川口くんは花ちゃんのことが好きでしょ、くやしくて」

 川口が? 私を? ありえない、だって私をはなたれと呼ぶくらいだもの。

「好きな子には素直になれなくて、意地悪しちゃうのよ。私も分かるわ」

「……千秋ちゃんは意地悪なんかしないもん」

 千秋ちゃんは、ふふっと笑って私の頭を優しく撫でてくれた。私は初めての恋が終わったのを感じた。

 二年生の秋、川口が告白してきた。私は鼻で笑ってやった。嫉妬した相手に優しくなんて出来なかった。私は千秋ちゃんみたいにはなれなかった。

 中学を卒業するまで千秋ちゃんは川口と話をすることは出来なかった。優しい千秋ちゃんが、川口の前では急に無言になって川口をじっと見つめるのだ。みんなは千秋ちゃんが川口を無言で責めているのだと思ったらしい。川口も。いつの間にか私の「はなたれ」呼びはなくなっていた。

 卒業式が終わって、私は呼び出された体育館の裏に行った。千秋ちゃんが私を待っていた。

「花ちゃん、私、とうとう言えなかったわ」

 涙目の千秋ちゃんに、私は拳をつきだしてみせた。

「あげる」

 手のひらを開くと、千秋ちゃんの目にますます涙がたまって溢れそうだった。

「川口の第二ボタン、むしりとってきた」

 千秋ちゃんはそっとボタンを受けとると、両手で包んで抱き締めた。その手が、私が欲しい千秋ちゃんの第二ボタンを隠してしまった。私もとうとう言えなかった。


 花という名前がキライだ。安易だし、意味が薄いし、何より私はキレイじゃない。
 でも私は私の名前が好きだ。「花ちゃん」と優しく呼んでくれた千秋ちゃんの声を思い出すから。
 いつでも心の奥に思い出せるから。