どれかが問題2

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先に伝来のみで根拠なしの具足についてお話をしました、

先人への敬意、より身近に感じたい、

そのようなある意味他愛無く悪気の乏しいものも真実をしっかりと

認識する事は大切です、

中には伝来こそ覚えられているものの誰かが注文制作

あるいは購入してきた事が狙ったわけでもないのに忘れ去られ

残された伝来をたよりに本物とされるケースも少なくありません

これも故意の悪意とはまったく別のものです、

 

しかしもう一つの理由・・・これは由々しくもあり許しがたい理由もあります、

それは「自分がこんなにすごい具足を持ってるんだすごいだろ!ひざまずけ!」

これは悪意を込めた誇張ではありません本当にそういう人が

いるんです、ただ人の興味はその具足に向き持ち主など如何でもいいのです

それでもコンプレックスの塊のこういう低脳な連中はさらに具足を

後から後からだしてきて注目を集めようと必至になる訳です、

これはすなわち心の病気、コレクションより心の治療をするべきで

治療が終わってからコレクションを再開すれば欲求不満も

ストレスもおおいに緩和されて楽しむ事が出来るのです、

 

という気持ちで適当な江戸期~現代製具足に勝手な伝来を付け

注目を集めようとする卑しい輩たちによる虚偽です、

鎧兜の世界だけではなくどの世界にもいます、それらは黙らせなくてはならぬ

人間の出来損ないそのものです、

 

もうね・有名だから誰とは言いませんけど古道具屋などから適当な具足や

残欠(ジャンク)を買って来て甲冑師に修理と組み上げを依頼し古色仕上げ

(古いもののように見せかける加工)をしていかにもに見せかける行為

(ばかにできませんよ、それが功を奏して重文指定うけた物もいくつかありますからね

いかに指定する役人が見る目がないかも)

これは完全な私欲であり信仰や敬意から来る他愛のないものとは訳が違います、

そういう行為はかならず材料となった具足を売った所か修復した

甲冑師から漏れるんですよ、秘密にし続けることなど出来ませんし

出来たためしなどない事です、

 

これは個人だけではなく博物館なども集客や自己顕示としてよくやる手口ですが

ぶっちゃけな話それがあるからと言って目だって来場者が増えるわけではありません

バレれば信用を落とし通には鼻で笑われ軽蔑される

後々の事を考えると百害あって一利なしそのものです、

また学問の場である博物館が信用を損なうということは存在意義にかかわります

官民関係なくそうであってはなりません、

「博物館」この言葉を分かるまで復唱し続けましょう、

公営民営様々ありますがどちらもいい加減な事をしているようでは話になりませんし

やるからには守るべきモラルがあります、

例えば学校でいえばそれを守らないのがいまの学校であり

森友なぞいまは日本を代表するまでにノンモラルブランドな学校に

昇格しました、

最近はレヂェンドとか言うらしいですね、

今の博物館はそれを笑えるところは多くはないはずです、

 

また伝来と責任回避が出来るようにと「伝来」と名づけておいて、その具足が

伝来の人物のものと思い込ませようと有名武将の名前をちらつかせる

セコイやりかたも如何なものでしょう、

是正がまったくされてないと言う事はそれに踊らされ

いい加減な本を刷ってもうけよう、テレビや新聞のネタにしようと

寄生的共生関係にある輩がいかに多いかを物語ります、

こいつらで日本の歴史が語れるか?そいつらに任せていいのか?

 

単純に鎧兜の話ではなく捏造や嘘をばらまく国賊らのほしいままにしているから

不逞鮮人やシナ人に好き勝手に蹂躙されもするんですよ、

歴史認識はとても大切です、今の状況からそれを学びたいものです、

 

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どれかが問題

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ちょいと間が空いてしまいましたが戦国時代の具足とされる物には

江戸期から酷ければ昭和作の物が多く紛れ込んでいます、

どれであっても本当の事を言う事その勇気は求められます、

ではなぜ偽甲冑が世に溢れるのか?その事情に目を向けてみましょう、

 

このような伝来に偽りや間違いがある甲冑が世に現れるには様々な理由があります、

悪意のないものと悪意に満ちたものです、

とかく有名な大名や武将の所用とされる具足として伝わるものが多く

その犠牲者の文句なしナンバーワンは関東のキングオブ略奪こと

上杉謙信坊主です、

今回は現物事例が多いため謙信坊主を例題に話を進めて参りましょう、

 

本当に謙信坊主を敬愛しているならこんな具足如きが如何突っ込まれようが

愛する心は変わらんでしょうよ、

だとしたらご本人はいい加減な伝来のある鎧以下の人物となります、

 

探してみると色々と出るわ出るわ・・・これ全部謙信坊主所用の伝が

ついています、

 

 

時代的に合致している(所用確定ではない)のはこの腹巻ぐらいでしょうか、

 

謙信坊主が活躍していた時代はいまだ室町から鎧兜はさして発展しておらず

当世具足が出現する前です、当世具足が出現し始めるのが早くて1570年代半ば以降

謙信坊主が卒するのが1578年、そして映像作品ではある物を転用しなくては

ならないという制約があるのは重々承知しているが

文化的に関東小田原から北へ浸透すらしなかった(製作もされなかった)

桃形兜等西国文化の産物たる鎧兜の多用や

変わり兜という文化も実戦期には定着しませんでした、

南蛮胴の使用などありえなかった、お供が近畿程度しか分布のなかった

置手拭兜をかぶっているなど(しかもどちらかというと江戸様式)

笑い転げるほど突っ込みどころ満載です、

最近は物的不足でなく担当者が知らないというギャグが加味されてるので

笑えません、

見る人はこういうものだと知識として頭の引き出しに入れてしまう

(それが正解か吟味してしまう人は少ない、最初に刺激を受けた刷り込み知識は

とかく排除が難しい)

ので責任がかかってきます、

 

現代のイメージだとこっちですね、映画「天と地と」で柄本明さんか召していた物で

第4回川中島合戦で下の具足に召し変えます、

 

上杉謙信=南蛮胴のイメージを定着させたと言って良いと思います、

大河ドラマ「風林火山」GA●TOさん演じる謙信坊主

利家とまつで使われた物が転用されています、

実際の謙信坊主も色々と問題のある人で話題に事欠きませんが

(無論現在の価値観も挟む)

死してなお名前以上のものが残ってしまっています

天の上から謙信坊主は今の現状を如何見ているであろうか?

 

●悪意のないケース

 

仏像具足

いきなりなんなんだと思われたと思います、本来の伝来が分からないものを

有名大名や武将の所用と事実と異なる伝来を伝えていく理由の一つです、

 

戦国武将の中にはその生前からの功績や郷土愛の象徴として人物の神格化が

行われる事があります、謙信坊主、武田信玄坊主、加藤清正、徳川家康

豊臣秀吉・・・

マイナーなものならまだまだあるでしょう、

対象となる人物の偉業をより子孫に伝えたい、イメージを掴んでもらいたい

その結果適当な具足が所用具足とされ伝来が延々と語り継がれるケースです、

歴史を振り返ると現代人と戦国の人とではメンタリティの違いは顕著で

言葉も考え方も一致を見ないことは必定です、

時代差をむりに埋めようとして戦国時代の人間に現代人の意識を

植えつけるから最近の作品群はおかしくなるんです、

昔の人はいい意味で単純であり選択肢が乏しい一面がありました

そこで偉大な先人を称え信仰する、そして安心感や郷土愛を育む事は

自身のアイディンテティを保つために重要な事です、

(これにピンと来ないのは「時代差であり個人差です」)

 

その人物のイメージを掴むに辺り話や伝来を聞くだけでなく

これを「使っていたんだよ」と所持品を見せられ

あわよくば手に取るとよりイメージが掴みやすく、身近に感じ親近感に似たものが

沸いてきます、

人間は五感(視覚・聴覚・嗅覚、味覚、触覚)がありより多くが同時に使用され

刺激を受けたものほど頭に入りやすく覚えが良いものです、

例えば絵入りの本であったりネットのサイトであったり動画であったりですね、

よく絵や図説が多く入った本を軽視してバカにする方がいらっしゃいますが

読んでくれる人への理解を深めようと腐心している努力を汲まず

活字だけを読んでる自分が偉いというのは半可通ではないでしょうか?

その場にある意図を色々と間違いでも良いので考えをめぐらすのも

大切なはずです、

その役割を担うのが伝所用具足であったり遺品の数々です、

 

これはすなわち仏像に似ています、

と言うのも原初の仏教では釈迦の入滅からおおよそ500年くらいまでは

釈迦の言う「私に似せた像を作るな」というお達しが守られ

足跡であったり法輪として釈迦が表現されていました、

 

しかし時を経てより釈迦を身近に感じたい、姿を拝謁したいという欲求が

多くの人々から起こります、

そして仏像が作られ始めます、それによりより身近に感じられるようになり

仏像は信仰を強めるに一役買いました、

他の宗教でも似たり寄ったりで信じるものの姿が不明瞭であるほど

信者の獲得は困難なものです例外はイスラム、ユダヤ教くらいではないでしょうか

これらの伝来具足などの遺品は仏像のように人々の信仰や郷土愛

アイデンティティを持つための「実用品」の役割を担ったわけです、

仏像と同じ用途なのです、

謙信坊主と加藤清正ー、徳川家康はとかくそういう遺品が多いのです、

 

そこに誤りはあれどどれほどに卑しい悪意があるかとなれば

断罪0%はありえませんが酌量の余地は入るものと思います、

尤も間違いは間違いと踏まえることは大切ですが、

 

続く

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近況

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近況です、

年明けからとある冊子の製作に協力する事になりました

一般に出回らないタイプのそれですがこれで少しでも歴史関連が

健全化する一助になればこれ幸い、

 

今年から造形物(主にFRP製の兜)の販売を本気で始めようと準備を進めています

鎧兜では意外と鎧はあんまし売れないんです

と言うのも鎧を置くとなると人一人が直立するくらいのスペースを

食うので室内装飾などの需要ではハンディーな兜や面頬に

人気が集中するからです、

 

そのための目玉商品の開発が必要で現在原型の製作を進めています、

以前に紹介した伊居太置き手拭再現のため原型の製作を進めています

伸るか反るか・・・

 

顔を覆う目の下頬とつばくろ頬です

最初は粘土で原型を作って上から樹脂とガラス繊維でコーティングして

固まった樹脂を取り外すと型が出来ます

その内部に樹脂とガラス繊維を貼り重ねると樹脂製の製品の出来上がりです、

 

今年からラインナップに加えたい兜の原型の一部を紹介

越中頭形兜の鉢

一枚しころ桃形兜

向兎形兜

 

その他も製作を進めています、粘土を盛ると乾くまで時間がかかるので

その合間に他の物も作ると時間的に効率が良いのです、

 

ヤ●オクで出すと注目が集まるのですがいかんせん手数料が

8%に値上がりしうわさではそんなにしないうちに15%一気にに値上げとの由

そうなれば向こうに吸い上げられるために出してるような物ですからね、

銭をかけずに販売もとなればアメーバのホームページ枠に

販売コーナーつければ得そうな気もします、

そうなると時代物中心にホームページも作らねばなりません

 

以前に意外な事に眞田信繁と徳川秀忠の偽具足についての突込みが

好評でした、ありがとうございます、

秀忠具足についてはいぢめないでくださいとの言伝がありましたが

ああいういい加減なことをして素人を騙そうとしてるヤツが悪い

甘えてんじゃないの一言です、

 

とは申せ有名武将の所用具足の9割以上が偽物なんですよね

多分皆が知ればショックは絶大でしょう、

今世の中に出ている当世具足の9割方は江戸期の製作です

本当に真物の実戦期の具足兜は驚くほど少ないんですよ

そら当たり前です、400年以上の時間の経過で残ってるほうが異常なんです、

それについては後日お話したいと思います、

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今年もお世話になりました

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今年も残すところ後わずか、暴言老人の暴言に耳を傾けて下さった奇特な皆様

本当にありがとうございました、むろん来年もこの調子で行きます、

 

今年も仕事が収まりました

警備の副業では散々な目にもあいましたがなんとか無事に越せました、

金魚の方はキャリコ頂天眼を目指しましたが幼魚期にキャリコが消えて

落胆したのですが来年は的を絞るのですこし規模が小さくなります、

来年は兜工房垣屋(仮)あるいは暴言工房頑固一徹堂(仮)を開けるようになりたいです、

そろそろ本腰で行かないと自分の命がどこまで持つか分かりませんからね、

 

秀忠具足の最終話は三賀日あたりにでもあいたら書きたいと思います、

そして来年からは不逞コスプレ武者どもへの鉄槌を順序立てて進めていきます

社会のゴミどもは叩き潰すのみ!

 

 

 

それでは皆様良いお年を。

シリーズ名品と名品

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次は篭手とはい立て、すね当て、その他について進めていきます、

 

まずは上腕部を守る袖から参りましょうか

袖は7枚の板状のパーツで構成された「板物当世袖」です、極端に幅か広くもなく

狭くもなく実用に即した作りで紺あるいははなだに染めた縅紐で素掛縅で

外側の耳の縅は萌黄を用いて連結されています、

素材は綿あるいは麻であろうと思われます、

慣れれば生地の光沢の具合や風合いなどで予想や識別ができます、

 

しかしここに余計なパーツが後付されています、

上から4段目に金色の金具が付いているのですが、この板状の部分を

「笄金物(こうがいかなもの)」輪になった部分を水呑みの環と呼びます、

このパーツは紐を結んで背中にある「総角付けの環(あげまきつけのかん)」

と呼ばれる部分に連結した総角の緒と呼ばれる十文字の紐に連結します

かがんで水を飲むかのような体勢を取る時に袖が前に倒れこまないように

考えられた装置ですが

この程度のサイズの当世袖に使用される事はありません、本来はもっと大きな袖を

有する大鎧、胴丸、腹巻などと呼ばれる古式の鎧かあるいはそれを模した

復古調の鎧に付くものです、

毛利元就所用の腹巻です、このような大型の袖が倒れこまないように

紐でつないでコントロールするための装置です、

この鎧の縅の色合いは後々で話す全体の調和で必要なので

記憶にとどめて頂きたし、

 

これも時代が下がってからより豪華に見せようと思い全体のバランス等を

考慮せずにおこなわれた加飾の悪い例です、

そしてこの展示では前後逆に袖が付けられており、展示者の知識のなさか

迂闊さが見て取れます、

そして全体のバランスに暗黙の約束事で言うならば、切り付け小札の胴に

板物の袖を取り付ける例はあまりありません、逆は見た目の簡素さを

埋め合わせるためか実戦期でも良く見かけられます、

常識で言うならば袖も切り付け小札にしたほうが全体のバランスがよく

せっかくの胴の豪華さを殺さずに済むからです、

そして漆の風合いの違いから兜のしころや胴などと別物であることが明白です

予想ですが元々は胴くらいしかまともに残っていなくて

何とか形にしようと色々なパーツをゴケとして取り繕った結果なのでしょう、

 

そして篭手に目を移します、腕を5本の板状の「しの」と呼ばれるパーツで守る

5本しのすね当てでちぎれやすい鎖ではなく篭手の家地に直接縫い付けた

実用的な取り付け方です、

そして鎖も綿密で程度良く残っています、

管理が悪いと鎖が錆びて下の家地まで侵食してグズグスになりがちです、

有馬温泉に入られた方はいらっしゃいますでしょうか?

あの金の湯にタオルを漬けてから乾燥させると錆で劣化して子供でも千切れる

ほどにぼろぼろになりますが同じような状態になります、錆と湿気が原因です、

手を守る手甲はつまみ式の動かしやすさと防御をかねた高級な仕立てですが

手甲の花菱紋が据えられています、

昔は家紋というのは個人の識別その他から今よりもっと大切に扱われていました、

命がけで今につないだ先祖が定めた大切な物だったのです、

今のように自分の家紋を忘れる、せいぜい節句かお墓に掘り込まれた物を

見る程度ではなく非常に大切なものとされてきました、

余計な一言を添えると家それぞれに家紋が許され(近代からでも)自由に決めて

持つ事ができるのは日本だけでそれはある意味誇れる文化です、

(ここも歴史云々をされる方は時代の差として再認識する必要があります)

ですから取り違えなど許されるわけがなく、徳川の御曹司である秀忠の事ですから

父親の家康以外から恩賞にもらう訳でもありません、

そもそも篭手だけを恩賞にする事などありませんからこれは明らかに

後から付け足したゴケです、

そして手首を締める緒も全体の色調と合わせておらずゴケであることを引き立てます、

使い勝手のよさそうな篭手だけに残念な合わせとしか言い様がありません、

 

そして次は足を守るはいたてとすね当てを見てみましょう

紅糸で縅された小札を用いた板はい立てと筒状に足を包む板物の

筒すね当てが用いられています、

これも全体のバランスを無視して後に補った物なのが一目瞭然で

の色目を合わせる事に意識を払わなかった3流や不勉強な人間が

組み合わせた事で起こる事例です、

周囲の無関係な展示物で客を惑わそうとする魂胆といい

なんでレンジシかつらやへんてこな意匠の羽織や着物が必要なのか?

展示は自らの言わんとする事を表現するにこのようなおふざけを

している余裕などないと思いますがどうなのでしょう?

さらに品性が疑われる事この上なしです、

小さい写真しかないために100%とは言い切りませんが(まちがってたら訂正します)

おそらく昭和期の一時期に安価な飾り鎧として出回ったこれ↓のパーツの流用が疑われます

こちらも出来が悪く約束事や全体の調和より派手さを求めた結果下品な色合いに

仕上がり同じ手間をかけるのにもったいない事です、

この鎧は縅糸の色を変えたバージョンもあります、

時代祭りなどの行列でこれを着て歩いている人をけっこうみかけますが

自分が田舎者だと言ってるようで見ているほうが恥ずかしくなる時があります、

具足は着るからには自分で下調べや勉強をしないと

最近の馬鹿な外人や頭の悪いクソガキらが粋がって観光地や温泉で

所作を意識せず着る着物姿のようにみっともない様を外で晒す事になるので

良く考えてから召したい物です、自分の事ですよ!

なんでもないように見えますがこの小さな積み重ねは確実に

学んだ人を成長させています、

 

すね当てはひざの部分を六角形の鉄あるいは革のパーツを内部に仕込んだ

亀甲ひざ当てで柔軟さと防御性のバランスに考慮した合理的な物です、

見栄えが良くいかめしく見える鉄製のひざ当てはひざを付いてかがむ時や

走るときに不便なので前線で戦うに不向きな面があります、

馬上で指揮を取る自分は戦わない人物に向いてるといえます、

 

そしてすね当ての下に見える靴のような物、「貫(つらぬき)」と言います

平安中期に使用され始めたとされる大鎧に沿い始めたフットギアで

(もっと昔からという説も)熊の毛皮で側面を、靴底を鹿や牛、馬等で

作られています、身分の高い人物しか履くことができないセレブレティな

ステータスフットギアです、

鎌倉期に一度廃れて江戸中期の復古調で復活し高級具足に沿う事となります、

これもある種病的ともいえる懐古趣味や古風の崇拝の産物です、

と内部と外部でつるつる滑って非常に使いづらいです(笑)

廃れるのも理解できます、

とにもかくにも実体験は大切ですし実践考古学の一環です。

シリーズ名品と迷品

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では胴に視点を移してみましょう、

 

胴は前後二枚を蝶板でつないだ2枚胴で切り付けの本小札(ほんこざね)を

桶側胴(おけがわどう)か仏胴(ほとけどう)の上から綴じ付けた作りです、

絹製の萌黄糸で毛引き縅(けびきおどし)で連結されています、

 

こんな形の板を重ね連ねて構成されています、

胴一枚辺り着用者の体格その他の問題もありますが600~800枚くらい必要です、

下の小さいほうの穴に丈夫な細い糸で斜めに綴って固定していきます

鉄製もあれば練り革製もあります、

すべて鉄製の物だけでなく所々あるいは交互に皮製も混ぜる

(これを金交ぜ、かなまぜと言います)

(牛、馬、犬などの皮を柿渋やにかわを溶かした水に漬けて

引き上げて叩き締める事を繰り返すと半透明の犬のガムに似た

硬い物に仕上がります、軽量なので実戦期と幕末に多く用いられました

俗に水鍛えといい火の熱で固める火鍛えという方法もあります)

まれに和紙製もあるそうですが老人は現物を見た事がありません、

和紙というと脆弱なイメージがありますが何枚も張り重ねて表面を

麻布で包み何重にも漆を塗ると練り革に近い強度が得られますが

有機物の悲しい性で長持ちしないため現存例は少ないです、

に鉄製ばかりが残ったため革や和紙製の物が多用されていた事を

いあるいは否定される方もいますが現存するものだけで判断を急いではなりません、

 

先に申しました二枚胴の根拠は上記の図の蝶板があるためで

本小札と言う根拠は経年の劣化により小札がずれて頭の部分が不揃いに

なっているからです、簡易生産版の盛り上げ切り付け小札は

ベースが固定されているため小札の頭が乱れることがありません

これは本小札か盛り上げか見分けるポイントになります、

生産の簡易性のため盛り上げ小札という製造方法もありこの切り付け小札の

簡易製造版として大いに流行りました、

製造のスピードアップと小札が上下に乱れない事、見た目も同じであり

柔軟性に欠けるものの忙しい職人さんも切り付け小札を求める武士も

今で言ううぃんういんとかいう状態であった事は残存の多さから

容易に想像できます、

この盛り上げ切り付け小札は漆に木屑の砥の粉を混ぜてパテ状にした物で

木くそ(こくそ)漆とも言います、

乾燥すると切削が可能なためさまざまな鎧の加工に使用でき

鎧のもならず仏像やさまざまな工芸にも使用されてきました、

 

かなり変わった使用例としては・・・

石船神社所蔵「伝、護良親王の御首」と呼ばれるものです

護良親王は室町時代の前、南北朝時代の南朝の初代天皇である後醍醐天皇の

皇子でその動乱の最中無念の死を遂げそ途中で捨てられたその首を拾い

首を煮て肉を落とした後布を張りその上から木くそうるしと桐材等整形し

目は玉眼(ぎょくがん)と呼ばれる仏像に用いる技術でリアルに仕上げられ

表面を漆で仕上げた後に金箔を張り供養のために丁寧な仕上げをなされています、

今で言う複顔で日本の異物としては類例がない珍しい事例です、

こくそ漆がいかに柔軟な加工やニーズに対応できるかお分かり頂けたと思います、

 

この小札を用いた鎧と言うのは本来は体に柔軟にフィットさせる事に重点を

置いて作られた物で発祥は中国が発祥と思われます、

時代が下るにつれ戦闘に動員される人員が増え函工が慢性的に

バックオーダー状態になり板物の具足へと変化して行ったのですが

古式への懐古や賛美から古い様式を形だけでも求めようとする

動きや細かい細工がいかにも優雅かつ典雅であると思われた事から

考えられ流行に至ったと言えます、この具足もその流れにのった一品であるといえます、

 

そしてまた復古調おなじみの板製の杏葉がつきますが胴に比べれば幾分か粗末な

作りと言えます、おそらく後補、

 

そして胴を締める帯ですがこれは装飾の為に用意された物でしょう、

と言いますのは胴の下に占める帯は飾りではありません、

帯を締めて胴を浮かせることで体への負担を緩和する事と

(戦はいつ終わるか分かりません体力の温存と消耗の防止に少しでも

気を揉んでこそです、だから広まったのです)

刀などの装備品を差すためにも用いられますし最悪の事態で

この帯の布地が役立つ局面は戦場なら多数あります、

そのために晒し布や麻、楮、綿などの実用的な布を用います

は身分に関係なしです、

このような締りが悪く千切れやすい布などまずありえません、

 

このような病的な飾りが流行しだすのはもちろんまたまた江戸中期です

また関西地方から山陰山陽の東部に見られるまるくけ

(円筒形にぬった布)の帯に綿をつめた胴帯と兜の忍緒が見られますが

これもあくまで装飾用であり時折武者行列や不逞甲冑武者が付けて

出てきている例がありますが締りが悪いだけでなく胴を持ち上げる事もできず

肩や首への負担がかかり刀などの装備品も差せないので

すぐに締りの良い晒し布への交換をお勧めします、

目の前に見えるものが全て正しい訳ではありませんから

時としていろいろな事例を見たり自分で試して正しい事がどれかを吟味する

必要もあります、

 

とかく武具甲冑はそれがとかく求められます。

 

シリーズ名品と迷品

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さて・間が開きましたが続けましょう

写真資料は学研「戦国甲冑集Ⅱ」イラストは柏書房「日本甲冑大図鑑」笹間良彦著より

引用いたしました、

 

次は具足です、その名も「徳川秀忠、関ヶ原遅参時お召し具足」

とされる物です、

少し調べてみましたら数年前にヤフーオークションに出品されていた模様です、

価格は240万円也、

この売り口とやり口・・・どっかで見た事があるんだよなぁ~・・・・

以前に豊臣秀頼所用として赤糸縅の具足売ってませんでした?

 

京都某寺に保管されていたもので家康から秀忠に譲られ

上田城攻めと関ヶ原に着用との事です、

やはり見ていると不審な点が見受けられます、

れでは行きましょう「アッハイ!なみんなはこれから地獄へ付き合ってもらうよ、いいね?」

 

さてこの具足ですがまず全体を見てみると江戸中期の復古調の様式に

近い組み合わせとなっています、

しかし慣れた人ならばこれがゴケで寄せ集めであることは一目瞭然、、

まずは兜に目を向けてみましょう、鉄地を前面に出した24間?の筋兜です

筋立ては丹精で全体的にやや正円に近い古風なものであると思われます

このような筋兜と言うのは今でこそ兜の代表のように見られていますが

全国に広まるのは江戸期になってからで

関東の地方兜の一種であります、よく似た阿古陀也兜(あこだなりかぶと

輸入された阿古陀瓜に似ているとされた為)が全国に広まり脆弱で使いづらく

作るに手間がかかったので関東で改良がなされました、

まさに関東の誇れる技術と先進性の賜物だと思う次第、

そして兜の鉢に房紐がぶら下がっている横に真鍮で左右に装飾が施されて

いるのですがこれを「白」といいます、

これの囲んだ部分の本数によって2方白とか4方白等と呼ぶのですがこれは

鎌倉辺りまでと江戸の復古調あたりまで途絶える装飾です、

しかし鉢に目を移すと一番下の写真白い紙の書いている部分にご注目

これは折り紙と呼ばれるもので注文主だの作ったのは誰だのを記した

証明書です、(しかもこれも贋作や後の付け足しが多い、あるから古いからと

安易に信用するのは問題です、)

この折り紙に「信家」と書いてあるのが確認できましたでしょうか?

おそらくこれは函工の明珍信家の事を言いたいのだと思われます、

明珍と言うのは甲冑政策の函工の一派であり江戸期に宣伝や喧伝のうまさから

「明珍にあらずば函工にあらず」とまで言われるまでに権勢を誇りました、

その間でこの明珍派はさまざまな嘘や悪事を働き後世に正確な事実を

伝える妨げになっているのですがこれはまた長くなるのでまたの機会に、

この信家1486~1564年頃?を生きた函工で腕のよさから明珍三作、三傑と呼ばれる

名工で

 

「高義」

「義通」

そして「信家」

この3名の作が明珍の上とされます、

そしてこの兜ですが鉢はもしかしたら信家の可能性はなくもないのでしょうが

問題はその他のパーツです、

まずはしころ、3段の笠のような形のしころ、「笠しころ」といいます、

つくりが素人とまで行きませんが非常に粗雑です、

下の3段目が肩の動きを阻害しないようにすこし横幅を縮めて作られていますが

普通は肩の動きが邪魔にならぬよう縦上下の長さを調節するものです

なぜならば笠しころは自然な笠のようなラインが崩れると大幅に美観を損ね

働きのよい戦国の武者であれば首への負担がかかる

大きく張り出した笠しころなど使わないものです、

 

しころのパーツをつなぎとめる「縅糸」は「素掛け縅」と呼ばれる簡素で実用的な

縅でつなげとめられています、一段目が明るい萌黄二段目が紫

そして際下段に萌黄の畦目横縫いと紅?紫の菱縫いが施されていて

これは古風のしころに見られる装飾です、

実戦期には使用頻度が減りますが絶滅はせず細々と継承され

戸中期の復古調具足には必ずにちかいほど付けられる様になります、

まずはこのしころの糸の色と素掛け縅で繋げられているを覚えておいてください、

 

そして正面に視点を戻しましょう、横の部分に耳のように飛び出しているのが

「吹き返し」と呼ばれるパーツで元々は頭部側面を守るために

大きく即頭部に折り返したものでしたが実用性のなさと首への負担の軽減から

徐々に小さくなり実戦期にはより小さく、場合によってはないものもありました、

 

これは大切な事なので具足を着る人や興味のある人はよく覚えておいて下さい

頭部を支えているのは首と肩です、本来人体は兜なりヘッドギアなどを

付けるようなスペックではできていません、

戦闘とい特殊な環境のため命を守るためにこのような防具を付けるわけですが

これは首や肩にとって非常に負担となります、

首や肩に負担がかかると筋肉の硬直と肩の場合は筋膜の萎縮により

血流が悪くなり脳への血流が悪くなり、イライラや思考の低下

頭痛、吐き気等の症状を呈します、日本の鎧が鎌倉辺りから

帯を締めて胴を浮かし肩に鎧が接触しないようにしているのも

首や肩周りの血流阻害を起こさず楽に着る為の工夫です、

同時期の世界の鎧より日本の鎧が圧倒的に着心地がよいのは

単に物理的な軽さだけでなく負担軽減にたいする工夫がなされているためで

そこは世界に誇れる部分だと言って良いでしょう、

 

ですから横幅が出て重力抵抗が加算される笠しころなり大きな吹き替えしが

付いているのは非常に不合理な事であり

実戦期の具足か疑うポイントであります

(元から付いているのか後で補われたものかも)

そして復古調になり再び大型化していきます、実戦の意識するを忘れ

自身の家柄と財力を誇示するために用途が変化したためです、

(このノウハウが後の五月飾りへとシフトしていきます)

命がかかっている実戦期ですとどんな武将や大名でも自分の命がかかっているので

そこまで病的な装飾をした具足を頻繁にもちいはしないのです、

作るにあたってもいつ戦が終わるか分からないのが実戦です

長時間着用しても疲れないようより軽減化をはかるのが常識です、

作った人なら分かると思いますが正直グラム単位で軽減化に腐

心する事柄です、

ただし兜の難しいところで軽すぎると頭の上で動くたびに踊ってしまい

無意識にバランスを取るために首や肩の筋肉が動き無理がかかり

のバイタルを損ねます、重すぎると先に申しとおりなので本人の体力とも

相談して程よい重さにまとめるのが大切です、

 

そしてまひざしに目を移すと色が褪せてしまっていますが

絵革(えがわ)と呼ばれる装飾の表面を革を小さな星鋲で止めてあります

この星鋲の使い方と並べ方も実戦期では見られないものです、

(そもそも奉納用など特別なものでない限りこういう無駄な装飾は

付かないものです、それだけ重くなり使いにくくなるからです)

 

そして前立て、鍬形台に鍬形ではなく奇をてらった月の前立てに

大げさな三つ葵紋の丸い前たてがついていますがほかの金具との

風合いの違いから後に補われた疑いが強いです、

まひざしや吹き返しの縁の心中金具と比べても少し新しいように見えます、

おそらく江戸期に付け替えられたものなのでしょう、

 

江戸期になると古い兜鉢をベースにほかのパーツを付け替えて

再利用する事が多く行われました、

病的でねじくれた古風への賛美や懐古がそうさせたものと思われます

鉢はなかなかに良い物と思われるだけに残念な仕上がりになってしまい

いかにも江戸期の残念な復古調具足を表す好例になってしまっているのは

とても残念な事です、

 

 

おい・プーチン!

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はい・ちょいと思いついた戯言をば

 

プーチンがやって来てささっと帰っていったわけですが老人はとても不満です、

北方領土・・・まぁ今すぐにどうこうしろって言うのは難しいのは分かる

早く帰りたい元島民の皆様の気持ちを考えると他人ながら心苦しい、

 

それにおまけのつもりなのか以前にそっちへあげた秋田犬のゆめちゃんの

消息が分かったとの由、

すんげぇ嫌そう(笑)

シベリア行きは免れててよかったと思ったのですが老人は不満を覚えます、

大切にしていたとの事ですが

それならなぜ朝鮮人と犯罪移民のシンパであるメルケルの会談に連れて来なかったのか!

うれしそうねワン公が催してきたポーズがたまりません、

ここにゆめちゃんをなぜ連れてこなかった!飼い犬全部つれてきて愛溢れる

ふれあいタイムをなぜ演出しないのか?

これは日本を軽視しているのではないのだろうか?

犬恐怖症のメルケルおばちゃんを恐怖のどん底へ落とすくらいの

ユーモアを期待するのはいけないことなんだろうか?

 

そうそう移民と朝鮮人のシンパたるメルケルおばちゃん

恨むなよ犬を会談の場に連れて行って客人を脅すのを始めたのは

実はドイツが発祥(やらかしたのはビスマルク)なんだからその報いを受けてるんだからね、

 

多分歴史の間で似たり寄ったりの事をした為政者はままいたと思うのですが

これが歴史書等にもほとんど記されてはいません、

見られるものならぜひ見てみたいのです、外交における動物の役割は

贈り物だけではないと思うのですよ。

中休みと質問への返答

テーマ:

まずは伊居太置手拭兜はここで筆を置きます、あとは新しい画像や資料でも

ないと進めるのが難しいためです、

次は「伝、徳川秀忠、関が原遅参時着用の具足」ですがその前に中休みです、

 

最近はフェイスブック、あるいはツィッター等でご意見を頂戴します

以前に登録してたミクシィとかと違い生きてるコンテンツは違いますね、

この中で幾つかいただいたご意見へのご返答とさせていただきます、

尚今後の展開によけりですがプライバシーの保護のため人名や

特定の鍵になる事項や本文の丸写しは行いません、ご了承ください、

 

1.ご意見

問、兜の穴について、火薬の調整をすれば片面だけ穴が開くようできるのでは?

 

確かに火縄銃は火薬の量の調整で射程なり威力なりを調整できるのですが

(現代の銃は常に一定ですし調整に対応しないのでまったく作りは別です)

前面をきれいに貫通し後ろを見る限りでは貫通も弾が当たる際の衝突痕も

見られない事から後頭部に弾が至っていないと判断しました、

そこまで薬玉の微調整ができるものなのか正直疑問ですし

する必要があるのかも考え物です、

被弾時に兜をかぶっていて頭部に弾が残っている可能性も考えられますが

その際にはなんらかの血痕が内部に残っているはずです

拭いただけでは全部とりきれないのでなんらかの痕跡が残ります、

それは被弾した人物が弁慶の立ち往生のように立ち続けず倒れて

その時に血液が内部に付着するのは避けられないからです、

今後現物なり写真なり鉢の内部を見る機会がありましたらそれらも追記し

間違いがあった場合は見識不足は素直に認め訂正を行います、

 

 

2.意見、居合道は世界最強の武道ですディスってんじゃねえよ

 

ならご自身で実証してみてください、隙ありの一撃なら無防備な一般市民相手に

効果はあるでしょうがの二の太刀三の太刀とどうつなげるか考えたことがありますか?

またあなたは殺すつもりで向かってきた相手と対峙した時居合い抜きだけで

本当に敵が倒せると思いますか?

鍛錬が足りている方は自身のスペックを正直に受け止めていますし

自分以外の人の事も考えているためむやみと威嚇したり

刀を抜いたりしないものです、

相手が飛び道具を持っていたり、足元が不安定な地面であったり

強風や雨、雪、その他天候によるペナルティを想定したことがありますか?

本当の殺し合いになったらストレスで身がすくむものですよ

自身にも持ち合わせている恐怖感を想定したことはありますか?

もし居合いをされているのでしたら自身がいつも練習されている場所を

いつもの当たり前の感覚を廃してよく観察してみてください

動画でも武道大会の見物でも分かると思います、

そして斬ってる相手はかならず動かない刀が傷みにくい水に漬けてやわらかくした

畳表などの刀とご自身の都合に合わせたものであるはずで

いたれりつくせりなのが良くわかるはずです、

そして欠点だらけの無抵抗の相手にしかイージーテイクで使えない日本刀で

充分な戦闘が可能かその刀のスペックで可能かよく考えてください、

成瀬関次氏の「戦う日本刀」をお読みになられることをお勧めします

刀の現実と欠点をまざまざと見せ付けられる良書です、 

 

長所と短所それぞれを感情的にならず冷静に分析して時として外部の意見も

素直に聞きみなで時間をかけて話し合ってこそ更なる発展への

引き金になるのではないでしょうか?

 

また藤岡弘、氏の斬鉄剣にご執心の様子ですが台に固定して弾丸の弾頭を

刃に向かって狙って当てて弾頭を強制切断させるのと自分の目で見切って

腕で斬るのはまったくの別物です、

台に固定した刀の刃に敵が自分から向かっていって斬られてくれるでしょうか?

たとえ斬る機会がなくても武道の最終的な目的は殺そうと向かってきた相手を

できる限り負傷することなく叩き殺すことです、

自分のため自分の大切な人のため家族や友人のため将来のため

容赦なく叩き殺す事です、(きれいごとは言うなよ心身の鍛錬だけなら

わざわざ刀を引っ張り出す必要などないですからね野球でもサッカーでもあるでしょ?)

適当な型や無抵抗な据え物を斬っておれってかっこいいと自己陶酔したいだけなら

それはただのひけらかしです、それこそ武道や武芸をディスってると言えるのでは

ないでしょうか?

まじめにやっておられる方に失礼ですよ?

 

また藤岡氏に関しても真の武道家ならばいくら食べる為でもこんなくだらない茶番たる

番組の仕事を受けるものではないと考えます、けっきょく自分の信念や道より

金や権勢が大事という事ですよ、一流のする事じゃない、

また仕事欲しさに眞田丸関連で問題の多い人物と癒着して役ももらったようですが

(気になるなら自身で調べてくださいそのほうが良く分かるはずですから)

付き合う人間を考えない今がよければそれでいいの態度に失望したと書いて

なにが悪いのか、あなたが好きだから文句を言うなという論はおかしいですよ、

いわれる事をやっちゃったんですから!

 

また最近の時代物関連で各種武道の中でとかく市民に迷惑をかけているのが

居合い道の半端な門下生です、●想●●流といえば分かりますかね、

大河ドラマで新撰組(るろうに剣心のオタクや最近では戦国バサラ、刀剣乱舞の

オタクも混ざる由)

をした前後に京都市内でこの流派に属する新撰組のコスプレオタクが

抜刀を伴う迷惑行為を多数行いましたが

(今でも問題行動がちらほらと、後に興味を持った人への迷惑考えろよ

それにあんたらの悲願だった平安神宮時代祭り参加を自分たちでつぶした上に

自分を受け入れてくれた流派や居合い道をまじめにやってる方へ迷惑かけたんだぞ)

こういう行為を諌めないだけでなく抑止のための行動を一切しなかったのは

文句を言われるだけで済んでるだけマシだと思いますがどうでしょう?

流派が別でも居合い道の世界の清廉さを保つためできるアクションは

あったはずですよ?

日本に誇れる国技のひとつを自ら律せずよごして平気とは

そのあつまりに男はひとりもおり申さず候だろうか?

 

馬鹿にされて当然なんですよ今の堕落した居合いは自分自身の現実をうけとめず

権勢をえようと躍起になって入門希望者の適性検査もせず野放図に門下を

あつめて金儲け文句言われて当然でしょうが、

もし同流派のエライサンが見ているのなら大きな事件が起きる前に

綱紀粛正を、それがご自身にとって一番有益なのです、

 

同じ仲間の中にいるとどうしても善悪の判断があいまいになったり

自分の都合の悪い事を認めたがらなかったりしがちですが

つねに外部や自分の埒外も意識する必要はあると思います、

は趣味や武道の時だけじゃなくて睡眠から覚めて人間として動いてる時間すべてです、

 

3.人の批判をして面白いですか?

 

されることをしてるほうが悪いですね、老人は何も文句を言われる筋合いのない人に

難癖付けて突っかかってるわけじゃありません、

老人は老人なりに自身の一線は意識してやっております、

そこいらのカス甲冑隊や慰安婦としか騒げない鮮人とは違うんです、

 

嘘を広めて自分がその説の先駆者としてあがめられたい神になりたいと思って

デマを流す馬鹿者や相手をだます前提で嘘の展示や無法者万歳の行事をする輩

自分が騒いで注目されたいだけの歴史という他人のふんどしで相撲を取りたがるカス、

相手はきわめて限定的ですしそんな輩を老人は人間だと思っていません、

人間だと思われたければ相手の事を考えましょう、そうすればおのずと

してはならぬ事を判断できるでしょうが、

 

・・・なんだかきりがなくなってきますね

ちょうど地獄めぐりも進んできたのですが老人をたらいにのせて運んでくれた

駕籠かきも大変だろうと思って懐に入っていた饅頭1つを与える事にしました

なかよく分けて食べるだろうと思っていましたがこの様です、

なぜか殺し合いになると急に姿が変わります

老人が暴言を吐いてる間じゅうずっとです、埒が明かないんで

ほって行く事にしました、ウェルギリウスとふたりで地獄めぐりを

続ける事にしましたとさ、