長期間、ブログ書くモチベーションがなく、確認も更新していなかったが。。。
ここ、かなり中途半端なとこで、やめてた(ちなみに、母は軽症でした)。
ブログは別のサイトで再開。

「すみません。奥さんを車で撥ねてしまいました。」


何年も前の話だが、知らない相手から、ケータイに着信。

出てみると、訳の分らないことを相手が言い出した。


朝に、嫁さんと子供が、実家に里帰りするので、高速バスの乗り場に送り、つい先ほど

実家に着いたというメールが来ていた。すぐに外に出かけるはずもない。


間違い電話か、と思ったが、最初に相手がこちらの名前を言って確認してきたから、

単純な間違いではない。


嫁さんであることは100%ないことを確信していたので、冷静に対応する。

「で、どこですか場所は?」と確認すると、相手の返答は、確かに家から近く、行動範囲

内であることは間違いないが、嫁さんは実家に帰っているので、そこには居るはずがない。


「間違ってますよ(私の嫁さんではない)」と伝えると、なにやら向こうで確認している様子。

「本人が間違いないと言ってます」と相手から返事が。


意識ははっきりしていて、救急車が到着するのを待っている間に、電話しているという状況

らしい。


「そんなはずないですが」と再度伝えると、しばらく間があって「奥さんに変わります」と言っ

て電話が撥ねられた相手に代わる。

電話に出てきた嫁さんと名乗る相手は「私、撥ねられた」を繰り返す。間違いなく、嫁さんの

声とは違う。やはり、間違い電話か。

こっちは「誰?」と確認したいが、「私、撥ねられた」を繰り返す。


車に撥ねられた直後なので、当人は冷静には対応できないだろう。

しばらくすると、「お父さんに連絡が取れないんで、あんたのケータイに連絡してって(撥ね

た相手に)頼んだ」と電話の向こうから。


この言葉で、すべてが理解できた。

家から歩いて10分ほどで、実家があり、現場は行動範囲内。声も母親に間違いない。


最初の「奥さんを・・・」で完全に思いこんでしまったのか、母親の声も分からずは、あまりに

情けなかった。。。

前の日に、急に飲みに行ったので、車は会社に。

朝は、嫁さんに会社まで送ってもらうことにした。


途中の交番がある交差点での信号待ち、4ヶ所に警察官が立っている。

右前方の警察官が、小学生の子供たちをガードするように両手を広げて、横断歩道上に。

でも、車は警官の背中側ではなく、子供たちの向こう側からくる(ちょうどその時は車はい

なかったが)。


「あれって、車はどっちからくると思う。(ガードしているの)反対だと思うけど。」と嫁さんに

言うと、嫁さんは冗談で「きっと、自分は助かりたいんじゃない」と返してきた。


警察官は、横断歩道を渡ろうと歩いてくる子供たちに、何度も両手を広げてガードしてい

たが、嫁さんの一言で、車が走って来るのをイメージすると、どうしてもその姿は子供たち

を盾にしているように見えてしまう。


しばらく走ると、今度は中学校がある。

いつも通勤中に目にしている光景だが、その信号待ちで、(車が来る方向と逆側でカード

する)先生が生徒を盾にしているようにしか見えなくなってしまった。

「先生も助かりたいんやね」と嫁さんがまた一言。

車を運転しているなら、交通事故を見かけたり、自分が事故の当事者になることもある。

なので、自分もという意識で安全に気を配るのは珍しくない。


数日前に見たニュースで思い出した。


既に、20年以上も過ぎているので、最近では「まさか自分には・・・」となってしまったが。。。


小田原の町を歩いていた。あまりに昔のことなので、どこに行こうとしていたのかさえ、

思い出すことができない。


このとき工事中のビルの横を通っていることすら意識していなかった。

突然頭上から「危ない」という叫び声が。

反射的に一歩前に出るのと同時に、激しい音が上で一度した後、自分の背後で響いた。


後ろを振り返ると、そこには鉄骨が転がっていた。

工事をしていた人から、大丈夫ですかと聞かれたが、通行人の視線などが気になり、

「大丈夫です」と言って、すぐにその場を離れた。

もしかして、あそこで一歩を踏み出さなかったら・・・、と考えると途端に歩いている膝が

ガクガクとしてきた。


この経験をする前には、工事現場など視線にも入らず、まして上から何か落ちてくるなど

考えたことはなかった。

この経験の後には、いつも上から何か落ちてくるかもと考えるようになり、通り道のはるか

前方にビル工事を見つけると、過剰に意識してしまうようになった。

もちろん工事中のビルの横を通る歩道などは歩けずに、連れがいなければ、必ず道の反

対側を通るという状態が、そのご10年以上にわたって続いた。


こんな状態が一生続くのではと思っていたが、今ではすっかり「まさか自分には・・・」に

戻ってしまった。いつでも何か落下してくる可能性が変わっていないにも関わらず。。。


後ろ姿が美しい人を見かけると、自分の頭の中で、いつもイメージしてしまう顔がある。


9月に羽田から京急に乗った時のことだった。


後から乗り込んできて、前の座席に座った女性がいた。

この女性、その服装から、先ほどホームの途中に立っていたのが分かった。

そのときは、気にもならず、通り越して、乗車待ちの人の少なそうな列を探して並んだ。


前に座ったその女性の顔を見た瞬間、そう、俺がいつもイメージしてしまう顔の持ち主だった。

あまりにそのイメージぴったりなので、吸い込まれるように、ずっと見とれてしまう。


しかし、このとき以来、後ろ姿が美しい人を見かけても、自分の頭で、それまでイメージして

いた顔が思い浮かばなくなった。


現実のその人は、羽田のホームで途中に立っていたのを記憶していたほど、かなり際立っ

て服装がいけていなかった。まったく服装に気を使っていませんと、主張しているように。

ふとした時に、その前に座っていた女性の足の裏が見えた。そこからは、服装に気を使って

いませんを証明するように、まったく気を使っていないですということが。。。