祈り 不思議な事 | 光の記憶 魂の記憶 まさよのブログ

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不思議なこと、光のこと、愛のこと 神さま綴り 

近所の神社の神さまに初詣に行った時、お昼過ぎで小雪が舞う寒い日

だった事もあり わたしの他に人は誰もおりませんでした。

神さまとゆっくり向き合えると思い、いつものように 「神さま

お久しぶりでございます。 会いたくて参りました。いつもありがとう

大好きです。 神さま今年はね」 と人がいないのを良い事に

声に出して一人でしゃべっていたら、すぐ後ろでじゃり じゃりと砂利を

踏む音がして わたしのすぐ後ろに誰かが立ちました。

独り言を聞かれた事が何だか恥ずかしく 後ろを振り返る勇気がなくて

手を合わせたままでおりました。

でも考えてみれば足元に砂利はなく、そういえばいつまで経っても

お賽銭も入れないし 本坪鈴もならないので わたしが邪魔なのだと

思い、にっこり笑って「すみませんどうぞ」と 後ろを振り返ってみたら

誰もおりませんでした。

確かにわたしの背後には わたしよりもはるかに背の高い人が立って

いたのです。 それもとても近い距離に。 

不思議だったので、静かにぐるっと神社を見回して思いました。

そこの神社は後ろが山になっておりまして、天狗によく似たと言えば

わかりやすいでしょうか、人の姿に似た山の精霊さんが 神さんに

ご挨拶にいらっしゃたのでしょう。  

だからわたしの後ろに立ちながらも 158センチのわたしに陰が

かぶさるくらい大きな方だったのだと納得いたしました。

参拝が偶然わたしと重なったのだろうなと思いました。

神社に参拝されて、同じような経験をされた方もいるかも知れません。

自然霊だけではなく、神社の神さま同士でも それぞれにご挨拶に

出向く時があります。 

そういう不思議な皆さんが近くで一緒に参拝されるている時 

自分は正面を向いて手を合わせていても、人は自分の横や 後ろに

気配を感じます。

不思議ですが気配だけで特徴や 着ている服の色が白だったり 

紫や 金色だったりとわかったり致します。

もちろん振り向くと誰もいないのですが、そういう時は、

「一緒にご参拝できてうれしゅうございます」 とか

「今日はよき日でございます。」と言って下さったらとよろしいと

思います。

不思議な皆さまと 一緒にご参拝する事は結構あるかと思います。




昨年の12月 yさんと中尊寺に行きました。

10月にけいこさん達と行った時は、ちょうど紅葉の時期でもあり

人も多く賑やかでしたが12月は寒い事もあり お堂の扉は閉めて

おり、参拝する人も殆どいませんでした。

金色堂の隣に立つ 讃衡蔵に行った時も貸切状態で、ゆっくり

仏像を見る事が出来ました。

前回来た時には人も多くて気付かなかったのですが、

硝子ケースの中に展示されている沢山の仏像があって、その中に

小さな千手観音さんの像があり、その像に二人で目が留まりました。

わたしはあまり詳しくありませんが、千手観音さんはどちらかと言うと

女性的な華奢な仏像が多いように思うのですが、その像は目を瞑った

おじいちゃんのお顔をした千手観音でした。

「おじいちゃんの千手観音さん珍しいね」 と二人で話しながら

通り過ぎようとしたら その仏像に 「まて」 そう呼び止められて 

ふと振り向いたら千手観音さんのお顔が変わっておりました。

振り向いてみる観音さまは、しっかりと目を開けていて

とても若々しく凛々しいお顔をされておりました。

「あれ?顔が違う」と思い また正面に立ちましたら やはり

目を瞑ったおじいちゃんのお顔にみえるのです。

振り向いた角度から見えるのが 正しいお顔なのだと気付きました。

千年以上も前の仏像でもあるので、古い事もあって顔もはっきり

認識出来なくなっているのでしょうね。

本当は凛々しく若々しいお顔なのに、おじいちゃんのお顔に見られる

こと、「違う」 と訂正したかったのでしょう。

yさんにも教えてあげて「ほんまや 全く違う」と二人で驚きました。

もし機会がございましたら、行かれてみてください「讃衡蔵」に入って

右側のケースに並んでいる 黒くて小さい千手観音さんです。

あの角度からみる人はあまりいないと思いますが、正面からと 

斜め45°では全くお顔が違いますので、「凛々しいお顔ですね」 

そういって下さったらきっと喜ばれる事でしょう。

讃衡蔵の千手観音さんの事を こうしてブログに書ける事

何だかとてもうれしく思います。


誰かをリーディングする時は、人という神さんに意識を向けて、

その人に同調して視ていきます。

でもお身体を持たない 神社の神さんや 如来さん 菩薩さんは一旦

意識を合わせて すっと外した瞬間に話しかけられる事が多いのは、

言葉で上手く説明出来ないのですが、波と一緒だと思っています。

「押して」 「引いて」の波と一緒で 波もリズムのようなもので

こちらから押してばかりでは、上手く噛み合わないのだと思います。

どうぞ意識を合わせて そして無意識に外す瞬間を感じ取られて

下さいませ。




わたしは 「祈り」という 言葉の響きが大好きです。

それはどこの宗教の神さまであっても、寺社でも マリアさまでも

誰かを祈る行動は そこに必ず愛があって、祈る姿はとても美しいと

思うのです。

マリアさまを通して 仏様を通して 神社の神さまを通して、ご自分の

神様に祈っていて、そういう時あなたの魂が震えているのです。 

何かが叶うとき奇跡ではなくて 引き寄せでもなくて

あなたという神さまが魂が 愛で震え揺らいで叶っているのです。 

ご自分と一緒にいる神さまに 「あなたに全てをお任せ致します。」 

全てを委ねられたら、後は安心を選べたらいいですね。

そう出来たら、いいですね。

どうぞご自分を安心させてあげてくださいませ。 








以前 愛知からいらして下さったあんさんのご紹介で

お友達のひとみさんが7月にいらして下さいました。 

ひとみさんは余命宣告を受けているのに わたしに会いに来て下さり

「まさよさんにまた必ず会いに来る 1月に必ず来るからね。それまで

生きてるから、その日空けておいて下さいね」そう言って帰って

行かれました。

ひとみさんはお元気かな、どうしているかなぁと思っておりましたが

腹水が溜まっていま入院をされているそうです。

レイキを流しておりましたが、よろしければ 「持続継続」でと 

一緒にレイキを流して下さる方がおりましたら どうぞよろしく

お願い致します。








掃除機を持ち出した時の いちごと うりです。

猫も犬も掃除機が嫌いで、遠巻きにしてみています。

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でもこんな安心した姿に わたしも安心を頂きます。