さて...
 『認知症と診断されるまで~その1~』
 『認知症と診断されるまで~その2~』
の続きを...と思ったんですが...


実は、地獄の1週間だったことだけは覚えているんですが、実際どうだったのかを全く思い出せませんでしたあせる



仕方がないので、愚痴を聞いてもらっていた友人とのメールを読み返してやっと思い出しました。
ものすごい量のメールを送っていたらしく、ものすごく時間がかかりましたぐぅぐぅ
愚痴をひたすら聞いて(読んで)くれていた友人に改めて感謝!!




さて、話は本題に入ります。




 義母「病院へ行かないかん!
      検査せんといかん!!
        そうしないと心臓が!!!」

と、毎日午前2~4時頃から起き出して、身支度を始めます。



 私 「正月(三が日)の夜中に検査してくれる病院はないよ」

 義母「親戚やら近所の人が電話してくれたので大丈夫」




こんな感じで、夢の中(空想)と現実がごっちゃまぜで...
ひたすら怒りながらしゃべり続けるのです。


夜中だけじゃなくて、昼間うとうとしても、寝起きには、必ず同じようなこと言って準備をはじめるのです。



正月休みが終わってすぐ近所の診療所に連れて行って、先生からの『大丈夫』の言葉を聞いて、一瞬落ち着いたようにも思えたのですが、やはり夜中になると同じことの繰り返し....


そして、私たちが一瞬目を離した隙に、家を飛び出してしまうのです。






義母のことで精一杯だったため、冬休み中ずっと誰からも相手にされなかった息子にせめて..と思って、冬休みの最終日、義母が少し落ち着いていたので、お昼ごはんを二人で食べに出かけました。



そろそろ帰らないと~~と駐車場を出たところで、義父から電話が入りました。

義父「居なくなった!!」と...

結局、このときは、10分後には見つかりました。


義父からの電話があったとき、正直、食べ終わっていてよかったと思ってしまいました。
自分だけなら、我慢すれば済むことですが、息子の場合、楽しみにしていた予定変更だなんて、早々簡単に納得はしてくれませんから...




そして何より辛かったこと...
3学期の始業式の日、学校へ迎えにいきました。

そこには、笑顔で友達と一緒に廊下を歩いてくる息子の姿が見えました。
この2週間、私は息子の笑顔を見ていなかったことに気がつきました。
ずっと、ずっと我慢をさせ続けていたのです。

今でもこのときのことを思い出すだけで、涙が出てきます。



この始業式の日が待ちに待った、精神科の受診の日なのですが...

長くなってしまったので、続きはまた明日...(汗)




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