1 | 2 | 3 | 4 | 5 |最初 次ページ >>
2016年08月07日

「人がいないから」という

テーマ:ブログ
「人がいないから」ということをよく聞くのだが、これは今に始まった事ではない。そして、介護分野だけがそうではない。そもそも、“人がいない”と何が困るのか。マンパワー?教育ができない?点数がとれない?などなど理由は様々。どれも大切であるのは間違いない。確かに人がいないと困る。これは本当のことである。ただ、質的によろしくないことが多い。「人がいない」という言葉で、なんだか傷ついていく職員や利用者さんたちをよくみる。そうなっていくほとんどの原因が『責任転嫁』ということ。たとえば「6人いなきゃならないのに5人しかいないからできない」という姿勢。この状況で6人そろったらできるかといえばできることはないだろう。むしろ、新しく来てくれた職員候補にむけて思うようにいかない場合は、大切な6人目に対して「つかえない」「あの人ダメだ」とはじき出す方向で動いていくであろう。それでは人は集まらない。実は、その質があるからこそ人が辞めていく。そこに輪をかけて、辞めていくと困るから、注意をしなければならないときに注意ができず顔色をうかがう先輩が居るなら、もうバランスは崩れていくのみであろう。「〜だから」という「から」がつく台詞はそのほとんどは「責任転嫁」と思うといい。全ては自己に向けて、他人は他人として自分の能力を磨いていくことが結果的に「人が増える」ことにつながる。誰が魅力のない「場」にいきたいのであろうか。自分に甘いことが通る世の中になっているのが、競争社会のナレハテなんだろう。だからそこ自己に厳しくしていくといい。他には優しく。今の自分は誰かに「あなたと一緒に働きたい」や「この職場で働きたい」と思ってくれる行動になっているだろうか。学生さんが実習やボランティア、見学に来られた時に、楽しいそうに仕事をして介護のやりがいや働く施設の良さをわかりやすくプレゼンできているだろうか?誰かがやるのではなく自分がやっていくことで、何かが変わっていくのだが、そこにももしかしたら「〜から」と発言していれば、きっと原因は自己にあるのかもしれない。
AD
いいね!した人  |  リブログ(0)
2016年07月14日

はくい介護JINの集い2016

テーマ:ブログ
{C69FD429-3AB1-4D60-988E-CE9AA8453E90}


実に2年10ヶ月ぶりに石川県にきました。以前は、不定期に現場主催の研修会に講師としてお邪魔させて頂きました。ふと、音信不通になり心配していましたが・・・なるほどの理由があり、カラダは労らなければとツクヅク自分ごとのように思えました。誰が来るかわからなかったし、以前のような研修なのかどうかも分からない。でも、そんなことは気にすることもなくノリで展開を楽しいんでいたので問題無し。実に約3年ぶりなんだけれども・・・全くそんな久しぶりすぎる感覚もなく、「久しぶり〜」で、集まった人間それぞれの近況報告。僕としては石川県の介護事情が学べるのでありがたい話。といっても、どこも同じだなぁと感情の起伏もなく淡々と話を聞けたのは、この3年間の成長であると願いたい(笑)

「人が足りない件」はどこも同じで、今に始まったことでもない。。今回もそんな話が聞けた。人が足りないのは、「間に合う職員」「間に合わない職員」と2極化しているところも要因なので、いまの厚労省や日本が悪いばかりでもない。なにをしていけば良いか・・・。そのあたりもヒントを交えながらお伝えできたかなぁ。羽咋市は金沢からあまり離れていないし、高速道路も無料区間で便利。条件としては非常に良いのだけど、人がいないのは1つの法人が悪いわけではなく、きっと住んでいるからこそ良いところが見えにくくなっているんじゃなかろうかと思う。1970年の人口が28,530人で、2010年の人口が23,035人と見れば、さほど差はなく住みやすさがよくわかる。ならば、もう少し、町の住み易さを他府県に対してアピールしていかないとって思うもそこまでの危機感がないのかもしれない。「都会は住みにくい」と感じている方が多いのにも関わらず、移住するにも住む家、移動手段の車、子供の学校、なによりも働き場・・・細々とした制度は置いておいて、このあたりがパッケージングできるのは町(行政)であるはず。郊外の法人や事業所は町と協力して人が来るような仕掛けが必要があると思う。もちろん、実践している行政はたくさんあるので、「前例がない」なんて言わせない。都会の暮らしは疲れている人にとっては、分かりやすいルートガイドがあれば移住しても良いと考えている人が意外と多い。

いろんな実情の話が今回出来たので、またやりましょう。今度はミニ研修会もやりましょう。パワーがない時は、パワーのあるクダラナイ話を聞いた方が元気でますよ!




AD
2016年06月28日

ユニットケアは利用者さんたちの生活には本来関係がない

テーマ:ブログ
ユニットケア施設での監査で、入浴の際はユニット内の浴槽を使うようにと指導されることが度々ある。なぜ、そんな指導が現れたのだろう?ユニットケアの定義「居宅に近い居住環境の下で、居宅における生活に近い日常の生活の中でケアを行うこと、すなわち、生活単位と介護単位を一致させたケア」とある。これを真面目にとらえると、他のユニットの浴槽を使うべからずともとれるのだろう。んが!そもそも、ユニットケアは利用者さんたちにはあまり関係ないはずである。私たち職員が、80人なら80人。50人なら50人の利用者さんたちの個性を1人の職員が把握するような仕組みがあったが故に、目の前のお年寄り1人のことを理解しようという姿勢に到達できなかった。結果、無責任となったと僕は思う。教育の仕方も影響があったはずだ。入職したら業務をまず教えて、あとの知識や経験は職員本人次第というものだったので、業務が出来るようになったらあとは余分の仕事として捉えてしまうのは教育システムが問題であった。各法人の理念すらなかった時代だ。だからこそ、目の前の利用者さん1人を理解しようという活動が、ユニットケアという名前の要素となっていると僕は実践してきた。1ユニットの利用者さんの個性を理解しよう・・・隣のユニットの職員は夜勤で自分のユニットも関わるので、自分の担当利用者さんや自分のユニットの利用者さんの個性を伝えようと聞かれなくても伝えることを努めた。だから、利用者さんには「ユニットケアだから」という理由でアレコレ生活に制限があるのはおかしい。利用者さんたちは自由のはずなのだ。どこのフロアにいてもどこのユニットにいても本来はOKなのだ。Aユニットの利用者がBユニットにいたら、Bユニット職員はAユニットに追い返すのではなく、Aユニットの職員に「もしもし。いま、加藤さんがウチのユニットに来てるからみておくね」などと、追い返すのではなく滞在しても良い気持ちを持つことが普通の生活である。また、連れ戻す行為でも同様。でも、「管理が出来ない」「なにかあったらどうするんだ」という不安から、追い返したり連れ戻したりといったことにつながるのは、リスクマネジメント・危機管理ならびに家族との相談連絡報告が出来ていないことに由来すると考えている。だから、利用者さんはどのユニットにいても、どのユニットで浴槽を利用しても問題はない。ユニットケアの経緯を勉強もせず、定義だけをみてれば監査の指導も理解できるが・・・承服しかねる。ユニットだけの生活活動範囲は、運動量が圧倒的に少ない。そこだけ切り取れば、まだ昔の従来型施設の方が移動距離があるのでマシであるのだ。少し、間違えてはならない。ユニットケアは「いまの介護で良いのか?」「このままの介護で良いのか」という振り返り、前向きに試みる時に「ユニットケア」というキーワードが登場する。ユニットケアは形ではない。ゴールではない。仕切り直しのキーワードである。だから、利用者さんの自由を奪うような指導があったら、監査であろうと意見の擦り合わせはするべきだ。間違ってはならないのは、ユニットケアは当たり前の生活を当たり前にやろうという単にそれだけなのだ。正しい介護をやっていくだけなのだ。お世話から介護へ・・・そして、個別ケアを目指すのではなく、個別ケアからなのだ。時間が経過することで本質からズレていっていると考えていくべきだ。ユニットケアのすすめ 特養・老健でも、宅老所・グループホームのような家庭的なケアができる。

¥2,916
楽天

AD
いいね!した人  |  リブログ(0)
1 | 2 | 3 | 4 | 5 |最初 次ページ >>

AD

Ameba人気のブログ

Amebaトピックス

      ランキング

      • 総合
      • 新登場
      • 急上昇
      • トレンド

      ブログをはじめる

      たくさんの芸能人・有名人が
      書いているAmebaブログを
      無料で簡単にはじめることができます。

      公式トップブロガーへ応募

      多くの方にご紹介したいブログを
      執筆する方を「公式トップブロガー」
      として認定しております。

      芸能人・有名人ブログを開設

      Amebaブログでは、芸能人・有名人ブログを
      ご希望される著名人の方/事務所様を
      随時募集しております。