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2016年12月19日

現在のユニットケアに想う

テーマ:ブログ

「ユニットケア」と言われたのが2000年頃で、僕は1998年から特養にいたから・・・発生から今にちまで、実践者としての時代・・・そして現在はアドバイスや見守る立ち場でユニットケアを診ているのかな。当時、僕らが実践していたときは「このままの介護で良いのか?」「なんとかしなければいけない」と各地域の施設実践が、その後「ユニットケア」と表現されるようになった。大規模ケアという結果的に人がモノのように扱われていた時代に逆行するかのように、「このままではダメだ!なんとしても変わろう!」と手を挙げた者は、それまで実践してきた先輩介護士から次々に吊るし上げられることになり、新介護士と旧介護士とわかれて闘いが勃発していたこともあった。それは今まで先輩介護士が教科書もない指導する人もない手探りで頑張ってきたことを全否定されたように思ったからこその闘いだった。ユニットケアを推進してきた第1期は、かなりのエネルギーを使って「相手の立ち場になろう」と想いだけで逆流に立ち向かっていた。僕はその当時、「ユニットケアはお年寄りに関係ない。僕たちが目の前の方のことを知らなさすぎる。だから、自分の足をつかって知る努力をしよう。でも、80名の入居者を1人で把握するのは到底ムリがある。だから、10人から20人に分けて情報を把握していこう。そして知り得た情報を理解して分析していこう。それができたらわからない人に伝えていく努力をしていこう」というコンセプトでやっていたものだ。それはまわりが「個別ケアをめざそう」と、うたっていたことにどうしても違和感があった。「そもそも個別ケアを目指していることがおかしくないか?だって、立ち位置は個別ケアからスタートでしょ?」と言うと、これもまた「カトーさんの言っていることはユニットケアではない」なんて、大きな団体からも言われたこともあった。僕は「介護をやろう」と言っているだけなのに、否定される意味もわからなくて「ユニットケアってなんだ?」と名前を付けた武田和典氏に聞いたことがあった。その返答は「ユニットケアは形じゃない。なんだかわからない名前を付けて、そのユニットケアの意味を聞かれた人がわからない人に伝えることでいま行なっている介護を考える仕組みなんだ」とあった。その時に僕は妙に納得があって、自分が実践していることを自信を持ち頑張っていた。いろいろな施設が、大会で発表される。でも、僕らの実践は真新しさも目で見て分かりにくいのか登壇することはなかった。いや、前でエラそうに話したいわけではなく、今考えると実践が当たり前すぎて面白みに欠けていたと思う。利用者さんに僕たちの実践が影響を与えちゃいけないと頑に生活と暮らしを再現するために苦労をしていたのは、ある意味正解だったんじゃないかと今は考察している。「利用者さんは家族」と言われれば、「え?何言ってるの?どこまでいっても他人じゃん」と返していたし、「施設は家です」と言われれば「いや、家じゃないですから」なんて言っては、当然に怒られもしていた。もちろん、天涯孤独の方は入居者含め、僕らが家族であり、お葬式のときはたくさんの人に囲まれるように生きている時にたくさんの人に出会わせていた。家族がいる方は、やはり一家や一族の長として扱っていたので尊厳はあまり傷つけていなかったのだと思う。施設は家だなんて・・・確かにそうかもしれないけど在宅で家を引き払う時に同席すると、老人ホームに行く本人の涙はたまらなく・・・その人の思い出を破壊しているようにしか思えなかった。だから、施設は家ではない・・・施設は住処(すみか)であると考え、住処なんだから「住みこなす」というコンセプトで支えてきた。(住処と家は同じような意味だが“家”を本人のココロが帰るところと前提をしていたから。住処は居所というか、移り住んだ所と当時は考えていた)また、他に施設見学なんていくと、「ここは生活の場なので、あまりウロウロしないでください」「写真とらないでください」なんて言われるところは、今でもあるが生活の場ならナゼ職員は「職場」と言うのだろうか?「会社」と言うのか?“タイムカード”の存在も疑問に思わないのだろうか?といろいろと思うことがたくさんあった。*(もちろん、写真は許可を頂いて、さらには顔を映さない工夫を当然していた。お互いに研修や勉強してるのだから、変な制限が多すぎたのが当時は鼻についた)

 

2016年現在のユニットケアは、過去に比べて随分と熟れた印象がある。「ユニットケアは終わった」なんて言う人もいるのだけど、そもそもカタチがないものにハジマリもオワリもないじゃないか?実践発表を聞くと、昔やっていたことがくり返し発表されている。それを指差してしまうのは、おそらく「自分は凄い」と我に溺れているんじゃないだろうか。時代はくり返すものであるのだから、今現在に努力していることは拍手を贈るべきで、拍手したその手を片手で垂直にピンとして「たのむね」って、そんな気持ちになっていると前へ進んでいくんじゃないだろうか。

 

僕はお年寄り・・・いや、人生のパイセンたちに常に言っていることは、今生きていることに感謝しなきゃね。「ありがとう」って言わなきゃね。「こんなんになっちまって」なんて言うんじゃないよ。若いときは「長生きしたい」と思ったことがあったでしょ?それが叶ってしまったのだから、いま生きているんよ。願いが叶ったんだね。だからさ、「ありがとう」って言いなよ。朝、お日様が昇ったら手を合わせて「今日も顔を見せてくれてありがとう。よろしくね」と言ってごらんよ。あなたの親の時代(明治)は結構そんなことしている人がたくさんいたよ。字は読めない人が多かったけど、優しくされたことが少なかったから、少しのことでも感謝していたんよね。だからさ、死ぬのを待っているだけの時間を過ごすのをやめようよ。生き抜く努力をしよう。まだまださ、この世は捨てたものじゃないよ。だからさ、ほら起きようさ・・・そう、かま首上げて、横になって坐ってごらん。ほらできた。まだまだそのカラダも捨てたものじゃないだろう?

 

りはびり屋OWARIASAHI 加藤慶

 

 

ユニットケア」とは、自宅に近い環境の介護施設において、他の入居者や介護スタッフと共同生活をしながら、入居者一人ひとりの個性や生活リズムに応じて暮らしていけるようにサポートする介護手法のことを指します。 特別養護老人ホームなどの介護施設は、常時入居者を見守りながら必要に応じて介護できる体制をとっています。

www.unit-care.or.jp/about-unitcare/

 

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2016年12月19日

ホームページ消失の件について

テーマ:ブログ

こんにちは。この度、9月1日ごろ「りはびり屋OWARIASAHI」のホームページの閲覧ができなくなっていた件ですが、原因はドメインの契約終了ということでした。どのようなことが原因で消失したのかは不明ですが、ドメインの変更にて解決しています。お手数ですが、ホームページアドレスの変更をして頂ければと思います。

 

「りはびり屋OWARIASAHI」
http://www.rehabiliya-owariasahi.company/

 

となりました。今後も変わらずのおつきあいよろしくお願いいたします。
「com」→「company」となりました。

 

いやぁ、どうなることかと思いました。スケジュールも確認できるようになっています。スケジュール調整でご不便をおかけしました。

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2016年11月06日

人が足りないのは責任転換をし続けることが要因

テーマ:ブログ

そもそも、看護の世界でも人がいないと昔から聴いている。(もちろん、他の業界もね)ナイチンゲールの時代から考えても、一度でも人が足りたことはあったであろうか?色んな方に聞いても「足りたことはなかった」とのこと。260年以上、人が足りたことがなかったならコレから先も足りることはないであろう。人が足りないのは、どうも頭数がいても足りない感覚は消えないらしい。ということは、「人が足りないです」と口に出しても何も展開や展望はないのだ。ならば、どうすればいいのか。

それは、自己に求めて行くこと。「あなたは1人前ですか?」と質もすれば、どう応えるか?日本人気質として謙遜するのが特徴であるところは周知のこと。「いえ、1人前とまではいきません」と応えて頂ける。そのセンスはアタリなのだ。例えば新人さんが0.25前とするならば、1と計算するには新人さんが何人必要か?それは4人必要になる。ともすれば、1になるまで自己に努力を求めて行かなくてはならないであろう。あなたは自己に求めているであろうか?「人が足りない」と叫びすぎてはいないだろうか?他に求めているうちは、「人が足りない」は永遠に解決できないであろう。責任転換&無責任のハジマリはこの「人が足りない」と叫ぶところからだと考えた方が良いと思っている。他ではなく自己に求めて行く・・・・1人前になるように努力して行くことが大切である。

 

しかし、コレは現場レベルのお話。この努力に甘えているのが国であることは役人さんは猛省して欲しい。例えるならば・・・ユニットケア形式で行政指導があった。入浴は各ユニットの浴槽を使ってくださいと・・・他のフロアやユニットの浴槽は使用しないことが望ましいと指導を受けることが度々ある。それを正しいというならば夜勤帯の職員配置は各ユニットで1人ずつという計算でなければおかしすぎる。未だに20人のお年寄りを1人の職員が支えていることが矛盾を生じている。「お金がない」と国は言う・・・そんなものは言い訳にすぎない。甘えである。いつまで、現場は優しい気持ちに国が寄りかかってくることに耐えなければならないのだろうか。

 

りはびり屋OWARIASAHI  かとうけい

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