3年ぶりに「秋の全国大会」に進む。
強豪ひしめく関東大会は“全国大会を勝ち抜くより難しい”とも。
激戦を越えて、大学日本一に挑むナインの健闘を祈りたい。
創大は今秋、24年連続でリーグ優勝した。
所属する東京新大学野球連盟は、各校の実力が伯仲し、
優勝争いは年々激化。
“勝って当然”という重圧の中、メンバーは厳しい練習を重ね、
自力優勝の消滅という 逆境をはね返して栄冠をつかんだ。
当たり前の勝利は一つもない。
先輩が築いた「心で勝つ」伝統を、後輩が守ってきた24年間である。熱戦が続くプロ野球の日本シリーズでも、ソフトバンクの石川柊太投手やDeNAの倉本寿彦選手が活躍するなど、卒業生も光る。
「飛び抜けた選手はいません。それでも“俺が勝たせる”という
一人一人の気迫は、これまでで一番」と岸雅司監督。
部員数は90人。人数が増えるほど
一人の出す力は減るという法則(リンゲルマン効果)もあるが、
選手、ベンチ、スタンドそれぞれが、
勝利への強い責任感を持つからこそ、
チームの力が最大限に発揮されるのだろう。
▼全国大会は10日から。目標は日本一、
目的は人材育成――創立者・池田先生が示した
「人間野球」の“真の勝利”に期待しよう。(仁)
名字の言>2017.11.3
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「大百蓮華」 2017年(平成29年)11月号(No.817)
「巻頭言」 ザダンカイは元気の幸福劇場
池田大作
私は座談会で、師匠とお会いすることができた。
私は座談会で、大仏法を学び、実践してきた。
私は座談会で、愛する同士と一緒に、日本そして世界へ、
広宣流布の拡大を起こしてきた。
私は座談会が、何よりも大好きだ。
法華経の薬王品(やくおうほん)は、
「如清涼池(にょしょうりょうち)」と説かれる。
すなわち、清らかで涼やかな池は、
渴(かわ)きに苦しむ人々の心身も満たすことができる。
その池の如くに、妙法には、生老病死の苦悩から
一切衆生(いっしさいしゅじょう)を解き放つ
大功力が漲(みなぎ)っているという譬喩(ひゆ)である。
”心の砂漠(さばく)”が広がる社会にあって、座談会は、 集(つど)い来る友が、皆、生命を満(み)たし、蘇生(そせい)していくことのできる「如清涼池」のオアシスといってよい。
御本仏日蓮大聖人は、明快(めいかい)に宣言なされた。
「仏になるみちは善知識(ぜんつしき)にはすぎず」
「善知識たいせちなり」、そしてまた
「而(しか)るに善知識に値(あ)う事が第一のかたき事なり」
(14681ページ)と。
「一生成仏」のために、最も大切であり、
しかも最も値い難(がた)き存在が「善知識」だ。
この善知識たる 友と友の集まりこそが、創価の座談会なのである。
悪縁の渦巻(うずま)く泥沼のような現実生活の中で、常に励まし合い、互いに幸(さち)の人華(にんげ)を咲かせていけるのだ。
何と尊い常楽我浄(じょうらくがじょう)の会座(えざ)であろうか。
仏法の本義に則(のっと)り、座談会という前代未聞の民衆の対話運動を創始(そうし)してくださった牧口常三郎先生と戸田城聖先生に、感謝しても感謝し切れない。
この星に
幸と平和の 才アシスを
語り広げむ
地涌の我らは
戸田先生が一回一回の座談会に、
真剣勝負で臨まれていたお姿が思い起こされる。
司会や式次第、話の内容も事前に綿密に打ち合わせをされた。
その上で「形式にとらわれる必要はない。
初めて来た友も『本当に楽しい!』『よく、わかった!』と喜ベる
闊達(かったつ)な雰囲気をつくっていこう」と言われた。
座談会は参加者全員が主役だ。老若男女を問わず、
皆、大地から踊り出てきた地涌(じゆ)の名優ではないか!
一人一人が汗と涙でつかんだ体験は、
何ものにも代(か)え難い「人間革命」の感動のドラマではないか!
どんなに悩みを抱え、どんなに疲れ果ていても、 必ず元気になれる。前向きになれる。勇気が湧いてくる。
これこそが、座談会という幸福劇場なのだ。
今や世界中で、「ザダンカイ」が朗らかに行われている。
あらゆる差異(さい)を超え、地球民族の心に
生命尊厳の哲理の火を灯し、人生や国土のいかなる試練にも負けない活力と連帯を生み出しているのだ。
人類が、待望してやまない新たな「対話の文明」を創造しゆく
無限のエネルギーが、座談会にはある。
「御義口伝(おんぎくでん)」に日(いわ)く
「日蓮らの類(たぐ)い南無妙法蓮華経と唱え奉(たてまつ)る者は一同に皆共至宝処(かいぐしほうしょ)なり、共(ぐ)の一字は日蓮に共(ぐ)する時は宝処(ほうしょ)に至(いた)る可(べ)し」(734ページ)と。
座談会に連(つら)なる人は同志も友人も分け隔(へだ)てなく、
大聖人とご一緒である。
どこまでも、大聖人と共に、最極の幸福と平和の「宝処(ほうしょ)」へ、皆で明るく賑(にぎ)やかに大行進していこうではないか!
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「四 条 金 吾 殿 御 返 事」日蓮大聖人御書全集P620
法華経に云はく 『若し善男子善女人、我が滅度の後に 能く窃かに 一人の為にも 法華経の乃至 一句を説かん。
当に知るべし 是の人は 則ち如来の使ひ 如来の所遣として 如来の事を 行ずるなり 』 等云云。
法華経の一字一句も唱へ、又人にも 語り申さんものは 教主釈尊の御使ひなり。然れば日蓮賎しき身なれども 教主釈尊の 勅宣を頂戴して 此の国に来たれり。 此を一言もそしらん人々は罪 無間を開き、一字一句も供養せん人は 無数の仏を 供養するにも すぎたりと見えたり」
~ 通解 ~
法華経に 「若し善男子、善女人があって、我が滅度の後、僅か一人の為に、法華経の一句なりとも 説くものがいるならば、その人は則ち、如来の使いであって、如来の所遣として 如来の事を 行ずる者である 」 と云われているように、法華経の 一字一句を唱え、若しくは人に説き聞かせる者は、教主釈尊の御使いである。
したがって、日蓮は賎しい身ではあるが、教主釈尊の勅宣を蒙って、法華経を弘める為に日本国に生まれた者である。それ故、たとえ一言でも 日蓮を謗る人々は 無間地獄に堕ち、一字一句でも供養する人々は、無数の仏を 供養するにも 勝れている。
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~ 通解 ~
日蓮の慈悲が広大ならば、南無妙法蓮華経は万年のほか、未来までも流布(るふ)するであろう 日本国の一切衆生の盲目を開く功徳がある。無間地獄の道をふさぐものである。
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~蓮華~
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