メロメロパーク
2005年09月01日(木)

母が育った土地で

テーマ:亡き母

母が亡くなってから 私が 子供を連れて 母の実家へ遊びに行くようになった。


関東から東北へ 550キロの旅。


母が亡くなってから8年経ったけど~   3回行けたかな!?

そのまえは・・・・・ 12年ぐらいブランクがある。    だから 今は 行くととても 喜んでくれる。


できる限り  また 来年も行こうと思っている。


今回は 母が 学生のころの話を聞くことができた。


といっても・・・・・  じいちゃん ばあちゃんの言葉は 難しくって(笑)

            一生懸命 ところどころ 聞き取るんだw


            私の相槌も んだ~」 「んだぁべぇ~ なんて・・・     

            おかしなイントネーションに なってくる。

            

            方言はあったかくって いいねぇ。


さて 母が学生の頃に 

課題で出ていた事を さっさと やらずに、おじいちゃん(父親)に 怒られた事が あったそうな。。。

反抗した 母は 2日間も 姿が見えなくなっていて 

               おじいちゃんは 友達の家など 聞いてまわったそうだ。

「自殺でもしたかと思った。」って おじいちゃん 言っていた。

自宅から 少し離れている山に 畑を持っているんだけど、 そこに 隠れていたんだと・・・・・・

秋の頃だったから 夜は寒かったそうだし 灯りもないから 真っ暗!

お母さんにも そんなことが あったんだなぁ~。



あと、母の実家は結構土地が広いんだけれど・・・・・ 

                    その土地を 買った時 の話も 初めて聞いた。

                    (親戚が手放そうとしていた隣の土地を手付けして 買ったんだそうだ。)


元の土地だけだったら 狭くて 大変だったろうな~ と・・・・・・

じいちゃんの 仕事道具も置けない。 農具も置けない。


今年、秋田へ行って よかった~。


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2004年12月23日(木)

手紙 ~お母さんへ~

テーマ:亡き母
当時23歳【結婚4年目】
画像digital gallery k*sanctuary 

私は母の通夜の日 
手紙を書いた。 
母の棺に一緒に入れた。


おばあちゃんが(母方)
『これは何だ?』
     開けようとする。

恥ずかしいので 
    『いいよ。見なくて。お母さんに手紙書いたんだ。』
                      と 取り返そうとした。

おばあちゃんは 『いいんだ』と言って 強引に手紙を読んだ。

おばあちゃんは うん うん と、うなずいて 手紙を元に戻した。

    『言った事なかったから。』   うん うん      


 *※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※

あまり 詳しくは覚えていないが・・・・・


      お母さんへ

なんにも してあげられなくて 御免ね。
産んでくれて ありがとう。

あの頃は あまり家にいなくて 心配かけたね。
あの頃は分かっていなかったけど 
今は心配かけて悪かったと思っています。

言った事なかったから言うけど 
お母さんの事大好きだよ。

                    ゆう子より


 *※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※


大体こんな内容です。
お母さんに 心配かけて 『御免』とも言った事なかったし、
大好き』なんて事も 言った事なかったので 
伝えたくて 書きました。




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2004年12月21日(火)

母を天国へ送り出す日

テーマ:亡き母
                           当時23歳【結婚4年目】               


前回の【無言の帰宅。】からの 
つづきです。




photo:MIYUKI PHOTOさん



通夜の斎場へ 母を移しました。

私も支度を済ませて 母に対面した時は 
ふっくらとお顔を作られていました。

あぁ。やっぱり やったんだぁ。

病気になる前の母の顔よりは 大分小さい顔だけど
闘病してなくなった顔とはまるで違い 
以前の面影が分かるようにはなった。


それは お別れに来てくださる 方はきっと
母の本当の 頑張りきったお顔を見たら ショックであろう。

骸骨みたいだし 本当に ひどかったから。
あの時やわらかく勧めてくださった担当の方も
本当は「この状態では 参列者の皆さんで 
      納棺する事も出来ませんから」
と、言いたかったのだろう。

せっかく お別れをしに来て下さった方々に 
  ショックを与えてもいけなかったから。それがよかったんだなぁ。

*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※


通夜式
こんな訃報を 親友に知らせるのが悪いと思って知らせなかった。

逆の立場なら 知らせてくれないなんて水臭いし
       親友がつらい時は 駆けつけたいと思うのに。
そのときは 悪いと思って 連絡できなかった。

ただ一人 知らせたのは 幼馴染。
母もSちゃんには会えたら嬉しいだろうと思って 電話をした。

Sちゃんは、ご主人とお母さんと3人で参列してくれた。
お母さんは 一生懸命私を励ましてくれた。


*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※


親族用に部屋を借り みなそこで睡眠をとる。
遠方から駆け付けてくれた祖父母は疲れていて先に休んでもらった。

その部屋から祭場まで真夜中の移動は不気味だった。
葬儀場だから何かは居そうな気がしてしまった。

だけど 今回居るのは 母だと思うと怖くなかった。
何往復もしたり 棺のそばに座っていたり。

私は もうすぐ 直に母の顔を見られなくなるな~
   今のうちに 焼き付けておこう
   この角度からが 一番自然に お母さんの表情だな

    などと 思いながら 惜しんだ。

翌朝六時まで お線香が絶える事のないように みていた。
ようやく 祖父や叔父たちが起きてきたので 
 交代して 少し睡眠をとった。


*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※


私はこれまで幸い親戚の葬儀に参列したことがなかった。

花を参列者全員で棺に入れてあげる花でいっぱいに埋もれると
私は最後に冷たい母の髪を撫でた。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・納棺の釘の音は本当に悲しく響く。


*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※

私は 母の娘として 葬儀に参列しました。

父方の叔母は 葬儀屋の関係者でしたから
何も分からない私たちは 叔母が頼りになって 助けられました。

私は 叔母が用意してくれた 紋付を着て
   故人の家族として させてもらいました。

葬儀屋さんの教えてくださる流れですから 
    間違った事ではないと思うのですが、

どうやら その様子は 私の嫁ぎ先の両親にとっては
面白くなかったようです。


主人の会社からは直属の上司が 駆けつけてくれたそうです。

私は ご焼香してくださる 皆さんに 一人一人に
家族として 前に並び 挨拶をしていました。

主人の上司とは 面識がなく その時は気が付きませんでした。

上司の方には 主人と義両親が 挨拶してくださったそうですが。


義母は 怒っていたんだそうです。
『まったく!あんな所に居るから上司にも挨拶が出来ない。
  死んでいく人より、これからの○○(ダー)の将来の方が大事だ。』



*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※

お葬式の日に こんな事を 言ってくださったんだそうです。

後から ダーに聞いて(言わなきゃいいのに)
あまりにも 心がなさ過ぎて・・・・・・・ 唖然。

   忘れられないなぁ~ (*´~`*)ゞ
悔しくもあるけど 腹を立てても何もならないし

『きっと バチ当たるんだわ』と 心に納めました。

後で親友に 私が故人の家族として 
見送ったのが間違いだったかとたずねたら・・・・・・・・

逆に彼女の方が(怒ってくれてて)
『とんでもない!!故人をとむらう日なのに
                   何を言ってるんだ!!』


過ぎた事ですがね・・・・・ 
私は 娘として母を送らせてもらえて よかったですよ。




*今回も いつにもましての 長文で (。-人-。) ゴメン!!のゆう子でした。
        

≪実母の病気≫の過去記事は 
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2004年12月19日(日)

無言の帰宅。

テーマ:亡き母
当時23歳【結婚4年目】


遺体となった母が自宅へ戻ってくる。
父は母と一緒に戻ってくるために 病院に残り
私は一番下の妹(K子)と自宅へ戻った。




車の中で12歳のK子と話した。



 『お母さんはK子が    
修学旅行から帰ってくるのをちゃんと待ってたんだよ』


K子『うん』    








・・・・・・・・・・・・・・。




今まで お母さんの病気は 【癌】 だとかって
この子と 話したことはなかったが・・・。

母は 彼女には3年生の時にすでに 【癌】だと話していた。
そう受け止めて 胸に思って K子もきたと思う。







K子『お母さんはさ、きっと何か       
癌のもとになるものを 食べちゃったんだよね?』




小学生は小学生なりに なんでなんだろう?          
 どうして 【癌】ってなるんだろう?           
なんで お母さんは   ???                 
って思い巡らせたんだと思う。

ちょっと おかしな カワイイ発想であって    
正解ではなかったのだが          
彼女も 何かの答えが欲しかったのだろう。         



 だから私は  『うん。そうだね。』と・・・・・・・納得した。


  *※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※

家に着くと 母の布団を用意した。

いつの間にやら 普段はめったに会わない 親戚のオバちゃんが居た。

このオバちゃんは うちになんか 来た事なかったのに。
テキパキと 仕切って 手伝ってくれている。




母が戻ると 母の横には ドライアイス。
 葬儀屋さんが来たり バタバタ。



そんな中 ダーの実家から 電話が入ったらしい。

とりあえず とり急いでの お悔やみの電話だったらしいが
父は 家中人が来ていて 葬儀屋さんと話をしたり 混乱していた。


今 取り込んでいるのでと 電話を取り次がれなかったらしい。
     ちなみに この電話は私がとったわけでもないので                                私も把握していない。


後で聞いた話では     
義理の両親は バカにされていると怒っていたそうだ。


  *※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※

用事を済ませ 家に戻ったのはもう夜中だった。


帰り際には
父が『今日は、お母さんのそばで酒でも飲む。』というので   

私は『やめておきなよ お母さんお酒は嫌いだよ』と言った。

父 『いいじゃないか 飲ませてくれよ』



  *※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※  


翌日は葬儀屋さんが来て細かな 打ち合わせを
     叔母と父とで していた。

偶然居合わせたのだが・・・・・・・・・・


葬:『シリコンを注射して お顔をふっくらさせて
         綺麗なお顔に戻って 最後のお別れをしましょうか』
  

それを聞いた私は
   『しなくていいです。お母さんは顔をいじられるのは嫌いだし。 
        頑張ってこの顔になったんです。しないで下さい。』


おもわず 感情的になって 涙を流してしまいました。

 
本当に うーんと つらい思いをしたのに 
       これ以上注射なんてしないで! しかも顔に。
こんなに頑張って痩せたんだから これが自然のお母さんなの!!


この日は本当に それが 納得できなかった。




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2004年12月18日(土)

≪実母の病気⑯≫5/18

テーマ:亡き母
当時23歳【結婚4年目】


~~~急いで 父とダーに 電話をし 
      祖母の所に子供をあずけ 病院へ急いだ。~~~  




気持ちが焦る。 いつもと 道の選択が違う。 







 
目の前を 黒猫が横切る。

   こんな時に  黒猫!? 
     不吉な予感を 振り切るように

      そんなわけねえだろ!!と心の中で 

ていうか・・・ 今更 予感ではない。
     きっと 平静を装いながらも パニクっていた。






車を降りて 走った。







病室に着くと 3人だったろうか、、、
    看護師さんがベットの周りを囲んでいた。



私は 『すいません』と 声をかけ。


『**さ~ん 娘さん来たわよ~』
              看護師さんが 母に声をかけた。
        
  返事はない。
            



母の顔が見えた 
    その顔は明らかに・・・・・
         

 目に光はない



『お母さん  ゆう子だよ』
     擦れる声で 耳元へ近づいた。 声がでない。これが精一杯。
 



母の姿を 見回して居るうちに












    あの機械が    ピーーーーーーーー となり





    医師が『4時44分 ご臨終です。』と
                 頭を下げた。
             
 
     私が 駆けつけて  ほんの2・3分の出来事だった。

     間に合わなかった気がした。  
    
私が 『お母さん』って 読んだのも 聞こえなかったんじゃないか? 

でも、 まるで 私が ここへ着くまでは待っていてくれたようだった。

今朝から 血圧が 下がっていたんだ・・・・・・・・・
      その時から 来ていたかった。

   妹が来た時に スポーツドリンクのシャーベットを
       『早く くれないのか・・・』と 催促したそうだ。
        ここに、そばに  居たかった。
            



私が母のそばへと 引越しして戻ってきて 丁度 40日でした。


   私が 地元へ帰ってくるのを 待っていてくれたのかな?
   妹の修学旅行のお土産も置いてある。
   お母さんは ちゃんと 妹が旅行から帰ってくるのを
   待っていたんだ。 こんなになってもちゃんと母親してたんだ。










しばらく 私は病室にふたりきりだった。




母の瞳には 生気がない。

二日前    『急に電気がつくんだ。
             急に眩しいんだ。』



あの時から・・・・・・・・
瞳孔が開き始めていたんだろうか。

そんなことって、 あるのかな? 


あの時の目も 少しおかしかった。 見えていなかったのかな?
     そんな おかしな目だった。


でも お母さんは 最後まで気丈だった。












お母さんはもう ここには居ない。






本当にこの体の中には お母さんが いないと感じた。



  ・・死ぬ・・って・・・・・・・こういうことなんだ


手はまだ ぬくもりが残っている。

でも・・・
 
        みるみる血の気を失っていくのが わかる。        



     せっかく来たのに と 声をかけた。











ある看護師さんが 何か片づけをしながら こういった

『私 お母さんと同い年なのよ~。』

『はい。 母から聞いてました。』

『同い年で 私はこうして働いていて お母さんはそれを見ていて』









前に母が言っていた。 『あの人、私と同じ年。』と 私に教えた。
        少し  寂しげだったね。


その看護師さんは 母を気にかけてくれていたんだなと
   その短い 会話で 分かった。
 
44歳。




   ・・・・・・・・・・・・・・・・。


父が突然現れた。
   
『今来たの?』

『ううん。俺のが早かったよ。』



じゃ なんでついていてあげなかったのか。
それは 辛かったのかも知れない。

見ていられなかったのかもしれない。



母は頑張りすぎちゃって
こんなに痩せちゃった。



でも 私は どんな事があっても 母の姿は 目を背けないで
見ていてあげよう。って。

だって   悔しいけど  それが 本当に母の、その時の姿だから
目を覆ったりされたら・・・・・  どんなに寂しいだろう。

他には 何もやってあげられないから、
       それだけが私に出来る事だった。










-----------------------------------------------------

     みなさん ありがとうございました。
こうして母は亡くなって 行きました。
私がこの日の朝 わけも分からずに 涙を流して 
『もういいよ』 と 思ったな~ということは 
後で振り返って とても不思議でした。
虫の知らせだったのかもしれません。 
『もう 頑張らなくていいよ』だなんて     
 正午頃も 異様に行きたかったのは、 それも虫の知らせだったかな。
 本当にそんな不思議な事って あるんだなぁ。
 
     結局 何もしてあげられなかった。

  これから 母を亡くした 私の悲しみが始まったのです。

----------- 次回は母を送らなければなりません -----------
    


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2004年12月17日(金)

≪実母の病気⑮≫5/18

テーマ:亡き母
当時23歳【結婚4年目】

今回で締めくくれるかと
思ったのですが、予想以上の
長文につき また
区切る形になりました。  


----------------------------


妹K子(小六・三女)が修学旅行から帰って来た。
母にお土産を買ってきた。ピラミッド型の何だろう硝子細工かな?


そのお土産を次の日に妹T子(次女)が届けた。


*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※  



その日の朝は なんだか泣けてきてね

ダーを送り出した後      

    キッチンで 泣きました。 タオルで涙拭きながら。      

              こんなの、珍しい。




    その時   私の口からは、  



   『お母さん もういいよ』

    『もう これ以上頑張らなくていいよ
  
      


       こんな言葉を 数回繰り返して泣きました。




あまりにも 痛々しい母の姿        
     
      この入院中  いくら 坂道を転げ落ちたって
      このままで ずっと いくんじゃないか、、、      


       なんて・・・    錯覚していたのに。


   この朝は突然に 自分の中から 涙と言葉が こぼれてきた。                  


*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※


その午前中に 友人宅を訪ねた。
友人は二人目の出産で 里帰り中。

お祝いをかねて お顔を見せてもらいに行った。
















さて・・・・・ 帰り道。         

時間はまだ 正午頃。





ふたりの子供を乗せて 車を走らせる。





このまま 病院へ行こうかな~。。。     








        ・・・・・・・・・・・・・・・。






でも、この子達にご飯も食べさせないで 連れて行ったら        
             お母さんに 怒られるだろうな~。
  
       

  (お母さんに怒られるだなんてまるで子供だ。
     でも 親子には変わりはないけど・・・・・
       その時は本当に<怒られちゃうかな>と思った。)

ついでに言うと、もう怒らせたくなかった。


*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※



とりあえず 自宅へ戻り 昼食を済ませ




引っ越して1ヶ月チョットで まだしっくりきていなかったので 
                少し 荷物の整理をしていた。


どの場所で どんな格好をしていたのかまで覚えている。
    椅子の上にたって 高い所に 荷物を入れようとしていた。

その時   電話が鳴った。
           ・・・・・・・・誰だろう。



『○○病院の××です。』

『あ、はい。 お世話になっております。』                 

『さっきまで 妹さん(次女)いらして 
        今お伝えしようと思ったら
       もうお帰りになったみたいだったので。』

『はい。』

『お母さんの血圧が今朝から下がっていて。
 またさっきから下がってきているんですよ。
 さっき名前を呼んだら 「あ~」とは
      返ってきたんですけど。来られませんか?』
 
 


      え?     あ? 

その時の私は 何だか変だった。 
きっと 慌てないようにも したんだと思う。      

けど、今思えば やっぱり変。



『あ、あの、、、 子供が居るので・・・       
         すぐには いけないんですけど。』

             (なに言ってるんだか)

『でも、お母さん一人じゃ かわいそうだから。』


          ? ? ? 
 
            (まだ ちょっと 飲み込めていない。)


そしてまた、  変な聞き方をした。

『血圧が下がるって事は、心臓が止まるって事ですか?』

看護師さんは 言いにくそうに
『えぇ。誰も居ないんじゃ 可愛そうだから。』

私は やっと 理解した。


すぐに 父とダーに 電話をし 
    祖母の所に子供をあずけ 病院へ急いだ。








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2004年12月15日(水)

≪実母の病気⑭≫最後の入院

テーマ:亡き母
当時23歳【結婚4年目】
写真:この話に出てくるトルコキキョウ








私は地元の友達に誘われて 小さな地元のお祭りへ行った。
心ここにあらず であったが・・・・・・・。

そこで 同級生夫婦に会った。
パパ(T君)そっくりの赤ちゃんを連れていた。

 


外へ出られない母のために
庭に咲く花など 通りかかった先々で花を写真におさめる


その時の写真を 外へ出られない母に見せた。



『ほら T君だよ!』
   お祭りの時の 写真を見せた。

『ん?わからない。』

『ん?ほら、小学校の時に
   一緒のグループでみんなでお泊り会をしたじゃない。』









『わかんない。』






・・・・・・・・・・。
   本気で言っている。分からないんだ。



驚いた。
絶対に忘れるはずないのに。





そんな事よりも 辛そうだった。

   *※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※


妹6年生が修学旅行だ。
母は 送り出す準備を気にしている。



『お弁当・・・・・』

『うん。から揚げで作っておくよ。』





『途中で捨てられるように、、、』
     (修学旅行初日の昼食分なので、捨てられるものにする。)
『うん。』




私は下の妹に 旅行初日分のお弁当を渡して 送り出した。




   *※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※

その後また

いつものように病室を訪ねると






『急に電気がつくんだよ』
『え~? そんな事ないでしょう?』     







『でも 急に眩しいんだよ。』

何度もそう訴える。
変だな。









なんだかこの日は 帰りたくなかった。
ずっと ここに居たくて 何もやることがなくなってしまっても
ベットの横に棒立ちになっていた。











母は目をつぶって うとうとと しているようだ。
ふと気がつくように 目を開ける。
その目は 大きい目だ。
やせ細って ぎょろっとしている目で私を見る。







『まだ 居るのか』



・・・・・・・・・・・。 
『だって』





『帰っていいよ』  (多分子供たちのために)
そして また うとうとと 目を閉じる。



本当に帰りたくなくて・・・ どうしていいか分からなくて
                     また棒立ち
そんな事を 3回は繰り返した。



   *※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※

自分の気持ちに逆らって 病室を後にした




駐車場につき   車に乗り込むと
私は声をあげて泣いた。



なんで?なんで?
     お母さんがこんな目にあわなきゃならないの?
         なんにも 悪い事してないのに。








どれくらい泣いたのだろうか。
車の近くを誰か通ったら 聞こえてしまったろう。

少し落ち着いて 
気を取り直して 車を出す。






病院から10分程離れてもまだ 気持ちは帰りたくなくてね
花屋さんに 寄ったりした。




そこで 目に付いた トルコキキョウ。


うわ~ これ見せたいな~


母にぴったりな気がした。 母の色は淡いブルー系 パープル系。


これを持って病院へ戻ろうかな。









結局 迷ったのにしなかった。



   *※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※



この日に 無性に帰りたくなかったこと。
     一度 車を出したのに 戻りたかった事。

これは 絶対に思ったとおりに 存分にした方がよかったことだった。
しなかったから 悔やむけど・・・・・ 仕方がない。


この日眩しいと訴えたのも・・・・・。 
                     つづく                  
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2004年12月13日(月)

≪実母の病気⑬≫最後の入院

テーマ:亡き母
当時23歳 【結婚4年目】




母が吸い飲みじゃないとダメなので 
子供を預けて 夜だったが届けに行った。



7~8時ごろ
母の病室は真っ暗だ。 


そおっと病室に入る。










眠っている。
吸い飲みを分かりやすい場所に置いた。





起こさずに 病室を出た。










病室を出ると 丁度担当の先生が 通りかかり
『少しいいですか?』と お話ししてくださった。


母はお薬のお陰で 
いつもこれくらいの時間に眠るんだそうです。




先生も母の様子を見て、『よく眠っていますね』と・・・








『あの薬を飲むと 痺れるんだ。痺れがつらくて 
      握り合わせた手にギュ~っと力が入るんだ。』

  私につらさを訴えた。 本人は眠っていないような意識らしい。


それを、先生に伝えると。
   そんな様子はなく よく眠っています とのことだった。









確かに母は良く眠っていた。
強張っている様子もないし。












よく、癌の痛みは身の置き所のない痛みだというそうだ。
それほどの痛み。
きっと苦しくて 錯覚もして 寝ていても意識は痛くて。










先生『もう、好きなものを食べさせてあげて。』



*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※


母が食べられるものを 考えた。

アイス・・・・・・?


色々試したが 味覚も変わっていたのか 難しかった。








最後には スポーツドリンクを 凍らせてカキ氷にして 持って行った。







ずっと寝返りもできないから
パジャマの生地がよれている部分ですら痛い。





足もずっと動かしていない。
姿勢を変えてあげる。
気をつけないと、
力が入らないために膝を立てた足が バタっと 落ちる。

痛みが走る。    『ゴメン』














いつでも痛いようなので 気を紛らわせようと
背中の下に手をいれ 揉んでみたり・・・・・。






もういいよといわれるまで頑張る。


















すでに いつどうなってもおかしくないと言われていたのに、
そうして1週間、2週間過ぎていった。












私は 錯覚に陥っていた。不思議です。
このまんまいつまでも 行くような気がしてしまうものなんです。










それとは別に、
歩けなくてもいい、   目が見えなくたっていい。
生きていてさえくれれば  いい。
心からそう思った。


 





                       つづく

≪実母の病気≫の過去記事は
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2004年12月11日(土)

≪実母の病気⑫≫最後の入院中

テーマ:亡き母
【結婚4年目】
当時23歳

写真:こぼれダネのビオラ



(またまた キツイ表現かもしれない。ごめんなさい<(_ _*)> )



坂道を 転げ落ちるようだ」という言葉があるが
母の状態は まさに この言葉が ピッタリだった。

日に日に 変わるのだ。
下り坂を コロコロ 落ちていく みるみる弱る





絶対に、信じられない変化。
これでもか~!! と言うほどに痩せていき
                   同時に顔色も 黒っぽく くすんでいく





痩せると言っても 限度があると思う。
限度を越えていた。



人間ってあんなになるんだ‥‥‥‥。  
仕舞には 筋肉が 痩せるんだ。






母の顔は 次第に骸骨みたいになっていった
目蓋は落ち窪んで 頬はへっこみ さらにはこめかみだって凹むんです。






想像がつくでしょうか。







人は表情を作るとき、口を開けるとき、ものを食べるとき。
筋肉を動かしている。





なぜこめかみまで 痩せるのか。

食べるとき、そしゃくするには こめかみの筋肉をつかっていると思うが 内蔵的に食事が出来なくなったから‥‥‥その使わなくなった筋肉が落ちたのかな。



痩せていく。 衰弱していく。
そんな ところまで凹むなんて 知らなかった。







目を覆いたくなるほど。その姿をみて
         顔を歪めてしまいそうなほど ひどかった。






















私は、目の前にある現実の母を認めた。
母が苦しんでいる。





目を背けず しっかり見ていてあげようと強く思った。


*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※



母は管を通して  排尿していた。
ベットの脇に ぶらざがっている。




その中身は 真っ赤だった。  
母は寝たきりで 見えない。(見えないほうがいい)
私は内心 驚いたが  口にも態度にも表さない。
            隠しておく。




ある日 訪ねると・・・・・
『さっき看護婦さんが おしっこの交換して行って・・・・・
            飛んだのが 赤かったよ・・・・・・・。』
 


それは 驚くだろう。自分のお小水が 真っ赤なのは 怖い。


私は それを わざわざ のぞきこむ格好をして
 『ん?普通だよ。』
       と、精一杯に嘘をついた。



心の中では
   何で見せないようにやってくれないんだよう><
        もうこれ以上 怖い思いをさせたくないのに・・・・・
        

  現状仕方なくても、少しでも 楽にさせてあげたかったから  
  
   



                        つづく

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2004年12月10日(金)

≪実母の病気⑪≫最後の入院中

テーマ:亡き母
読者の皆さんへ
  ≪実母の病気≫
  大変長くてごめんなさい<(_ _*)>

私自身、こんなにたくさんの事が
胸の中に しまってあるなんて 
書いていて 改めて 気付きます。

当初は、情緒不安定な
危なげな時期がありましたが
時間をかけて 私の胸の中にはきちんと受け止める事ができて
 乗り越えてきたんだなと・・・・・。


当時23歳【結婚4年目】
*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※*※  
            (医療関係の方には ごめんなさい:ふたたび)  


母は 何も食べられない




ある日 病室を 訪ねると

『昨夜はから揚げだって・・・・・・』

『え??』

『聞こえて来るんだよ~ ○○先生~ から揚げです…って』

『え~~~? ナースステーションで 食べてるの?』





・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。





看護師さんは ナースステーションで 食事を採るのか。。。。。
看護師さんの立場になって考えれば、          
        それは仕方がないのかもしれない。

忙しいし その場で済ませたほうが 合理的なのかな。
 





だけど私は不愉快だった。   







食べる事って   
何にも出来ない人間にとってとっても嬉しい事なんだ。

食べる事って  
人間の当たり前の 欲求なんだ。





もう それが出来ないのに。
母は ナースステーションの目の前の部屋だったんだ。





正直 
  患者をなんだと思っているんだ  
  総合病院は コレが現状なのか 
  患者には 人権がないのだろうか。 
  この病室にいる 母は もうすぐ死んでいく身だからか?  

そのように感じてしまいました。





『すみません。母が食べられない状態で・・・・・      
    食べたそうにしているので 何とかもう少し
          配慮していただけないでしょうか?』








よっぽど お願いしに 行こうかと 思った。
母が かわいそうで たまらなくて。悔しくて。








でも、かえって 母がいじめられたりしたら 困る。
私は ずっと 付き添っていて あげられないんだもの。

私がいない時に(居ない時の方が遥かに長い)     
               いじめられたら 大変だ。

私は 3歳ちゃん 2歳ちゃんの ママだ。

(最近ニュースなどで色々な事を聞くので 敏感な所ですよね。
簡単ではないですが、信頼関係が 大切なのだなと思います。)

【追記】
  看護師さんから ありがたいコメントをいただきました。
  こういったときは院内に投書箱などがあるようです。
  当時の私にはそういったことがある事も分かりませんでした。
  必要以上に 患者サイド・・・ 弱い立場のように感じていました。
  もしも 今後 こういったときは 投書箱を使うと良い
  という事を 私も読者さんも利用していけたらいい
  と思いましたので 追記しました。


-----------------------------------------------------------


私の姉妹、

一番下の 妹は当時小6
朝は 学校へ出さなきゃ。

父が付き添わない理由は それだけだっただろか。




・・・・・・・・・・・・・。




もし私が そんな立場だったら      
付き添わないなんて事はなかっただろう。

子供が小6なら 母親の病状も理解できる。

夜 すべて済ませて 寝るだけにしたら・・・・・
翌朝まで 時間が取れる。
きっと私は 病室で過ごすだろう。

朝、自宅へ戻ればいい。



そうできると思う。

そうしなきゃ 後悔してしまうと思う。
自然とそうすると思う。






父はそうしなかった。  そうするのが 自然ではなかった。
また、父には そこまでのキャパは なかったと思う。

それは決して 父をけなしているのでもなく
              責めている訳でもない。

持っている許容量は 人それぞれなのだ。




それが   父と母の   関係だ。
父と母は 私が生まれるために 出来た夫婦だった。
夫婦だったから  一緒に生活していた。
情といえば  それだけの事だった。

だから 泊まりこみで 付き添うなんて かえって不自然だった
母も要望しなかった







私も 自然とその 空気を 分かっていた。



                            つづく 


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