「やさしい歌の夕べ」(案内人:小川美紀雄)
 
小川美紀雄さんをお迎えしての2度目の「やさしい歌の夕べ」その昔は大藪さんの日でした。
ギターをいつも抱えてきていた大藪さん。今日は大喜びだろう。
 
 

今回は小川さんは息子さんの一(ハジメ)さんとのデュオで演奏してくれた。
演奏だけでは終わらず今日はお楽しみのワークショップもある(ようだ)。
だってストローを用意してといわれていたもの。
 
 

でもはじめはデュオによる生演奏。最初はなんと「与作」
でもお二人の手にかかると「与作」という名作がかっこよくアレンジされてしまうからすごい。
それからお二人の新しいCDからのハマジャンボーイズ、ハマジャンガールスの歌。
なんとなくみんなで乗って口ずさんでしまう。
 
 
 
小川さんはジャグバンドを組んでいたことは以前もブログで書かせていただいたが、ジャグバンドでは、洗濯板や、生活のものがそのまま楽器になってしまう。
高価な楽器の買えなかった黒人たちが身の回りのもので音を出して、楽器にしてしまう。
この日もいくつかのそんな楽器を紹介してもらった。
まずはスプーンを二つ使ってカスタネットのようにリズムを刻む。
腿の上に置いて手でたたいてリズムを刻むのだが、これがすごい。
スプーンだけではなくって体を使って楽器にしてしまうのだ。
これは少々私たちには難しい。
 
でも次に紹介してくれたのが、カズー(kazoo)という楽器。
もともとは黒人奴隷たちによってもたらされたものと言われているけれど、これも管楽器の上の部分だけのような楽器だ。
今回はこれを自分たちで作ってみる。
といってもただの薄いセロファンをしかく切ったものを唇にあてて音を出すという簡単なもの。それでもとっても楽しく音を出せる。
ちょっとメロディーをつけてみると楽しいのなんの。
ついでストローの上部を斜めに2か所切って、平らにして唇で少しかんで音をだすブーブー笛。これもkazooの一種ともいえそうだ。なんとも間抜けでかわいい音が出る。しかも人によって音が違うのも個性豊か。
 

今度はこれを使って「僕の大好きなクラリネット」を皆で演奏。「壊れて出ない音がある~」どうしよう、の後にみなでぷ~、ぴ~、ぶ~、と音を出す。間抜け~でも楽しい~。
二重にして伸ばせるタイプのストローでこの笛を作ると、高低の音も出せるのだが、難しくて今回はできなかった…。
 
 
 

自作楽器の競演のあとは、皆で歌を歌う番。
「大きな古時計」「上を向いて歩こう」「聖者が街にやってきた」と知っている歌のオンパレード。
歌詞を思い出せなくて歌えなくても体でリズムを刻めばいいでしょ
小宮さんも足を延ばして足指でリズムをとっている。
一さんが歌ってくれるThe High-Lowsの「日曜日よりの使者」もSha-la-la~のところだけは皆で合唱してしまいます。


そしてこの間も歌わせていただいた「このまちで」は、一さんのデュオによるギター演奏のアレンジがとってもかっこよく、思わず聞きほれてしまいました。(どうすごいかって?どこかしらPink FloydのDark Side of the Moonの中のThe Great Gig in the Skyを思わせる名演なのですよ。一さんがおっしゃるには影響があるそうだ。)



さて、さて、笑ったり感激したり、演奏の合間にところどころブーブー笛を吹いて入れてみたりで皆思い思いに過ごした1時間。
歌は共通語だ。しかも楽器でその場の空気を震わせて一緒に歌うとその場が共鳴する。
美紀雄さん、ハジメさん、ありがとうございました!
また「火曜日よりの使者」になってカドベヤに来てください。




今日の夕飯はココナツのグリーンカレーのつもりがなぜかしら色はイエローカレーになってしまった。
姫ちゃんに助けてもらって作ったアボガドのサラダは私の思い付きでトマトと混ぜたら水が出すぎて見た目がちょい悪イ。
まだまだ修行が足りませんなあ。

来週は恵子さんの「やさしいスープの夕べ」。こっちはきっとおいしいぞ。

(よこやま)
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1月24日
ティーチ・イン「コミュニティを考える ダンスinコミュニティ」その3
対談「コミュニティダンスを継続する・作品化する」



先週の踊る舞踊評論家稲田奈緒美さんのコミュニティダンスのレクチャーに引き続き、この日は私、吉福敦子と稲田さんとで日本でコミュニティダンスを実践している中での課題や事例などをざっくばらんにお話をさせていただきました。

まず、このタイトルのコミュニティダンスって何でしょう。
・誰にでもできる
・どこでもできる
・どんな種類のダンスも含む
・高いスキルをもった人(ファシリテーター)によってリードされる
と定義されています。
わかりづらいですね。つまりは、ダンスは超絶技巧のテクニックを積んだ人だけでなくても、誰でもどこでも楽しめるということです。


「ダンス」という響きのハードル、主催者の無理解、やりがいの搾取などの課題の話しから、「なぜコミュニティダンスをするのか」「コミュニティダンス作品のクオリティは」など本質のを突く質問に、みんなで考え、語る時間へと広がっていきました。ほとんど「ダンス」論ともいえる対話でした。

「コミュニティダンス」と名前がついていてもいなくても、ダンスはみんなが楽しめて、そして今までの価値観を覆すような瞬間に出会わせてくれる。そんな風に思います。

機会があったら次回は話しを聴くだけでなく、ご一緒にカラダを動かし、踊りたいです。




ティーチインの後は、寒い冬に打ち勝つような暖かいごはん!美味しさにさらに会話もはずみました。美味しい夕飯は人類の宝です!!
(文責:吉福敦子 ダンサー・振付家・ワークショップデザイナー)




あまりに寒いので、トークの前にカラダを動かしながら自己紹介です
これだけでもうダンス。
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普段の「ストレッチとゆうめし」では、「だべってダンス」を担当している(踊る舞踊評論家)稲田です。今回は、このようなダンスを用いていろいろな人と一緒にからだを動かしたり、ダンスをするような活動、「コミュニティダンス」についてお話をしました。タイトルは少々硬めの「コミュニティダンスの実践と背景」。コミュニティダンスと呼ばれるものが、1970年代の英国で始まり、1990年代以降に大きく発展した社会背景といくつかの例、2000年代位から日本でも行われるようになってきた現状について簡単にレクチャーしました。

 

 

カドベヤで毎週火曜日の夕方に行われている、カドベヤで過ごす火曜日」も、コミュニティダンスと同じような特徴を持っています。参加する人たちが一緒に踊ったり、歌ったり、絵や詩を書いたりなどなど、様々なコトを一緒に行いながら、語り合い、協力し合い、教え合い、楽しみを分かち合います。また、一緒に料理を作って、食べ、後片付けをします。そこに参加するのは年齢も性別も職業も、ダンスや歌などの経験の有無も、病気や障がいの有無も、まったくいろいろな人たち。もしかしたら、普段は家に閉じこもりがちな人もいれば、誰かとコミュニケーションをするのが苦手な人、悩みを抱えている人もいるでしょう。そのような人たちが、アートや料理をともに作り、楽しむことで会話がはずみ、笑い、元気になったり、新しい発見をしたり、何かに挑戦する勇気やそれをやり遂げる喜びを味わったり、好奇心を広げたりすること、そのことによってコミュニティや社会も活き活きとなり、相手を思いやる気持ちや想像力、創造力を高めていくことなどを目指しています。

 

 

 

ただし、このような活動を続けていくためには様々な人やモノ、時間やお金が必要になりますし、多様な人々が協働することの難しさも待ち受けています。そこで来週は、このようなコミュニティダンスに取り組んでいらっしゃる舞踊家の吉福敦子さんと対談をしながら、具体的な課題、成功例や失敗例を話しあい解決につながる方法や発想を参加者の皆さんと共に考えようと思います。タイトルは「コミュニティダンスを継続する・作品化する」。コミュニティダンスの経験や知識がなくても構いません。ご興味のある方は、どしどしご参加くださいませ。(稲田奈緒美)

 

 

 

 

 

↑この日の夕めしです。

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1月10日「何もしないけれど、何かするカドベヤ」

 

1月ももう10日過ぎた。こんな感じで今年も過ぎちゃうのかと思うとどうして時間は元に戻せないのかとSFの世界に飛びたくなる。ただ、本当に時空を超えていったり来たりで来てしまうとそれはそれでまたややこしい。

時間は元に戻せないから、アートも生まれるわけだ。

 

ということで前置きが長くなりましたが、今日の何もしないけれど、何かするカドベヤ」はタイトルからして哲学的である。

ふたを開けてみたら、そのとおり空気感満載のカドベヤとなりました。それでもシリュウさんと小宮さんが早々と来てくれて、途中ではYさんも来てくれて、台所と上がりかまちのあたりでテレビ番組やパロディの話に盛り上がる。

 

今回は小宮さんがとにかく手際よいシェフぶりで、その繊細なピーラー使いが何ともアーティスティックでした。

19時20分ぐらいに姫と新井さんが来てくれて、話題は科学のことから宇宙、そして神の存在までいやまあ、何もしないけれど、何かする感が満ち溢れました。空気というのは本当に不思議。そして

会話もこうやって飛んでいくことがなんとも不思議。

その後の夕食のテーブルでは新井さんと横山で若者を80sに引きずり込んでやまないのでした。

やってきたりゅうきくんが黙々と本を読んでいる間に盛り上がっている30代、40代、50代、60代の姿ってなんだかシュール。この小さな部屋に5世代が集まっているんだ。

楽しかったです。

ということで、今日はそのシュール観をシリュウさんに語ってもらいましょう!

 

 

あ、そうそう。ゆうめしはクラムチャウダー、ニラ玉、オクラの和え物。小宮さんがシェフでした!

あったまった。

(ここまでヨコヤマ)

 

 

 

はいどうも~
えー、今回ブログを任されましたシリュウです。今回のカドベヤは
「何もしないけど何かする」ということでした。まぁあれですね、うん❗そうそう、アレアレ‼
ってことでありがとうございました~❗

いや、ちょっと待て‼

・・・え?誰?

お前がそれをいうな!

あ、そうだね、えっと紹介します。イマツ君です。はい、ということでありがとうございました~・・・

いやだから待てって‼

ん?

いや、ん?じゃねえよ!全く何も伝わらないからな❗こんな文章!もっとちゃんと説明しろ❗

そうだね、ではまずイマツ君とは誰(もしくは何)なのか、ということからお話しましょう。私実は個人的にもブログ書いてまして、そのなかのカテゴリーに脳内漫才というのがありまして、掛け合いとしてブログを書いています。その時に、ツッコミとして登場するのがイマツ君です。
・・・これでいい?┐(´д`)┌

なんでやれやれとか思ってるんだよ‼

あ、そうそう、もう一つ言いますと、イマツ君というのにも理由がありまして・・・・

え?俺それ聞いてないんだけど・・・

うん、私のブログ内でも言ってないからね

・・・そうか、まあいいや、何?

え?

いや、この名前の理由って?

ああ、その事か・・・

他に何がある!?今までの話の流れで❗

うん、イマツって言うのはね、イマジナリーフレンドってあるじゃない?

うん

で、まあ、想像上のツッコミだからイマジナリーツッコミということで、それを略してイマツ君、ということなんです。まあ、実は今本家というか私個人のブログは結構放置ぎみなんですけど・・・

ああ、そうなってるな

あ、ところでさ、この前確認したら哲学の記事が脳内漫才の数超えてたんだよ‼

なんだって‼ってどうでもいいよ‼

あ、そう?

え?なんか、それじゃ具合悪いの?

いや、別に

なんなんだよ‼

いや、いつ本題に入るんだろうな~、と思って・・・

こっちの台詞だよ‼なげえよ‼

まあ、ということで今回のカドベヤですが、神の在不在の議論をしました。

いや、訳わかんねえよ!なんなんだよ、今までの流れとか色々・・

うん、言いたいことは分かる。あれだろ?あれだよ、アレアレ‼・・・あれ?デジャブ⁉

ああ、序盤に全く同じ事言ってたからな‼

ねえ、話続けていい?

俺のせいみたいに言うな‼

まあ、そもそも神というものをどう扱うか?ということから言いますと、やっぱり「居る」という言い方をすると違う気がするんですよね~、と言うのも、神とは
私の中ではただの自然システムとして働いている法則に付けた名前であって、生物的な概念を持って話しますのは、ちょっと違和感を覚えてしまいます。最終的には私は神とはお皿の様な役割でありこの世界を構築するための土台であると思います。その上に私達人間がどのような思考(料理)を並べ飾り、味わうか。
そんな自由を与えてくれているのが、神というシステムなんじゃないか。
それが私の結論です。

おい

にゅ?

可愛い子ぶってるんじゃねえ‼激しいんだよ、この落差が‼

あ、本家の方でも同じ事言われた記憶ある

そうだな、言われたな・・・

あ、そうだ、今回カドベヤで話された話題の私の視点の話だけ書きましたけど、このブログを読んで自分の意見を更に書きたいという方は書いちゃって下さい。・・・あ‼

な、なんだよ?

どうしよう?漫才的なオチが見つからない‼

いや、だとしても言うな‼

うーん・・・いい加減にしろ‼

何がだよ⁉

いや、言ったほうがいいかな~、と思って

なんでそう思えるんだよ‼

じゃあ・・・やめさせてもらうわ‼

ツッコミの種類を言ってるんじゃねえよ‼

あー、うん。あれだよ、アレアレ‼あれ?デジャブ⁉

うるせえよ‼いい加減にしろ‼

ありがとうございました~

1月3日のブログ「カドベヤの新年」

 

7日後はカドベヤの火曜日だから、やっぱりいつの間にやら新年。

しかも今日は三が日最後の1月3日だからほとんど人は来てくれないんじゃないかと思っていたら、なんと9人も来てくれた。感謝します。

 

4時半前に来て待っていてくれた鈴木さんとIさん。

まもなく来てくれた海東さんとしりゅうさん。カドベヤも喜ぶ。

鈴木さんがお家で作ったお餅を持ってきてくださったのでお雑煮にも力が入ります。

さっそく鈴木さんと一緒に来てくださったIさんと横浜橋の商店街へ。3人いると買い物も本当に楽だ。

演技場も一段と華やかで今日も舞台を行っている模様。

まだしまっているお店もあるけれど、お肉屋さんも八百屋さんもちゃんとあいていて甘酒に欠かせない上質の酒粕もゲット!

戻ると昔某有名店でスーシェフを行っていたIさんの先導でみんなで台所に立って作業開始!

 

 

 

 

 

ひめも来てくれて、さっそく6時半から書初め開始!

どんどん言葉が浮かんできてみんなで書く、書く・・・。

こうやって見ると本当に習字のうまさが出てしまう。でもどの人の字も個性があって人柄が表れている。

 

ひめの「愛」と「笑顔」

シリュウさんの一文字の味わい。

鈴木さんの今のままの自分。ゴルフを始めたそうで「パター」もあったな。

 

海東さんの「大器晩成」

Iさんの禅の一言(ちなみに日々是好日は「にちにちこれこうにち」と読みます。)

 

遅れて駆けつけてくれた小宮さんは今日まで寿公演で炊き出しのお仕事だった。

書いてくれたのは「元旦」と「寿」と「ビッグイシュー日本版!」いい味わいです。

 

その後来てくださったMさんとAさんも思いっきり参加。

「縁〇」「猫と一緒」Aさんは今14匹の猫と一緒に暮らしているそう。

「ほどほどに暮らす」「ほどよい距離」う~ん。いいね。「ほどほど」って言葉。

 

 

 

書きながらお雑煮をほおばる。餅網で焼いた手作りのお餅はやっぱりおいしいとシリュウさんと確認しあう。

それ以外にも長いものおろし。だいこんおろし。Iさんお手製のゴマとお酒とお砂糖とお醤油の付けだれ。定番のきなこ。

それぞれ好きなように混ぜ合わせて食べてみるとこれがまた行ける

 

それぞれの一言の品評会をやりながら、最後はひめちゃんの持ってきてくれたリンゴと甘酒で〆ました。

最後の最後に今年最初のシリュウさんの手品でみんな新年早々騙されて、今年もきっといい歳になる。

 

 

 

今年カドベヤは満7年を迎えます。今年もよろしくお願いします。

 

(ヨコヤマ)

12月27日(たにみなさん「パーソナル・ライティング」)

 

朝のうちに降った雨も上がって午後は穏やかに晴れた火曜日。

最近はこんな天気が良く続く。午前中降ったかと思うと午後はちゃんと晴れてくれる火曜日。

午後は年末と思えないぐらい暖かく、年の瀬を感じない。

 

 

 

今日は奈良から、たにみな(谷美奈)さんをお迎えしてのパーソナル・ライティングのWSを行った。

 

たにさんは奈良の大学で長年パーソナル・ライティングの指導をしている。自分の中に眠っている様々な思い出を少しづつ解きほぐして、言葉を使って新たに表現していく作業は、見守りと発見を積み重ねて行われる。新たな表現力を得た学生さん方が、思ってもみないすばらしい「作品」を作り出す。

 

ただ、この表現力は多分にファシリテーターのたにさんの力が大きい、と個人的には思っている。

 

黙って見守るその目線。一人ひとりの中に眠っている何かをそっとたたき起こすその力は、学術的なメソッドでもあるのだろうが、それ以上にもっと人間的なものだ。そんなたにさんをぜひともカドベヤという空間の中に置いてみたかった。思った通り、たにさんが入るや否や、カドベヤがしっかりたにさんの色に染まった今回の午後だった。

 

この日はシェフを買って出てくれた新井さんと恵子さんに台所をすっかり任せっぱなしで私もたにさんのワークショップに参加させてもらいました。

 

 

 

 

 

 

この日は「居場所」がテーマ。まず思いつくものをどんどん紙に書いていく。それは公共的なものでもあり、個人的な親密性を持ったものでもあり、過去のもの、現在、未来のものといろいろな空間と時間にまたがっている。まずは思いつくままにそのような居場所を書いていった後で、自分の一番気になるものを選んで、次にその場所への思いを書き連ねていく。箇条書きでもいい。最後は各自がその場所に関しての思いを口頭で語った。書いてある通りに語る人。そこからどんどん物語を紡いでいく人。それぞれだ。

 

夕方に向かうひと時、居間で寝転がっていた気持ちの良い空気観。

 

 

 

 

 

 

大きな出会いのあったおもちゃ屋さん

小さいころ住んでいた家の近くの森の入り口

昔の職場のおトイレ

脚本家を目指していたころの脚本教室の中

踊った舞台の上

昔教えていた高校生とのひと時

立たされていた中学校の廊下

カドベヤ.....

 

私たちの心の中にある小さなそれでも消えることのない居場所。何があってもそこに戻っていける居場所を持っている私たちは幸せだ。

 

 

 

 

 

今日の夕めしは新井さんと恵子さんの作ってくれた暖かさいっぱいトン汁と、トマトサラダ、そしてもやしと水なのナムル風サラダ。おいしかった!

 

食べ物だって立派な居場所。みんなと食べることでこの場所も居場所となる。

カドベヤに2016年もありがとう。

 

(よこやま)

和を嗜む

今夜のカドベヤは、2016年の〆の舞

舞いました。
〆の舞は、「高砂」です。

 


 

 


「高砂」に初めて出会う人もそうでない人も、
歌詞の中の言葉や、ゆったりとした舞の所作に
自分なりのイメージを持つことが出来たと思います。


 

 

 

『舟、帆、月、潮、浪、島影、着きにけり・・・』

曲や所作から受けたインスピレーションを大事にして、
舞という海に乗り出せば良いのです。

 

 

 

「高砂」と再会の人は、
最初の三歩に
はっきりとした意思を込めて舞い始めていました。

 

 

 

 

 


「高砂」と初めての人も、再会した人も
唄の最後、「つきにけり」で、しっかりと立ち、
呼吸と共に全てを吐き出しました。

 

 

 

 


清められた場で
無心の構えに戻り
礼をし、仕舞にします。

 

 

 


今夜のシェフは、杜季女先生、稲田さん、本牧のマダムMの三人でした。
テーマは、M嬢のバースデイ&クリスマス。

 

 

 

 

技ありのゴージャスなメニュウ。会食する前に楽しくなってしまいます。
クリスマスツリーの形のミートローフと人参の☆!

三千花

 

 

 

 

12月13日「手品、まずはここから」
 
シリュウさんによると、彼の流派では手品は
1にかっこよさ、2に美しさ、3,4がなくて5の技量
なのだそうだ。
 
見ている人の立場に立つのではなく、見ている人の目線に立つ。
まずはマジシャン。その物腰にひかれる。次に手元。(シリュウさんの手ってものすごくきれいなのです。こんなこと言っては失礼だけれど)
だから目の前の高さで繰り広げられていることにくぎ付けになる。
その手さばき、リズム、テンポ、カードを広げるその時の指の表情。
 
本当に手品が始まる前からもうショーは始まっている。
最初からのその一つ一つが見えない「台本」と「筋書」だ。
つまり、マジシャンが観客と一緒になって進んでいくこの小さな物語でもある。
 
参加者をうまく取り込みながら、参加者に「選択」させながら、一緒に物語を作りながら「どうして~?」のゴールに進んでいく。知らないうちに私たちはマジシャンの作り出した台本の中の登場人物となってはいるけれど、操られるパペットでもある。
 
ううむ。なるほどねえ。
 
そしてその物語はどこかしら落語とも似ているような気がする。シリュウさんはつかみがうまい。そのためにネタだけではなく、変な「もの」もたくさん持っていて、そんなものを使いながら、手品の世界へと引き込んでしまう。
 
 
 
ということで知らないうちに私たちは「折り紙」の手品(「王様のじゅうたん」)の練習へ。種明かししてもらっても本当にいまだに狐につままれた気分!
いや、手品の世界って実は数学の世界なのだ、ということも再確認。
とりあえず習うより慣れろ、じゃないが、Don't think why,  just do it.なんだろう。
この1週間練習して、来週カドベヤで披露できるように頑張る。
 
最後はスプレッドのやり方を習うがこれがまたシリュウさんのようにできないのだなあ。
 
 
今日は和ちゃんと一緒にグリーンカレーに挑戦!具材を炒めるのもココナツオイルとココナツづくしだ。
これが思った以上においしい。もうブームは過ぎたが、ココナツオイルが認知症に利くと言われたではありませんか。これで少しは手品を憶えていることもできるだろうか。
いやまて、練習する前にもうどうやるのか忘れちゃった・・・。
どうしようもないのである。まずスプレッドだけでも練習しようかな。
 
よこやま
「12月6日 心のやまいというものについて」
 
海東さんのお話はずっと聞きたいと思っていた。
というのも海東さんがカドベヤに来てくれるようになってから、ずっと海東さんが読んでいる本、自分がいま勉強していること、放送大学での教科書などを折に触れてくださったりして、なんだか海東さんを通して自分も癒されることが何度もあったから。思い切って「話してくれませんか、海東さんのこと」とお願いしてみたら、「私なんかが離して皆さんがいやな思いをしないでしょうか」といつもの海東さんらしい回答がかえってきた。
 
 
 
実は私にとってはこの日のお話を聞くことよりもそこまでに至るやりとりがものすごく大切なプロセスだった。海東さんとメイルをやり取りしたり実際にカドベヤに来ていただいて話を交わすことは1時間の話では足りないほど海東さんのことを私に教えてくれた。話をしながら一つ気づいたことは、海東さんは決して愚痴らない。「大変だった」といっても顔は笑っている。
こんな病気にならなければよかった、とも一言も言わない。
 
海東さんは私の大学の先輩だ。でもご本人は大学2年で統合失調症を発病してその後てんかんも起こすようになり、入退院を繰り返すうちに大学中退を余儀なくなくされる。30代、40代、仕事を転々とするも、やはり病気が災いして長続きしない・・・というかやまいに対する周りの無理解もあったのではないだろうか。
 
そんなことがあっても海東さんが自らデイケアや地域活動支援センターなどの活動に飛び込んでいき、放送大学に挑戦し、日本福祉教育園門学校を今年卒業している。その果敢な挑戦ぶりはどうだろう。私にそれができるか、と言われればとても無理だろう。
 
海東さんは話の最後をこう締めくくった。
 
「最近私は思うのですが、病気になったことは災いだったと思いますけれど災い転じて福となすような考え方にしていけばよいと思うようになれました。
病気になったことは、すべてがマイナスではなく、将来に生かしていけると思います。
長い年月がかかりましたけれど、それぞれの人は自分自身のペースでやれば道は開けると思います。」
 
あ~本当にそうなんだ。自分の歩幅で自分のペースで歩いていけばいい。面白い物があったら立ち止まってみればいい。疲れたら休めばいい。やまいがあってもなくてもこれは本当に一緒。互いに学びあうことはたくさんある。
 
 
 
うれしいプレゼントもあった。海東さんは今年初めて一人旅で長崎に行っている。
その時にとった日の出の写真を皆にくれたのだ。海の向こうから上ってくる太陽。
まるでその太い光が海の上に立ち上るような写真。今はこれが私のお気に入りになっている。
 
カドベヤは今までそこに集う人の話を聞く、ということはほんの数回しか行ってこなかった。
でも誰でもたくさんの物語を持っている。そんな物語に耳を傾けてみることの大切さも改めてかみしめました。 (横山)
 
 
 
今日は、カドベヤの講演会で、私のこれまでの人生における体験談皆さんに聞いていただき、とても充実した1日を過ごすことができました。
 
これからもどうぞよろしくお願いします。
(海東宏二)
 
 
 
↑この日の夕めしです。

「朗読の夕べ byるみこさん」

 

今日は絶対に19時から参加する、と決めて恵子さんと一緒に台所でガンガン頑張る。

姫ちゃんも来てくれて皆して切ったり、煮たりと大騒ぎ。北海道のおいしそうなかぼちゃも今日は皆さんの胃袋へ。

 

 

るみこさんがきてくれて、途中から恵子さんに台所を任せ、朗読WSの開始です。

 

高校生のYuriちゃんも来てくれて、まずは声出し。固まった顎と舌をほぐしながら皆で声を出すのは何とも気持ちいい。

それから今日は皆で持ち寄った素材を声に出して読もうという企画と相成りました。

 

私はカドベヤにふさわしく、本当は料理の作り方を淡々と読んでみようかな、と思っていた(結局ほかのものを読んだけれど)。しお、さとう、少々、みたいな感じです。以前恵子さんが朗読のWSをやってくれた時にアートサイトの小川さんが広告を声に出して読んでくれたのがやたら印象に残っていて、なんでも声に出して読むと全然違う、ある意味パロディになったり、やっと意味が体にしみこんできたり、と不思議な発見がありました。またその人の持つ声が読んでいるものと寄り添う姿も面白い。

 

今回突然参加してくれたYuriちゃんは今学校の課題で出ている地球温暖化に関する英語のレポートから音読。そう、英語は声に出して読むとすっと入ってくることがある。姫ちゃんは今気に入っている詩から朗読。ハングルの小説も持ってきてくれたのですが、できれば一部音読が聞ければよかったな。外国語の持つ不思議な音はいつでも私を魅了する。

 

シリュウさんは漫画から!弟が幼いころ、母が漫画を音読して聞かせているのをはたで聞いていて、十分楽しめたことを思い出す。オノマトペとか本当に面白いのですよね。シリュウさんの声がまたよくって、シュールな漫画の内容と奇妙にマッチする。絵を見なくてもシリュウさんが好きそうな漫画であることがよくわかりました。

 

恵子さんは英語の企業モットーから読んだのですが、これがまたなかなか良い。後でほかの方とも話していたのですが恵子さんの清らかな声で読まれると、説得力がまた増してくる。

 

 

私は早川文代さんの『食語のひととき』から読みました。「ちびりちびり」についてです。

 

 

その後、小学生の書いたひらがなの詩を皆で朗読。同じ詩でも違う人が違う声で読むとまた違った印象を受けます。

 

 

 

その後、るみこさんの朗読を皆で聞く。一つは東工大のさる先生のエッセイからの抜粋。そして詩人吉野弘さんの"I was born"を読んでくださいました。吉野弘さんというと、「夕焼け」という作品を読まれた方もいるかもしれない。日常の中のふとした経験を掘り下げていくその視点。るみこさんの詩を聞きながら、今回もいろいろなことが頭の中を駆け巡る。

蜻蛉だけじゃない、蚕蛾も孵化したあとは卵を産んで死ぬしかない。口がないのだそうです。産み落とす、ということに向けてともされ、燃やされていく生命。そうやって命を犠牲にして生まれてくる、生きていく私たち。るみこさんの声が生み出す新しい物語にゆっくりと体を任せていました。

 

他の人が読んだら、またほかの物語が生まれるのかもしれません。朗読の力を不思議をまたしても感じた一日でした。

 

 

 

恵子さんの創ってくれたハヤシライスとかぼちゃサラダのおいしかったこと。目でも耳でも口でも味わったカドベヤの夜でした。

(よこやま)