2008-11-18 07:20:30

《寸珍百種 第拾壱編》『明治英傑詩纂』 その2

テーマ:読書、書評

前回 より、内山正如(編)『明治英傑詩纂』(博文館、

1892年)を取り上げ、まずは内山正如の履歴を紹介

しました。


この『明治英傑詩纂』は、縦15.2糎×横11.2糎、目次16頁

+本文210頁(頁番号は奥付「(211)」にも打つ)の並製本の

文庫本で、奥付は次のようになっています。


  明治廿五年十一月十六日 印刷

  明治廿五年十一月十七日 出版   正価金拾銭


              編集兼   大 橋 新 太 郎

              発行者   日本橋区本町三丁目八、九番地


              印刷者   宮 本      敦

                     神田区小川町壱番地


                  東京日本橋区本石町三丁目

             発兌書林  博   文   館



前回 紹介したように、明治19年(1986)に新潟県の長岡より上京

した大橋佐平(1835-1901)により本郷弓町に創業された博文館

でしたが、最初に手がけた総合雑誌『日本大家論集』が大当たり

したため、明治20年7月には日本橋区本石町に移り、さらに21年

3月には日本橋区本町1丁目12番地に家を借りて編輯局を移し、

本石町には上京した子息新太郎が移り住みました。


次いで、本書の発行の二日前の明治25年11月15日、博文館は

さらに拡張して本町3丁目に移り、一六・巌谷修(1834-1905)が

揮毫した「博文館」の額を掲げて新たに営業を開始しています。


日付としては11月15日移転、16日本書印刷、17日出版という

経緯ですが、実際には移転の前から印刷に入っていたものと

考えられ、大橋新太郎の住所本町3丁目8番地を「八、九番地

と記しています(これ以後の刊行物では「八番地」)。


それでは、内容をみていきましょう。

表紙を捲ると、薄様の紙の下に扉があり、それを捲ると

もう一枚薄様の紙を挿んで湖山・小野長愿(1814-1910)が

筆を執った題字「正気扶天壬辰(明治25年)天長節湖山

七十九翁長愿」の石版複製(2紙)が綴じ込まれています。


さらに、「凹凸山人如幻」こと内山正如(1865-1922)が

記した凡例と目次あわせて16頁の後に、いよいよ本文が

はじまります。


本文は、下記の6部と附録からなっています。


    五言絶句

    七言絶句

    五言律詩

    七言律詩

    五言古詩

    七言古詩

    附録 近世志士玉振集


各部について、載録されている漢詩人とその載録数を

みてみましょう。

まずは、「五言絶句」の部からです。


 号   氏名 載録数
    五言絶句
松菊 木戸 孝允 3
南洲 西郷 隆盛 2
春畝 伊藤 博文 1
世外 井上  馨 1
海舟 勝  安芳 8
秦山 土方 久元 2
海東 松方 正義 1
滄海 副島 種臣 1
十洲 細川潤次郎 5
龍泉 川路 利良 2
竹亭 東久世通禧 4
容堂 山内 豊信 1
無辺 渡辺 国武 2
南白 江藤 新平 4
五龍 玉乃 世履 3
得菴 鳥尾小弥太 1
東海 丸山 作楽 1
井々 竹添進一郎 2
芳隣 近藤 真琴 1
無号 前原 一誠 2
弄花 沼間 守一 2
春嶽 松平 慶永 1
韋庵 岡本 監輔 8
桜谷 黒田 長成 1
古梅 巌谷  修 1
益壮 大原 重徳 1
青萍 末松 謙澄 1
梅華 大野  誠 2
羽峯 南摩 綱紀 2
毅堂 鷲津 宣光 1
古香 秋月 種樹 1
   小計 68



内山による凡例に記されている通り、本書は「維新ノ英傑

が詠んだ漢詩を集めたものであるため、すぐれた漢詩人の

詩よりは著名な元勲の詩を多く集める結果になっています。


またこのことは、旧西国の諸藩の出身者が詠んだ漢詩が多く、

江戸の漢詩人は少ないという特徴とも関わっています。


さらに、「七言絶句」の部以下についてもみてみましょう。


→→→つづく。

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