《寸珍百種 第拾壱編》『明治英傑詩纂』 その2
テーマ:読書、書評前回 より、内山正如(編)『明治英傑詩纂』(博文館、
1892年)を取り上げ、まずは内山正如の履歴を紹介
しました。
この『明治英傑詩纂』は、縦15.2糎×横11.2糎、目次16頁
+本文210頁(頁番号は奥付「(211)」にも打つ)の並製本の
文庫本で、奥付は次のようになっています。
明治廿五年十一月十六日 印刷
明治廿五年十一月十七日 出版 正価金拾銭
編集兼 大 橋 新 太 郎
発行者 日本橋区本町三丁目八、九番地
印刷者 宮 本 敦
神田区小川町壱番地
東京日本橋区本石町三丁目
発兌書林 博 文 館
前回 紹介したように、明治19年(1986)に新潟県の長岡より上京
した大橋佐平(1835-1901)により本郷弓町に創業された博文館
でしたが、最初に手がけた総合雑誌『日本大家論集』が大当たり
したため、明治20年7月には日本橋区本石町に移り、さらに21年
3月には日本橋区本町1丁目12番地に家を借りて編輯局を移し、
本石町には上京した子息新太郎が移り住みました。
次いで、本書の発行の二日前の明治25年11月15日、博文館は
さらに拡張して本町3丁目に移り、一六・巌谷修(1834-1905)が
揮毫した「博文館」の額を掲げて新たに営業を開始しています。
日付としては11月15日移転、16日本書印刷、17日出版という
経緯ですが、実際には移転の前から印刷に入っていたものと
考えられ、大橋新太郎の住所本町3丁目8番地を「八、九番地」
と記しています(これ以後の刊行物では「八番地」)。
それでは、内容をみていきましょう。
表紙を捲ると、薄様の紙の下に扉があり、それを捲ると
もう一枚薄様の紙を挿んで湖山・小野長愿(1814-1910)が
筆を執った題字「正気扶天/壬辰(明治25年)天長節/湖山
七十九翁長愿」の石版複製(2紙)が綴じ込まれています。
さらに、「凹凸山人如幻」こと内山正如(1865-1922)が
記した凡例と目次あわせて16頁の後に、いよいよ本文が
はじまります。
本文は、下記の6部と附録からなっています。
五言絶句
七言絶句
五言律詩
七言律詩
五言古詩
七言古詩
附録 近世志士玉振集
各部について、載録されている漢詩人とその載録数を
みてみましょう。
まずは、「五言絶句」の部からです。
| 号 | 氏名 | 載録数 |
| 五言絶句 | ||
| 松菊 | 木戸 孝允 | 3 |
| 南洲 | 西郷 隆盛 | 2 |
| 春畝 | 伊藤 博文 | 1 |
| 世外 | 井上 馨 | 1 |
| 海舟 | 勝 安芳 | 8 |
| 秦山 | 土方 久元 | 2 |
| 海東 | 松方 正義 | 1 |
| 滄海 | 副島 種臣 | 1 |
| 十洲 | 細川潤次郎 | 5 |
| 龍泉 | 川路 利良 | 2 |
| 竹亭 | 東久世通禧 | 4 |
| 容堂 | 山内 豊信 | 1 |
| 無辺 | 渡辺 国武 | 2 |
| 南白 | 江藤 新平 | 4 |
| 五龍 | 玉乃 世履 | 3 |
| 得菴 | 鳥尾小弥太 | 1 |
| 東海 | 丸山 作楽 | 1 |
| 井々 | 竹添進一郎 | 2 |
| 芳隣 | 近藤 真琴 | 1 |
| 無号 | 前原 一誠 | 2 |
| 弄花 | 沼間 守一 | 2 |
| 春嶽 | 松平 慶永 | 1 |
| 韋庵 | 岡本 監輔 | 8 |
| 桜谷 | 黒田 長成 | 1 |
| 古梅 | 巌谷 修 | 1 |
| 益壮 | 大原 重徳 | 1 |
| 青萍 | 末松 謙澄 | 1 |
| 梅華 | 大野 誠 | 2 |
| 羽峯 | 南摩 綱紀 | 2 |
| 毅堂 | 鷲津 宣光 | 1 |
| 古香 | 秋月 種樹 | 1 |
| 小計 | 68 | |
内山による凡例に記されている通り、本書は「維新ノ英傑」
が詠んだ漢詩を集めたものであるため、すぐれた漢詩人の
詩よりは著名な元勲の詩を多く集める結果になっています。
またこのことは、旧西国の諸藩の出身者が詠んだ漢詩が多く、
江戸の漢詩人は少ないという特徴とも関わっています。
さらに、「七言絶句」の部以下についてもみてみましょう。
→→→つづく。






