落ち込んでいる人を慰めるのは、本当の意味での勇気づけになりうるか? | ひとしずくの純金

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たったひとつのわたしの生き方を見つける旅

友人が、
恋人が、
職場の仲間が、
家族が、
 
落ち込んでいるとき、
どう接していますか?
 

誰かが、いいことをしたときや、
いい状態のときに、
 
肯定的な言葉ってかけやすいです。
 
 
じゃぁ、
失敗したときや、
調子のよくないときには、
どんな言葉をかけているでしょう?
 
「残念だったね」
「また次があるよ」
 
と、慰めたり、励ましたり
するのではないでしょうか?
 
私もずっとそうしてきたんですが、
最近、ちょっと待てよ、と
思うことがあるんです。
 

「この慰めるという行為は
 
出来事を歓迎されないことが起こったね、
 
とむしろ積極的に”否定サイド”に位置付ける
ことになるんじゃないのか・・・?」
 
ちょっと屁理屈ぽいんですけれど(笑)。
 
 
 

 

 

 

それで考えたんですが、
 
相手そのものから離れて、
行為とか、結果に反応するから
 
こうなるんだよな、と。
 

自然な感情の流れとして、
 
共に残念がってくれる人や
応援してくれる人がいるというのは
 
とても支えになるはずです。
 
だから、それ自体を
問題視するつもりはないんです。
 

いわんや
「言葉狩り」をしたいわけでも、
 
「頑張れと言ってはいけない」
みたいなルールをつくりたいわけでも
 
ないのです。
 

そこから先の提案をしたいんです。
 
「残念だったね」+「あなたが大好き」
「また次があるよ」+「あなたはすばらしいよ」
「悔しかったね」+「あなたがとても大事」
 
というふうに、
起こった出来事や感情に反応して
応答する言葉にプラスして、
 
(だって、起こったことに
 
嫌な感情が湧き上がったことまで
無かったことにするのは却って苦しいから
 
一度は、ちゃんと反応する。
 
その後で)
 
その人そのものへのメッセージを
伝えたらどうだろう、
 
と思うんです。
 

起こった出来事や、
陥ってしまった状況にかかわらず
 
あなたの存在は
私にとってとても重要で価値がある
 
周りの出来事なんて関係ないよ、
 
というメッセージが伝えられたらね、
 
目の前の失敗とか、
行き詰まりって
 
どうにか、こうにか、
乗り越えていけるんじゃないか。
 

人はそういう力を
もっているんじゃないか、と思うんです。
 

逆に、そういう繋がりさえあれば
そういう力を発揮できるんじゃないか、とも。
 
さらにいえば、
そういう体験を通して
何かを乗り越えてきた人というのは、
 
別の誰かが困っているときに、
本当の意味で
勇気づけられる人になっている。
 
 
自分の体験がそんふうに
誰かのために使えるようになったとき、
 
それは、
新しい意味づけが得られた瞬間だと思います。
 
ただ単に慰めるとか、
褒めるとか、
 
そういう言葉だけでは得られない
成熟ではないかな、と思います。
 
 
単なる慰め以上のものを探している方、
体験セッションでお待ちしています。^^
 
 
カミヤカオリ
 

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